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グリフィアに3日滞在して、マーズたちはフィアへシリウスとアレスを伴って戻った。
歓迎のパーティーの翌日、グリフィア王とルシルとシド老人の話をした。
「そうかフィアの4人の王子を兄が教えたのか」
王は感慨深そうに目を閉じて頷いた。
シド老人の若い頃が思い出の形になって語られる。
聞いていたマーズたちも幼い頃に帰る内容だった。
帰路は国境の詰め所に一晩泊まり、馬車で1週間の距離を1日半で走る。
城の前で出迎えた人波の中に、ベルの姿があった。
両手を胸の前で合わせて、ベルは訴えるようにマーズを見ていた。
そのベルの横に、ハンナの姿は無い。
マーズの後ろでハロルドとアランが目配せしあった。
マーズもベルに気付いたはずなのに表情を変えずシリウスとアレスを謁見の間に案内して行った。
そのマーズの背中をベルの目がすがるように追って、見付けて欲しい、と目が訴えていた。
マーズの後からハロルドとアランが続く。
謁見の間には緊張したロナルドと貴族が待っていた。
「カインから話は聞いていると思う。グリフィアと和平を結ぶ事にした」
マーズの話にロナルドがぎこちなく頷いた。
「マジェスティさま」
貴族の勢力者がマーズを呼んだ。
「この戦争でグリフィアはフィアに破れたのに、何故和平なのですか。占領し支配下に置くべきでは」
反論しようとしたアレスをシリウスが止めた。
「グリフィアは、モルグとバルスの戦いを一歩離れて見ていた」
「それでも敗けは敗けだ。勝ったフィアがグリフィアを占領するべきだ」
勢力者は引かなかった。
「俺はフィアの王子として最善の道を選んだ。それが不服なら自分の兵でグリフィアと戦う事だ」
勢力者は不機嫌な顔を隠さず貴族の中に下がった。
フィアの貴族は戦いを軍神マジェスティに任せきっているから、上位貴族でも私兵は50人もいない。
マーズは今まで口にしなかった事も口にする。
それは残るカインへの布石だった。
「ロナルド、仮調印は明日で良いか」
公の場だからマーズも愛称では呼ばない。
「問題ない」
謁見の間から出ると、柱に隠れるようにベルがマーズを見ていた。
「あれがベルベットだよ」
アレスがベルを見付けてシリウスに教えた。
シリウスはアレスの腕を掴んで、わざとマーズたちから遅れて歩いた。
「似てるでしょ」
シリウスはチラッとベルを見てアレスを見た。
シリウスは否定も肯定もしない。
「マーズはベルが好きで僕に対抗意識持ってるから、ちょっとからかおうよ」
「マーズに確かめたのか」
「僕がベルに構うと不機嫌になるんだ、聞かなくても見れば分かるよ」
アレスは大きな声で名前を呼んだ。
シリウスは止めるでもなく好きにさせる事にした。
「ベルベット姫」
マーズは振り向かないが、ハロルドはムッとした顔でアレスを振り返っていた。
ベルはアレスを見て思わず逃げようとした。
「僕の兄を紹介するよ。グリフィアの第1王子だよ」
ベルはグリフィアの第1王子と聞いて立ち止まった。
シリウスを見上げて、亡くなったマリアが話していた人だと思い出していた。
シリウスを見ているベルをチラッと見てから、ハロルドはマーズの後に続いた。
シリウスはその光景を見ても黙っていた。
マーズがベルを意識しているのはすれ違った時の目線から分かったが、アレスが言うほどマーズはベルにのめり込んではいない。
対してベルは去っていくマーズを必死に追っていた。
「初めましてベルベット姫。アレス兄のシリウスだ。グリフィアはアレスとの婚約を白紙に戻す事も視野に入れている。まず本人の気持ちが知りたい」
「…私は」
ベルはオドオドしていてそれ以上は言わなかった。
察して欲しいと言っている目が、遠ざかるマーズの背中を追っていた。
どうしよう。
こうしていても焦りばかりが気持ちを揺さぶる。
気持ちの頼りにしていたフロルが療養に山奥の砦に移ったと知って、ベルの心細さは倍増した。
なのに、ハンナは優しいけどどこか最初と変わっていて、包んでくれなくなった気が強くしていた。
少しずつ自分の周りから人が消えていく。
震えるような恐怖に襲われて、ベルは本能で隠れられるマーズの腕が欲しかった。
「この城は居心地悪いみたいだね。僕たちとグリフィアに来ない?」
アレスの言葉に、ベルは迷う視線でマーズの背中とアレスを交互に見ていた。
「アレス。話を急くな。突然言われても困るだろう」
シリウスはやんわり止めた。
きつく止めてアレスに暴走されるのは面倒だった。
「解ったよ。じゃあ今夜のパーティーまでに決めて」
「え…」
ベルは揺れる目をシリウスに向けてきた。
「ベルベット姫。あなたの気持ちを優先します」
「え?…あ…」
ベルの中に保身の気持ちが浮かぶのを、シリウスは気付きながら知らない振りをした。
シリウスの目にはベルもただの他国の王女だ。
逆にもう地図から消えている国の王女、と言う無駄に面倒な存在だった。
この時代の王族や貴族の女性は男性の庇護の下で暮らすのが当然だから、ベルがどちらにするか迷うのも当たり前の事だ、とシリウスは受け止めていた。
後からベルが何も知らないと気付いて苦笑いするのだが、この時点ではまだ知らない。
その夜のパーティーには、アレスがベルをエスコートして参加した。
公に婚約を白紙に戻してない事から、ベルのエスコートはアレスしかいない。
空気の読めないアレスにベルを誘わせた。
念のため持ってきた夜会服がこんな時には役に立つ。
始まって見ると貴族の参加も少なく、国が主催のパーティーにすれば信じられない小規模だった。
「貧弱だな」
アレスは戻ろうとする貴族をカインが閉め出しているとは知らないから、集まった顔を見て平然と言う。
シリウスはアレスとベルから離れて会場を見ていた。
マーズとハロルドは遅れてきた。
パーティーの前に、2人が亡くなった王の墓前に詣でていたと部下から知らせがきていた。
その後ロナルドを訪ねたが、貴族たちが占拠していて話をする時間は無かったようだと知らせにはある。
喪に伏しているのか、マーズとハロルドの服は合わせたように黒かったが、ロナルドは白を基調にした客を迎える華やかさを見せていた。
シリウスも、パーティーまでの時間を無駄に過ごしていた訳じゃない。
シド老人と話し、この後の日程を詰めた。
「フィアの王の最後は看取った。残る気掛かりはセシルの事のみ」
シド老人はシリウスたちが戻る時、一緒に旅立つつもりだと言った。
バルスの王との対面はまだ先になると止めても、シド老人はそれまで待てないと聞かなかった。
シド老人とのふとした会話から出たベルの話に、シリウスは耳を疑った。
聞き終わって、それで納得する部分もあった。
ベルへの庇護欲が愛に変わる可能性も否めないが、マーズはまだ自分の感情に戸惑っているように見えた。
駆け引きに使えるかどうかはまだ様子見だ。
そんな背景があるパーティーだった。
アレスとベルが1曲踊り終わっても、マーズはハロルドとアランと話していてベルには無関心に見えた。
中央のロナルドはそこに混ざりたそうにしていて、最初の1歩が踏み出せない顔を横に向けていた。
「小物は少ないがアレスが選んだには良いセンスだ」
ベルはシリウスが何を言ってるのか分からなかった。
首を傾げるベルに、シリウスがドレスを指した。
「…これは」
ベルがつかえながらカインの奥さまから借りた話をすると、シリウスが驚いていた。
ベルはハンナが用意したドレスをマリアに裂かれた話もして、またドレスを借りた話をした。
聞いている振りをして、シリウスはアレスを見る。
ベルだけではなく、グリフィアでの舞踏会もパートナーに衣装を送ってないのか?
今までアレスがエスコートしてきた中には公爵や侯爵の令嬢も多い、彼女らが国に衣装代を請求しないのはアレスが貴族たちから見捨てられているからだ。
シリウスは舌打ちする。
この先の打つ手を間違えれば、グリフィアはバルスの二の舞になる。
見えてなかった落とし穴に、背中が冷えた。
パーティーを終えて、マーズはアランと明日の書類を書斎で整えていた。
「ロディは密葬にする気ですか?」
アランは気になっている事をマーズに聞いた。
「戻って直ぐ話したかったんだが、がっちり周りを貴族で固められてて、帰国の挨拶もしてない」
「予測通りですか」
アランが気持ち眉尻を上げた。
対立していた貴族が国外へ逃げた事で、勢力者のフィア国内での権力は絶対になった。
マーズが戻ってもその縮図は変わらない。
逆に権力に固執していてロナルドに近付けまいと必死になっていた。
「公に葬儀の発表を急がせないとアレスの二の舞だ」
「手紙をマサラに届けさせますか」
マーズは否と首を振った。
「まだハンナに頼む方が安全だ」
「そうしましょう。急いで書いてください」
マーズが手紙を書いてる横で、アランが言った。
「退いた後の手はずは終わっています。ラルフには後を追ってくるようカインに言伝てました」
マーズが考える目を宙に向けた。
「シリウスですか?パーティーでも静かでしたね」
「静かすぎる。仮調印を待ってるのかもな」
マーズの視線が厳しくなった。
アランが聞こうとした所に真剣な顔のハンナが来た。
ハンナの手には見覚えのある手紙が握られていた。
「先程までお待ちしてましたが、お手に取られないのでお持ちしました」
アランがマーズの後ろに移動した。
手紙はどれも封も開けていない。
マーズが一瞬驚きを顔に出したが、直ぐ微かに笑って手紙を受け取った。
「ベルさまがマーズさまにお目に掛かりたいと」
書き終えた手紙をハンナに渡してから言った。
「手紙を届けてから、連れて来てくれ」
机に置いた手紙をマーズが燃やそうとした。
仕事の合間に書いた物で他人に読まれて困る内容ではないが、残しておく必要もない。
「ちょっと待って」
アランはニヤリと笑った。
生真面目なマーズはベルからの手紙が途絶えても定期的に手紙を送っていた。
別段隠すでもなく公然と手紙を書くので、アランでさその内容を知っているくらいだ。
ベルからの返事が来なくなって、マーズの中に裏切った形になった申し訳なさは見えたが、気持ちはそれ以下でも以上でも無いように見えた。
逆に1歩離れた気さえしていた。
遅くなってハンナに連れられて来たベルは、嬉しそうにマーズを見て話し掛けて貰うのを待っていた。
帰って来た時に素通りされた事に傷付いていたから、マーズからの手を待ち望んでいた。
なのに、笑って見返して来るだけでマーズは何も言ってくれなかった。
「…マーズさま…お帰りなさい」
「ただいま」
ベルの勇気を出した一言も受け流されてしまう。
「…待ってま…した」
もっと言ったら、マーズの後ろのアランが机の上を見て、ベルを見た。
机には見覚えのある手紙が乗っていた。
ベルは驚いてハンナを振り返った。
ハンナは優しい顔で笑っていた。
手紙の言い訳をしたくても声が出なくて、ベルは泣くしか出来なかった。
マーズの後ろにいたアランが近付いてきて、諭すようにベルに言った。
「まだ仕事が終わってないので、帰還の挨拶はそれくらいにして貰えますか」
アランはスマートに退室を促す。
呆然としてるうちに部屋へ戻されたベルは、ハンナを怨めしげに見た。
「…どうして」
てきぱきと寝る支度をするハンナは答えなかった。
「…マーズさまに…渡したの」
支度を終えて下がる時、ベルのハンナを責めた口調は指摘せず優しく言った。
「マーズさまは手紙の事はご存じでしたよ」
ベルは両手で口を押さえベッドに座り込んだ。
半分は本当で、半分は嘘だ。
返事が無ければマーズがどう思うか、理解していたから言えた言葉だった。




