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決意を胸に、ハンナは部屋に戻したベルと話した。
「ベルさま。マーズさまがマジェスティだったのが悲しいんですか?」
ベルは小さく違うと首を振った。
「言わなかった事ですか?」
ベルは下を向いた。
「ベルさまがマジェスティなら言って欲しいですか」
ベルが驚いて顔を上げた。
「マーズさまはマーズさまですよ。貴族は軍神マジェスティのマーズさましか望んでませんが」
ハンナは言葉を切ってベルを見た。
「国民は軍神マジェスティのマーズさまも、実物大のマーズさまも慕っております」
ベルが分からないとハンナを見た。
「ベルさまがイファの第3王女の立場を辛く思うように、マーズさまとて軍神マジェスティの立場を辛く思うとは考えられませんか?」
「…え、あ…」
ベルが動揺した声を上げた。
「ベルさまは、ご自分の身分を知らせなかったマーズさまを心の中で責めているようですが」
ベルを見て、ハンナはきっぱり言った。
「マーズさまは、本当のマーズさまの姿でベルさまに接していたはずですよ」
ベルの隣に座って、ハンナはベルの手を取った。
「産まれてくる時に自分の未来を自分で決められるなら、マーズさまは絶対王子に何か産まれたく無かったでしょう」
ハンナはベルの目を見て聞いた。
「ベルさまはマジェスティのマーズさまを好きになったんですか?」
ベルは驚いて違うと首を振った。
「ではどんなマーズさまを好きになられたんですか」
感じてはいても口にしなかったベルの『好き』を、ハンナは意識して声にした。
「マーズさまがお好きなんでしょう?」
誘導尋問だと分かりながら、ハンナは続ける。
「マーズさまを追う様子で分かりますよ」
追い込まれて、ベルが小さく頷いた。
「どんなマーズさまですか」
「…鹿と」
震える声を出すベルに、ゆっくり先を促す。
「動物や子供には好かれますからね」
ベルがコクンと頷いた。
「マーズさまの周りに子供がいっぱいで…」
ベルが泣きそうになって言った。
「そうですか」
ハンナはベルの背中を撫でた。
「…う、羨ましくて」
「戻ったらベルさまも手を伸ばされれば良いですよ。相手から差し伸べて貰うのを待つだけなのは、マリアさまで十分見てきたんじゃないですか?」
「え?」
ベルの顔が上がった。
何を言われているのか、分からない顔だった。
「わざと相手に見せ付けて、手を取らせようとするのと、泣いた顔を見せて、相手を思うようにさせようとするのは同じだと思いますよ」
「え?」
「泣き顔を武器にするのは女の特権だと思っている方は多いですが、端から見ると醜いだけですよ。ベルさまはそうなりたいんですか?」
疎いベルにもハンナが何を言いたいのか分かった。
ベルはグッと堪えて涙を拭った。
「他にございますか?」
ハンナに聞かれても言い出せなくて、ベルは両手を膝の上で握り締めていた。
ハンナを見上げても笑って見てるだけで、言い出す切っ掛けを作る言葉を掛けてくれなかった。
時間だけが無駄に過ぎた。
追い込まれるような空気に負けて、ベルは勇気を出して1番胸に刺さってる事を話した。
「マーズさまはルシルさんを…」
「ルシルを?」
ハンナはベルに先を促した。
「優しく自分の乗ってる馬に抱き上げて乗せて…」
ハンナは納得したように笑った。
「ルシルはマーズさまが助けたんですよ」
ベルが頷く。
「弱くて弱くて何度も何度も死に掛けて、私も良く看病しましたよ。ルシルに焼きもちを焼いてますか?」
ベルが動揺して違うと両手を振った。
「ハロルドさまは良く怒ってましたよ。『マーズは僕の兄なの!』って」
ハンナが思い出すように笑った。
「末っ子のハロルドさまも大人になって、寂しかったんでしょうね。ハロルドさまと同じ歳でも手の掛かるルシルを可愛がっているんですから」
「…ハロルドさまとマーズさまは兄弟何ですか?」
ベルは目を丸くして聞いた。
「そうですよ。お二人ともハンナがお育てしました」
ベルはハンナを見ていた。
「皇太子のロナルドさまと第3王子のカインさまは、マサラが乳母を努めて居たんですよ」
ハンナがわざとマサラの名前を出すと、ベルは怯えた顔をうつ向けた。
「カインさまはご存じですよね。ベルさまがドレスをお借りした方はカインさまの奥さまですよ」
ベルが驚いた顔でハンナを見た。
「話が反れましたね。ベルさま、ルシルは懸命に努力しました。その姿を見てきているから、ルシルが可愛いんです。ハロルドさまもそうです。マーズさまに誉めて貰いたくて今も頑張ってますよ」
ハンナは声に出さない『あなたは?』を目に込めた。
「マーズさまもお小さい頃から色んな事を頑張ってきました。ですから今のマーズがいるんですよ」
ハンナはもう1度ベルと目を合わせた。
「ベルさまも頑張りましょうね。マーズさまの側に居たいと望むなら、マーズさまにベルさまが引かれたように、マーズさまを振り向かせる努力も必要ですよ」
ここまで噛み砕いて言ってもベルが察して欲しいを改めないなら、ハンナはマーズに知らせずベルを修道院へ隠すと決めていた。
ベルをハンナが修道院に行かせたと分かれば、マーズは直ぐに理由に気が付くはずだ。
万が一、マーズがフィアを去った時に、希望だったはずのベルがマーズの重石になる事だけは阻止しなければならない。
自分が悪者になっても、マーズを守りたい、そうハンナは心を決めていた。
その少し後、マーズたちの陣営にルシルが到着した。
「マーズさま」
熱で赤いかおをしているルシルをまず座らせる。
ルシルは休む事もしないでマーズを見た。
「シド老人からの手紙が届いてますよね」
「ああ」
意気込むルシルに比べて、マーズは冷静だった。
「私はバルスの皇太子セシルです。弟のバルスの王に会わせてください」
「会ってどうする」
マーズの声は静かだった。
自分がこうして来て真実を話せば、絶対マーズは親身になってくれる、そう思っていただけに、ルシルにはマーズの冷たい反応が不服だった。
「マーズさま。バルスの王は弟ではなく偽者かも知れないんです。私の弟がたくましいはずは無いんです」
気負うルシルにマーズが返す。
「それで」
「きっと誰かが入れ替わったんです」
「その誰かとは誰だ」
周りのカインやハロルドも無関心で、ルシルは怒鳴るようにマーズに訴えた。
「多分弟の1つ下の大臣の息子です!」
大臣の息子は産まれた時から大きくて、貧弱なルシルの弟より年上に見られていた。
後々、バルスの王と大臣は処刑される。
その時、どうして国を乗っとるなんて画策したのか、と問い質したシリウスに、バルスの大臣は答えた。
「王は私の息子が産まれた時、第2王子と同じ名前を着けろと命令した。そして、息子は一生第2王子の影として仕えさせてやると言ったんだ」
今は時間が経ちすぎてその話の真偽すら調べようが無いが、他に子供が産まれなかった大臣には家系がとだえる大事件だった。
その恨みが王を殺させ、直接ではないが第2王子の命を奪う結果になった。
話を戻して。
「そうか」
マーズは頷いて、テーブルを挟んだルシルの前の椅子に座った。
「何でそんなに冷静なんですか!1つの国が乗っ取られたかもしれないのに」
「もしそれが本当なら、ルシルはどうしたい」
マーズは淡々と聞いた。
「勿論弟じゃなかったら、そいつは正当なバルスの王じゃないと国民に言います」
「言ってどうするんだ」
自分はこんなに必死なのに、ルシルはマーズの冷たい応対に怒りさえ覚えていた。
「どうしてもっと親身になってくれないんですかっ」
「王が大臣の息子だと分かったとして、その後のバルスを誰が治める。そこまで考えてから来たのか」
マーズは無表情で聞いた。
ルシルは一瞬言葉に詰まったが、勇気を振り絞った顔でマーズに言った。
「僕が王になります。正当な王位継承者は私です」
「体の弱いルシルが王になって、王の激務に耐えられると思っているのか」
マーズは冷たくルシルを見返して返した。
「叔父さんのシド老人が助けてくれると言ってます」
ルシルは必死に訴えた。
「病弱な王を国民が望むと思うのんですか」
横からカインが問い質した。
「絶対グリフィアの叔父も助けてくれます」
ルシルはグリフィアの現王も叔父だと言った。
「政治はそんなに甘いもんじゃない」
マーズは冷たく返した。
「どうして賛成してくれないんですかっ!バルスの正当な王は私なのに」
ルシルは泣きながら訴える。
「例えバルスの正当な後継者だとしても、王位に就いた後を考えていない者がどう国民を導く」
「それは…でも私は王になる者なんです」
言い切るルシルの前にハロルドが立った。
「グリフィアが助けてくれる?そんな考えなら、いっそグリフィアの植民地にすれば良いじゃん」
「そんなっ」
ハロルドの有り得ない言葉にルシルは絶句した。
「グリフィアに助けて貰うって簡単に言うけど、間に別の国を挟んでるから統治も上手くいかないよ」
「ですから叔父のシド老人が付いて来てくれます」
「分からないかな。国民が迷惑するの」
珍しくハロルドが怒った口調で言った。
「ルシルが王になるってね。僕が王になるくらい無謀な事だって言ってるの。それに、マーズへのベルの手紙は何?人を使って言うことを聞かせようとか、何最低な事してるの」
「それは…叔父がベルの頼みならマーズは聞くって」
ルシルが口の中でモゴモゴ言った。
「きっとさ、国のためなら多少の犠牲は付き物、とか言って自分を正当化するんだよね」
ハロルドの言い方は辛辣だった。
違うと言い掛けて、ルシルの中に嫉妬に似た黒い気持ちが沸き上がった。
「…ベルだか…ら、庇うの」
「ベルだからじゃないの。人を利用するそのやり方に怒ってるのが分からない?もし、利用したのがフロルでも、同じ気持ちになるよ」
ルシルは理解できない顔をしていた。
「ルシル。君の身勝手な思い込みが現実になったら、誰も幸せになれないですよ」
アランが諭すように言った。
2日後、グリフィアの兵士が前戦を退きバルスの後方へと撤退を始めた。
ハロルドの流した情報がグリフィアに届いたのかと思ったが、調べるとバルスとのトラブルでアレスが撤退を決めたようだ。
主力を失ってバルスの軍が乱れた。
「1日間に合わなかったですね」
アランが残念そうに言った。
この戦はバルスを倒した時点でグリフィアとの和平交渉になるだろう。
そうなる前に、アランはフィアが優位に立つ状況に持って行こうと思っていた。
フィアからの援軍が来るのは明日だ。
ハロルドの顔も残念そうだった。
「バルスがこの戦況に焦れて、グリフィアへもっと攻めろと行動を起こしたんだろう」
マーズがハロルドに教える口調で言った。
「アレスなら頭に来てバルスを困らせてやろう、とか平気で思うでしょうね」
すっぱり諦めたアランも納得した声を出した。
夕方、ノロノロとグリフィアの兵が前戦に戻る。
「泣き付かれて戻したな」
マーズの哀れむ声にアランとカインが頷いた。
グリフィアの兵士が二転三転するアレスの指示をどう見ているのか、は聞かなくても分かる。
「今頃シリウスはどんな顔をしてるんだろ。想像すると笑えるよね」
ハロルドが面白がって言った。
「ルディ」
マーズの嗜める声に、ハロルドはしまったと首をすくめて見せた。
翌日の昼過ぎに増援の兵が到着すると、フィアの軍は陣形を変える。
中央にマーズ、右にはアランとリリ、左はラルフとルルが固めた。
マーズとアラン、ルルは白いマントを付け、フィアの軍を一斉に動かした。
フィアの1600がバルスとグリフィアの数を減らした4000強を圧倒する。
その間モルグの兵は後方へ置き去りにされ、フィアの戦いを見てるしか術が無かった。
戦場で、フィアは圧倒的な力の差を見せ付けた。




