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国民の歓声を浴び、馬に乗ったマーズが先頭を歩く。
その両側にカインとハロルドがいた。
後ろにアランとラルフ、リリとルルが続く。
アランとラルフは互いに目配せをする。
2度とマーズを戦場に行かせない、その誓いを果たせなかった悔しさは勝つ事で注ぐ。
2人は決意を胸にマーズを見ていた。
街が見えなくなってから、アランが前に移動した。
「カイン。何時ものように兵士だけにしたらどうだ」
「いや、今回は行くよ。アムロもだけど、アレスをシリウスがどうするのか直に見たいからね」
「面子が潰れましたか」
アランがわざと声に出して笑った。
アムロの暴走を押さえにいった自分の威圧が足りなかった、とカインは思っているらしい。
アランはカインを見ながら思い出していた。
「マーズが行くなら、私とハロルドも行きます」
謁見の間にカインの声が響いた。
貴族の中からも低い話し声が忙しく聞こえた。
「どれだけ雑魚が寄せ集まっても、フィアの正規軍の代わりにはならぬぞ」
王の声に貴族の話し声がピタリと止んだ。
初陣に破れて以来、皇太子ロナルドが率いる正規軍はフィアのお飾りに成り果ててたいた。
附属している騎士も上位貴族の子息が主で、剣の稽古など1度もしたことがないと豪語する者が複数いる。
「承知しております」
ゾッとする笑みを浮かべて、カインが上位貴族をゆっくり見渡した。
「僕もマーズとカインと行くよ。欲しかない貴族にはもううんざり」
ハロルドの目はロナルドに向いていた。
わなわなと唇を震えさせるだけで、皇太子のロナルドからはマーズを庇う言葉も父王を止める言葉も無い。
怒りすぎて意味も分からない事を怒鳴る王に騎士の礼をして、マーズたち3人は謁見の間を後にした。
「言い方間違えたかな。あれじゃあ僕がマーズに付いていくって誰にも伝わらなかったね」
ハロルドがちょっと悔しそうにした。
「終わったら嫌でも1度は城に行くんです。その時で十分ですよ」
「そうだね」
わざと軽く話してるけど、誰の中にも死は大きく口を開けていた。
楽な戦いなど有り得ない。
この戦争でも尊い国民の命が犠牲になる。
マーズに出来るのは1人でも死なせずに済むように、アランと戦略を立てる事で酬いる事だけだった。
「バルスが考えたのかな?父上を挑発するバルスからのあの手紙。感心しちゃったよ」
ハロルドが可笑しそうに言った。
その手紙のせいで父王の怒りは頂点を超え、あの愚かな言葉になった。
「シリウスでしょう。フィアの兵を動かしたいでしょうから知恵を付けたと見るべきですね」
アランは冷静に分析している。
「やっぱりか。それならアムロに頑張って貰おう」
ハロルドが軽く言った。
気負ったアムロは先にモルグに戻っている。
それもカインを怒らせる一因だった。
「アムロの事だから、フィアが援軍に来ると大声でばらまくでしょうね」
「2、3日中に耳に入ってきますよ」
アランが当然だろうとカインに返した。
「この戦が終わったら、モルグとは国交断絶ですね」
父王がモルグの前王と懇意していたので、今まではモルグを優遇していた。
口にはしないが、3人の中にこの戦が終わる時まで父王は生きていない、と確信に近い物があった。
「上手く誘導してますかね」
ラルフが怪しいと期待薄の声を出した。
「大丈夫でしょう。私から軍師と少数の兵士を着けてやりましたから」
カインの返事は冷たい。
「ここで聞かなかったら国が潰れるって、アムロの馬鹿でも流石に分かるよ」
ハロルドが一応信じてるような口調で言った。
マーズはモルグの地形を利用して、山と山の間に防衛線を引き下げた。
そこなら数に者を言わせる戦略は取れない。
それに猛反対したアムロを、カインが立ち上がれないほど冷淡に潰した。
「まだ自分の立場が分かってないのか。大人しくフィアの指示に従わないのなら、私たちの軍がモルグに着くのは来年になりますよ」
「こちらは王に訴える事も出来るんだぞ」
「どうぞ。父の性格は熟知してますから、モルグの勝手な行動がフィアに敗けを招くと教えますよ」
相手を追い詰めるカインのやり方は、鎌首を持ち上げた蛇に似てると良く言われる。
「モルグが負けるのを待って、フィアが出た方が戦い易いし交渉もし易い。モルグの自爆を楽しむよ」
カインの言動に本気だと感じたのだろう、アムロの態度が急に大人しくなった。
戦況はマーズの予測に反して不利だった。
バルスの兵は当然だが、グリフィアの兵も積極的に押し出してきていた。
「防衛線を下げておいて正解でしたね」
山の上からアランと偵察する。
バルスの兵は約2000。
収穫が終わっているはずのバルスは、戦える国民を総動員した数に見えた。
グリフィアの5000は後衛に3000残し2000がバルスと共に戦っていた。
「どうしますか」
「フィアの兵は体力を温存させろ。可能な限りモルグの兵に戦わせて時間を稼げ」
モルグの兵は約1000。
これは収穫を無視した数だ。
アランに収穫に数を回せと言われても、アムロは大丈夫と聞かなかった。
困ればフィアの作物が回ってくると楽観視しているのが、その態度に見えていた。
それに対しマーズが率いる兵は約500、ハロルドが400、カインは物資担当の200だった。
マーズたちは、先に国境に待機させていた兵を率いてモルグに入った。
カインの兵は国境警備にも割いているから、収穫を終えても増員は望めない。
単純に計算しても7000に対し2100。
「グリフィアが本気になれば、相討ちですか」
アランの声は緊張を含んでいた。
「シリウスが情報操作に徹している。援軍が来るまで長引かせて持ち堪えろ」
「承知しました」
そこからはアランの仕事だ。
防衛線を破られそうになるとフィアの軍が少数前線に出て、防衛線を押し戻す。
アムロはどうしてもっと加勢してくれないのかと不平を訴えるが、アランはこの戦いはモルグが仕掛けた物だからモルグが方を付けろと冷たく返した。
どちらもじわじわと兵の数が減る。
アランの助言を撥ね付けたモルグに、フィアが掛ける情けは無い。
戦が膠着状態になると、リリとルルが派手な衣装でモルグの兵の先頭で踊る。
それが地味にグリフィアとバルスの兵士を削った。
モルグの兵もバルスに比例するように減っていった。
「マーズ。イファの詳細が届きました」
開戦から10日ほどして、早馬が伝書鳩で届いた報告と数通の手紙を持って来た。
手紙にはマリアの処刑の様子と、連れ出した取り巻きがフィアの追っ手に切り殺された事になっていた。
「イファの大臣も、フィアに寝返った事にされて一緒に処刑されたようですね」
「え?イファの王と后まで同罪で処刑したたってあるよ?幽閉されていたローズも処刑したって、うわ」
マーズの持ってる手紙をアランとハロルドが左右から覗き込んで言った後、更にハロルドが続けた。
「これでもバルスに踊らされてるって分からなかったら、アレスはシリウスから見棄てられるね」
ハロルドが小声で言った。
第2王子と第4王子の違いはあるけどどちらも我儘な末っ子だから、ハロルドにはアレスの置かれた立場が分かるのだろう。
「情報を流すのは僕に任せて。無駄に他国の友達多く作ってないから」
ハロルドはにこにこで言った。
夜になって、見張りを残して休戦になる。
マーズは何通かの手紙を持って夜営地に戻った。
カインとハロルド宛の手紙を渡して、自分宛の手紙を順番に開いた。
「収穫は順調そうですね」
マーズの後ろからアランも手紙を覗き込む。
「1週間遅れるな」
豊作の知らせにマーズが言った。
「そうですね。それを見越して足止めしますよ」
アランの声に自信が見えた。
戦況は変わらず、不利なのはモルグとフィアだ。
今は収穫が終えるまで耐える時だと、アランもフィアの兵も分かっていた。
マーズが最後の手紙を手に持った。
「ベルからですか」
アランが差出人を見てマーズに言って、そっとマーズの肩に手を置いた。
出陣する朝、ハンナに連れられたベルが必死の形相でマーズの部屋に来た。
力を入れて握り締めすぎて、よれよれになったハンカチを差し出してきた。
「…帰って来て、帰って来て…ください」
詰まりながら言うベルからハンカチを受けとる。
笑って立ち上がるマーズを、泣くのを堪えて唇を噛んでるベルが見上げた。
ベルの頭を撫でて出ようとしたマーズのマントを、ベルの手が必死に掴んだ。
「ベル」
ぐちゃぐちゃの顔が上がる。
「…いか…行かないで」
屈まないと聞こえないくらいの声でベルが訴えた。
「ベル?」
「…行かないで、やだ…行かな…いで」
必死にしがみついてくるベルを、マーズが困った顔で子供のように抱き上げた。
両手を伸ばしてマーズの首にしがみつき、ベルは同じ言葉を繰り返す。
「帰ってくる。心配するな」
下ろそうとするマーズにベルは必死だった。
「行かないで…」
その言葉しか知らないかのように、ベルは繰り返す。
居合わせた誰の目にも、マーズの表情が穏やかに変わるのが見えた。
「帰ってくる。必ず帰ってくる」
嫌々を繰り返すベルにハンナが優しく手紙を出しましょうね、と言って宥めた。
時間が迫って、マーズは振り切るようにベルをハンナに任せて出陣してきた。
目を閉じれば、今もベルの泣いた顔が思い出される。
「必死に書いてますね」
見るのは悪いと思いながら、アランもマーズの後ろを離れられなかった。
「マーズ。国を捨てるなら、ベルを拐えば良い。行動に移したカインのように」
「無茶を言うな」
マーズが笑って惚ける。
「フィアからマーズが居なくなれば、ベルには居場所が無くなる」
それは言われなくても分かっていた。
「さすらう旅にベルは連れて行けない。残るカインに任せるのが1番だ」
「ベル1人、養う甲斐性は有りますよ。それに、カインに任せて、心配じゃないんですか?」
「私を宛にされては迷惑です。それでなくても、マーズとハロルドが抜けた国を没落まで見届ける役を押し付けられてますからね」
アランよりカインの口調は辛辣だった。
「資金は十分に蓄えてある。貴族に好き勝手されても領地の民が泣かない対策も終わってる。な、マーズ」
ラルフがとどめに言った。
みんなの気持ちは同じだった。
ベルじゃなくてもいい、マーズに生きる目的を持たせてくれるなら悪女でも構わない、とさえ思っていた。
そして子が産まれれば、マーズに生きる大きな目的が出来るとまで考えていた。
その頃、フィアの城にはモルグの使者がベルの引き渡しを求め現れていた。
マリアとローズが処刑された今、残るイファの王族はベル1人だった。
アムロは、ベルを自分の妻にすれば従姉妹関係のイファをモルグに吸収出来る、と思い込んでいた。
王はさっさと連れて行けと言ったが、ハンナがベルを渡さなかった。
「イファの最後の王女を引き渡して貰いたい」
「ベルベットさまは私がマーズさまからお預かりした大切な方です」
「こちらはイファとは血の繋がりがある。たった1人残ったイファの王女を保護する責任がある」
「今まで1度の連絡もなく、突然引き渡せと言われてもお渡しする事は出来ません」
「モルグとフィアの政治問題にもなりますぞ。そもそも王が認めておる」
使者のどうだとばかりの態度にハンナが言い返す。
「もう1度申します。ベルベットさまはマーズさまが庇護しているお方です。無理にモルグへ連れて行くとおっしゃるならマーズさまの了承を取ってから改めて出直して来られますよう」
使者が言葉に詰まってる所へロナルドが来た。
「ハンナ。引き渡して」
「マーズさまからお預かりたのは私でございます。マーズさまの承諾が無ければお渡し致しかねます」
ロナルドが困った顔でハンナを見ていた。
「ロナルドさま。取り急ぎマーズさまにお手紙にて確認致します。その返事が来るまでこのお話は私に預からせていただきますよう」
「分かった」