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店主は市場に買い物に出した後を知らなかった。
あまりに戻って来ないから心配で行ってみると道の端に倒れていたので急いで連れ帰り、あまりに痛がるので痛み止を飲ませたら大人しくなったらしい。
「誰も助けなかったの?家を知らないから?」
ハロルドが怒ってアランを問い詰めた。
「店主は見付ける前を本当に知らないね。買い出しに行くなら、市場からその辺の事情も仕入れてきて」
結局買い出しは聞き出すのが上手いラルフと、荷物持ちにうるさいハロルドで行った。
その間子供の子守りはアランになった。
アランには父親の再婚で7歳離れた妹がいた。
「シルビアは15歳になったばかりだったな」
「はい、義母は今年社交界に出す予定らしいです」
「そうか」
アランの母親が死んで直ぐ後妻に入った義母と、アランの間には未だに確執があるが、腹違いになる妹のシルビアは可愛がっていた。
アランはその頃を思い出して、マーズが居たから今の自分があると思っている。
侯爵の父親の権威で第2王子の親衛隊に選ばれたのは13歳の時だった。
王子も同じ13歳だから話も合うだろうとアランの意志も聞かず周りが決めた。
そんな経緯だから、初めて見た第2王子のマーズに初めは敵意を持った。
王族の後押しで父親が嫌々後妻を迎えたと思っていて親衛隊が嫌だった。
その頑なに歪んだ気持ちをほぐしたのがマーズだ。
マーズと接するようになり、同じ事を学び同じように剣を習った。
共に過ごす日々の積み重ねとマーズの人柄に、何時しか引かれていった。
15歳でマーズが戦場に立つと決めたとき、周りの歓声に『軍神マジェスティ』の声を聞いた。
その時初めて、自分が尊敬してやまない軍神マジェスティがマーズだと知った。
その日から今まで、マーズの側に居たいから必死に勉強したし剣の腕も磨いた。
マーズが居たから、今の自分がある。
「マーズ。私は大丈夫ですよ」
マーズに笑って見せた。
買い出しの2人の帰りはかなり遅かった。
待つ内に満腹の子供は眠りに付いていた。
2人はそれなりの情報を集めてきてて、店主の知らない経緯も集めてきていた。
「報告はルディに聞いてくれ。俺は仕込んでくる」
食料の袋を顔の高さに上げてラルフが言った。
宿の調理場を借りる手筈になってると言った。
「聞いて驚かないでね」
ハロルドが焦らすように言った。
「この子が買い物に行ったのは昨日の昼」
近くの女の子と2人親に頼まれた物を買いに行った。
タイミング悪く市場にマリアンヌ王女が買い物に来てて、女の子が見ていた近くを通った。
女の子は買い物に夢中で、王女が近くに来ているのに気付かなかった。
「それでマリアンヌ王女からぶつかっていった。いつもなら周りがサッと避けるんだけと、女の子は買い物に夢中で気付かなかった」
マーズが先を促した。
「それで無礼者とか始まって、それを庇ったこの子が護衛の兵士にやられたってわけだよ」
アランが聞き返した。
「その時の周りの反応は?」
「見て見ぬ振り。とばっちりが来たら困るって、女の子もこの子を見捨てて逃げたらしい」
「国が病めば仕方無いな」
マーズの返事にハロルドが怒った。
「マリアンヌ王女に誰も逆らわないんだよ。またか、みたいな反応なんだ」
「独りっ子だから我儘なんでしょう」
アランがハロルドの顔を見て言った。
「僕と同じ歳だって聞いたら18が嫌になったよ。婚約者が決まらないで苛々してたって言うけどさ」
「一目見てみたいから着いてきたんだよね」
アランが冷静に確認を取った。
「それはそうだけどさ」
むくれるハロルドにアランが冷たく言った。
「独りっ子と我儘な末っ子、お似合いだと思うよ。ルディが貰ってあげたらいいよ」
「駄目だよ。僕にはシルビ…好きな人いるから」
ハロルドは慌てて誤魔化そうとした
「ハロルドが一緒に来た話は、私からシルビアに手紙で書いておいたよ」
「え?えぇー」
ハロルドが頭を抱えた。
「やっとこの前初めて返事を貰えたのに、酷いよ」
半べそのハロルドにアランが言った。
「浮気性な男にシルビアはあげない」
「そんなぁ」
2人のコントを見ていたマーズが、スッと部屋のドアを指した。
「ここで喚くな。決着は向こうの部屋で付けろ」
「もっと話があるの!」
ハロルドが怒った顔で言った。
「マリアンヌ王女マーズを狙ってるらしいよ」
「俺を?」
マーズが嫌そうに顔を歪めた。
「今回の舞踏会ってさ国の力を外に示すのと、マーズの花嫁探しでしょ」
ハロルドが歌うように言った。
「長い戦争が終わって勢力が僕たちの母国フィアと少し距離があるグリフィアで2分してるじゃない」
ハロルドが仮想の地図を指して話を続けた。
「舞踏会には両方の王子が揃うから、条件の良い方と結婚するって、市場のおばさんが言ってたよ。マーズいつマリアンヌ王女に求婚したの?」
思わぬ爆弾発言にマーズも直ぐ返事は出来なかった。
先に口を開いたのはアランだった。
「会ってない。ラルフはシド老人に教えを請う時は外れるが、私は影として何時も共にいる」
「ならどうしてそんな話が流れたのかな?」
ハロルドが不思議そうに首をかしげた。
「明日にでも私が噂を聞いて回るよ」
アランが冷静に言った。
その夜中から子供は高熱にうなされた。
砕けた膝が原因の熱だとラルフがマーズに言った。
「残念だが、子供の両親には万一の覚悟をするよう行った方が良いな」
ラルフが残念そうに言った。
「後はこの子の天命に任せるしかない」
重い一夜を過ごした後、アランとラルフが情報収集に行き、マーズとハロルドが看病に残った
「シルビアを思うなら着いてきたのは失敗だな」
「だって、カインがマーズより先に結婚したからさ、僕まで先にするの変だと思って、だから来たんだ」
「そんな話は初めから知ってる。アランもだ。お前はアランに試されたんだ。どれだけシルビアを思っているか、をな」
「え?嘘っ!」
ハロルドが慌てて座り直した。
「今からでも遅くないかな」
「アランの及第点が取れる自信があればな」
「えぇー」
頭を抱えて暫く悶えていたハロルドが、顔を上げて決心したように聞いてきた。
「マーズは結婚するき無いでしょ。軍神だって人なんだよ。そこ分かってる?」
「分かっているさ」
マーズが生まれる少し前。
フィアを訪れた占い師が軍神の誕生を占った。
代々フィアの王は黒髪だったのに、マーズの兄のロナルドは母親と同じ濃茶だった。
そこを占い師に漬け込まれたのだろう。
黒髪の軍神が現れる。
産まれたら名前をマジェスティと付けろ。
その占いに国が沸き立った。
産まれてきたマーズが黒髪だった事で、占い師は何処の国でも優遇されたらしい。
長引く戦争に国民は一心に軍神の成長を願った。
戦況が圧倒的に不利になったマーズ15歳の時、17歳で立った兄ロナルドの敗戦を受けてマーズが貴族たちに背中を押される形で戦の舞台に立った。
それからのマーズの戦いは軍神を思わせる無敗の進撃を続け、2年前マーズ20歳の時に主だった国と和平を結び戦争を終わらせた。
「国の犠牲になる事ないからね。あんな貴族たちの言いなりなる必要ないから」
自分はなにもしないで領地だけ欲しがる貴族を、ハロルドは嫌悪していた。
和平は生ぬるい占領してしまえ、と言う貴族を退けたのはマーズだ。
仕込みを終えたラルフが嫌な顔で戻ってきた。
アランとハロルドは部屋に戻った。
マーズと2人になってからラルフが口を開いた。
「この宿の奥さんの診察を頼まれて診たんだが、母子ともに栄養失調だ」
「分かるが、明日情報収集を終えたら明後日には城に行くぞ。それまでと割り切れ」
「分かっているさ」
ラルフは言うか言うまいか迷った後口を開いた。
「あの子を無理に助けなくて良い、と母親が、な」
「母親がか?」
「自分の子なのにな」
栄養の付く食事なら自分と産まれたばかりの子に、とまで言われラルフがため息を付いていた。
「貧しさで人は変わる」
「分かっているさ」
ラルフが苦い顔で頷いた。
マーズがそう割り切きれるようになるまで、どれだけ苦しい思いをしたかラルフは知っている。
戦いで倒れた戦士を埋める時の、マーズの辛い顔を見たくないばかりに本気で医療を勉強した。
形ばかりの平和と貴族たちは言っているが、その平和をもぎ取るためにマーズがどれほど苦しんだか。
いつの頃からか、気が付くとマーズは最前線に身を置くようになっていた。
まるで死ぬために戦いに出ているようで、見ているだけで心が傷んだ。
ふと、マーズは死に場所を戦場に求めてると感じて背筋が冷たくなった。
それからはアランと2人マーズの片腕になって、死神の鎌から守ってきた。
2度とマーズを戦場に行かせない。