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バルスがイファを占領するまでたった1ヶ月だった。
モルグからの返還要請に、バルスは答えずフィアにマリアの引き渡しを迫った。
マーズは収穫前の開戦も視野に入れていた所で、バルスの動きが止まった。
「止まりましたね」
アランにマーズが頷く。
「バルスの予想を裏切ったな」
「2ヶ月速くて予定外の収穫前だったと?」
「バルスの方が寒いからな、目算を誤ったのさ」
「目算?」
アランが目を細めて聞いてきた。
「地図を見ると分かるが、フィア、グリフィアが同じ位置にあるのに対してバルスだけは更に北にある」
「あ…」
「冬の早いバルスには今が収穫の最盛期でも、フィアやグリフィアにはまだこれから2ヶ月が最盛期だ」
それでアランも納得した。
「収穫が終わるを待ってるんですね」
「違う、収穫出来る時を待ってるんだ。収穫はバルスと占領したイファの国民を使っても出来るからな」
マーズは全てを見越して兵に指示を出していた。
手配を終えたマーズの元に、グリフィアの兵が動いていると報告が入った。
「間違いないか?」
「はい、グリフィア軍約5000がバルスへの移動を終えるそうです」
マーズが地図でフィアとイファの国境を指した。
「モルグと開戦するまでは動かないだろう。見張りだけは怠るなとカインに伝えろ」
「グリフィアはやる気ですね」
「グリフィア、と言うよりアレスだな。戦慣れした軍の兵士は少数で殆どが農民だ」
アランが改めて報告の手紙を読んだ。
「この時期にこれだけの農民を動かす。今までのグリフィアなら有り得ない」
アランは何も言わなかった。
「それもバルスに入るまで誰にも知られずに動いた」
アランと目が合った。
「グリフィア、らしいな」
「そう考えるといくつか合点がいきます」
「問題は、どこでシリウスが出てくるかだ」
マーズは地図を見て考える顔になった。
収穫を控えたこの時期に、5000の農民を動かすリスクをシリウスが考えてないとは思えなかった。
それでも動くとすれば、自分なら、と置き換えてみれば直ぐに答えは出た。
「マーズなら何時にします?」
「状況による」
「今は深追いして聞きません」
アランがサラッと流した。
そこへラルフが来た。
「今シリウスとか言ってなかったか?」
「言ってましたよ。確定では有りませんが、シリウスの国が分かった気がします」
「グリフィアとか?」
アランが驚いた顔をした。
「違うのか?マーズとやる事がそっくりだから、グリフィアの第1王子辺りだろ?」
プッ。
アランが吹き出した。
「ラルフには叶いませんよ」
アランが報告の手紙を渡した。
「こりゃ面倒な戦になるな」
「恐らくアレスが使えるか使えないか、この戦を使って見定めるつもりでしょう」
「ベルの扱いの不味さで株が暴落してるからな」
「私なら第2王子でも切り捨てますが、2人しかいないので切り捨てる踏ん切りが付かないんでしょう」
「上がシリウスなら切り捨てられないさ」
アランとラルフがマーズを見た。
「その目は何だ」
「いいえ。似通ったのがいるものだと」
マーズがムスッとして横を向いた。
それから半月もしないで、マーズはフィアの城に呼び出された。
モルグのアムロが焦れて、此方から仕掛けるから助勢を頼みたいと言ってきていた。
城に着いてみるとハロルドまで呼び出されていた。
「最悪このままモルグに行けるように、リリとルルを連れてきてるよ」
「気が早いな」
「マーズだって、アランとラルフ連れてるじゃん」
マーズは平然と笑う。
「フロルに会った?」
「いや、夜にでも見に行くつもりだ」
ハロルドに言った通り、マーズはその夜シド老人の元へフロルを訪ねた。
「久し振りだな」
「マーズさま」
マーズが苦笑してフロルの頭を撫でた。
「しがらみだ。許せ」
「僕は感謝してます」
マーズはここまでの旅の話をフロルから聞いた。
最初は目を輝かせて旅の話をしていたフロルが、顔を曇らせてベルの話を始めた。
「最近はベルさまに字と算数を教えてます」
「そうか」
マーズの中で、ベルはもうフロルより遠い。
「お礼に貰ったんです」
フロルが紙にくるんだ3粒の砂糖菓子を見せた。
「マーズさまがベルさまにあげたんですよね」
「フィアに着た時だからかなり前だぞ」
マーズは思い出しながら言った。
「大事そうに箱を抱えて、マーズさまに貰ったって見せてくれて、辛くて駄目な時1粒食べるそうです」
「イファに戻してやりたいが。恐らく無理だろう」
楽観的な事は言わない。
「…イファは無くなるんですね」
「モルグになるだろう」
グリフィアは痩せたイファも辛うじて自給自足してるモルグもいらないはずだ。
シリウスがグリフィアの第1王子なら、この戦いは第2王子アレスの実力を試すものでしかない。
「マーズさま。ベルさまを修道院へ戻してあげる事は出来ませんか?イファじゃなくても良いんです」
「ベルの希望か?」
「はい。この城にはベルさまの居場所が無いんです」
「シド老人が庇護してるはずだが」
ハンナは手を引いたが、シド老人かアレスがベル付きの侍女を雇っているはずだ。
「かなりお荷物だと言われてるらしくて、ここに住みたいと昨日も泣きそうな顔をしてました」
「フロル。俺が助けてやる事は出来ない」
フロルがしょんぼりと下を向いた。
「悪いな」
「グリフィアの第2王子がベルさまとの婚約を破棄したら、そしたらベルさまを」
「そうなったら、俺が責任を持って修道院へ入れる」
「お願いします」
その日は突然来た。
マーズが城に入った10日後、ベルとルシルがマリアに襲撃された。
夕方になっても侍女がベルを迎えに来ないので、ルシルが城まで送りに行く事になった。
そこを短刀を持ったマリアに襲われた。
咄嗟にベルを庇ってルシルがマリアに応戦したが、怒りに飲まれたマリアにルシルは防戦一方だった。
ルシルがもう駄目だと膝を着いた所に、幸運にもリリとルルが通り掛かった。
リリとルルは女の子だから騎士の称号こそ無いが、戦いのプロの双子だ。
普段は自分の懐刀としてハロルドが側に置いている。
マリアのルシルに向けて振り上げたナイフをリリが払い落とし逃げるマリアを追い掛けようとしたが、消耗の激しいルシルをそのままに出来ずルルに2人の警護を任せてリリがハロルドとマーズを呼びに走った。
「ハロルドさまっ」
応接間にマーズとカインと居たハロルドに、リリがベルとルシルが襲われた話をした。
マーズの顔が変わった。
「城内を警備で回ってたら、丁度ぶつかったの」
「そこへ案内しろ」
マーズが剣を掴んで立ち上がった。
リリの後をマーズとハロルドが追う。
「私はマリアを捕らえよう」
カインは城内の兵士にマリアを探させに行った。
駆け付けた薄暗がりの庭に、気絶してるベルと立ち上がれないルシルをルルが両手で支えていた。
マーズは迷わずルシルを抱き上げた。
ハロルドがよたりながらベルを抱き上げる。
「ハロルドさま私が」
見兼ねたルルがハロルドと代わりベルを抱き上げた。
「シド老人の家へ戻るぞ」
マーズが呆れながら指示を出した。
バタバタと担ぎ込まれたベルとルシルをシド老人が手当てして、空いてるベッドに寝せた。
「リリ、ルルありがとう」
ハロルドが2人にお礼を言った。
「間一髪でした。ルシルさんに剣の心得が無かったら今頃は2人とも…」
リリが先を濁した。
「ルシルに剣は教えておらんぞ」
シド老人が不思議そうに言った。
「でもあの構えは経験あると思います」
リリはあると譲らなかった。
皇太子時代に訓練していたのかもしれない。
思ったが、それは思っても口にしない。
「ベルの侍女はどうしたんだ」
シド老人が弟子の1人を城に行かせた。
侍女は街へ買い物へ出ていて居なかった。
帰って来て、後から来た侍女は、買い物が長引いたと平然としてて謝りもしない。
ベッドに寝かされてるベルを見て
「生きてるんだ」
と残念そうだった。
ハロルドが侍女の前に立った。
「自分の処罰考えてもそんな余裕あるかな」
意地悪く笑うハロルドを侍女が笑顔で見返した。
「何でですか?みんな邪魔だって思ってますよ。ベルさまの侍女とかさせられて、私まで肩見狭いし」
ハロルドがシド老人を見て、マーズを見た。
「おなざり?」
「ちゃんと給金は払っておったぞ」
「そんな問題?」
好戦的なハロルドをマーズが止めた。
「明日からはまたハンナを付ける」
「アレスが甥なら、ちゃんと婚約破棄しろって言ってあげた方が良いよ」
ハロルドが他人事だけど、って付け足した。
「マリアにベルの居場所を 話したよね。目的は?」
「ベルさまが居なくなれば元の持ち場に戻れるから」
侍女の目がハロルドから反れた。
「いくらで買収された?マリアが持ってるとは思えないから取り巻き?」
侍女がぎょっとして顔を反らした。
「いくら貰ったか知らないけど、お前の命の代価には少なかったね」
「…え?」
「短気な父上の裁決を待つんだね」
そこでやっと気付いたのか、侍女がへたり込んだ。
「マリアが見付かるまでベルはここに置いてくれ。リリ、ルル護衛は任せる」
「リリ、ルル頼むね」
「はい」
城に戻ると大騒ぎになっていた。
手分けして城の中を隈無く探したが、マリアの姿は無いとカインが言った。
「もしかしたら、逃げたのかしれない」
ハロルドが言った。
「逃げた?」
カインがハロルドに聞いた。
「昨日、3度目の引き渡しを要求にきたバルスの使者を父上が追い返して、マリアにも城を去れみたいに言ったって聞いてる」
「それでベルを殺して城を出るつもりだったとか?」
聞くカインの顔が冷たい。
翌朝になって、取り巻きの1人も居なくなっていた。「彼がマリアを連れ出したんでしょう」
カインがめんどくさそうに肩をすくめた。
この段階でむざむざマリアに逃げられては、フィアの面子は丸潰れだ。
騎士を探索に出したが、マリアと取り巻きの足跡は城から先がプツリと切れていた。
「計画的な脱走ですね」
アランが冷静に言った。
「取り巻きの国に逃げても意味無いのに」
ハロルドが呆れた声を返す。
「いや、マリアはバルスに引き渡されただろう」
マーズは淡々と言った。
「え?じゃあ処刑されるよ」
ハロルドが驚いて聞き返す。
「マリアを処刑する事でモルグに行動を起こさせるつもりなんでしょう」
「私が行こう」
アランの言葉にカインが椅子から立ち上がった。
「よせ、間に合わないだろう」
「でもみすみす開戦の口実を与える事になりますよ」
マーズが止めた。
「カイン。相手は収穫の時期を見越して動いてる。半月早まっただけだ」
眉を少し上げて、カインが座り直した。
「マリアの処刑が公表されたら開戦だね。父上がどう言うか目に見えるよ」
うんざりしたようにハロルドが言った。
「開戦前にすることが有るんじゃないのか?」
聞いてくるマーズをハロルドはさらりとかわす。
「戻って来てからね」
ハロルドは一瞬真面目な顔になった。
シルビアに求婚する許しの事をマーズが言ってるのは直ぐに分かった。
今ならアランもノーとは言えないだろう。
だからこそ、今は言えなかった。
初めて貰った手紙を鎧の中に隠し持って、これが最初で最後の1通にはさせない。
決意を胸にハロルドがアランを見た。