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明日の手配を終えて、アランとバルスの話をした。
「動いてますね。イファを断罪する口実が見付かれば一気に来ます」
「動くのは収穫を狙ってだろうから、5ヶ月から6ヶ月先だろう」
「どうします?1度帰りますか?」
「ああ、向こうが気になる。この数日バルスの王と何度も話している」
この数日、アレスはバルスの王だけではなくフィアの周辺国の王族を自室に呼び密談していた。
「フィアを挟み撃ちにするつもりですか」
アランがクスクス笑った。
マーズが指摘した国々は、マーズの領地と国境を挟んで隣り合わせになっている。
動向は十分把握していた。
「面倒なので潰しますか」
「これ以上国を広げても統治しきれないぞ」
今でも誤報で暴動になり掛けている。
通信網を伝書鳩に頼るこの時代は、国が大きくなればなるほど統治が難しくなっていた。
「冷静なようで安心しました」
「何を言ってる?」
マーズが不思議な顔で聞き返した。
「いえ、何でも。出立は何時にします?」
「今夜で手配が終われば明日」
「では明日で」
アランが下がって行った。
明日の朝が早そうなので、夜の内にシド老人にベルの話をしておこうと思った。
訪ねると、そこにグリフィアのアレスがいた。
「こんな夜更けにどうされた」
「明日領土に戻るのでその挨拶に」
「急な話じゃな。ベルはどうするつもりだ」
「ベルはそこのグリフィアの第2王子に任せる」
「え?僕に?そんな無責任な」
アレスが口を尖らせた。
「マーズどう言う事だ」
「舞踏会でベルと2曲続けて踊った」
シド老人が驚いてアレスを見た。
「本当なのかっ」
「え?本当ですよ」
不思議そうに見返すアレスにシド老人が頭を抱えた。
「ベルは死んだ妹にそっくりなんですよ。おじさん」
アレスの「おじさん」が気になった。
探る目になっていたのかシド老人が話始めた。
「わしは昔母国グリフィアを捨てて学者になった」
それを聞いて、シド老人とグリフィアのアレスは叔父と甥の関係だと理解した。
昔グリフィアの皇太子がその座を降りて、弟王子が王位を継いだと聞いた事があったが、まさかそれがシド老人だとは思いもよらない話だった。
「わしにはバルスに嫁いだ妹に面差しが似てると見えたが、人各々よのう」
「…今何と?」
マーズは思わず椅子の背を掴んだ。
「わしの妹とベルの面差しが似ておると言うたのよ」
「バルスに嫁いだと聞こえたが」
マーズの中に嵐が吹き荒れていた。
「もう6年近く昔になるな。妹が亡くなったと聞いてバルスに行ったが、もう弔いも終わっていてな」
シド老人は残念そうに言った。
「王も皇太子のセシルも同じ流行り病で亡くなった後であったよ」
マーズは深く目を瞑る。
もう遅い。
今さら皇太子が生きていると分かっても国が、国民が動揺するばかりだ。
虚弱な皇太子の死を喜んだ国民に、ルシルが受け入れられるとは思えなかった。
「マーズ」
シド老人が怪訝そうに顔を見てきた。
ルシルを甥と知らず、この6年近く手元に置いていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。
話すべきではとも思ったが、今さら話しても誰の益にもならない。
「いえ、明日が早いので」
マーズが背中を向けると、アレスの声が追ってきた。
「バルスを狙うとフィアが滅ぶよ」
マーズがフッと笑った。
「フィアが滅びれば泣くのはグリフィアだ」
「それどう言う意味っ!」
アレスがバンと机を叩いて立ち上がった。
「分かった時には遅いがな」
部屋に戻り、シド老人のところで聞いた話を元にアランとこれからの話をした。
「バルスに乗せられてグリフィアが出てきますね」
「アレスは感情で動く。こちらにはやり易い相手だ」
「その前にこっちですね」
バルスと手を組んだろう国をアランが指した。
「3ヶ月売買を押さえよう」
「止めないんですか?」
アランが事務的に言った。
「病人に罪はない」
「マーズらしいですね」
その頃シド老人家では、アレスがマーズの態度にテーブルを叩いて怒っていた。
「あの態度は何ですか。仮にも僕はグリフィアの王子ですよ、王子にあんな態度を取るなんて」
「アレス。お前が悪い。そもそも舞踏会で何をした」
シド老人が問うように言った。
「何って、ベルと踊っただけですよ」
「同じ相手と2回も踊っただけで済ますのか」
「済ますのかって何ですか。駄目なんですか」
シド老人は痛い頭を押さえるようにしながら、ゆっくりはっきり言った。
「公式の舞踏会には暗黙の決まりがある。ダンス1回は社交辞令。2回目は求婚、それを受ければ婚姻承諾とみなされる」
「え?それは知ってますけど、相手は子供ですよ」
シド老人が哀れな者を見るようにアレスを見た。
「明日、周りがどんな態度を取るか、自分自身で体感するんだな」
「え?」
アレスは訳が分からないとシド老人を見る。
「仮にもベルはイファの第3王女。結婚できる年齢の15歳を過ぎている」
「え?…」
アレスが驚いた顔から怒った顔になった。
「ただ踊っただけで正式な求婚もしてません」
「そう思うなら堂々としていればよい」
少し時を戻したサロンでは、マリアが取り巻き相手にヒステリックに叫んでいた。
「許さない。絶対ベルを許さないわ!」
「マリア、落ち着いて。ベルって誰?」
取り巻きの1人がマリアをなだめながら聞いた。
「グリフィアの王子といた女よっ」
マリアの声が大きくて、少し離れている者たちにまで話す声が届いていた。
自然聞こえるから、みんな自分たちの話は中断してマリアの話に耳をそばだてる。
「ベル?あの女の子?知り合いなの?」
「ベルは私が侍女として連れてきたのよ」
マリアの迂闊な話で、みんな顔を見合った。
「侍女が舞踏会に出たの?」
当然の疑問だった。
「フィアのマーズがベルをイファの第3王女とかって言うからこんな事になったんだわ」
「イファの第3王女?」
みんなぼんやり事情が分かる顔になっていった。
「それってマリアと姉妹って事だよね?」
マリアがしまったって顔をした。
「姉妹なんて言わないで、ずっと修道院で暮らしててマナーも何も出来ないのに舞踏会なんて」
「ちゃんと踊ってたよ 」
取り巻きの1人が思い出しているのか声に出した。
「みっともないから誰か教えたんでしょっ!」
マリアの声が好戦的で、更に遠くにいた者たちまでマリアの聞こえてくる声に眉を寄せた。
「凄いな」
「美人も台無しだ」
「あんな目立たない妹に本命取られたの?」
「顔は悪くても性格は姉より良いんだろ」
マリアに聞こえないくらいのヒソヒソ声で、遠巻きにしていた者たちが話す。
ベルが誰なのか誰も知らなかったのに、マリアの失言で大勢が知ることになった。
翌日の朝食の席は誰もお喋りしなかった。
マリアは欠席して居ない。
マーズたちはさっさと食事を終えて部屋に下がった。
アレスも部屋に戻ろうとしたが、顔見知りの王子数人からサロンへ誘われた。
「そんな気分じゃない」
「いえ、どうしてもお聞きしたい事があります」
相手が引きそうもないのでアレスの方から聞いた。
「昨日のダンスの事?」
「もちろんそうです。グリフィアの女王にイファの第3王女を娶られるのでしたら、我々もこの先のイファとの関わり合いを変える必要があります」
「まだ子供だよ」
サロンに歩きながらアレスが冗談ぽく返した。
「ベルさまは15歳。子供ではありません。子供なら昨夜の舞踏会に出られるはずもない」
アレスは返す言葉が見付からなかった。
そうしてやっと自分の軽はずみな行動を自覚した。
サロンには主だった顔が揃っていた。
「昨夜の軽はずみな行動は悪かったと思う。しかし、僕は求婚してない」
周りがざわめいて、みんなの非難する目が平然としているアレスに向いた。
「ダンスでの暗黙の決まりはご存知のはずでは?」
1人が重い声で言った。
「確かに知ってる。でもベルは死んだ妹にそっくりでついつい話が弾んで、気付いたら2回踊ってたんだ」
「それが口に出さない求婚の理由だとしても、グリフィアの王子が公の場で求婚した事実は消せません。そして相手の姫が求婚を受けた事実も消えません」
違う1人が冷たい声で返した。
アレスは返事に詰まった。
頭の中でこの窮地をどう切り抜けようかと考えていたら、更に追撃が来た。
「昨夜、自国に報せを送った者は両手でも足りないでしょう。もしアレスさまがそのような軽率な気持ちからの行いならば、グリフィアへの信頼は」
その先を言わずアレスを見る。
集まった者たちが同じ目でアレスを見た。
「みんなを誤解させた事は謝る。ベルにも十分な謝罪をするよ」
「どう謝罪されるのでしょう」
近くに座っていたどこかの姫がアレスに聞いた。
「外から見ればこれは立派な婚約破棄。次の嫁ぎ先を見付けるのは困難でしょう。あんな子供の一生をそんな理由で台無しにしたとなれば、政治問題も」
周りの顔も頷いていた。
アレスが焦りで事を収拾出来ないうちに1人、また1人とサロンを出ていった。
「これはアレスさまだけの問題ではありません。みなが内心で思っているのは、その軽率さが政治の判断に出るのではと危惧しているのです」
アレスはうちひしがれてシド老人の家に行った。
「僕はダンスしただけなのに」
半分怒ったアレスの口調にシド老人が呆れて言う。
「アレス。この先の収拾を間違えばグリフィアは笑い者になるぞ」
「分かっています」
不貞腐れてアレスが返した。
「朝早くバルスの王が訪ねてきたが、セシルに似ずたくましくなっておった」
「僕も会ったのは5年半分ぶりでしたが、おばさんの面影無かったですね。父親に似たんですか?」
「いや、前王とも違う。セシルほどでは無かったがあれも昔は弱くてな、良く薬を頼まれたものよ」
「おじさんが学者になったのは、バルスに嫁いだおばさんのせいだって父が言ってました」
「アレス、口を慎め。弟はお前に妹のせいだと言ったのか?それ次第ではわしにも覚悟があるぞ」
「え?あっ、違います」
アレスが慌ててシド老人に向けて両手を振った。
「弟は何と言った」
アレスは顔を引き吊らせながら言った。
「病弱なおばさんを治したくて、王位を父に譲りおじさんは学者の道を選んだ。だから愛し合っていたバルスの王に嫁げたと」
「人は言葉1つで戦争にもなる。グリフィアの第2王子として口に気を付けろ。今回を薬に出来ぬなら兄の足を引っ張るだけになる」
アレスが何も言えなくて下を向いた。
そこへカインが来た。
「久しいな」
シド老人がカインを奥へ誘ったがカインが遠慮した。
「グリフィアのアレスがこちらにいると聞いて来ました。ベルのこれからに責任を持つように言うために」
怒っているカインの声は冷たい。
「責任を持てとか言って、昨日だって舞踏会が終わったらサロンで会いたいって言ったのにベルを連れてさっさと行っただろ」
アレスが怒鳴るように言い返した。
「あの後、もしベルをサロンに行かせてたらどうなってたか、それすら分からなかったんですか」
カインがさも呆れた顔をアレスに向けた。
「昨夜からベルの警護の騎士を5倍に増やしてます」
「何で?」
「それも分からないんですか。警備の費用をグリフィアに請求したくなりますね」
カインがシド老人を見て言った。
「甥子さんなら説明はそちらで」
シド老人も呆れた顔でアレスを見て頷いた。
「それで、ベルは?」
シド老人がカインに聞いた。
「ハンナが今は着いてますが、それもマーズが領地に戻るまでと思ってください」
「そうか、早急に人を探そう」
アレスには話が飲み込めていなかった。
「アレス。今まではマーズの庇護があったからベルはこの城で不自由しなかった。しかし、マーズがこの城から去れば話は違う」
「マーズって昨日の生意気な男?グリフィアの王子の僕に失礼な口を利いて帰った奴の庇護って何」
アレスの顔に怒りが浮かんだ。
「アレス、マーズはな」
「シド老人」
カインが言い掛けるシド老人に止めろと首を振った。
マーズがマジェスティなのは公然の秘密だ。
例えシド老人の甥でも、「言うな」とカインの目が冷たく光った。
「それに君。僕を呼び捨てにしたよね。それが…」
「私はフィアの第3王子カイン」
アレスに被せてカインが言った。
アレスの目が座った。
「ならマーズは聖騎士か」
半分は合っている。
「王子の権威を無駄に使わぬよう警告する」
カインが見下すように同じ目をアレスに返した。
シド老人から見ても、軍配はカインに上がった。