4
カインの城からフィアの王都までは5日。
カインの城で同行する騎士の交代があり、1人用のテントも用意された。
途中に2つの町を通る。
カインの城を出たその日は、町までの中間地点で夜営になった。
同行した騎士が3つのテントをさくさく建てた。
独りテントに取り置かれたベルが眠れずにいたら、外に馬の音がした。
マーズが戻ってきた。
そう思っても、テントから出て行けなかった。
「遅かったですね」
アランが声を抑えて言ってるのが聞こえた。
「ルシルが熱を出して、寝るまで着いていた」
マーズも声を落としていた。
マーズとアランがテントの
中へ入っていく音を、ベルは寂しさを抱えて聞いた。
砂糖菓子を貰ったお礼も言えず、あれからはマサラに怒られてばかりの生活になった。
歩き方から怒られて、座り方を怒られて、食べ方を怒られて、何もしなければしないと怒られた。
イファの城に帰っても自分の居場所は無いから、無視されても1番居やすかった修道院に戻りたかった。
1人のテントの隅に踞り、ベルは膝を抱えて泣いた。
翌日の夜に着いたのは、侯爵家の広い屋敷だった。
カインの愛妻が見立ててくれたドレスを着て、ベルも歓迎のパーティーに出た。
マーズとハロルドは、鎧ではなくて騎士の正装の凄く派手なのを着る。
国の顔の王子としての装いに身を包む2人は、この国の王家の威信を背中に背負っていた。
王子が2人揃うこのパーティーは、顔合わせには最高の場所なのだ。
アランの服も同行した騎士より何倍も上等だった。
そして、マリアは花のように綺麗だった。
パーティーが始まる前、来客を迎えるため全員が玄関のエントランスにいた。
「孫にも衣装ね」
侯爵が場を外してる間に、マリアがハロルドを見て嫌味を言い始めた。
「君もね。上手く化けてるよ」
ハロルドが余裕で返す。
マリアの視線が標的を見付けて、ベルに向いた。
「そのドレス。あの小さい人が恵んでくれたの?」
マリアが横目でベルを見た。
「イファの王女とか名乗るくせに乞食みたいね。他に何を恵んで貰ってきたの?この恥知らず」
ベルがよろめくように一歩下がった。
ベルが今着ているドレスはカインの愛妻が自分の若い頃のドレスの中からベルに似合うと選んでくれた物、最初のドレスとは比べられないほど似合っていた。
「止めなよ。君のドレスより似合ってるじゃん」
「何ですってっ!」
マリアがヒステリックな声を出した。
ハロルドが玄関を指してにこりと笑った。
マリアが悔しそうにハロルドから玄関に顔を向けた。
招待客はマリアを見て、その美しさにため息を付く。
常識の有る者はマーズとハロルドに挨拶をして、それからマリアへの紹介を待つが、美しさに目が眩んだ者は一目散にマリアを囲んだ。
マーズもハロルドもマリアのエスコートをする気持ちはない、なので紹介は侯爵に任せた。
カインの城と同様にここでも客をふるいに掛ける。
パーティーも終盤になると、客の半数はマーズたちがマリアと一線を引いていると気付く。
そして、改めてエスコートする相手の居ないマリアに目を向けた。
周りに男をはべらせる姿に、良識者は距離を置く。
マーズの婚約者候補の最有力者としてフィアの国へ来たはずのマリアが、マーズにエスコートされてない事実に客は何かを感じる。
マーズだけではなく、ハロルドもマーズの懐刀のアランさえマリアのエスコートをしない。
その波紋は静かに上級社会に浸透した。
その空気にいち早く対応したのはマサラだった。
マサラがベルを連れて歩くが、良くも悪くもマリアの印象が強過ぎて、ベルの存在は完全に空気だった。
翌日の朝、昨夜飲み過ぎたマリアは起きれなかった。
マサラが叱責してもマリアは開き直った。
昨日のパーティーで自分の美貌の威力を改めて知ったと、マリアはマサラに言って引き下がらせた。
一夜で傲慢に戻ったマリアは夜営でも我儘だった。
少しでも気に入らないと物を投げる。
侍女の1人が怪我をさせられた事で、一行の中のマリアの評価は地に落ちた。
2つ目の町では公爵がパーティーを開いた。
しかし最初の町からの情報が入ってきてるから、客も慎重だった。
マーズとハロルドに挨拶をして、みんな極力マリアには近付かない。
隣町からの情報通り、マーズもハロルドもマリアを紹介する事すらしなかった。
愚かな息子の何人かはマリアにかしずくが、他はその光景を冷たく見ている。
そんなぎこちないパーティーが終わり、マリアは不機嫌を隠さず用意された部屋へ引き下がった。
マーズたちは知らぬ顔で居間でくつろいでいた。
「完璧に孤立したね」
「今夜には同行した騎士たちの苦情も話に上る」
ハロルドにアランが返す。
騎士たちの大半は貴族の次男か三男だ。
まれに平民もいるがそれはごく少数。
この先、マリアは貴族を敵に回す。
マサラも疲れた顔で同席していた。
「ベルベットさま。お茶の支度を、皆さまに成果を見ていただきなさい」
ベルは無表情で、公爵家のメイドが用意したお茶をポットからカップにそそいでいった。
そんなベルの異変に気付いたのは、1番にお茶を受け取ったハロルドだった。
普通身分の上のマーズからお茶を配る。
なのにベルはマサラに誰からと聞くこともしないで、横に座っていたハロルドから配った。
ハロルドがいぶかってベルを見返す。
焦点の合わない目をしたベルがお茶をそそぎ、アランの前に置いた。
「ベルベットさま!」
マサラの声にベルが明らかな怯えの表情を浮かべ、カップがカチャリと音を立てた。
「ベルベットさま。あれだけ教えたのに、あなたはお茶もまともに煎れられないのですか」
冷たいマサラの声でベルの顔に笑顔が浮かんだ。
さも楽しそうにお茶を煎れる動作は狂気じみていた。
「ベルベットさま!不躾ですよ」
怒るマサラを見もしないで、ベルはカップにあるだけお茶をそそいだ。
「…狂ってるわ」
マサラが気味悪そうにベルを見た。
誰も声が出なかった。
狂気を宿すベルの視線は、そそぐカップを探して部屋の中をさ迷っている。
「あなたは狂うほど、彼女に強制したんですか」
アランが冷たく言った。
「私は王女としてのマナーを教えただけです。それを強制と取られるのは心外です」
「教えただけでは無いでしょう。現に彼女は狂った」
アランの声が冷たい。
「他国の王女を狂わせた。それがフィアにどれほどの醜聞になって返ってくるか。あなたに分からないとは言わせませんよ」
「処罰は城に戻ってからロディと決める」
アランの後にハロルドが続け、メイドにベルの侍女を連れてくるよう言った。
マーズが立ち上がってベルの後ろに立ち、そっとポットとカップを押さえた。
「お茶はいきわたった。少し休め」
ベルの手からポットとカップを取りテーブルに置いてから、ベルをソファーに誘導する。
ベルは呆けた顔でマーズに従っていた。
その顔があのダンスレッスンの時の顔に重なった。
今思えば、あの時はもう狂い始めていたのだろう。
それに誰も気付かなかった。
ベルはソファーに座ると肘宛をモゾモゾ触る。
お茶の次はそれが仕事だとでも言うように、黙々と手を動かしていた。
「すまなかった」
マーズがベルに言った。
マサラに任せた事で、マーズはそこで自分の仕事は終わったものと思っていた。
思えば、変わり過ぎる環境に着いていくだけで一杯だっただろうベルに、マサラはきつすぎたのだ。
カインの妻も神経の細い女性だから、カインが気付かなければベルと同じになっていたに違いない。
3人の目が、うっすら笑って手を動かすベルへ向く。
「シド老人に預けましょう」
アランが目を戻して言った。
「そうだね。万が一正気に戻らない時も考えて、彼女の存在は極力伏せる。アラン、それでいい?」
「それが良いですね。幸いマリアの印象が強過ぎて、彼女は空気でしたから」
ハロルドはベルの侍女に他言しないよう厳しく言い付け、移動には侍女の服を着せるよう指示した。
「後はシド老人に頼むしかないね」
ハロルドにマーズとアランが頷いた。
「マサラ。マリアは頼む」
「承知しました」
マサラも、自分の強引だった言動がどんな結果を招いたのか理解したのだろう、声が小さくなっていた。
「言ったらシド老人にお小言貰いそうだよね」
ハロルドが嫌そうに言った。
「ルディはシド老人避けてるからね」
「面倒なの。王子はこうあるべきとかしつこいし」
ハロルドはうんざりした顔で言った。
シド老人は学者だ。
ハロルドが産まれた頃、王が他国から招いてそのまま定住した。
元はどこかの国の王族だったらしいが、学問がしたくて王族から席を抜き学者になったと聞いた。
博識で王の知恵袋とも言われ、マーズたち4人の勉強の師でもあった。
おそらく初めはロナルドのために招いたはずだ。
政治、経済、歴史、帝王学、戦略、医療とシド老人の知識に勝てる者は居ない。
その豊富な知識が4人の王子を学問の分野で支え、フィアを未来へと導いた1人と言われていた。
シド老人の弟子に、ラルフとルシルと数名が居る。
その誰もが国の大切な部署に着いていた。
翌日は朝からマリアとマサラが不機嫌だった。
マリアの目には焦りがあった。
昨日のパーティーで、自分の取り巻きの数の少なさが危機感を煽ったのだろう。
マリアは朝から念入りに化粧していた。
マリアは次のパーティーでは絶対みんなを虜にすると1人で決め付けてたけど、今夜一晩夜営すれば明日には王都に到着する。
そうマサラに聞いて、マリアの癇癪が酷くなった。
ここでも騎士の交代がある。
マリアの愚行は貴族の間に行き渡っているから、騎士のマリアを見る目も冷たい。
一方のベルは、侍女に手を引かれて馬車に乗り、言われれば物を食べ、ただの人形になっていた。
「ああなると可哀想な気もするな」
「マリアが良い条件の嫁ぎ先を見付けたら、故郷のイファに戻してやれるかもしれないですね」
ハロルドにアランが返した。
「早くそうなると良いね」
「最悪はこの国の修道院に入れる事になるでしょう」
「それが1番かな。イファでも山奥の修道院に居たんだよね?マーズ、それも考えておいてやって」
ハロルドにマーズが頷く。
この先ベルの行き場が無くなった時は、自分が責任を持つ、とその時マーズは決めていた。
最後の夜営を終えて、馬車は王都へ向かった。
王都が近付くにつれ、通る道の両脇に国民が並び歓迎の声を上げた。
マリアの美しさに歓声が起こる。
この人がマーズの婚約者になるんだと羨望の目を向けていた国民は、最後尾に付くマーズたちの表情を見て怪訝な顔をした。
国民が遅れてマリアの話を耳にするのはその数日後。厳重に口止めしても、噂は貴族の屋敷に出入りする商人や、屋敷に仕える使用人からじわじわと広かった。