3
カインに有意義な流れでパーティーは終わった。
「君は切り捨てるふるいに丁度良かったよ」
夕食のテーブルを囲んでる時、カインが目を細めてマリアに言った。
ベルは末席でマサラとマンツーマンで食事していた。
遠くからでもベルが苦戦してるのが見える。
「逃げるように帰って行ったのは、王からの使者だ」
マリアはふふふ、と笑った。
「あらそう、私の美しさを伝えに戻ったのね」
「調べる前に戻ってしまったが、彼は君の黒い噂を確かめに来たんだ」
「黒い噂ですって」
マリアの眉が吊り上がった。
「臣下の扱い、飲酒とかね」
「私は18よ。十分お酒を飲める年齢だわ」
「朝起きられないくらい飲むのが?」
マリアがキッ、とハロルドを見た。
「間違いないでしょ」
告げ口した覚えは無いけど、酒に飲まれてるのは本当だから、とハロルドは頷いた。
「そこまで飲んでないわ」
「ここ何日かはマサラにお酒を取り上げられたから、飲んでないんだよね」
ハロルドがポンと言い返した。
マリアは悔しそうに唇を噛んだ。
食事が終わって、マーズとハロルドとカインがピアノがあるホールに呼ばれた。
アランは仕事があるのでマーズが断った。
行くとベルがいた。
「ダンスのお相手をお願いします」
「何で3人も呼んだの?」
ハロルドが怒った顔でマサラに聞いた。
「同じ体格の方ばかりでは無いからです」
その返事で、マサラは本気だとマーズは確信した。
マーズは3人の中では1番背も高く、筋肉質でがっしりしている。
カインは細めで標準の体格、ハロルドは2人の真ん中くらいの背格好だった。
マサラがピアノを引き、順番に基本ステップから始めると言う。
「ステップは教えたのか」
マーズが聞いた。
「基本は教えました」
「1人でステップ踏んでみろ」
マサラがピアノを弾き始めてもベルは動かなかった。
「ベルベットさまっ!」
ベルがビクンって飛び跳ねて、おろおろと怪しいステップを踏み始める。
見兼ねたのか、カインがベルに近付いて行って優雅に手を差し伸べた。
「お手をどうぞ」
最初ベルは組む事すら出来なかった。
姿勢、手の位置、1つづつカインが教えていく。
何とか1曲踊れるようになったら、今度はパートナーを変えて踊りを体に覚え込ませていく。
パートナーが変わる度にベルは緊張していた。
ぎこちないながらも、ベルが初歩のステップで迷わず踊れるようになったのは真夜中近かった。
踊っていて、段々ベルの顔から表情が抜け落ちている気がしたが、痩せているから体力が無いんだろう。
終わる頃はもうふらふらでボーッとしていた。
「3人ともダンスの腕は落ちてないようですね」
マサラは明日も早いから寝るようにベルに言った。
俺たちも部屋に戻る事にした。
その時、ハロルドがボソリと言った。
「ダンスの最後の方。ベルおかしくなかった?ボーッとしてたよね」
「疲れたからでしょう。4時間は踊ってましたから」
カインが返した。
「そうだろうな。マサラの話は正当性があるが、すまない、カインの愛妻を独りにしてしまったな」
マーズがカインを見た。
「大丈夫ですよ。彼女が選んだ侍女が付いてます」
「明日、マサラは連れてくよ」
ハロルドが言う。
「頼むよ」
カインは複雑な色の目をマーズとハロルドに向けた。
マサラがカインの居ないところで妻に苦言を呈しているのに気付いたのは、マサラを呼んで3日目だった。
妊娠してナーバスになってる妻のフォローに、ロナルドに断ってマサラを呼んだ。
妻の様子が変わったのはマサラが着いた当日からで、マサラを見ると辛そうに目を伏せていた。
何かあると思いながら翌日が過ぎ、3日目。
妻が気になって仕事がはかどらず、妻の顔を見に行くとマサラの言葉に妻が泣いていた。
「カインさまはこの国の第3王子ですよ。滅びた国の王女のあなたを哀れと思って助けてあげたのに、あなたは感謝の気持ちを持たずにいるとしか見えません」
カインは驚きて足が出なかった。
確かにマサラは昔から厳しかったが、こんな人を貶める言葉を口にする人ではなかった。
マサラはカインが聞いてるとは気付かず、城の調度品のセンスの無さや立ち居振舞いをねちねち責めた。
「あなたが恥ずかしくない行いをしないとカインさまのお名に傷が付きます。しっかり躾ますからね」
妻が絶望してる顔で頷いたのを見て、思わず2人の前に飛び出していた。
妻は第3王子の妻として良くやってくれているし、内外の評価も高い。
これ以上何を躾るとマサラは言いたいのか。
「マサラ、何を言ってる」
「これはカインさま、お仕事の方はどうされたんですか?奥さまが気になって抜け出されたんですか」
マサラはカインを責めるように見てから、妻に向き直おり口を開いた。
「カインさまが暮らしやすいよう家を整えるのが妻の役目なのにそれすら出来てないとは、私が来たからにはしっかり教育させて頂きます」
倒れそうな妻を支えに走る。
ギリギリ間に合って抱き寄せてからマサラに言った。
「待て、私は妻に何一つ不満はない。今来たのもマサラが着てから妻の様子がおかしかったからだ」
「奥さまを庇わなくても宜しいのです」
マサラは当然と言い返した。
「私が育て上げたカインさまに添えるよう。奥さまを躾るのが乳母の私の務めで御座います」
カインはその時自分の過ちを知った。
妻にはマサラの言葉はきつ過ぎる。
ロナルドの妻がマサラを遠ざけた理由はこれだろう。
カインは愛妻をしっかり抱いてマサラに言った。
「この城の女主人は彼女だ。私の乳母でも私の妻の命令に従うように」
マサラの怒りのこもった目が妻に向いた。
「カインさまを懐柔してまで、この城の女主人になりたいのですか」
「マサラ。それ以上私の妻を誹謗する事は許さない」
カインが本気だと伝わったんだろう、マサラは会釈して出ていった。
それが半月前だ。
その後マサラと2人で話し、妻には一切関わらないと約束させていた。
王都までマサラを戻す口実に、マリアを使おうと思い付いたのはカインだった。
翌日、ベルは馬車に揺られながら後ろのマーズをボーッと見ていた。
初めて掴んだマーズの手はごつごつしていた。
あの子供のように、私も抱き上げて貰いたい。
口に出来ない気持ちに戸惑いながら、ベルはマーズと踊っていた。
自分の気持ちに付く名前をベルは知らない。
ただ少しでも長く、マーズの側でマーズの姿を見ていたかった。
マーズはそんなベルの視線に気付かない。
アランとハロルドだけは、ベルの視線を苦々しく思いながら見返していた。
その日の夕方前、王都の方向からゆっくり走ってきた馬とすれ違った。
「マーズさま」
5頭の馬の真ん中に乗っていた華奢な少年が、嬉しそうにマーズの名前を呼んだ。
少年なのに、彼は馬に横座りで乗っていた。
「ルシル。どうしてここに居るんだ?こんな遠出をして体は大丈夫なのか?」
マーズが走り寄って心配そうに尋ねた。
「はい」
ルシルと呼ばれた少年は青い顔で笑っていた。
ベルはその光景をただただ見詰めていた。
「顔色が悪いな。こっちへ来い」
マーズはもっと馬を寄せ、ルシルを軽々抱き上げて自分の前に横抱きにした。
「体が熱い。熱があるのか?」
マーズが心配そうにルシルの額に手を当てた。
「大丈夫です。ゆっくり歩いてきましたから」
ルシルが嬉しそうにマーズに寄り掛かった。
その光景が、ベルに悪夢を見せた。
心の奥底の何かがギシギシして苦しかった。
見たくない。
見たくない。
ベルは心の中で何度も繰り返した。
「どこへ行く途中だ?カインの所か?」
「国境へ。イファから膝を怪我した少年を運んでくるので、その治療の手助けに行くんです」
「フロルを迎えに行くのか。俺の方には移動できるようになったとの報告が来てないが」
マーズがアランを見たが、アランも知らなかったらしく首を振っていた。
「動かせるようになるのはまだ先ですが、今が大切な時期なので先生からの治療の勧めを預かってきてて」
「まさかルシルがイファに行くつもりなのか」
珍しくマーズが怒った声を出した。
「私が行きたいと先生にお願いしたんです。とても興味を引く患者ですから」
ルシルは懇願する顔でマーズを見上げている。
「俺がカインの城まで送っていく。国境までは許すがその先は行くな」
マーズは馬でも大変だと許さなかった。
「熱が下がるまでカインの城にいろ。無理はするな」
まるで小さい子のようにルシルを扱うマーズを、ベルが息を飲んで見詰めていた。
「アラン、ルディ。ルシルをカインの城まで送ってくるから後を頼んだぞ」
「行ってらっしゃい」
ハロルドが手を振った。
マーズはルシルの護衛を引き連れて、来た道を馬を走らせ戻って行った。
ベルはそんなマーズをグッと手を握って見送った。
ルシルと呼ばれた少年がとても羨ましかった。
自分もマーズの馬に乗ってみたかった。
そんなベルをアランが冷たく見て、マーズの小さくなる姿を見送った。
ルシルは前の戦争の時、マーズがどこからか連れて来た少年だ。
それはいつもマーズに着いていたアランが、マーズと離れていたたった3日の間の出来事だった。
5年半前、モルグとバロスの国境を単身偵察に行ったマーズが、怪我をして意識の無いルシルを馬に乗せて戻ってきた。
あの時は不利な戦況で持ち場を離れられず、マーズだけを行かせるしかなかった。
マーズが助けた少年は記憶を無くしていて、自分の名前も歳も思い出せなかった。
着ている物は上等だから、貴族か金持ちの息子だろうがその後探しても親は見付からなかった。
いや見付からなかった、と言うほどマーズはルシルの家族を探さなかった。
まるで親族が誰も居ないかのように、マーズはルシルをフィアの城に住むシド老人に託した。
仮の名前、ルシルと名付けてマーズが庇護した。
ルシルは産まれ付き体が弱く、医療に明るいシド老人が居なければ、今この世に居ないだろう。
そのせいかマーズはルシルにはとことん甘い。
ハロルドが焼きもちを焼くくらい甘かった。
最初は拗ねて手が付けられなかったハロルドが、突然ルシルに構わなくなった。
聞いても笑って教えない。
ルシルの方もハロルドとの距離感を掴むようになり、自然互いにトラブルを避けるようになった。
そんなルシルは騎士になりたいと言い続けているが、虚弱なルシルに体力勝負の騎士が勤まるはずもない。
ここ2年はシド老人の後を継ぐと言うようになった。