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翌朝、食堂に不機嫌なマリアの姿があった。
「マサラに叩き起こされたようですよ」
アランが小声で言った。
イファの兵士はマリアから1番遠い席に座り、残った侍女2人もそこにいた。
兵士と一緒に2人の侍女も今日イファに戻るらしい。
マサラの合格点を貰えなかった、と後から聞いた。
詰め所の騎士や兵士の反応は、昨日の歓迎ムードに比べると微妙だった。
昨日の事が噂として流れたらしく、信じられない顔が半分、嫌そうな顔が半分だった。
「ベルの姿が無いね」
ハロルドが食堂を見回して言った。
ハロルドの声が聞こえたとは思えないが、マリアがやって来て鼻で笑った。
「贄のベルを第3王女だと言ったようね」
「本当の事だよね」
ハロルドが言い返した。
「ふふ、その事だけはあなたにお礼を言うわ。お陰でうるさいあの女から解放されたもの」
マリアの言うあの女はマサラだろう。
「それは良かったね」
ハロルドもにこやかに返した。
「礼儀もマナーも知らない贄のベルを何日かで淑女にしようと必死みたいよ」
マリアが高笑いを残して食堂から出て行った。
マーズの顔をハロルドとアランが見た。
「まさかだけど、マサラはベルを舞踏会に出す気?」
ハロルドが信じられないと聞いてきた。
「無理でしょ」
アランは嫌な顔をした。
2人を見てマーズは苦笑するしかない。
ハンナならまだしも、マサラなら本気でやりそうだ。
「良い印象は持てませんが、可哀想だとは思います」
アランが平然と言った。
「ベルのお陰とか、腹立つ言い回ししたよね」
ハロルドはそっちの方が頭にきたらしい。
朝食が終わって、マサラがやって来た。
「カインさまの城にお寄りください」
「理由は」
マーズが表情を動かさず聞いた。
「奥さまのお若い時の衣装をお借りするためです」
「第3王女を舞踏会に出すつもりか」
「もちろんで御座います。私がいて王女の支度が出来ないでは皇太子やカインさまが笑われますから」
ハロルドが横を向いてアランを見た。
こうなっては、絶対マサラは引かない。
「第1王女の素行はどうする」
「お任せください。そちらも抜かりなく」
ハロルドがお手上げだと肩をすくめた。
「明日の朝は早いので、話はまたの機会に」
アランが形だけの挨拶をしたら、マサラが不思議顔をして聞いてきた。
「王都までの警護と王の命が降りているはずですよ」
アランがスッと目を細め、ハロルドが持ってきた王からの書類を胸元から出してマサラに見せた。
確かに国境の詰め所までとあった。
「あら、私の方にはフィアの城までとありましたよ。ですから警備の者を連れて参っておりません。フィアの城まで警護をお願いしますね」
涼しい顔で言ってくるマサラにアランが笑う。
「カインに2度としないと約束したのは偽りだったようですね。分かりました。王都までの警護をしましょう。カインの奥方にしなければ許されるとでも?」
マサラの顔が変わった。
「カインの奥方をいびり出そうとしてあれこれ仕掛けたのは知っています」
「私は貴婦人としてのたしなみを教えたまでです」
声を震わせて、マサラが奥に消えた。
カインの城までは2日。
翌日、2台の馬車を各々の馬に引かせて出発した。
後ろの1台にはマリアの衣装が積んであった。
両側に10人の騎士が馬で並走する。
夜営でテントを張るための人数だが、マリアは何か勘違いしてご機嫌だった。
馬車の最後尾にはお仕着せを着せられたベルがいた。
多分カインの奥方の物だ。
泣きそうな顔を向けてくるベルを見て、公表しない方が良かったのか?
そんな疑問が浮かんだ。
後ろから馬車の様子を見ていたら、ハロルドが横に並んできた。
「あれだけドレスが似合わないとか、驚きだよ」
確かにそう思うが自分まで頷くわけにはいかないと、ハロルドを嗜める。
フィアの道は踏み固められてあるから、馬車はさして揺れる事も無く走った。
途中のマリアの難題もマサラがぴしゃりと跳ね返す。
それが面白くないのか、マリアがベルと同じ馬車は嫌だとごねた。
「私はイファの王女。贄の子と同じ馬車なんてこの身が汚れるわ」
言われる度にベルが萎縮するので、さすがのマサラもマリアとベルを離した。
「マリアンヌさま。王女として浅ましい真似はお止めください。イファの恥になりますよ」
ベルを後ろの馬車に移してマサラが注意した。
「恥ずかしいのは向こうよ。マナーも知らないのに王女とか名乗って、私やイファの国に泥を塗ってるわ」
マサラも今のベルでは言い返せない。
笑顔をマリアに返すけど、その目は笑って無かった。
その日の夜営は不愉快だった。
ここは我儘が通るイファでは無いのに、ヒステリックに叫ぶマリア。
騎士も幻滅を隠せなかった。
「贄を私の目の届かないところへ追い出して!」
そして、ベルに向けたマリアの悪意は異様だった。
「マリアにとって、ベルは恐怖の源だから」
ハロルドがテントの騒ぎを聞いて言った。
「源?」
アランが繰り返した。
「不幸は全部ベルに行くはずなのに、フィアに来たらベルは第3王女として自分と同じ位置に置かれる」
ハロルドの説明にマーズとアランも何か納得した。
「光はマリア、闇はローズかベル。マリアの中では産まれてからずっとそうでしたからね」
アランがテントを見て言った。
「その中で育ったマリアにとってフィアのこの扱いは許せないし、意識に自分とベルの地位が入れ替わる恐怖があるんじゃないかな」
ハロルドにマーズが違うと首を振った。
「良い事は全部自分、負は全てローズとベル。それしか許せないんだろう」
「今日の言動を聞いていて思ったんですが、マリアはベルが幸せになるのが許せないようですね」
「自分の幸せが減るとか?違うな、ベルが幸せになった分自分が不幸になる、そう錯覚してる気がする」
マーズが頷いた。
「おそらくハロルドの話が1番近いだろう」
「そうなるともう強迫観念の1種ですね」
アランがテント見ながら息を吐いた。
「マリアはマリアなりに足掻いてるのかもね」
その夜、最後は追い出されたベルのために騎士のテントを提供する流れになった。
大きな騎士用のテントにぽつんとベル1人が寝る。
笑えない一夜になった。
カインの城の手前で、手に手に果物を持った人たちが大勢待っていた。
中には子供もいて、ベルにも笑い掛けていた。
止まると後ろの馬車に果物を置いていく。
中で子供が馬に乗ったマーズに手を伸ばした。
「先に行ってくれ」
マーズは馬から降りながらマサラに言った。
抱き付いてくる子供を抱き上げれば、他の子達もマーズにじゃれつく。
マサラは当然の顔で御者に行くよう言った。
ベルは遠退いていくマーズをじっと見ていた。
みんな憎らしかった。
マーズに抱き上げられるあの子も、背中に飛び付くあの子もみんな嫌いだった。
離れてと言いたかった。
自分が怯え過ぎて距離を置かれているのに、羨ましくて憎かった。
気持ちの高ぶりを押さえられなくて、ベルは大切な砂糖菓子をそっと開けて1つ口に入れた。
ベルは自分の中に生まれた、独占欲と名の付く感情に気付かなかった。
夕方に着いた城は小さいけど美しかった。
途中で追い付いて来たマーズが出迎えたカインと抱き合う、カインの横には小さくて可愛い愛妻がいた。
「久し振りだね」
「たった半年だろ」
マーズがカインの肩を引き寄せた。
「いつ産まれるんだ?」
「収穫の終わりくらい」
マーズが本当に嬉しそうにカインの背中を叩いた。
「あそこで睨んでるのがイファのマリアンヌ?」
カインの声には剣呑な響きがあった。
カインは無表情にマリアを見ていた。
そのマリアは、カインの愛妻を優越感を浮かべた目で見下していた。
「カイン。胎教に悪い」
「分かってる」
口では言ってもカインのきつい目はマリアを見てる。
「紹介して」
カインがマーズを急かした。
カインは愛妻をエスコートしてマリアの前に立った。
「この城の当主カインと奥さんだ。こっちはイファの第1王女マリアンヌ」
マーズがカインにマリアを引き合わせる。
カインは騎士の礼をマリアンヌにする。
その間も、カインの左手は愛妻の腰を抱いていた。
「マーズ。第3王女は?」
マサラと居るベルを指した。
「マサラ」
カインがマサラを呼び、ベルに視線を投げる。
マサラがベルを伴ってカインの前に来た。
「この城の当主カインと婦人だ。こっちは第3王女ベルベットだ」
カインは騎士の礼をするが、ベルはおどおどと頭を下げるだけだった。
そこにマリアがわざとらしい笑い声を上げた。
「まともに挨拶も出来ないの。ホント恥さらしだわ」
カインはマリアを無視して、マーズたちとベルを中庭へ誘った。
「今日は軽い立食パーティーだから気楽にね」
パーティーと聞いてベルの足が止まった。
「大丈夫。マーズ、エスコートしてやって」
「私が」
カインに被せるようにアランがベルの手を取った。
ベルの目がマーズからアランを残念そうに見た。
「非公式でも、マーズが特定の方の手を取るのは後々のトラブルになります」
アランが横目でカインを見た。
「忠犬で何より」
「誉め言葉と受け取りましょう」
「もちろん」
置き去りにされて、怒りでプルプルしてるマリアンヌの手はマサラが取った。
中庭には30人ほどの人がいた。
5組はパートナーを連れていたが、残りの20人ほどは殆んどが男性だった。
どこからか情報が漏れて、今日のこのパーティーになったのだろう。
客の目がカイン夫妻からアランとベルに流れ、がっかりして後ろのマーズとハロルドに移った。
幸運にもフィアの王子3人が集まったのを見て、客は自分をどう売り込もうかと目の色を変えた。
それが次の瞬間、マサラに手を引かれたマリアンヌを見て、空気が一変した。
男たちは自分の売り込みも忘れて、我先にマリアンヌを囲んだ。
マリアの勝ち誇った目がベルからマーズとハロルドに流れ、カインと愛妻に流れた。
常識ある人たちはカインが紹介するまで待ち、マーズとハロルドと顔繋ぎをした。
マリアが取り巻きを連れてカインの方へ歩いてきた。
「わざわざ私の歓迎会を開いて下さってありがとう」
マリアがチロッとカイン夫妻を見た。
「勘違いされるのは不愉快だな。このパーティーは顔合わせの物だったんだ」
カインはにこやかにマーズとハロルドを見た。
カインの言葉で数人がマリアから離れた。
しかしもう遅い。
「それって嫉妬?私が美しさ過ぎて霞むから?」
マリアがカインの愛妻を見た
「嫉妬?自意識過剰なんだね」
カインは笑って愛妻を引き寄せた。
「刺のある黒バラはたおる気にもならないね」
カインはマリアを比喩して愛妻の頬にキスした。
マリアがキッ、とカインを睨み付ける。
マリアが言い返す前に、取り巻きの1人が言った。
「それは言い過ぎでは」
「あなたは自分の仕事を忘れている様だね。こんな報告をするのは私も残念だよ」
その1人がハッとして手を握りしめた。