第八話 ここが年貢の納め時だぜ
「さぁーどんどん食べてもらおうかぁ!」
「いーやーだー! 助けてしる子お姉ちゃん! あぶりがいじめるー!」
「耐えるのじゃ。これも試練なのじゃ」
「しる子お姉ちゃんが仙人に! ラユちゃん助けてぇ!」
「これ美味しいネ! おかわりヨロシ?」
「ラユちゃんまでポンコツに! あーもう! セバスチン!」
パチン、とラビオリが指を鳴らすとテーブルに並んだお皿が一瞬にして消え去った。
「うお! すげえ! なんだやればできんじゃーん」
「わ、ワタシの食べかけまで持っていくなんて恐ろしい食欲ネ!」
「へっへーん。すごいでしょ! どう? これでもういいでしょ?」
「……私にはちゃんと食べてるようには見えなかったけど」
「うっせーなぁしる子。お前は小姑かよ! でもそうだなぁ……確かにちょっと気にはなるかな? さっきまであれだけ嫌がってたローストビーフをいとも簡単に平らげちゃうし。もっかい。もっかいだけ食べてみ?」
「はいはーい。食べればいいんでしょ食べればー」
再度、その四人で使うには持て余すほど長すぎるテーブルの上には純白のお皿とナイフ、フォークが並べられ、できたてのローストビーフが切り分けられた。体感だけどここまで時間にしてわずか一秒も経過してないんじゃないか? 何がなんでも速すぎだろーよ。相も変わらず有能な使用人たちだ。
「はーいじゃあいただきまぁー……パチン!」
またしても一瞬のうちにテーブル上のローストビーフが全て消え去ってしまった。
「いやぁまさかラビにあんな根性があるなんてなぁ」
「すっごい食欲だたネ! 目にもとまらない速さでびっくりしたヨ!」
ラユ子犠牲プランも特別免除ってことでおじゃんになっちゃったし、それならラビに苦手克服を押し付けたら時間稼ぎくらいにはなるだろうと思ったんだけどなぁ。このぶんじゃいつまでも先延ばしにしてるわけにゃいかなくなりそうで気が重い。
そんなラビオリ邸からの帰り道、しる子だけがどこか腑に落ちない顔をしていた。
「本当にあの子、全部食べてたのかしら……」
「なに、まだ疑ってんの? かーっ嫌だねぇ小姑は! あんないたいけな少女が頑張って嫌いなものを食べたんだよ? しかも二回も! ここは全力で褒めてあげる所でしょう!」
「ネ、それより、今度は誰の番か覚えてるカ?」
きた。
「小さな子どもも頑張ったネ。今度は大人の順番ネ。覚悟、ヨロシ?」
「ぬぬぬ……。はぁ、もうわかってるよ。大人しく覚悟決めますよ」
「あら素直。少しは成長した?」
「うっせー小ジワ姑」
「45口径、求肥」
「町中で発砲はまじしゃれになんないって! こら! やめて! 割と痛いんだってそれ! すいません! すいませんでしたからやめてぇー!」
背中をかすめる無数の求肥の柔らかさを感じながら町を爆走し、追い立てられるように自宅へと向かった。
我が家。本来ならばここは安穏の地。しかしこの後に起こる出来事を想像すると、途端に玄関が地獄の門にでも見えてくるから不思議だ。今日ばかりは心底この門を潜りたくない。
ラユ子としる子はあたいが逃げ出さないようにぴったり後ろにくっついて腕組みしている。わかってるってもう逃げない……観念したよ。
「ただいまー……」
「おかえり。あら、友達も一緒?」
「お久しぶりです。突然お邪魔してしまってすみません」
「你好! 小辣油というものネ! 初めまして!」
「まぁいらっしゃい。今日は賑やかね。さ、上がって上がって」
にこやかに微笑むママン。その微笑みすら今のあたいには怖ろしい。
ことの経緯をママンに伝えるとやたらと張り切り始めてしまい、そのままいそいそと買い物に出かけてしまった。鼻歌混じりで上機嫌だ。
うう……。あたいの苦手なもの、それはママンの作った手料理なんだよねぇ……。あの人気合いはすごいんだけど失敗ばっかでろくなもん作らないからなぁ……。
この前も秋刀魚を焼いていた時にキッチンから爆発音が聞こえて、何事かと思って見に行ってみると食卓には消し炭が並んでたし。どうやったら秋刀魚の身があんな鉛筆みたいに細くなんのさ! なんなの! あなたがやってたのは芸術なの!? お願いだから料理をしてよ!
「お母さん、すごい気迫だったわね」
「やる気まんまんだたヨー。きっと見たこともないご馳走がでてくるネ!」
「見たこともない料理が出てくるのは違いねぇ。うちのママン、張り切るほどに空回りするからなぁ……。正直あたい、絶望しかない」
「安心してあぶり。骨は拾ってあげるわ」
「骨まで炙って照り焼きアルか! ヒエェ! 怖いネ! 味の付け方が怖いネ!」
「お前らそれいじめじゃね? え? ちょっと待ってあたいいじめられてんの?」
新たな疑惑が浮上して不穏な空気が漂う中、あたいにできることといったらママンが帰ってこないように祈ることだけだ。いやまあ無事に帰ってきてほしいのはほしいんだけど。でも、しかし、だって、嗚呼……。
祈りも届かず無情にも玄関の扉は開いてしまう。
「たっだいまぁ!」
「うっ……。おか、えり……?」
満面の笑みで帰ってきたママンの手には、片方に二つ、合計四つのパンパンに膨らんだレジ袋ががっしりと握られていた。
見るからに重そうだし一体何をそんなに買い込んできたってんだろう? なんかエビのヒゲとかはみ出してるし。
「ま、ママン? い、いったい今日は何を作ってくれるのかなぁー……?」
「な・い・しょ!」
「ハハッ、おっけー」
背中を薄ら寒い汗が伝っていくのを感じながら、ぎこちない作り笑顔を顔面に貼り付けるので精一杯だった。これから始まるのは拷問だ。血も涙もない拷問だ。執行を待つ死刑囚の心中を垣間見た。
台所からはママンの鼻歌と共にあたい史上未だかつて嗅いだことのない異臭が漂ってきている。もしもここがにおいに色が付いている世界だったなら、きっとこの臭いは腐った鉛みたいな色をしていることだろう。金属すら腐らせそうな腕前を誇るママンを前にしては無条件降伏も辞さない勢いだ。降伏が許されるとは思えないけど。
「や、やばい! 今日はいつもと違う! いつもよりやばい臭いがする! あたいは生きて帰れないかもしれない!」
「落ち着きなさい。大丈夫よ、あなたのお母さんが作ってくれるものでしょう? 毒なんか入ってないわよ」
「そうアル! この臭いは昔じっちゃの仕事仲間が使ってた薬品の臭いとそっくりだけどきっと大丈夫アル!」
「ねぇ何混ぜてんのママン!? 娘に何食べさせるつもりなのママン!?」
「あーもう、ここまできたら逃げられないわよ。覚悟決めなさい」
「ネ、しる子。お経ってどんなリズムで読めばいいアルか?」
「ラユ子最近ひどくね? そんなに薄情だったのかねあんたって子は!」
「お待たせー! できたわー!」
心臓が音を立てて脈打つ。全身がこわばり最早声一つ発することもできない。挫けそうになる心をどうにかこうにか抑えつけ、頼りない覚悟染みたものに半ば背中を押される形でその一歩を踏み出す。処刑台への第一歩を。
「これは……想像を……絶し過ぎますな……」
食卓は絶望に染められた。暗雲立ち込めるその城は、何人たりとも立ち入らせない絶対的な「拒絶」のオーラを放っている。三段に重ねられたそれはまるで負の念の塊。呪いの産物。黒い怪物。ゲテモノで御陀仏。一体誰が想像し得たであろう、まさかまさかの「おせち」であった。
「コレ、アタイ、クウ?」
「しっかりするネあぶり! たくさん食べて大きくなるヨ!」
「そ、そうよ壊れてる場合じゃないわ! 立ち向かうのよあぶり!」
「お母さん、頑張っちゃった! いっぱい食べてねあぶり!」
「アタイ、コレ、ア、イタ、イタタタキマス」
踏み出した一歩。自由落下する体。崩壊していく自我。蹂躙された理性。いま目の前にある無秩序。差し出された不条理。箸。チョップスティック。食べる。食べよう。食べないと。いただきます。
「…………うまい」
「え」
「アルヨー?」
「こいつ……食えるぞ! 食いもんだ!」
「まぁ失礼しちゃう。お母さんだってやる時はやるのよ」
どう考えても「死」がよぎる見た目に反して、味は奇跡と呼べるほどにまともだった。奈落に踏み台、ではなく地獄に仏とはこのことか! 神様ありがとう! あたい生きてる! 息してる!
ていうか普通にうまい。絶品だ。なんなんだこれ。ありえねえ!
どす黒い数の子は塩加減もほどよい塩梅、ドドメ色のだし巻き卵はふっくらしていて柔らかく、腐ってそうな黒豆も優しい甘さで、紫色した伊勢エビに至ってはこの前ホテル「リモネクーヘン」で食べたものと遜色ない出来映えだった。見た目と臭いにさえ目を瞑れば、ママン史上最高の出来だ。逆にここまで美味しいのに、どうやったらこんな見た目になるのかだけが疑問だが、それはおそらく永遠の謎という都合の良いワードで片付けられてしまうんだろう。この世は解き明かす必要の無い謎で溢れてる。命が惜しければ両の目と耳を塞ぐべきだ。あと鼻も。
「すごい! すごすぎるよママン! あたい感動しちゃった!」
「ほ、本当に美味しいの、それ?」
あたいの感激ぶりに触発されてか、恐るおそるしる子もおせちに箸をつける。
「わ、すごい。ほんとだ。美味しい!」
「ほっぺが落ちるヨー! これで見た目さえよければ一流シェフになれるヨー!」
「一言余計じゃないかしら。でも良かった。やっとあぶりに美味しいって言ってもらえて」
「ママン美味しい! 美味しいよ! 今まで言えなかったぶん全部言ってやる! 愛してる! 好きだー! 結婚してくれー!」
「お父さんと結婚してるので駄目でーす」
「一時はどうなることかと思ったビが、なんとか一件落着したようで安心だビ。これであぶりも強い魔法を使えるようになったし、みんなパワーアップ完了ビね! いつでも来いやスイーツ四天王! ビ!」
最後の最後まで出てこなかったうえ、いざ出てきたら齧られた四箇所がいつの間にか元通りになっているエビカツのインパクトに危うくあたいの努力が流されそうになったので、さっと重箱に押し込んでフタをする。きっと明日には熟成されたエビカツに変化していることだろう。何色になってるか楽しみだ。味も変わってるかもしれない。でも熟成されたエビカツをもう一度齧ってみる気は毛頭ないので謎は謎のまま残される。