第七話 あぶり、ジジ専疑惑
「もう今日は遅いし明日にしない? あ! 宿題やんないと!」
「あんたがまともに宿題やってきたりしたら吹雪と台風が一緒に来るわよ」
「そんじゃね! ばいびー!」
「ちょっと待ちなさい! ……はぁ、また明日」
やれやれ、明日って言っちゃったけど嫌だなぁ。嫌いなもんは嫌いなんだよ。食べたくないから嫌いなんだよ。無理しちゃいかんな、うんいかん。無理は体に毒だからな。毒を受けちゃあおしまいだ。強くなるどころか返り討ちにされかねない。むしろこっちの方が賢い選択なんじゃね? そう! 英断だ! 言ってみればこれは戦略的撤退なんだ!
「あぶりさんよー。そんな逃げ腰でいいんビかー?」
「いいでしょ一人くらい魔法強化してないのがいたって! 他の三人でなんとかなるよ! 絶対!」
「ふぃーん。そうだといいビけどねぇー」
ぷかぷかと気持ち良さそうに湯船に浮かぶエビカツを見ていると、なんだか自分が「具材」として鍋に放り込まれてるような感覚に陥る。あたいってどんな出汁がでるんだろう……エビカツからは油が流れ出てるようにしか見えないけど。そもそもの話揚げ物を煮込んだ鍋はちょっと遠慮願いたいものだが。
それはそうと……ん? エビカツ?
「……ってかお前、なに当たり前みたいに風呂まで入ってきてんだこらぁ!」
「ビひひひ! 自然な流れだったからバレてないと思ってたビ!」
「このエロカツ! さっさと出てけ!」
「んなビー! ぼ、ぼくはエビカ」
何か言いかけていたようだがお構いなしに叩き出し、固く扉を閉めた。まったく男ってやつは油断も隙もあったもんじゃない。
風呂から出ると物陰から見え隠れする衣があったので、引っ掴んでぶん投げて鍵までかけて閉め出してやった。野良猫にでも食われちまえ。
そうだ明日はラユ子に克服させよう。ラユ子の苦手な食べ物ってなんなんだろう……。ぼんやりとそんなことを考えながら眠りについた。
放課後。相変わらず勉強なんてする気のないあたいにとっては、学校における常套句のひとつ、一日が長い! なんて言うセリフに共感できたためしがない。まぁそんなセリフをわざわざ口に出して言うようなやつに限って真面目に勉強なんてしてるわけがないんだけど、そもそも授業のほとんどを夢の中で過ごしてるあたいに、そんな風に言える資格なんてなかった。まぁどうでもいいよねー。なんとかなるなる。
「というわけでラユ子! 食べ歩きして帰るぞーい」
「ごめんネ。今日も用事アルの」
「またぁ?」
「じっちゃが家で反復横跳びの線引いて待ってるヨ」
風邪治ったのか。でも懲りずにまだハッスルじじいを続けてるらしい。にしてもじじいと孫の反復横跳びってどうよ。仲良しだなぁおい。だけど反復横跳びに負けるあたいって尚更どうよ。我ながら情けねぇなぁおい。
「そういうことで、また明日ネ!」
小走りに駆けていくラユ子。その背中を今日も大人しく見送るーー
「……わけねぇよな。行くぞしる子! ラユ子のじじいが何者なのか確かめてやる!」
「え、私も家の手伝いがあ」
「早く! 見失っちゃう!」
しる子の腕をひっ掴んで引きずりながらかなり距離の離れてしまったラユ子目掛けて全力疾走! 風のように走れ! あたいのための尊い犠牲を見失っちゃう!
「ほっ! はっ! とぁっ!」
こじんまりとした庭付きの平屋。よくあるタイプの日本家屋だ。ブロック塀の飾り穴から見えるのは、ランニング一枚で躍動するご老体。ってかマジで反復横跳びをやっている。ラユ子の手にしたストップウォッチが鳴り響く。
「終了ネ! アイヤー、やっぱり記録更新は難しいネ……」
じじいがばたーんと勢いよくその場に倒れ込む。ろくに受け身もとれずに顔面からつんのめったもんだから痛そうだ。
「じっちゃ! 大丈夫カ?」
「わ、若い、頃は……できたのに……ネ」
「無理したらだめネ。ちょっと休むヨロシ」
「すまないネ……」
ラユ子の肩を借りてふらつきながら縁側に腰掛ける。話し方から察するにどうやらじじいも典型的なチャイナらしい。こうして様式美は受け継がれていくのか。
「こそこそしてないで出ていきましょうよ。友達相手に」
引き止める間も無くしる子が堂々と門を潜っていく。あたいとしてはもう少しだけこのまま様式美の系譜を眺めていたい気分だったんだけど。
「こんにちは。精がでますね」
「ちょ、しる子ぉ」
あたい一人でこうしていると覗き魔みたいで居心地悪く、仕方なしにしる子の後を追う。
「オオ! しる子に照り焼き! よくうちがわかったネ!」
「そのアダ名やめたんじゃなかったのかよ」
「ごめんね、悪いと思ったんだけど照り焼きがどうしてもって聞かないから着けてきちゃった」
「あたいの名前は縁側あぶりだ!」
「ひゅっ、ラユユの友達か! ぜー、初めましっひゅ、てネ! らひゅっ! ら、ラユユのじっちゃアルヨ」
「じっちゃ! まだ息が上がってるネ! ゆっくり休んでなさい!」
「オー……」
変なアダ名が未だに蒸し返されていることについては言いたいことが山ほどあるが、ここは一旦堪えるとして、孫ってのはそこまで可愛いもんかねえ。目に入れても痛くないってよく聞くけどさ、ラユユ、なんてまるでアイドルか何かみたいな呼び名じゃないか。多分お年玉とかいっぱいくれるタイプのじじいだな。羨ましい。
勢いよく立ち上がったじじいだが、足がぷるぷる震えて堪えきれずに腰を落とす。やっぱり年相応に虚弱じじいだ。無理にハッスルしてんじゃねぇ!
「ラユ子のじじいはなんでそんな運動してんの?」
「それはネ……うーん。じっちゃ、教えてもいいカ?」
「仕方ないネ。友達に隠し事はよくないアル」
じじいは少し考えるようにして、やっぱり何も考えてないかのようにあっさり首を縦に振る。そんな勿体ぶらずともたかが反復横跳びに御大層な秘密を求めてるわけじゃない。どうせ健康のため、とかじゃないの?
「……実はじっちゃは中国でちょっとヤバイ仕事やってたネ。追手から逃げるために古い知り合いのいる日本へ来たアル。でもいつ居場所がバレて襲われるかわからないから体鍛えてるネ!」
ありゃ、予想に反して御大層な秘密がでてきた。それなら勿体ぶる理由もわかろうってもんだけど、……反復横跳び? しょぼくね?
「感覚を取り戻すには丁度いいネ!」
「取り戻す頃には場所バレてんだろ……。ヤバイ仕事ってどんな?」
「そこまでは言えないアル。企業秘密ヨ」
じじいが人差し指を口にあてる。茶目っ気たっぷりの仕草にちょっと可愛いとか思ってしまった。
やば、もしかしてあたいジジ専? いや違うから! ちょっと混乱してるだけだから! やめてよそういうこと言うの!
「へぇ、ラユ子も大変なのねぇ。ひょっとして鉄扇術なんてマイナーな武道やってるのも、護身用に?」
「その通り。ちっちゃい頃から教え込まれたネ」
素早い動作で回転した後、両手をカマキリみたいに掲げてみせる。型か何かなんだろう。貫禄を感じさせる小慣れた動きだが、そのポーズはちょっと間抜けだ。
「何やってるか知らないけどさぁ、あんまりラユ子を危ない目に合わせないでよねー?」
「面目無いネ」
ピシャッと額を叩きお茶目に舌を出すじじい。危機感ゼロじゃん。
そしてやっぱりちょっと可愛いじゃん! やべえ! あたいの中で何かが枯れていく! 手遅れにならないうちに本題に入ることにしよう! ええとなんだっけ、そうだ、あれあれ。あたいのための尊い犠牲プラン!
「ところでラユ子さん。苦手な食べ物を克服する気はありやせんか?」
「そうそう、克服できたら強力な魔法が使えるようになるのよ」
「あ、そうだ。じじい、ラユ子魔法女子になったから」
「なんとまあ! ラユユ魔法使いになっちゃったアルか!」
「これで追手が来てもじっちゃ守ってあげられるヨー。それで苦手な食べ物アルか? うーん……特にないアル」
「有るのか無いのかどっちなんだい!」
「だから無いネ。大抵なんでも美味しく食べられるからネー」
「はぁ? 無い!? それじゃあお話が前に進まないじゃないか!」
「そんなこと言われても困るヨー!」
「まぁ待つビ、ラユ子の潜在能力が高いのはこの前確認した通りビ。それに見たところとっても強い想いを抱いてるみたいだし……」
じじいの背中を撫でながら心配そうに顔を覗き込んでいるラユ子。慈愛に満ちたその瞳から迷いの色は感じられない。孫にメロメロなじじいとじじい想いの孫という構図は確かに微笑ましいものではある。
ところで両親はいないのだろうか。兄弟やらの姿も見えないし、ひょっとするとこのじじいが唯一の肉親の可能性もあるのか? だとするとその絆は随分と深いんだろうな。想いの強さが魔法の強さ。守るものがあると人間は強くなれるらしいし……。
「このままでもいいんじゃないビか? 少なくともあんたらよりは強い魔力を感じるビ」
「聞き捨てならないわね」
自分が無理に克服させられたのを根に持ってでもいるのかしる子は納得がいかないみたいだが、あたいには少しだけ思うところがあった。
「……まぁ、別にいーんじゃない? スイーツ四天王を倒せるんならなんだっておっけーおっけー」
「あら、今日は随分聞き分けがいいのね。どうしたの? はっ、まさかあなた……エビカツに特別な想いを……」
しる子の目がみるみるうちに疑惑を孕んだそれに変わり、怯えたように後ずさる。
「は? ふざけんな!」
「冗談じゃないビ!こんな食い意地大暴れ女に慕われるなんて心外だビ!」
「誰が食い倒れ運動会だ!」
「そんなこと言ってないビ!」
「アイヤー、エビカツが浮いてるネ! 喋ってるネ! 魔法すごいネ!」
「あんまりはしゃいだら体に響くネ! 大人しくするヨロシ!」
子どものようにはしゃぐご老体と母親のような孫娘。あたいとエビカツの取っ組み合いを薄ら笑いで眺める悪女。
人には人の事情がある。円満な関係を維持したいなら深入りし過ぎも考えものだ。付かず離れず間合いをとって、丁度いい距離感を保つこと。なんとなくだけどそんなことを学べたような気がする。




