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第十八話 もう止まらない

 信じられない光景だった。あの二人がただの馬にひれ伏しているのだ。いや、きっとただの馬なんかじゃないのだろうが。世界がお菓子になった今、ただの馬がこんなところを闊歩しているとは思えない。ノエルの配下と思しきその馬は、よくよく見るとなにやら妙にザラついた毛並みをしている。光を反射しないゴツゴツとした体躯を見せびらかすように悠々とこちらに近付いてくる。


「なんだビかあれは! まさかガトーもザッハザッハもあのお馬さんにやられちゃったとでも言うんビか?」

「おそらく、そうでしょうね。……あれを見て」


 しる子が指をさす先に階段が見えた。この階はゴキゲンな装飾こそあれど柱や仕切りなどが無いため見通しが良く、一見簡単に突破できるようにも思えるが、しかしこの二頭の馬がそれを許してはくれないのだろう。


「ここを通りたければ俺を倒して行け! ってやつネ! 燃える展開ヨー!」

「ラユちゃん燃えてる場合じゃないよ……。あのお馬さんたちきっとすごく強いと思う」


 あたいもただならぬものを感じていた。馬たちはこちらに一直線に近付いてくるでもなく、様子を窺うように周囲を旋回している。その瞳から感情を読み取ることは難しいが、値踏みするような、品定めするような目で見られている感覚だ。しばらくそうしていたかと思うと、やがて馬たちはそっぽを向いて階段前に陣取ってしまった。どうやら「相手にとって不足」と見做されたようだ。


「……舐められたものね」

「ワタシが相手じゃ不満アルカ? 心外アル! なんか文句があるならはっきり言うネ!」

「まぁ言っても馬語だしな」


 ひとまず馬との戦闘は置いておいても構わないだろう。戦わずに済むならそれに越したことはないのだが。未だ転がったままの二人の様子を確かめる方を優先する。


「おい、大丈夫かよ二人とも」


 問いかけからやや遅れて呻き声に近い苦しそうな声が返ってくる。


「不覚……。この俺としたことが、あんな畜生ごときに……」

「あんのくそ馬野郎……! 馬鹿野郎だあんなもん! お前ら油断すんじゃねえぞ! あいつらはノエルのお気に入り、黒糖號っつう血統書つきの馬鹿野郎だ!」


 血統書のついた馬鹿とはこれいかに。


「あの二頭はとにかく速い。それに利口だ。力任せではどうにもならない相手だった」

「お前がやれるって言うから手ェ貸してやったのによぉ! あと何本貸しゃあいいんだ! 五本か? 十本か!?」


 ザッハザッハの影から伸びる複数の腕が悔しげに床を叩く。完全に冷静さを欠いている。この二人を先に行かせたことを本当に後悔した。

 とにかくここにいても危険なので入口の扉の横まで移動させる。終始不機嫌だったザッハザッハだが、流石に傷が痛むようで抵抗することなく従ってくれた。この階はあたいたちだけでなんとかするしかないようだ。


「作戦を立てる必要があるビね」

「はいはーい! ラビに考えがありまーす!」

「ほいさ! 言ってみるビ!」

「きっとお馬さんたちはお腹がすいてると思うのね。だからエビカツがお馬さんたちを誘導して私のLostビーフの穴に落としてやればいいんじゃないかな?」

「なるほどビ! たしかにお腹がすいてそうな顔してるビねぇ。だから僕が落とし穴まで誘導して……って嫌だビ! 僕は馬のエサじゃないビよ!」

「素晴らしい作戦ネ! それ以外に方法が思い付かないアル!」

「やるじゃないラビ。成功間違いなしだわ」

「いや! ちょ、やめるビ! 冗談じゃないビ!」

「ほら暴れんなって。大丈夫、本当に食われるわけじゃねぇんだから」

「嫌ビーっ! やめてくれビぃーっ!」


 暴れるエビカツを四人がかりで押さえつけ、ガトーから借りたキャンディケーンの先端に括り付けた。手近なモミの木から拝借した装飾用のモールで括られたエビカツは、不満気な顔とは裏腹に楽しげな雰囲気を醸し出している。じっとりした目で睨んでくるが、可愛らしい格好でいい匂いをぷんぷん漂わせているのでやはり楽しげにしか見えない。後は馬を釣るだけだ。


「……あんたら絶対許さんビ。覚えとけビ」

「ラビはLostビーフの準備しといてねー」

「おっけいあぶり! 二頭入れるくらい大きいの作っとく!」

「早くお馬さんにエサやりにいくアル!」

「こらぁ! ちょっとでも齧らせたら本気で怒るビよ!」

「で、誰が持つわけ?」

「ここはあたいの出番だ!」


 エビカツ付きキャンディケーンを引っ提げて階段付近へ駆け寄ると、まどろんでいた馬がエビカツの匂いに気付いて鼻を動かす。


「酔う! 目が回るビー! こら! 振り回すなビぃ!」


 キャンディケーンを執拗に振りかざしながら徐々に距離を置く。つられて馬たちも立ち上がり、匂いのする方へのそのそと歩き出した。そのまま誘導し、ぽっかりと口を開けた穴の真上でエビカツを振り回す。二頭の馬は穴に向かって真っ直ぐ進んでいく……かに見えたが。あからさますぎる落とし穴には流石に気付いたようで穴を迂回してあたいの方へ向かってきた。そしてそのままあたいを突き飛ばす。


「うおっ危ねっ!」


 体勢が崩れて落ちそうになりつつも、支えがあって助かった。持っててよかったキャンディケーン。


「……おいこらビ」


 エビカツが顔面を床に擦り付けながら何か喋ってるみたいだけど、それどころじゃない。エサで釣る作戦は見事に失敗してしまったのだ。


「こんなところかしら。ま、草食の馬にしてはよく動いてくれたわね」

「エェ!? お馬さんって草食だたアルカ?」

「馬って揚げ物食べないの!?」

「そんなの常識でしょうよ……。はぁ、あんたたちがそこまで学が無いとは恐れ入ったわ。どきなさい」


 言いながらしる子は銃口をこちらに向ける。馬が草食なことを知らなかっただけで銃殺されてはたまったもんじゃない。咄嗟にエビカツを盾にするが、銃弾はあたいには届かず馬たちに命中していた。連射される弾にじりじりと押され穴に近付いていく。


「これが狙いだと思ってたのは、私だけだったようね。……今後あんたたちには期待しないようにするわ」


 しる子が撃ち出す金平糖の弾丸は二頭の馬の動きを封じ、そのまま奈落へと押し出し続ける。抵抗も許されないほどの連射を浴びて、ついに足を踏み外して落ちていく。馬は最期に小さく嘶いた。


「作戦成功ね。さっさと次の階に上がるわよ」

「ね、ねぇ。なんかおかしいよ。さっきから頑張ってるんだけど、全然Lostビーフが閉じないの……」

「え? それどういう……」


 ラビが何かを言う前に、その答えは明らかになった。奈落から這い上がる二頭の馬。その姿は先程までと比べ物にならないぐらい大きく、そして禍々しく変貌していた。地獄からお迎えが来たのかと錯覚するような光景。馬たちはしる子に狙いを定めると、巨体を躍動させながら全速力で走り始めた。


「そんな……っ! 来ないで!」


 一心不乱に駆け抜けてしる子まであと二メートルの距離まで迫ったところで、馬たちは動きを止めた。いや、正確には止められた。ガトーとザッハザッハが立ち塞がったのだ。ガトーは素手で、ザッハザッハは影を三本駆使して巨大な馬を食い止めている。


「二人とも! 動いて大丈夫なのかよ!」

「なぁに……仲間の窮地を救えないようでは寝覚めが悪いのでな」

「つってもかなり無理してっけどな! 誰だよ黒糖號に砂糖食わせたの! 馬は普通草食やけど黒糖號は普通の馬じゃねぇっつーの! 見ろよこのデカさ! 元気一杯になりやがって!」


 馬たちの巨大化の原因はしる子の弾丸によるもののようだ。どういう仕組みかはわからないが砂糖を栄養源として巨大化したらしい。しる子はバツが悪そうな顔をしてあたいの後ろに隠れる。一発二発の弾丸ならまだしも、あれだけ連射したんだからさぞかし元気溢れることだろう。


「ほらさっさと行けよ! ノエルのくそ野郎は上にいるんだ! 代わりにぶちのめしてこい!」

「で、でも、二人ともそんな体で」

「ここはウチらが食い止めるしかねぇだろ! お前らにできんのかよ! ……ちくしょう! あぁくっそ癪に障る! いいから任せて行きやがれ!」


 ザッハザッハはあたいには想像もつかない何かとの狭間で葛藤しているように見えた。ガトーとて盤石とは言えまい。そんな二人を置いていっていいものか、悩む。だが実際のところこんな場所でいつまでも足止めをくらっている場合ではない。この階にも城主の姿は見えなかったのだ。キャンディケーンに括り付けたモールを解こうと躍起になっていると、ラユ子が素早く鉄扇で斬り刻んでくれた。キャンディケーンがガトーの手に戻る。


「絶対死んだと思ったビ絶対死んだと思ったビ絶対」

「二人ともすまねぇ! 無理はしないでくれよ!」

「ノエルをやっつけたら必ず助けにくるからね! 絶対だからね!」


 二人を残して階段を目指して走りだす。途中背後から苦戦する声が聞こえてくる度に立ち止まりそうになった。しかし立ち止まってなんかいられない。町の人たち、この星の命運はあたいたちに懸かってるんだ。全ての元凶であるノエルの暴走を止めなくては。


「……はぁ、行っちゃったなぁ」

「らしくないじゃないか、ザッちゃん。他人のために自らを犠牲にするなどと」

「うるせぇ。自分でもなんであんなこと言ったのかわかんねぇんだよ。でも言っちまったもんはもうどうしようもねぇだろ」

「そうか。……いいんじゃないか、ザッちゃん。良い傾向だ」

「だからうるせぇって。それよりどーするよ、ガトー。ウチら結構ボロボロだぜ? あんな大見得切ってあっさりやられました、じゃ格好つかねえぞ」

「そうだな。……あー、ところで、ザッちゃんよ。あの、ちょっと言って欲しい言葉があるんだが」

「ん? なに?」

「そう難しいことではない。むしろ簡単なんだ。そう、簡単すぎる。簡単すぎてつまらないぐらいだ。いや、別に俺にとってはつまらないことではないんだが……」

「なんだよ歯切れが悪ぃな。お前こそらしくねぇぞ」

「あぁ、すまん。すまなかった。よし……言うぞ。ザッちゃん、俺に、『愛してる』と言ってくれないか」

「……は? な、なんだそれ。とうとうイカれちまったのか? だったら足手まといだからどっかへ……」

「俺は至って正常だよ。……なぁ、ザッちゃん。嘘でもいい。ザッちゃんの口からその言葉が聞けたなら……」

「まさかそれで元気になれるとか言うつもりじゃねぇよな……?」

「おおいにそのつもりだ。俺にとってはそれほどの価値がある言葉なんだよ。なぁ頼む、後生だ」

「……はぁ、つくづくお前も変なやつだよな。……愛してるぜ、ガトー」

「…………ふふ、ふふふ。よし、よし、よっしゃあ! 気合い十分だ! 来るがいい馬畜生! 相手が誰であろうと死力を尽くすが我が礼儀! Z・ガトー、いざ参らん!」

「単純なやつ。……単純バカは、別に嫌いじゃねーけどな」


 立ち止まってなんかいられない。

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