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第十六話 夢か悪夢か現実か

「はい、降参だ」


 いやに呆気ないセリフとともに両手のひらをこちらに向けて現れたのは、最後のスイーツ四天王、ショコルテだった。ザッハザッハと戦ってからものの数分も経たないうちの出来事だったので、驚いたと同時になんだか拍子抜けだった。


「どうやら僕だけが残ってしまったようだからね。降参だ。僕は勝ち目の無い不毛な争いは嫌いなんだ」

「お、おい勝手抜かしてんじゃ……」


 何か言ってやろうと言葉を選んでいるうちにしる子に遮られて二の句が継げなくなる。


「本気でしょうね。また変なこと企んでたら承知しないわよ」


 しる子の静かな声に空気がピリつく。一同静まり返ってショコルテの発言を待っている。騒いでいたエビカツすらもただ黙って動向を見守っている。


「この状況で嘘なんかついて僕に得があると思うかい。本気さ。だから早く、君の得意技で射抜いてくれないかな」


 腕を広げて待っているショコルテの身勝手さには心底呆れたもんだが、その言葉通りに動くのが最善と判断したのだろう、しる子が銃を構える。いつもより大袈裟なサイズのその銃は、いわゆるスナイパーライフルというやつだろうか。


「……本来、こんな距離で使うものではないんだけれど。仕方ないわね」


 見た目とは裏腹に静かな射撃音が聞こえたと同時に、ショコルテの体が崩折れる。天を仰いだショコルテの口から黒いもやが昇っていく。


「……効くね。きぃんと、響いたよ。僕は抹茶が大の苦手なのさ。……人それぞれ、好き嫌いがあって当然なんだ。たとえそれが……生まれもった性別であっても。女々しい茶道なんて無理にやらせようとするから、こうなってしまうんだ。……僕は、女々しいのが、嫌いなんだ」


 空になって吐き出された薬莢も一際大きなもので、その緑色に輝くボディには金文字で「宇治金時」 と彫られていた。

 決着は一瞬だった。あまりに一瞬過ぎて実感が伴うまでに時間を要するほどだった。だから「彼女たちのことは任せてくれ」と言って二人を担いで去っていく背中がガトーのものだと気付く頃にはすっかり陽も暮れていて、しる子に支えられながらいつの間にやら自宅の玄関前に辿り着くまでの記憶はほとんどなかった。


「しっかりしなさい、あぶり。私たちの勝ちよ。スイーツ四天王は全員、洗脳が解けて味方についてくれたわ」

「そ……そうだよな。はは、なんか、実感なくてさ。これで、終わりかな?」

「……後はラスボス、だけね」

「そうだ。……そいつで、本当に最後なんだな。このふざけた魔法の世界も、終わるんだよな」

「そこがゴールだビ。あぶり、しる子、今まで本当によく頑張ってくれたビ。僕は本当に感謝してるビよ。さ、決戦に備えてしっかり休んでくれビ。今度こそ邪魔の入らない休息をとれるビよ」


 あたいはそれからとろけるように眠った。眠って眠って、眠り続けた。夢の中には今まで出会った人たちが敵味方問わず現れて、一斉に拍手で讃えてくれた。みんながあたいを褒めてくれた。そこでようやく、自分たちがやってきたことが報われたような気がして、あたいは泣いた。夢の中だ、構うもんか。それはもう、盛大に泣きじゃくった。誰にも見られない夢の中だから、何も気にせず、泣いた。









 目覚めたあたいは涙を止めることができなかった。誰かに見られる現実なのに、人目を気にしないといけないのに、構わないといけないのに、褒めてくれる人たちは、もういないのに、構わなくていいから、人目を気にする必要がないから、誰にも見られない現実だから、泣いた。

 世界が砂糖菓子になっていた。










 あれから随分長い間眠っていたらしい。カレンダーは十二月に入り、室内でも吐く息が白い、細雪が降る薄曇りの朝だった。

 ウエハース、カステラ、ゼリー、チョコレートパフェ、シュークリーム、ジャムクッキー、バニラアイス、レアチーズケーキ、バタースコッチ、芋羊羹、栗饅頭、きんつば、三色団子、最中、綿菓子、林檎飴、芋けんぴ、わらび餅、桜餅、柏餅、あんみつ、練り切り、そのどれもが、雪を被って白い色をしていた。

 見渡す限り一面に白いお菓子たちがひしめく町。降り積もる雪が重なって、一層無音になったお菓子の町。お菓子たちは喋らない。お菓子たちは歩かない。だってお菓子には口も、手も足もないから。あったはずのものが無くなると、初めから無いよりも虚しく感じるのは何故だろう。いたはずの人たちがいない。誰もいない。誰もいない。いるのはお菓子、スイーツだけ……。


「うわああああああああああああっ!」


 無音の町を声だけが駆ける。どこまでも響く。際限なく響く。遮るものが無いから。遮る音が無いから。遮る声が無いから。誰もいないから。何もないから。あるのはお菓子、スイーツだけ。


「うわああああああああああああああああああああああああっ!」

「うるさいビ! 誰ビか? おちおち夢も見てられないビよ!」

「エビカツ! エビカツううぅぅぅぅ!」

「うわ! うわちょい、待つ、待つビ! なんだビか一体!」

「町が! 世界が! 壊れた! ママンも! みんなもいない!」

「へ……?」


 開け放たれた窓から辺りに散らばる大小様々なお菓子たちを見渡して、エビカツは大口を開けたまま絶句した。


「喋ってよ! 黙らないでよエビカツ! 何か言って!」

「……あ、……あー、こりゃ、ひ、ひでービ…………」

「なんで! なんでこんなことになっちゃったのさ! 今までの苦労はなんだったの? もう少しで終わりなんじゃなかったの!?」

「こ、これは……僕が思うに、あいつの……ブッシュ・ド・ノエルの、仕業だと思うビ……。おそらく僕たちがスイーツ四天王の洗脳を解いたおかげで、あいつの……逆鱗に触れちゃったりなんかしちゃったんじゃないビかねぇ……」

「ブッシュ・ド・ノエル……! あの野郎の仕業か! なんで! なんでこんなことができるのさ!」

「多分あぶりたちが魔法女子になるずっと前から、長い時間をかけて力を蓄えていたんじゃないビかねぇ……。もしもスイーツ四天王を使った作戦が失敗してしまった場合に備えて。でも、こんな、こんなことになってしまうなんてビ……」


 未だかつてない未曾有の窮地。今までにない規模で被害が広がっている。その範囲は計り知れない。この町だけか、それとももっと広範囲に及ぶのか、まさか地球上全てとは言わないだろうが……。あり得る、のか? もしかして。そんなことが。

 再び訪れた沈黙を破るように、鋭い着信音が鳴り響いた。


「もしもし! あぶりぃ! セバスチンが! 他の使用人たちもいないの! 外はお菓子だらけだし! 一体何がどうなっちゃったの!?」

「ら、ラビ! 無事でよかった。とりあえず家に来てくれないか? 他のみんなも無事なら集まって話がしたいんだ」


 用件だけを手短に済ませて電話を切ると、すぐさま次の着信音が鳴り響く。


「あぶり! 聞こえてるカ? なんかとんでもないことになっちゃったみたいアル!」

「ラユ子! 無事なんだな。家に来てくれないか。みんなで話したい」


 ラユ子との通話を終え、電話をかける。数回の呼び出し音の後、留守番電話に切り替わったことを告げる定型文が流れ始めた。


「しる子ぉ! なんで! なんで繋がらないの! どこに行っちゃったのしる子ぉ!」

「愛しのしる子ちゃんはここですよ」

「うわびっくりしたあ! てめえ! ふざけてる場合じゃねえぞこら!」

「ごめんね。私の方も、ちょっとまともじゃないみたい」


 しる子は頭に雪を積もらせながら玄関先に突っ立っていた。見ると家まで歩いて来れたことが不思議なぐらい、しる子の足は震えていた。とりあえず、あたいたち四人は奇跡的に無事なようだ。


「エビカツ、スイーツ四天王たちの連絡先ってわかるか?」

「連絡、というより、ここに呼び出すことはできるビ。……無事だったら、ビがね」


 エビカツが無防備に手足をだらりと投げ出して、弛緩しきった状態で空中を漂い始める。その場違いなほど緩みきった姿勢に怒鳴りつけてやろうとしたが、そうする間もなく四つの影が浮かび、やがて実体となった。混乱状態のスイーツ四天王たちが召喚された。彼女たちもまた無事だったようだ。後出しの能力に腹を立てている場合じゃない。









「……こんなことになるなんてね。お上は大変お怒りのご様子だよ」

「こんな力があるなら最初から自分でやればよかったじゃなあい! 私たちをなんだと思ってるのかしらあ?」

「まぁ、そこはあちらさんの事情があったんだろうねぇ。捨て駒みたいに良いように使われてたのは気に入らんけど」

「何にせよ、こうして皆無事だったんだ。それだけでも良しとしようじゃないか」


 スイーツ四天王たちとあたいたちを合わせて八人、それとエビカツが、現状生き残った最後のメンバーらしい。それぞれの話を聞く限り、この町はどこもかしこもスイーツまみれ、あたいたち以外の生き物はみんなスイーツにされてしまったようだ。このままでは食べられるのもおそらく時間の問題、だろう。

 これはいよいよ、誘っているとしか思えない。魔法女子だけを生かす理由などいくつもあるはずがないだろう。やれるもんなら倒しに来いよ、と絶対の余裕で構えているノエルの姿が輪郭までくっきりと見えるようだった。


「食べられちゃう前になんとかしなきゃ! ねぇラビたちはどうすればいいの?」

「ブッシュ・ド・ノエルアル! あいつを斬り刻んでやれば済む話ネ!」

「と言ってもどこに潜んでいるやらわからないじゃない……。はっ、もしかしてエビカツ、また後出しで」

「そんななんでもかんでも知らないビ! でも、それはわかるビよね、元四天王たちなら!」


 期待を込めたエビカツの言葉に少しの間を置いて、ショコルテが頷く。


「やれやれ。元、とはいえお上に対して裏切りを働くことになるとはね。もちろん知ってるよ。なぜなら僕が隠したんだから」










「まさかーーこんな場所にいたなんて」


 灯台下暗し、この場においては用法が違っているかもしれないが、まさにそんな場所に敵の親玉は潜んでいた。正確には灯台の頭部分、灯台が灯台たる所以の動作をする場所に潜んでいたと言うべきか。ショコルテの魔法が解けた今、その姿が露わになる。高い高いこのビルの屋上に、更に高く築き上げられたお菓子の城。どぎつい原色で彩られた……いや、そんな表現では語弊があるだろう。ありったけの色という色でしっちゃかめっちゃかに塗りたくられたセンスの欠片も感じられない外壁は、その下にある建物の格を下げるのに十分すぎる効果を発揮していた。

 決戦の舞台は何を隠そう、高級ホテル「リモネクーヘン」の屋上に聳え立つ悪趣味極まりない城だった。

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