第十五話 たとえ世界を敵に回しても
「まだまだぁ! へばってんじゃねぇ!」
Z・ガトーの先導で始まった早朝ランニングも早三キロ。朝の五時に叩き起こされ何事かと思う間もなく竹を割ったような潔さで謝罪され、そのままの流れで今に至る。洗脳の解けたガトーは実直な漢、いや女性で、平謝りに謝ったあげく罪滅ぼしとしてトレーニングコーチを買ってでてくれたはいいが、時間も時間だし誰もまともに取り合わず、かと言って誰も参加しないなんて事態が許されるはずもなく、結局あたいだけが駆り出されることと相成ったわけだ。
「はぁ、おい、どんだけ走らせるつもりだよ……」
眠気はとうに消し飛んだが昨日の疲れがまだまだ抜け切らない状態で、これ以上走らされるのは勘弁願いたい。
「もう限界か。若いモンは根性が足りんなぁ」俺を見てみろ、と無駄に元気の良さを披露してくる。くそ寒いのに朝っぱらから元気元気と、お前は年寄りか!
「休憩だ休憩! ちょっと休ませてくれよ!」
「仕方ないやつめ。待ってろ、飲み物を買って来てやる」
そう言い残してまだ夜も明けきらない暗い道を自販機求めて駆けていった。十一月も終わろうかという寒い寒い朝だった。
あいつ、いい奴はいい奴なんだけどなぁ。自分が元気だからって相手も元気だと思い込んでいる節がある。そういうところも年寄りくさい。
「さっむ! ビ! ビひっ、ビっくしゅん! なんで僕まで連れ出されなきゃいけないんだビ! 僕は飛べるからランニングなんてしたくないビ!」
「道連れだよ道連れ。あたいだけがこんな目に遭うなんて冗談じゃねえ」
「いい迷惑だビこんちくしょー!」
ぶつくさ文句を言うエビカツだったが、きちんとここまでそのか細い足で走ってきているあたり、存外優しいところもあるようだ。律儀というかなんというか。
「……なーんだビその目は。別にあぶりのために走ってるわけじゃないんビからね!」
「揚げ物のツンデレとか気持ちわりい」
「んなビー!」
漫才をやってると程なくしてスポーツドリンクを両手に持ったガトーが戻ってきた。駆け足で戻ってきた。その体力を少し分けてもらいたい。
「ほら、飲めよ。お前さんも」
「い、いいんビか?」
「もちろんだ。その貧弱な足でよく頑張ったな。根性のあるやつは好きだぞ」
「ビひん! ありがとうビ! 優しさが身に染みるビぃー!」
がはは、と豪快に笑いながらエビカツをわしゃわしゃ撫でる。ついでにあたいもわしゃわしゃされる。揚げ物を撫でた手で触んな! と言い返す気力すらも失せていた。
「しかしだな、その、お前たちには本当に、なんと言って詫びたものか、本当に、申し訳ないことをしたと思っている」
「だーからもういいって言ってんじゃん。こうやってはた迷惑な罪滅ぼしもしてくれてんだし」
「はた迷惑だと? 俺はまた知らないうちに迷惑をかけていたのか?」
本当に心当たりがない、というような目で見つめてくる。マジか、こいつ、マジか。
「……っだー! あーもう! とにかくもう済んだことだ! いつまでも気にすんな! そうやってくよくよ悩んでるのがお前っぽいやり方なのかよ?」
「……いや、違うな。すまなかった。気付かせてくれて礼を言うぞ、縁側あぶり」
改めて深々と頭を下げられるとなんとも居心地が悪く、渡されたスポーツドリンクを飲み干してさっさとこのランニングを終わらせてしまおうと決めた。
「ほら、続きいくぞ! あと一キロだけ付き合ってやるよ」
「ま、待ってビぃー!」
エビカツが慌ててついてくる。ガトーも走り始めたが、残りの一キロは絶対負けてやるもんか。自分でも謎の対抗心を燃やしながらペースを上げる。
ランニングも終わる頃にはすっかり体が暖まっていた。朝焼けを眺めながら帰宅するのも、たまには悪くない。……少し、老けたかな?
「ようようしる子さんよー。朝の風は冷たかったぜぇー」
「はいはいごめんなさい。変な時間じゃなかったら参加してたわよ」
すっかり目の冴えたあたいに対してしる子の顔は疲れきっていた。無理もない。トルテラ、ガトー、おまけに強化試合。ここ数日の連戦は本当に大変なものだったから。
魔法女子として働く非日常と女子高生やってる日常を行ったりきたりするのは想像以上に体力勝負なのだ。前にも増して睡眠学習ばっかだから次のテストが楽しみすぎて胃が痛い。最近はしる子でさえ授業中に眠っていることが多くなった。そのまま底辺村に落ちてくればいいのに。村長として面倒見てやるから。
そんな今日、ラユ子は欠席らしい。一人だけ休みやがって……あんまり戦ってないくせに……。あたいだって休みたいけどうちのママンうるさいからなぁ。勉強できなくてもいいから出席だけは毎日しなさいって何度言われたことか。
ラビについてはよくわからないけど、きっとあの子のことだから頑張ってるんだろう。小学生のラビに負けてたんじゃあまだまだだよな。あたいも、頑張らないと。ちょっとだけ寝てから頑張ろう。ちょっとだけ。
スイーツ四天王も残すところあと二人で、物語はいよいよ終盤に向かっているのだが、少し、ほんの少しだけでいいからちゃんとした休息を取りたいと心から願うあたいであった。
願いも虚しく届かないもんですね。
長かった学校も終わりさあ本気で寝てやるぜ! って勇み足で帰るあたいをなんで邪魔するかね。いい歳して空気ぐらい読んでもらえませんかね。悪役としてここじゃないでしょうでしゃばるタイミング間違えてますよまた後日お待ちしてますね、って言いたい。超言いたい。言ったところですんなり帰るようなタマじゃないのはわかってるよ。わかってるけどさぁ、ほんと頼みますよ、お願いしますよねぇほんと。
「弱ってる時がチャンスだもんねぇ。逃す手はないんじゃない?」
相変わらず薄気味悪いにやにや笑いで立ち塞がるザッハザッハに心底嫌気が差してきた。よりによって今この時に現れるなんて、なんて最悪、最悪過ぎる相手だ。こいつだけは何があっても油断できない。他の四天王とは別格のヤバさがあるこいつに、果たしてあたいはどう対処すればいい? こいつの苦手とする中華魔法が使えるラユ子はこの場にいないし、食い止めるにしても今ここで戦えるのはあたいとしる子だけだし、相変わらずエビカツはあてになんないし。さて……どうするよ。
「おーいあぶり! 遅かったじゃないか! 丁度いい、しる子も一緒に朝の続きをやろう!」
「あんたが味方でよかった! 助けてくれガトー!」
渡りに船とはまさにこのこと。どうやらまだランニングの途中だったらしく、じっとりと汗で湿ったスポーツウェア姿のガトーが暑苦しく現れた。え、なにこいつ朝から今まで走り続けてんの? 馬鹿じゃね? マジで引くわー。でも今はそんなガトーも神々しい王子様みたいに見えてしまうのだから、人間の思考回路って複雑だ。
「おぉ! 誰かと思えばザッちゃんじゃないか! 久しいな。元気そうでなにより!」
「……やー、面倒くさいやつが出てきたもんだねぇ。ただでさえ相手するの面倒なんに……敵に回すとなおさら面倒くさくなっちゃってさぁ。随分、あっさり寝返っちゃってんじゃん? 暴君ちゃん」
「まぁそう言うな。今では俺をなちゅらるでふらっとな状態に戻してくれたあぶりたちに感謝さえしているぐらいだ。ザッちゃんも洗脳が解ければすっきりしてはっぴーになれるぞ!」
「……横文字苦手なくせに無理して使うとこ、みっともなくて前から嫌いやったんよ」
ザッハザッハの顔から笑みが剝がれ落ち、冷たい目でガトーを見据える。旧友にかけるセリフとしてはいささか棘があるようで、先日のことといいこの洗脳をかけたとされるブッシュ・ド・ノエルの思惑が見て取れる。多少なりとも本人の性格によるところもあるだろうが、そこをいたずらに助長している。すなわち、「裏切り者は罰せよ」と。
「ガトー! そいつの言葉に耳を貸しちゃ駄目だ!」
「ピンチなんだビ! ザッハザッハの苦手な魔法を使えるラユ子がいないんビよー!」
「苦手な魔法? そうか、苦手じゃないと効果が無いんだったな。ザッちゃんの苦手な料理と言えば中華だったと記憶しているが」
「生憎チャイナちゃんはいないんだよねぇ。おまけにこれまた面倒そうな洋食のガキもいないしさ。まぁそこを狙い打ちしたんだけど。当然だよねぇ?」
どこまでいっても嫌らしいやつ。この堂に入った悪役っぷりは、たとえ洗脳が解けても大して変わりはしないだろう。
「ん、でも中華だけじゃなかったような。なんせ偏食なザッちゃんのことだからなぁ。すいーつ四天王イチ好き嫌いが多かった。いつか矯正してやろうと考えてたもんだ」
「え、いや、待ちいよ。余計なこと言わんでええよ?」
さっきまで余裕綽々だったザッハザッハから明らかに動揺の色が窺える。……なるほど。さすがは身内だ。それはあたいたちでは知り得ない情報だった。
この分だと焦ってそろそろ足元に喰らいついてくる頃じゃなかろうか。なのでしる子共々臨戦態勢に入る。あらかじめわかっていればなんということはない影の攻撃は、予想通り足元で止まる。
「影踏み、ってな」
踏み付けにされ動きを封じられた義理の影チョコが苦しそうに蠢く。その出どころであるザッハザッハも、まるで影を縫い付けられたように動けない様子だ。
「ぎぃ……っ」
「どうしたの? 飼い犬にでも噛まれたような顔をして。きちんと躾けておかないからこうなるのよ」
動けないのをいいことにぐりぐりと影を踏みにじりながら挑発するしる子も、悪役っぽさではザッハザッハと肩を並べるレベルかもしれない。
「中華以外で苦手な料理ってのはなんだビ! 早く思い出すビ!」
「うむ……なんだったかな。ら、らざにあ? こーるすろー? いや、くりーむしちゅー?」
「全部洋食じゃないビか! だめ! やり直しビ!」
「そうは言ってもだな……なんだったか。横文字じゃないものも確か……」
「ガトォォォオ! てめえ! 余計なこと喋るんじゃねぇぇえ!」
「あら、本性が出始めたようね」
そう言って義理の影チョコを踏み付ける足に一層力を込める。苦々しいザッハザッハの顔を見る限り、どうやらこの影とあいつはなんらかの形で連動しているようだ。まるで自分の手足のように動かせるものが傷付けられるとまるで自分の手足のように痛むって寸法らしい。
「さぁ! 早くするビ! できれば和食とか和菓子とか都合のいいやつを頼むビよ!」
「そうだな……おお! そういえばザッちゃん、前に居酒屋に行った時俺に押し付けたものがあったなぁ。あれはええと……そうだ、確か枝豆だ!」
「くらえ枝豆目潰し!」
二本の指で形作ったピースサインをザッハザッハにめり込ませる。新鮮な枝豆の青い香りが広がって、自然と飲んだこともないビールが欲しくなる。世のお父さん方はこんな気持ちなのかなぁ、などと感傷に浸ろうとするも、即座に飛んできたつんざくような悲鳴に掻き消される。
「いってえぇぇ! くっそ! くそがぁぁ!」
もはや外聞もなく喚き散らすザッハザッハにかつての余裕は失われ、辺り構わず残った数本の影チョコを叩きつけ、振り回し、全身で地団駄を踏む。降り注ぐキャンディケーンが荒れ狂うチョコたちに楔を打つ形で無理矢理その動きを封じる。四方八方に伸ばしていたせいで今や全くと言っていいほど身動きのとれなくなったザッハザッハは、もはやただの的だ。攻撃手段を失って第二、第三の矢が飛んでくるのを黙って待っているしかない憐れな的と化している。
「許せザッちゃん、これもお前のためなんだ。それから……食後に頼んだでざーと、あれは意外だったからよく覚えてるぞ。俺のみたらし団子をかたくなに拒んだよな」
「25口径、みたらし! あの時の恨みを込めてあげるわ!」
これでもかとしつこく連射されるみたらし団子を全て顔面で受け止めざるを得ないザッハザッハはもう涙目だ。磔にされて立て続けに嫌いな食べ物の集中砲火を浴びせられる様はさながらいじめられっ子を見ているようで、あまり良い気はしない。だが、しる子は以前散々殴られた恨みを根にもっているのか射撃を止める気配もない。今のしる子はあたいにもちょっと止められないわ。単純に怖い。
「ぐぅ……っ! ちくしょう! くそがくそがぁ! そんなもん食わせんじゃねえよド畜生がぁぁぁ!」
「ビっ……ちょっと怖くなってきたビ」
「あれが本音だよザッちゃんの。やれ、仲間内でも仮面を被ってからに。彼女は人と接することに酷く臆病でな、心を閉ざして立ち入ろうとした者には容赦無く牙を剥く。俺も何度もやられたよ。でも俺は諦めない。何故かわかるか、なぁ、ザッちゃん」
優しく語りかけるように近付くガトーの手には、小ぶりな緑色のキャンディケーンがちょこんと乗っている。小刻みに震えながらそれを見上げるザッハザッハの目が恐怖で見開かれるも、ガトーは歩みを止めない。
「お前がなんと言おうとな、お前になんと思われようがな、俺は、ザッハザッハという一人の人間を心から愛しているんだよ。だから、そんなお前を苦しめている洗脳など、俺が解いてやるから安心しな」
その薄荷味のキャンディケーンを口に含むと、ザッハザッハの目から涙が溢れて零れ落ち、背中の方からゆっくりと黒いもやが抜け始めた。
「わ、たしを、愛してるなん、て、言わない、でよ。……誰も、誰も私を愛してなんてくれるはずない。……敵しかいない。お前たちはみんな、みんな……敵だ。愛が込もった料理だって……? 笑わせる……とんだ茶番だよ。料理に愛なんて込められない。料理なんてただカロリーを摂取するだけのものだ。……それだけなはずなんだ。それなのに、なんで、涙が……止まらない……」
「それでいい。それでいいんだザッちゃん。少しずつでいいから、前を向いて、歩いていこうな」
ガトーに頭を撫でられ放心状態になると同時に、ザッハザッハを中心に伸びた義理の影チョコの姿も薄れ、見えなくなった。
「こ、これで終わったのか?」
「おそらくビ。あの黒いもやもやが出ていったから多分大丈夫ビよ」
「それにしても、ね。随分とロマンチックなシーンを見せつけられたものだわ」
「まさか世の中に『愛情の込められた料理』、が苦手な人がいるなんて思いもしなかったビねぇ……。しかしキャンディケーンって料理と言えるビかね?」
「そういう頓珍漢なこと言ってるとモテないわよ」
「なんかよくわかんなくて釈然としないけど、とりあえずエビカツはモテねーだろうな」
「なっ、ビっ! ど、どうやったらモテるようになれるビか! 教えてほしいビぃー!」
事情はうまく飲み込めない形となってしまったが、ひとまずこれで終わりだろう。ザッハザッハとそれに寄り添うガトーを見てると、友達というよりはなんだか親子のように見えなくもない。母親がどっちかは、あえて言わないでおく。ここで見当違いに騒ぎ立てるエビカツの無粋さぐらい、あたいにもわかるようになってきた。少しは成長できてるのかな、あたいも。




