好きだよ! 長浜
今日は、楽しい村祭りです!!
ビールとフランクフルト美味しかった!!
というわけで、投稿いたします。
その後も、ねねのおすすめスポットを散策していく。
長浜八幡宮、舎那院。
ここに曳山が、十二基ずらりと並んだら壮観だろうな。
(最近は三基が持ち回りで演目をするそうだ。)
とりあえず神社だし、お参りをしないとな。
今日はお賽銭を奮発した。
(もしも五円玉を投げ入れるところを、ねねに見られては恥ずかしいからな。)
普段あまりやらないが、おみくじもひいてみた。
いちおう、『大吉』だったのでホッとしている。
財布に大事に保管しておこう、縁起物だしな。
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妙法寺(秀吉の長男秀勝公の菩提寺)
「この秀勝(石松丸)の誕生が曳山の発祥で、今に続く伝統につながっているんだな」
「太閤さん(秀吉公)は、それはもうたいそう喜んだそうよ」
「俺、信長の子が養子になったと思ってた」
「それも間違いではないわ、石松丸さまは早く亡くなられたから、信長公の四男が(於次)秀勝となったの」
「もし彼が普通に成人していたら、歴史は変わっていたのだろうか?」
「その答えはないわ、あるのは亡くなったという事実だけよ」
「話としては面白いんじゃないかな」
「それに関しては、『山田ひさまさ氏』に期待するといいかもね」
「誰それ?」
「長浜好きなら、覚えておきなさい!!」
あれ!いつの間にか、ねねに『長浜好き』に認定されている?!
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長浜の町は大変おもしろい。
歴史の名残りが今に息づいているが、それだけでは無かった。
大きな万華鏡もあった。
手作り感が半端ないが、それでも日本一らしい。
まちなかのそこかしこに飾られている、クリエーターたちの斬新な作品。
一方では、歴史を感じさせる古道具・骨董品が店先に並べられている。
ガラス館やオルゴール館があるおしゃれな通りもある。
女の子が好む縮緬を使った小物や、かわいらしい雑貨も工夫を凝らして並べられている。
その傍ら、少しぶらりと歩けば、お惣菜にお野菜も売られている。
途中で買ったメンチカツも、なるほど旨かった。
老舗のお魚屋さんも、土産物屋に混じって、軒を連ねている。
観光客に『うなぎの蒲焼(ご飯なし)』は、少々敷居が高いとおもうが・・・・・・、
店頭で揚げられている『湖魚の天ぷら』には食指が伸びる。
俺も思わず買ってしまった。(ついでにビールも欲しくなる美味しさだった。)
「失礼!」
店内に入ろうとする客が、俺にひとこと声をかけ通ってゆく。
「あ、どうも」
観光客が並んでいて、俺が入り口をふさいでいたのだ。
「ごめんくださ~い」
観光客に紛れて、地元の人が蒲焼と肝焼きを買っていく。
長浜の町の人の生活も、ここにはしっかりと溶け込んでいるのだ。
美味しいと評判で行列が出来る名店なのに、表に出ているメニューの値札を見てみると。
普通のランチよりも、安かったりして驚かされる。
長浜ではいいモノ、美味しいモノが人気なのである。
変に気取っていない、自然体である。
「いい雰囲気だ、落ち着くなあ」
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長浜には、伝統と革新(新機軸)が背中合わせに同居している。
古いものを大切にしつつも、新たなものにも目が無いというのが、
『長浜の町衆の心意気』なのだそうだ。
北国街道の風情を色濃く残す通りには、とり分け古い町屋とお寺が残っている。
が、そのすぐ近くには『長浜タワー』が存在している。
東京タワーができてすぐに地元の資産家が「長浜にも欲しい!」と造ってしまったそうだ。
ねねに教えてもらわなければ絶対に見落としていたと思うし、昨日までの俺ならば鼻で笑っていたかもしれない。
でも、『長浜の町と人』を知ってしまった今、とてもいとおしく思ってしまう。
古くて新しいモノは、ほかにもあるようだ。
線路を挟んだ反対側に『長浜旧駅舎』がある。
旧長浜駅舎は、初代長浜駅。現存するものとしては日本最古の駅舎らしい。
ただそれだけではない、第1回鉄道記念物に指定されている。
1882年、北陸線の始発駅として建設された。
もちろん政府が主導したのだが、長浜の民は積極的に協力したそうだ。
まだ憲法も発布されていない時代に、早々と鉄道という新しい物に価値を見出し取り入れているのである。
(ちなみに東京馬車鉄道(新橋 ~ 日本橋)が開業したのも、この年だそうだ。)
東海道線(新橋駅~ 神戸駅間)の全線が開業したのは、1889年だ。
本当に新しもの好きなんだな。
でも、単に新いモノに飛びつくだけの”底の浅い輩”ではない。
時代が終わり、古くなっても。
それはそれとして、大切に残しているのだ。
ねねは、長浜の歴史をよく知っている。
話を聞いていると、とてもおもしろい。
江戸時代、この地域の中心は言うまでもなく『彦根藩』である。
”ひこちゃん”が有名だから知っている人も多いとおもう
徳川政権下では、旧豊臣方の影響が強かった『長浜の町』は、不当に冷遇されたそうだ。
湖北のまちは、細かく分断されていくつもの藩に”おこづかい”として与えられた。
極端な話。
一つの村が、いくつもの藩やお寺にそれぞれ個別に年貢を収めていた所もあったらしい。
それほどまでに徳川家に警戒されたのには、理由がある。
今でも『太閤さん』と親しまれつづけている『豊臣秀吉』の人気が怖かったのだろう。
そして、長浜出身の『石田三成』の存在があげられる。
二人の英傑は、長浜の町をこよなく愛したのだ。
町衆もそれに応えた。
天下を手中に収めた後、大坂城に移った秀吉であったが、
長浜の町を『我が故郷』と呼び、生涯大切にしたそうだ。
長浜の町衆も何かのお祝いの度に大坂まで馳せ参じ、一緒に祝ったという。
江戸時代の徳川・井伊家の時代でも、密かに太閤さんを祀っていたそうだ。
ここまで来ると、まるで長崎の隠れキリシタンみたいだ。
なるほど、本当におもしろい
こんなことガイドブックにだって、ここまで詳しくは載ってやしない。
どこまでが本当で、どこから脚色・あるいは誇張された伝承かはわからないけれども。
町の人々は、代々真剣に子供や孫に伝え聞かせたんだろうな。
まるで見てきました、といわんばかりに熱く語る”ねね”の姿をみて。
俺は、「この町は歴史が今も息づいているんだ」と改めて感じるのであった。
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長浜の町を散策し堪能した。
そろそろ夕食の時間となったので、ねねおすすめのお店に行く。
メニューを見ることなく、おすすめの『のっぺいうどん』を注文した。
ねねは『ビワマスの丼ぶり』を注文していた。
やがて、おかみさんが品物を持ってきた。
「どれどれ」
大きな椎茸がまるごと豪快に入っていて、思わず目が点になる。
俺が唖然としたのを見て、ねねが笑ってしまった。
「ふふふっ」
「ねね、謀ったな!!」
「食べもしないで文句をいわないでよ、若さ故の過ちと思って食べてみなさい!!」
たしかに美味しかった。
「あのね、『しいたけ』は、松茸よりも貴重な食材だったのよ!!」
「え、ウソ。マジで!!」
「まじよ! 歴史好きなら押さえておかないとね」
「なんで?」
「もしも、戦国時代に転生やタイムスリップした時、これを知っていれば・・・・・・多分生きて行けるわ」
「そんな大げさな」
「なろう小説では、鉄板よ!!」
「・・・・・・」
これが言いたかったから、『のっぺいうどん』にしたに違いない。
よくは分からなかったが、大事なことらしい。
とりあえず、帰ったら調べてみよう。
ついでに、本屋に寄って『太閤記』も買おう。
楽しい時間は、過ぎるのが早い。
町は早くもその賑わいが失せたかのように、静けさを取り戻してゆく。
まだ夕暮れでもないのに、次々と店が閉められていく。
田舎の観光地の夜は早い、そろそろ飲み屋が活気づく頃合いだ。
「……まだ時間いい?」
最後に連れらて来たのは、『豊公園』
そして、目の前の『琵琶湖』
さすがに日本最大の湖というだけあって大きい。
かすかに霞んで見える対岸。
雲が薄くかかり、あざやかな緋色に輝く夕焼けが美しい。
俺は、声もでなかった。
「また、来られる?」
ためらいがちに尋ねる ”ねね” に、俺はこう応えた。
「今日は、とても楽しかった。 最後に聞いていい?」
「うん」
寂しそうに顔を伏せるねね。
「最後に、おすすめの宿を教えて。そして、できればもっと長浜のことを知りたいな!!」
「えっ?!」
「明日もいいかな?」
「……」
彼女の返事はあまりにも小さくて、湖岸に打ち寄せる波の音にかき消されてしまいそうだ。
でも、夕焼けに照らされた彼女の表情が、雄弁に俺の気持ちに応えてくれた。
しばらく互いを見つめ合い、そして口を開く・・・・・・。
「「 明日も晴れるといいね!! 」」
『長浜ものがたり』 長浜城下町編 fin
あとがき
『しいたけネタ』をご存じない方・知りたい方は、なろう小説の歴史物(転生・転移)をお読みください。
『長政はつらいよっ!』にも書いてあります。
長浜が大好きな”ねね”ならば、きっと読んでくれているハズです。
物語は、まだまだ続きます。
※おみくじの内容が気になる方は、ぜひ長浜八幡宮へお参りください。