昼飯どき
汚れてもいない部屋でも掃除しようかと、午前中いっぱいテレビを見ていたミナがソファから立ち上がったのと、前場が終わってヒロが部屋から出てきたのはほぼ同時だった。
「あ、ヒロさん」
「ん?」
部屋から出てきたヒロは、ミナのことを忘れていたのか、一瞬ミナの顔をじっと見つめ、眉をピクリと動かせると思い出したかのように口を開いた。
「あぁ、ミナちゃん?」
「……ヒロさん、忘れてた?」
「忘れてなどいない。ただ前場が終わったんで一息つきすぎていたところだ」
「まぁそれならそれでいいけど」
ヒロの下手くそな言い訳に、ミナは諦めたように言った。
「どうだった? 昨日はよく眠れたのか?」
「おかげさまで。ヒロさんはこれからお昼なんでしょ?」
「そうだ」
「一緒に行ってもいい?」
「それは構わないが……」
そこで区切ると、ヒロは上着のポケットからスマートフォンを取り出すと、何か操作し、画面をミナに見せた。
「…………」
「カズからだ」
ミナはムッとしたような雰囲気を醸し出しながら画面を見た。
そこには『あいつが学校に行ってなかったら、お前からも何か言ってやれ』という旨の連絡がカズからヒロへと送られていた。
「何か学校へ行きたくない理由でもあるのか?」
「得意の水晶玉で見てみたら?」
「あいにく私の都合で水晶玉を見ても何もわからない。水晶玉から語りかけてくるのを伝えているだけだ」
一応嫌味のつもりで言ったのだが、ヒロへの効果はあまり見られなかった。
ヒロはミナの表情から何かを読み取ったのか、スマホをポケットにしまい、玄関へと向かった。
「とりあえず空腹を満たそう。行きつけの定食屋だが、構わないか」
「……うん」
トトトトと小走りでミナはヒロに続いて玄関へと向かった。
周りはランチ商戦と言わんばかりの価格競争や呼び込み、ボリューム勝負なんかが繰り広げられている飲食店が集まっている地域のようで、昼食を食べる場所を選ぶには困りそうになかった。しかしヒロはそんなものには目もくれず、少し外れたそういう賑やかなところから隔離されたような場所にある古びた定食屋へと足を運んだ。
暖簾をくぐってガラガラと扉を開けると、外装通りの古びた内装で、4人掛けのテーブルが4席、カウンターが4席という、とても小さなお店であった。ミナは外見で見るや否や、味に不安を覚えた。
ヒロはテーブル席の一つに座ると、ミナもそれに倣ってヒロの向かいに座った。
扉の音を聞いて出てきたのは、おしぼりとコップに入った水が乗ったお盆を持った、曲がった腰が印象的なおばあさんで、カウンター越しの厨房から腰の曲がっていないおじいさんが顔を出した。
「あらあらいらっしゃい。いつもありがとうね」
「いやなに、美味しいから来ているだけだ」
「そう言ってくれると主人も喜ぶよ。ねぇ、アンタ」
笑顔で対応しているおばあさんがそう厨房へ言うと、厨房からは声は返ってこず、代わりにコンロに火をつける音が聞こえた。
「今日は可愛いお客さんも一緒なのねぇ」
「えっと……」
「私はいつもので。ミナちゃんは何を食べる?」
「わ、わたしも同じやつでっ」
おばあさんは笑顔で『毎度どうも』と言うと、奥へと下がって行った。
ミナはホッと一息つくと、ヒロに尋ねる。
「ヒロさん? いつものって何?」
「生姜焼き定食だ」
「生姜焼きか。良かった」
内心、変な食べ物だったらどうしようかと思っていたのか、またホッと一息ついた。
「そんなにおいしいの?」
「うむ。私が食べた中では一番美味しい店だ」
「へぇ。お店は見た目で判断しちゃダメなんだね」
「何事も視覚を頼りすぎてはいけない。五感すべてと知識を使って判断する。それが人間だ」
ドヤッとそういうヒロに対して、ミナは大人の余裕ってやつを感じた。
しばらくしてやってきた生姜焼き定食をぺろりと平らげると、会計を済ませて店を後にした。
「ミナちゃん。一つ聞いてもいいか?」
「なに?」
「どうして学校に行かない? 高校生だと聞いていたが、学生という期間の中でも高校生という期間はごくわずかだ。些細な理由で学校に行かないのであれば、その理由を知りたい」
「……言わないとだめ?」
「単なる好奇心だ」
「好奇心……。よくわかんないけど、ちょっと行きたいところがあるの。いい?」
ヒロは腕時計を見て何か考えていたが、ミナを見て頷いた。
その時計を見た仕草で気が付いたのか、後場が始まる時間だと察したミナ。
「あっ、その、一人でも行けるから」
「心配いらない。今日の後場はそこまで動きがなさそうな気がする。だから気にすることはない」
ミナは何か言いたそうにしていたが、それは口には出さなかった。
「それでどこへ行くのだ?」
「駅」