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光のもとでⅠ 第十章 なくした宝物  作者: 葉野りるは
本編
7/58

07話

 ――「ごめんなさい」

 ――「せっかく気づいたなら『ありがとう』って言ってよ」


 ――「ごめんなさい……」

 ――「そんな言葉が聞きたいんじゃない」


 これ、なんの夢だろう……。誰との会話なのかな……。

 自分が謝っていることはわかるのに、相手には霧がかかっていて顔がわからない。でも、どこかで聞いたことのあるような声。

 自分が出ている夢なのに、私は空からその光景を眺めているような感じで、まるで映画のワンシーンを見ているようだった――。


「寝覚めが悪いって、こういうことをいうのかな……」

 頭の中で繰り返されるのは、「ごめんなさい」と謝る自分の声。それに答える声は同じなのに、全く違う声音で二種類……。

 自分が持っていたはずの記憶の一部なのだろう。そうは思うのに、それ以上はどうしても思い出せない。

 基礎体温を測り終え、カーテンを開けるためにベッドを下りた。

 先生がいいと言うのだから動いてしまおう。

 九階の個室は、今まで使ったことがある個室よりも、明らかにランクの高い部屋だ。何せ、部屋の中を歩く余裕があるのだから。

 ソファもあればローテーブルもある。ベッドもシングルよりは少し広めで鉄パイプでできたベッドではない。

 冷蔵庫もボックス型の小さなものではなく、一般家庭にあるものよりも少し小さい程度。

 そんな部屋を窓際から見渡していた。

 いつもなら藤原さんがホットタオルを持って入ってくる時間だけど、その気配もない。ということは、藤原さんは通常業務に戻ってしまったのだろう。

「 本当にいなくなっちゃったんだ」

 病室のドアを見ながらしんみりしていると、そのドアが軽快にノックされた。

「はい……」

 そっと開いたドアから、

「翠葉ちゃん、おはようっ!」

「えっ、栞さんっ!?」

「そうよ! 今日からはここで看護師さんだからよろしくね」

 明るく言われ、まじまじと栞さんの出で立ちを凝視する。

 初めて見る、ナース姿の栞さんだった。

 膝丈の白いワンピースがとてもよく似合っていて、髪の毛は後ろでひとつにまとめられていた。

「なんだか浮かない顔をしてたけど、何かあった?」

 さすがは栞さんだ。毎日のように顔を合わせていた人だからこそわかる表情の変化だったと思う。

「変な夢を見てしまって……」

「変な夢? ……でも、翠葉ちゃんが見る夢っていつも脈絡なくて変な夢ばかりよね?」

 確かに、私が見る夢はいつも脈絡がなく、変な夢ばかりだ。でも、今朝のはちょっと違う。

「たぶん、なくした記憶の一部だと思うんです。でも、思い出せないし、話している相手も誰だかよくわからなかった……」

「そう……。焦らなくてもいいんじゃないかしら?」

 こちらを気遣うように口にした栞さんは、

「まずは身体を拭いちゃいましょう?」

「はい」

 私はベッドの上でルームウェアを脱ぎ、背中など、自分では拭けない場所を拭いてもらった。

 着替えには自分のルームウェアではないものを渡される。

「相馬先生からこれを着るように、って」

 渡されたものは、前はファスナーで、背中側はマジックテープで止まっている着衣。

「鍼の治療のときにはこういった服装がいいんですって。鍼は背中や胸、お腹にも刺すから普通のパジャマだと全部脱ぐようだから、って。一応気を遣ってくれてるみたいよ?」

「おいおい、そりゃないだろ。一応どころかめちゃくちゃ気ぃ──」

「きゃあああっっっ」

 私は絶句し、栞さんが絶叫した。

「おぉ、悪ぃ」

「気を遣っているのなら、病室に入るときにはノックくらいしてくださいっ」

 ドアの方を睨む栞さんを傍目に、私はいそいそと着替えを済ませる。

 下は膝丈までの締め付けのないパンツだった。色は少し濃いピンクで、変な服装だけどかわいく見えなくもない。

「そろそろいいかー?」

 廊下から声がして、

「大丈夫です」

「悪かったな。着替え中だとは思わなかった。……といっても、自分の年齢半分以下の嬢ちゃんに興味はないがな」

「私だってなんでもないですっ。ただ、さっきはちょっとびっくりしちゃっただけだもの……」

 紫先生にはいつも心音を聞いてもらっているし、楓先生にだって局部麻酔の治療を受けるときには上半身裸で打ってもらっている。昇さんにだって全身にブロックをしてもらっていたのだ。今さらそこに相馬先生が増えたところで何も変わりはしない。

 何より相手は先生なのだ。異性という前に、先生だから問答無用。それが当たり前。

「……問答無用の当たり前なのに、こういうの用意してくれるから……だから優しいと思っちゃうんですよ……」

 顔を上げると、どこか優しい顔をした相馬先生がいた。

「嬢ちゃんは気苦労耐えそうにねえな? 調子はどうだ?」

「悪くはないです」

「よし、じゃ、少し院内散歩に行こうぜ。朝飯前の運動だ」

「はいっ!」


 相馬先生と廊下を歩く。

 九階が静かなのは当たり前。患者は私しかいないのだから。私と相馬先生と栞さん、そして時々掃除のおばさんが通るくらい。

 ほかの階は検温が始まって、みんなが起き出す時間で少し慌しい頃だろう。しかし、さすがに朝の中庭というのは人が少ない。いてもひとりかふたり。

 公園のように見えなくもないけれど、公園とは少し違う。

 朝の公園といえば、ペットを連れていたり、はたまた新聞を読んでいる人がいるけれど、病院では売店がまだ開いていないし、病院内にペットがいるはずもない。それぞれ、何をするでもなくぼーっと座っている人もいれば、ここで知り合ったのか、朝の挨拶を交わしている人もいる。

 そんな場所に、私と相馬先生のデコボココンビ。なんともいえない組み合わせだ。

「あのな、昨日のお姫さんとナンバーツーのこと、オフレコらしーのさ」

 先生はそんなふうに話を切り出した。

 栞さんが来てすぐに私を連れ出したということは――。

「栞さんには秘密、ということですか?」

「頭の回転はいいみたいだな」

 先生はニヤリ、と笑った。

「どうやら、栞姫へのサプライズでもあるらしくてよ、今朝五時に昇からの電話で起こされて得た情報」

「……どうして朝の五時?」

「俺が似たようなことをしたから仕返しされた」

 先生はケケケ、と笑う。なんだかそこら辺にいるいたずらっ子と変わらない笑顔。

 極悪人みたいな顔をしているのだけど、笑うと普通。普通というか……たぶん格好いい人なんだと思う。なのに、どうしてこんなにも印象が悪いのだろうか。

 もったいない……。

 思わずため息がもれる。

「なんだよ、ため息なんてつきやがって」

「……本当は優しい人だし笑うと格好いいのに、どうして第一印象が最悪なんだろう、って悩んだだけです」

「くっ、嬢ちゃんは相変わらず正直だなぁ」

 先生は身体を折り曲げ、右膝を抱えて柄悪く笑う。

「そのほうがいいこともあるぜ?」

 と、私よりも少し下から顔を覗き込まれた。

「いいこと……ですか?」

「第一印象で人を決め付ける人間なんざお払い箱だ。中身をきちんと見ようとしている人間にしか自分を見せたくねぇ」

「それでこんなに捻くれた性格なんですか?」

「はははっ、嬢ちゃんはまだ若いからなぁ……。こういうのはまだわかんねぇかもな」

 そうは言いつつも、きちんと話をしてくれた。

「肩書きやお家柄、そんなものだけで人を見てるやつらってのがいるわけだよ。そんなの面白くもなんともねぇだろ」

 肩書きやお家柄――。

 残念ながら、私にはそんなものはない。

「ほかにも、過去の栄光に縋りたいヤツだとかな。そんなのクソ食らえってんだ。今を見ていないやつら、自分の中身で勝負をしていないやつらほど嫌いな人種はねぇな」

 口はすごく悪い。言葉だって曲がりなりにもきれいとはいえない。でも、相馬先生の言葉には嘘がない。

「……それ、少しだけわかるかも」

「お? 話してみろや」

「……身体弱いの……中途半端に知られていると、それだけで病弱って言われちゃうし、それだけでおとなしい子って決め付けられちゃう。本当の自分を見てもらう前に評価が決まっちゃう感じ……。そういうのは経験ある」

「あぁ、そういうのと変わらねぇな」

 先生は本当に面白くなさそうに話す。

「私はね、はしゃいだりするタイプの人間ではないかもしれないけれど、おとなしくてなんでも言うことをきく子でもないと思う。でも、周りはそういうふうに思っていて、知らないうちにそれに流されてる自分もいて……」

「嬢ちゃん、それじゃダメだ。それじゃ周りのやつらと一緒になっちまう」

「……はい。今ならそれが少しわかる。高校に入ってから、周りの環境が一気に変わったから……」

 桃華さんや海斗くんには、「嫌だったら嫌だって言え」と言われた。「自分で断りなさい」と言われた。

 自分をこういう子、と決め付けられずに、きちんと私のことを見てくれる人たちがいた。だから、今の自分がここにいる。

 それはとても簡単そうなことで、全然簡単なことではないのだ、と今さらながらに思い知らされている。

「私、相馬先生が好きかも」

「くっ、面白れぇ嬢ちゃんだな。なんなら俺と結婚するか?」

「しないです」

「ははっ、即答かよ」

「だって、先生は湊先生が好きなのでしょう?」

「昔はな。今は誰っていうのはいねぇな。……また、自分の中身を見てくれるお姫さんを探すさ」

 それは――。

「湊先生も相馬先生の中身を見てくれた人だったっていうこと?」

「そう、あっちは覚えていないけどな」

 ちょっと知りたい……。でも、訊かないでおこう。

「いつか話してやるよ」

 先生はそう言って立ち上がり、「ゆっくり立てよ」と私に手を貸してくれた。

 絶対に慣れないと思った。でも、この手は怖い人の手じゃない――。

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