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光のもとでⅠ 第十章 なくした宝物  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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34 Side Akito 01話

 彼女にメールを送ったのは十日の夜だった。

 もっと早くにメールを送りたいと思っていた。でも、遅れなかった――。

 自分の気持ちを落ち着けるのに時間が必要だった。

 八日、彼女が目の前で倒れるのを見て、心臓が止まるかと思った。咄嗟に手を伸ばしたけれど、点滴の管は抜けてしまった。

 彼女は廊下に出ることもできず、目の前が見えているのかも怪しい状態で、必死に司に言葉を伝えようとしていた。涙を流して叫ぶように。

 あんな大声を出す彼女を初めて見た。

 こんな状況ですら、俺は司に嫉妬した。情けないけど、それが事実。

 意識を失った彼女は相馬先生に抱えられ、十階に備えられている処置室へ運ばれた。

 俺はその場にいたかったけど、

「私たちにできることはない。あとは彼らに任せよう」

 静さんに促され、エレベーターに押し込められた。

 俺は十階から一階まで直通のエレベーターに乗せられ、蒼樹や湊ちゃんたちと会うこともなく帰された。もっとも――蒼樹に会わせる顔など持っているはずもなかった。

 司には知らせる気になれず、俺からは知らせていない。静さんから連絡が入ったのかも知らない。


 マンションに戻れば蔵元がいた。

「会いたかった姫君にようやく会えたのでしょう? なんて顔をしてるんですか」

 誰にも吐き出せないと思ったけれど、蔵元には話せた。

「そうでしたか……。藤原さんもずいぶんと酷なことをなさいますね。秋斗様にも司様にも、翠葉お嬢様にも……」

 蔵元に言われて気づいた俺はバカだと思う。

 そうだ――あのとき、つらかったのは俺だけじゃなかった。司だってつらかったはずだし、翠葉ちゃんは記憶がないとはいえ、再現している俺の気持ちを考えないような子ではない。

 わからないといいつつも、思い出せなくてごめんなさい、言わせてごめんなさい、と謝る子だった。

「蔵元……俺が海底まで沈んだら引き上げてくれない?」

「丁重にご遠慮申し上げます。……やですよ、こんな重いの」

「……くっ、ははは! 確かにな、俺重いわ」

 蔵元は俺を上司扱いすることから言葉こそ丁寧だが、最近はそれに加えて毒も吐くようになった。人との距離が縮まるのってこういうことをいうのかもしれない。

 電子音が室内に響くと、蔵元がポケットから携帯を取り出し応じる。

「――はい、蔵元です。……あぁ、帰宅してる。――そうか、わかった。伝えておく」

 ……若槻か?

「唯からです。翠葉お嬢様、まだ意識は戻りませんが、バイタルは安定し始めたようです」

 良かった……。

 すぐにノートパソコンを立ち上げ、彼女のバイタルをチェックする。

 携帯でわかるのは今現在のバイタルであって、過去に遡ったバイタルはパソコンやモバイルディスプレイからじゃないと見ることができない。

 今日の昼過ぎからのデータを見て愕然とした。

 彼女のデータでこんなに高い血圧数値を記録したのは、夜中に発作的な頭痛を起こしたときだけだったと思う。だが、今日の数値はその日よりも高いものだった。

 ほかに気づくことといえば、脈の著しい変化――。

 それがどういうことを示すのか、具体的なことは俺にはわからない。けど、司にはわかったのだろう。だから、話を早く終わらせようとしたんだ。

 切り上げて後日、というルートを選択しなかったのは、彼女の気持ちを優先してのこと。

 ――俺にはできない芸当だな。

「秋斗様、落ち込む暇があるのなら、これを今日中に片付けてください。それから、こちらには明日中に仕上げてもらわなくてはいけないものもあります」

 差し出されたのはUSBメモリ。

「そうだな……仕事しないと」

 何かしていないと自分がどうしようもない人間になってしまいそうだった。

「蔵元……ありがとう」

 USBメモリーを受け取り、仕事部屋へと席を立った。

 今は陽のあたる場所になんていなくていい。

 彼女だって陽のあたる場所にはいないのだから……。


 八日の夜には意識が戻ったと若槻からメールが届いた。

 そのメールにすら、なんて返事をしたらいいのかわからなくて、「すまない」の一言しか返信できなかった。そしたら、「リィはそんなに弱くない。 By 兄貴s」という返事がすぐに届いた。

 そんな言葉に救われつつ仕事に打ち込む。彼女のバイタルを耳にしながら。

 この部屋には、常に彼女の心音と連動している音が鳴り響いている。どんなに膨大な仕事があっても、それを止めることはできなかった。

 ただ、彼女を感じていたくて。離れていても、彼女の存在を感じていたくて。

 十日になって携帯を開いた。

「もう意識は戻っている。……司は今日も行ってるんだろうな」

 彼女が心配なのに、どうしてか司のことも気になって仕方がない。嫉妬であることはわかっている。それでも、その気持ちを止める術を知らなかった。

 でも、彼女の気持ちの負担になるのはもうこりごりだ。だから、勇気を出してメールを送った。



件名 :大丈夫かな

本文 :話を聞いて負担になっていないと

    いいんだけど……。

    思い出してほしくないと言ったら

    嘘になる。

    でも、今までの記憶があってもなくても、

    今からの関係にはなんの障害もない。

    君はそのままでいいから。

    あまり考え込まないでほしい。

    考えるあまりに会えなくなるのなら

    何も考えてほしくはない。


    翠葉ちゃんに会いたい。

    寝てる君でもいい。

    ただ、君に会いたい。



 自分の気持ちを押し付けているにすぎないメール。

 考えても考えてもこれしか出てこなかった。

 もっと気の利いた文章を考えられないものかと自分の頭を恨む。けれども、どんなに頭を捻ろうと、感情が前面に出てしまう。

 モヤモヤした感情を抱いたまま、そんなメールを送ってしまった。そして、今日も返信はない。

 バイタルを見て理由はわかっていた。

 発作を起こしている。それも、かなり頻繁に。

 自分のメールがきっかけだったらどうしようか……。

 送ったメールをすぐに後悔した。

 ストレスが彼女に良くないことは知っている。もう、メールも電話もできないと思った。

 彼女の発作は入院する前の状態と変わらなかった。

 病院にいるから、と安心出来るようなものではなかった。

 病院にいるのになぜ――どうしてこんな状態が続く……?

 数時間置きにどうしてこんな発作が起きるんだ。

 自分には何もできない――。

 それがつらかった。

 湊ちゃんに状況を訊けば、

「現状、循環器のほうは問題ないの。今は私も何もできないのよ」

 ここにも何もできずにヤキモキしている人間がいる。そう思うことで自分を保つことができたと思う。

「入院時にしていた治療を再開するって相馬が言ってたわ。専門医との調整もだいぶ前からやってるみたいだし――大丈夫よ」

 湊ちゃん自身も自分に言い聞かせるように口にした。

 あえて、司のことは訊かなかった。訊けなかった、というほうが正しい。

 こんな状態でも、司が側にいることを彼女が受け入れていたら太刀打ちできない気がしたんだ。

 俺は――彼女が苦しんでいるというのに、そんなことを考えてしまうような人間だった。


 十三日の昼過ぎ、朝方に寝た俺は、携帯の着信音で目が覚めた。

 着信音が「Close to you」――。

 彼女からっ!?



件名 :ありがとうございます

本文 :記憶はまだ戻りません。

    この先戻るのかもわかりません。

    でも、ひとつだけわかったことがあります。

    ツカサと話をしていたら大切だと思いました。

    一緒にいて楽に呼吸ができました。

    たぶん、秋斗さんとも会ってお話をしていたら、

    そういう気持ちを感じることができるのだと

    思います。

    だから、私に時間をください。

    秋斗さんと会ってお話をして、

    また大切な人と思えるまで時間をください。

    きっと、また大切な人だと感じることが

    できるはずだから……。


    今は薬の副作用がひどくて

    身体を起こすことができません。

    それでも良ろしければいらしてください。



 色んな意味で涙が出そうになった。

 司が彼女の側にいることも、司を大切だという彼女にも。

 それから、彼女が俺とも時間をかけてもとの関係を築こうとしてくれていることにも――。

 彼女が伝えようとしてくれているすべてに泣きそうになった。

 彼女は俺を避けない。彼女は俺をまた受け入れてくれる。

 今、俺がどれだけ嬉しいと思っているか、きっと彼女は知らない。

 あの日も、もう二度と話してもらえないかもしれない、嫌われるかもしれない――そう思って十階へ連れていったんだ。俺はそのときから一歩も前には進めていなかったんだな……。

 仕事を放ったらかしにして山に篭って、司に連れ戻されて彼女に会う機会をもらっても、結局俺はそこから動けずにいたんだ。

 彼女に近づきたい、彼女の側にいたい、彼女に許されたい――。

 そう思って行動していても、結局のところは嫌われて二度と会えなくなることを考えていたんだ。

 もう、とっくに海底まで沈んでいてどうにもならない状態だったんだ。

 それが、このメールひとつで浮上できてしまうなんて――。

「恋って、計り知れないな……」

 蔵元には重すぎて引き上げられないと言われたのに、彼女はこんなにも簡単に引き上げてくれる。もっとも、彼女はそんなことを意識はしていないのだろうけれど。

 翠葉ちゃん、俺はやっぱり君が好きで、大好きで、どうしようもない人間になってしまいそうだ。それでも、側にいさせてもらえるだろうか――?

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