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光のもとでⅠ 第十章 なくした宝物  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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29 Side Kaede 01話

「兄さん……これ、翠に渡して」

「手紙? それにしては分厚いけど……」

 まさかこの弟が手紙を書くとは思わなかった。しかも、この厚さ……。まさか、レポートとか入れてないだろうな。

「中身は?」

 訊けば、意外なほどあっさり「写真」という言葉が返された。

「写真……?」

「庭の花とか植物の写真。それからハナと母さんの写真……」

「ふぅん……。司にしては考えたほうなんじゃない?」

 思わず口元が緩む。

「別に……ほかに何も思いつかなかったから」

 言って、司は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 照れているところがなんともかわいい。

「でもさ、写真だけで誤解が解けるとは思ってないよな?」

「……中に壊れた携帯の写真と新しい携帯の写真も入ってる」

 どこまでも不器用なやつ……。

「手紙も何も入れてないのか?」

「……明日はまだやめておいたほうがいいと思ったから、明後日には行くって書いた」

 おいおい、それだけかよ……。

「……出世払いでもなんでもいいから、あとは兄さんがどうにかしてよ」

 くっ、そういうことか……。

「俺に任せると風邪をひいていたことばらすけど?」

「……ご自由に。それで翠の誤解が解けるなら別にかまわない」

「なら自分で言えよ」

「……風邪ひいたなんて格好悪くて言えるか。……自己管理ができてないって認めるようなものだろっ!?」

「意地っ張りの格好つけたがり」

「っ――」

 あれ、言い返してこない。珍しいと思いつつ、

「また熱でも上がったか?」

「上がってないっ」

 額に伸ばした手をきれいに払われた。

「ま、いいや。適当に説明しておく」


 そんな会話ののちに真っ白な飾り気のない封筒を預かった。

 宛名には「翠へ」と書かれ、差出人には「司」と書かれている。

「愛想のなさって文字にも表れるんだな……」

 そんなことを思いながら病院へ向かう。

 それにしても、自己管理、か……。気持ちはわからなくもないけれど――。

「司、人間ってそんなにパーフェクトにはいかないぞ」

 早くそれに気づけ……。


 九階へ行くと、ナースセンターには誰もいなかった。

 治療中か……?

 代わりに、廊下の長椅子にマンションのコンシェルジュ、葵くんがいる。

「葵くん?」

「あ、楓先輩……」

 葵くんに意識を向けたものの、それはすぐに逸らされる。

 病室から荒い息遣いと泣き声が聞こえてきたのだ。

「何……?」

「蒼樹に頼まれて植物を持ってきたんですけど、発作起こしてるみたいで……」

「……俺、ちょっと見てくるね」

「はい」

 きっと、病室に入ったところで俺の出る幕はない。でも、どんな状態なのか、見に行かずにはいられなかった。

 病室に足を踏み入れ愕然とする。

「も、やだ……」

 翠葉ちゃんは目を見開いたままボロボロと涙を零して天井を見ていた。

「次はどこだ?」

「腰……」

 顔をぐちゃぐちゃにして泣いている彼女は、ただ仰向けになって横たわってるだけだった。

 歯の根も噛みあわないほどに全身が痙攣している。痙攣がひどいせいか、背中が少し浮いていた。

「おい、おまえいいところに来た。ナースセンターから置き鍼持ってこいっ。丸いシール状になってるやつだ。カウンター下の戸棚、右上段に入ってる」

 こっちを見ずに指示された。

 踵を返してナースセンターに戻る。

 あれ、なんだ……?

 背に汗が伝うのがわかる。

 あんなふうに痛がる彼女を見たことがない。去年とは違いすぎる。

 今年はあんな症状を抱えていたというのか……?

 言われたものを手に取り、すぐに病室へ戻ると、

「足っ……膝っ――」

「おうおう、元気に移動しやがんなぁっ」

 相馬先生は舌打ちをしながら鍼を刺していく。そして、翠葉ちゃんはひたすらに痛む場所を追っていた。

 いたちごっこ――そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

「おまえ時間あるんならスイハの手ぇ握っててやれ」

 自分に向けられた言葉に、すぐに場所を移動した。

 ベッドの脇に立ち、翠葉ちゃんの手を取る。とても華奢で骨ばった手を。

「翠葉ちゃん、わかる?」

「か、え……で、せん、せ……?」

「そう。ずっとつらかったね……」

 それしか言えなかった。

 この痛みがどこまで続くのか、俺には検討がつかない。

「相馬先生、いつからこの状態なんですか?」

「夜中だ」

 夜中――それは昨日の晩からということか。

「だいたい、二時間はこの調子だ。……おまえんとこの坊主は何やってんだよ」

 やっと俺を見たかと思えば司のことを訊かれた。

「毎日来てたやつが急に来なくなるなんてずいぶんじゃねぇか? っつっても、俺がそうさせた節もあるんだがな」

「翠葉ちゃん、呼吸ゆっくりね」

 彼女の手を握りながら声をかける。

 少し彼女を見ていて気づいたこと。

 彼女は呼吸のコントロールができるようになっていた。

 酸素を吸いすぎないように、痛みを我慢するのと同じように唇をきゅ、と引き結ぶ。そして、十秒間に一度の頻度で大きく息を吸い込んでまた止める。

 いつか聞いたことがある。息をするのも痛いと感じることがある、と。

 俺に今できることは――ある。ひとつだけ、ある。

「翠葉ちゃん、司なんだけど愚弟で申し訳ない。あいつ、風邪をひいて寝込んでたんだ。今日には熱も下がったけど熱を出す前に携帯を水没させて使えない日があった。機種変をしてからはサイレントモードにしてあったから、着信もメールも気づいていなかった。ただそれだけだから」

 一気に口にしたけど伝わっただろうか。意図して無視しいていたわけではないと……。

「……ほん、と……?」

「うん、本当。本人は風邪ひいていたことを知られたくなかったみたいだけど、誤解を解くためなら仕方ないって思ったらしい。相変わらず不器用で無愛想でごめんね」

 一瞬だけ彼女の目に生気が戻った気がした。

 それも束の間――次の瞬間には痛みの波に掻っ攫われてしまう。

「先生、足首――もう、やだ……つ、かく、しんけ……切って――」

 その言葉に息を呑む。

 痛覚神経を切ってって……。

「スイハ、そいつはやめとこうや。痛みはシグナルだ。それをなくすのは得策とは言えねぇ」

「で、も……」

 搾り出すように声を発しては涙を流す。

 手にこめられる握力はさほど強くない。けれど、痙攣は激しさを増していく。それはきっと、痛みに比例しているのだろう。

「くっそ、手が足んねぇっ。おまえの手、ちょっと貸せやっ」

「は……?」

「手だ。手っ」

 意味もわからず彼女の手を置き、手を差し出す。と、

「ここ押さえてろ。それからここ」

 指示された場所に手を置く。

「……気脈?」

「そう、経絡――鍼だけじゃ埒が明かねぇ。鍼の打ちすぎてもよくないからな。それなら痛みの道を断つ。表なら裏、裏なら表からのアプローチだ」

 相馬先生が翠葉ちゃんに痛みの程度を訊くと、

「少し、だけ……」

「楽なんだな?」

 彼女は頷くことで肯定した。

 手脚はびっくりするほどに蒼白で、血が通っているのかすら不安になる。と、

「おい、おまえがそんな顔してんな」

 きつい一言が飛んできた。

 もっともだった。未熟者――その一言に尽きる。

 こんなに全身を痛がる患者を初めて見た。

 彼女の目は天井しか映していない。

 病室には彼女の不規則な息遣いと歯のガチガチいう音が響く。

「翠葉ちゃん、司から預かってきたものがある。サイドテーブルに置いたから、あとで落ち着いたら見てごらん」

 俺は、意識を逸らしてあげることしかできなかった。

 そこへ術着のままの昇さんが現れる。

「楓、代わる」

 息を切らせ、汗をかいているところを見ると、手術が終わってすぐに上がってきたのだろう。

「お、来たか。引っ張りだこの執刀医様に手伝いなんざさせて悪いな」

「ふざけたこと言ってんな。楓は夜勤だろ? そろそろ行け」

「はい」

 ベッドサイドを昇さんに譲り、

「翠葉ちゃん、また来るからね。司は明後日に来るから」

 それだけを言い残し、後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにした。

「先輩っ、翠葉ちゃんはっ!?」

「つらそうだけど、中にはふたりの医師がいるから大丈夫」

 何を根拠に大丈夫と言っているのか――。

 自分に疑問を持ちながらの返答だった。

「あ、それ……」

 葵くんの手には、かわいくラッピングされた観葉植物があった。

「出直したほうがいいですよね」

「そんなことないよ」

 ナースセンターの中に入り、カウンターにあるメモを彼に向ける。

「メッセージを書いて置いておけばあとで翠葉ちゃんに届く。きっと喜んでくれるよ」

「だといいんですけど……」

 葵くんはサラサラと涼やかな字を並べ、ボールペンをカウンターに置いた。

 俺たちは、未だ苦しそうな呼吸を聞きながら、その場を離れた。

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