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光のもとでⅠ 第十章 なくした宝物  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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25~28 Side Tsukasa 03話

「俺が病室に入ったら抱きつかれた」

 翠は瞬時に赤面した。けど、別に脚色などしてはいない。

「誇張表現はしていない。五分くらいしたら落ち着いて、すぐにベッドへ上がらせた。病室にカメラを設置する話をしたのはこのとき。秋兄が翠に変なことができないように監視――遠まわしに言っても翠には伝わらないと思ったから、ストレートに強姦されることがないように監視って、そう伝えたのは俺だ」

 たぶん、引き金を引いたのは俺だと思う。

「きっとそのあとね、私が病室へ来たのは。御園生さんは、司くんが静さんに連絡したと勘違いしていたから、私が前の晩に連絡を入れたことを話したわ。その直後よ……」

「翠が『消えたい』と口にした」

「そのあとは私たちの声は届いていなかったわ」

 藤原さんが淡々と話し始めたのは、あの日翠が――翠が壊れる直前に口にした言葉たち。


 ――コンナコトノゾンデイナカッタノニ。ミナトセンセイヤアキトサンタチモノスゴクナカガヨクテ、ツカサトダッテナカガヨカッタノニ、ドウシテコンナ、モウヤダ――。


 頭が割れそうだ……。でも、俺の役割はまだ残っている。

「両耳を塞いで俺たちをシャットアウトした直後――」

 言葉に詰まると、先を藤原さんが続けてくれた。

「御園生さん、あなたは自分でIVHも点滴も引き抜いたのよ」

 見るも無残な地獄絵図――。

「そのまま不整脈を起こしてベッドの上で倒れた」

 恐る恐る翠を見れば、翠は自分の両腕をぎゅっと掴み小さく震えていた。視線が合うと、怯えた瞳で謝罪の言葉を口にする。ほぼ反射的に。

「それしか言えないわけ?」

「坊主、やめとけや」

 あんたが言わせているようなものだろ?

 そうは思うけど、たぶん相馬さんがいなくても言っていただろう。

「俺、帰ります」

 誰に引き止められても帰るつもりだった。でも、誰にも止められることはなかった。

 足早に廊下を突っ切り、単調にセキュリティをパスしていく。全部のドアを通過し十階に停まったままだったエレベーターに乗り込むと、ノンストップで一階まで降りた。

 エレベーターを降り通用口へ向かって歩くと、歩みを進めるたびに湿気を帯びた生温かい空気が肌に絡みだす。

 いつもなら気持ち悪いと感じるはずのものなのに、妙に心地がいいと思った。

 プールから上がってバスタオルに包まれるような、そんな感覚。キンキンに冷えた頭を安心して預けられるような安息感。じわりじわり――飽和しきった空気に身を委ねたいと思う。

 自転車――。

 視界の隅に自分の自転車を捉えるものの、どうしてかそれが歪んで見える。まるで陽炎のようだった。

 地面が熱を持っているからなのか、それとも――。

「俺、疲れているのか……?」

 メガネを外し、少しだけ目を擦る。

 さっきから視野がおかしくなること数回。メガネのせいなのか、だから頭痛がひどいのか……。

 通用口の脇に水道を見つけ、そこで顔を洗った。しかし、蛇口から放出されたのはお湯にちかい液体だった。

「とりあえず、帰ろう……」

 家までの道は上り坂。たいした距離はないものの、今の自分にはかなり険しい道のりに思えた。

 いつもより時間をかけて帰ると、庭先で母さんが花に水遣りをしていた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「司……?」

「何?」

「ううん……ご飯まであと三十分くらいなんだけど」

「先にシャワー浴びてくる」

「じゃ、上がったらご飯にしましょうね」

 その言葉に頷き、一度部屋に戻って着替えを持ってから一階のバスルームへ向かった。

「今日は湯に浸かろう……」

 先にバスタブに湯を張ろうと思いコックを捻ると、出ると思っていた場所とは別の場所から放水される。

 ツール選択がシャワーになったままだったため、ものの見事に頭から水をかぶった。

「俺、大丈夫か……?」

 豪快に水を受けてその場に座り込む。

「こんなことしばらくやってなかったのに……」

 一度コックを閉めてからはっとする。

「……ものすごく大丈夫じゃない気がする」

 珍しく胸元に入れていた携帯を取り出しそう思う。

 でも、最悪なりにも救いはあり、だろうか。

 病院を出てから電源は入れていない。つまり、起動しなければ通電することはないはず……。

 明日にでもショップに持っていって修理に出そう。それが懸命だ。




 昨夜は夕飯を食べてすぐに寝た。

 時計を見ればすでに八時を回っている。

 いつもなら目覚ましが鳴らなくても六時前には目が覚めるのに……。いつもより数時間長く寝るだけでこんなにも身体が重くなるものか?

 ついでに頭痛もまだ治まってはいない。

 朝食を食べたらサプリメントでも飲もう。そう考えた矢先、身体の異変に気づく。

 ……身体が起こせないって何?

 直後、喉の異変にも気づき声を出そうとしたら咳が出た。

 まずい――声が出ないって……風邪か!?

 自分の額に手を当てるも、温度など全くわからない。

 八時じゃ父さんは出勤しているし……。

 できることならあと一時間早く起きたかった。

 ……でも、起きられたところでどうできる気もしない。

 声は出ないし身体も起こせない。

 窓際に干してある携帯に目をやったものの、あれを通電するわけにはいかない、という結論に落ち着く。

 携帯さえ使えればメールという手段が取れたものを……。ほかにメールといえばノートパソコンがあるわけだけど、身体が起こせない時点で使用圏外決定。

 さすがに十時を過ぎれば母さんが起こしに来るだろう。

 すごくまずい気がする……。でも、申し訳ないくらいに頭が働かない。

 気づけば俺はまた眠りに落ちていた。




「司、入るわよ?」

 入る……どこに……? あ――。

「ゴホッ、ゴホゴホっ――」

 声を発しようとしたら咳が出た。

「司っ!?」

 母さんがドアを開け駆け寄ろうとしていた。

「(来るなっ)」

 目と読唇術を使って伝えると、母さんはむっとした顔でずんずんと寄ってくる。

「風邪?」

 額に置かれた手が冷たくて気持ちよかった。

「やだ、すごい熱っ――」

「(だから、この部屋から出て。今すぐ出て)」

 俺の意思は伝わっている。しかし、

「私は母親、司は子ども。いい?」

 当たり前のことを自信満々に宣言され、部屋の子機を手に取ると、母さんはどこへかけるか逡巡し始めた。

「今日は涼さん忙しいのよね……。かといって楓のシフトまではチェックしていないし……。あ、湊ちゃんなら大丈夫ね」

 いや、その人だけはやめて……。

 こちらに背を向けている母さんに意思を伝えられるわけがなく、あえなく断念。

 熱ってこんなにだるくなるものだったか?

 久しぶりすぎてよくわからない。

 ただ寝ているだけなのに息が切れる。

 熱、いったい何度あるんだか……。

「湊ちゃん? 司が熱を出しているの。――声も出ないみたい。疲れているんだろうと思って寝かせていたのだけど、実は発熱で起きられなかったみたいで。――えぇ、氷嚢だけしたら部屋から出るわ。じゃ、お願いね」

 ……姉さんにもこの部屋から出るように言われたか。ならいい……。

 俺が風邪をひく分には問題ないけど、母さんが風邪をひくと長引く。ゆえに、「風邪の人間母に近寄るべからず」という暗黙のルールがうちにはある。……にも関わらず、風邪を持ち込んだ俺は父さんに睨まれることを避けられそうにはない。

 ついてない……。とことんついてない。


 母さんが俺の様子を見にきたのが十時で今は十一時。すでに姉さんが来ている。

「司が熱なんて珍しいわね? 四十度よ? 四十度。これで癌細胞も死滅よ。ついでに脳細胞もいくらか死ぬわね」

 姉さんは言いながらくつくつと笑う。

 腕には点滴が刺さっており、珍しく、自分の血液ではないものがそこを流れていた。

 冷たい液体が少しずつ体内に流れ込んできている。

 不覚――こんなのは十年ぶりくらいだと思う。

「点滴にはビタミンも解熱剤も入れてある。ま、ゆっくり休むのね」

「(悪い)」

「くっ、見事に声まで出ないっていうのが笑えるわ」

 俺と同じ顔がケラケラと笑う様が気に食わない。

「あんたらしくないわね? いつもなら風邪をひきそうなときや風邪のひき始めはうちに退避するのに」

 気づけなかったとは口が裂けても言いたくなかった。

「あんたのその携帯は飾りもの? 不調に気づいたら、お母様をこの部屋に入れる前にメールくらいよこしなさいよ」

 あぁ、そうだった……。

「つか……ない。すいぼ……」

 なんとか声を出せてもこの様だ。

「くっ、何? もしかして水没させたの?」

 目尻に涙を滲ませ訊いてくる。

 くそっ――もう、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

「だから防水のに機種変すればって言ったのに」

 うるさい……。

 じとりと睨むと、

「はいはい、あとで機種変してきてあげるわよ。じゃ、私は昼ご飯の用意を手伝ってくるわ」

 短時間だというのに、喋れないことがかなり苦痛だった。

 次に熱を出すときは声だけは死守したい。


 冷房は二十八度設定。窓が少しだけ開いている。

 そんな環境下にいるにも関わらず、やたらと熱い……。

 熱を下げるために、頭に氷嚢、腹部と脇には冷却シートを貼られた。

 翠はこういう発熱を年に何度出すのだろう……。

 俺は発熱して喉をやられるくらいだけど、翠は必ず胃腸にくるといっていた。

 嘔吐が始まると水すら飲めず、薬の投与が注射か点滴になると――。

 俺よりも体力のない人間が、俺よりもひどい風邪を何度もひく。俺よりも気をつけて生活している人間が、俺よりも簡単に発熱する。

 何もかもが不公平すぎる――。

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