第10話 豊かな晩餐と衝撃の事実
あけましておめでとうございます!(遅
エタり掛けましたが再開です。
ホークとベイの二人組が工房から去り、再びただっ広い空間にはトトリだけが座っていた。その間も中和剤の作成は着々と進んでおり、今もなおぐつぐつと鍋の中を白く染めている。
「もうすぐ晩ご飯の時間か……」
そう呟いたのは心のどこかで寂しさを感じていたせいかも知れなかった。
トトリは作業場の奥にある調理場へ向かい、工房にくる途中にパンプアの店で購入した小鹿の肉を石の作業台へ木の葉の包みごと置いた。調味料や簡単な器具は完備されていたため、肉でも焼いて腹を満たす魂胆らしかった。
「「ごめんくださーい!」」
そんな折りにも、戸口から来客の声が響く。
「あ、すみません。ちょっと待って下さいねぇ」
着かけたエプロンを乱雑に放り投げ、脱ぎかけた白い軍服の上着を忙しなく羽織ったトトリが慌てて鉄の扉を開けると、しんしんと積もる雪を背後に二人の女性が立っていた。
「えっと……」
「トトリさんですよねっ! お手伝いにきましたっ」
「よろしくお願いします」
トトリが何か言い掛ける間もなく、妙に薄着な、褐色の肩を晒した黒髪の少女が深々と頭を下げる。それに習うように隣の女性も頭を下げた。
「よ、よろしくおねがいします」
完全に主導権を失ったトトリがたじたじと頭を下げ返すうちに、黒髪の少女はその二つに分けた髪を振りながら工房の中へと入っていった。残された妙齢の女性は、困ったように垂れ目を細めて説明をする。
「はじめまして。私、ビーナと言います」
「存じ上げられていらっしゃるようですが。新着した治癒術師のトトリです」
とりあえずトトリがビーナも工房の中へと誘って、その後ろで扉を閉じる。長時間日のそばに居たせいで、外の寒さは骨に凍みる物があったのだ。
炉の前の暖かな所に胡座をかいた少女の隣に正座したビーナと、その向かいに座ったトトリで状況確認が行われる。
「この子は娘のベティです。落ち着きのない子ですが……」
今も鍋の中に身を乗り出してのぞき込んでいる少女の肩を諫めながらビーナが言う。このベティという名前には、トトリも聞き馴染みがあった。
「もしかして、ベイさんの……」
「はい。ベイは私の夫です」
「私のお父さんですっ」
ベティも混ざって頷き、トトリは思わぬ珍客に内心感嘆の声を漏らした。たしか、当番の順は籤で決めたそうだが、こんな偶然があるとは、と先刻の二組に思いを馳せる。
思えば、ベティのその褐色の肌や薄着な姿は、父譲りの物なのだろう。たしか、南方の国の出身だと言っていた。ただ、ベイの毛髪は白髪交じりの燃えるような赤髪だったのに対して、ベティの髪は艶やかな、水に濡れた鳥の羽のような黒だ。これは、ビーナから受け継いだ物なのだろう。彼女の長い髪も、ベティと同じ黒だったから。
「それじゃあ少し準備してきますね」
「はい。分かりました」
お互いの自己紹介も終わったところで、ビーナがベティを連れて工房の奥へ向かう。商工会としての仕事を行うのだろう。鹿の肉が調理場に放置されたままだったことに気づいたトトリは、二人が準備しているうちにとそこへ取りかかった。
外の寒さで石のように堅くなっていた肉塊が、室温で柔らかくなっていたのは僥倖であった。トトリはふにふにと柔らかな赤身を指で押すと、調味料の準備に取りかかった。
とはいっても、所詮は不器用な男の作る漢料理である。調味料といえば粗挽きの黒胡椒と塩が少々と王都で売られていたソース。付け合わせもよくて萎びた根菜の類だった。竈の下の火口に薪を放り込んで、紙屑に火を付ける。こんな時に火打ち石が要らないのは、偶に思う魔力持ちの優越感だった。小さな火が太い薪に移って大火となるまでの間、トトリは少し寝転がる。たかが四時間というのに、されど四時間というべきか。トトリは少しの疲れを抱いていた。
「ビーナさんと、ベティちゃんの分も作ってあげよ……う……」
トトリが目を覚ましたのは、数十分後だろうか。耳の奥に響く油の跳ねる音が、鼻孔を満たす香しい刺激的な香りが、全力でトトリの意識を揺さぶった。
「ね、寝てたっ!?」
しばしの微睡みの後、己が寝ている事実に起きあがる。何故か軍服の上着は脱がされ、布団のように被されている。
「あ、目が覚めました?」
「おはよーっ」
「え、え!?」
上半身を起こし、首を捻った先に見えるのは、二つの人影。ビーナとベティの親子だった。二人とも一様にエプロンを身につけ、ビーナは黒い平鍋を持っている。中では、トトリの鹿肉が分厚く切られて躍っていた。
「あんまり気持ちよさそうに眠られていたので。あ、もうすぐ出来ますよ」
「お母さんの料理はとってもおいしいんだからっ」
「す、すみませんでした」
振り向きざまに首を傾げてにこりと笑うビーナに、トトリは身を縮こまらせた。
程なくして、綺麗な焦げ目がついたステーキが、工房の奥から引っ張り出されてきた机の上に並ぶ。流石は料理店の婦人と看板娘と言うべきか、迅速な動きだった。
平たい白磁の皿には、粉ふき芋と根菜が添えられたステーキが載っている。
「すみません。お肉勝手に使っちゃいました」
「い、いえ、それは別にいいんですけど……」
逆に寝かしつけられた上に調理してもらったトトリの方が肩身の狭い心中だった。「この村の女性は、逞しい」それがトトリの体で学んだ心理である。
「それじゃ、いっただっきまーす!」
「「いただきます」」
先陣を切るベティの号令に続いて、トトリとビーナもナイフとフォークを手にとって、食事を始める。
「お、おいしい……」
「うまーっ」
「うふふ」
口に入った瞬間に広がる、豊かな旨味に目を見開くと、ベティも絶叫し、その隣ではビーナが口に手を当ててほほえむ。
肉は、表面が巧みな火加減で焼かれ、中の肉汁が閉じこめられていた。それ故噛んだ瞬間に弾け飛ぶ。いつものゴムのような肉が霞んでしまう。トトリは、先ほどまで二人の分も作ってあげようなどと言っていたことは、墓の底まで持って行くと心に決めた。
「ね、ね。ベティの作った野菜も食べてっ」
添えられたパンを肉汁と絡ませながら食べていると、テーブルに身を乗り出したベティが目を輝かせて言った。その手には黄金色の芋の刺さったフォークが握られている。え、これを食べろと? とトトリが戸惑ううちにも、幼い少女は無邪気に催促を繰り返す。救援を求めてビーナの方を見ると――首を傾げられた。
「……んぐ。う、うん。……おいしいっ」
「やったっ!」
口の中のパンをのどの奥に押し込んで、恐る恐る口に入れる。とたんに、芋の甘みがほろほろと口腔を満たした。程良く馴染んだ岩塩が、よけいに芋本来の甘みを引き立てる。ビーナも、ベティも、王都の良店でも通用するほどの腕を持っていると、トトリは確信に似た感想を抱いた。
「驚きました。この村にこんなに素晴らしい料理人の方がいらっしゃったなんて」
「照れますねぇ」
「えへへー」
世辞を抜かした、語彙の少ない素人仕立ての賞賛に、二人の料理人は顔を赤く染めた。
「でもね、ベティもお母さんも、まだお父さんに習ってる途中なんだー」
「お恥ずかしながら、結婚前は全然。包丁すら持ったことありませんでした」
「……え?」
直後に投下された、二人の言葉に、トトリは理解するのにたっぷりの時間を使用した。
もう一度、肉を口に入れる。
豊かな旨味が甘みの残滓と共に流れ出す。
芋を口に入れる。
芋の甘みと岩塩の甘みが見事な調和を織りなしている。
「……え?」




