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第1話 厳寒の大地

処女作です。

できる限り高頻度更新を目指します。

 抜けるような晴天の下、どこまでも続く白銀の雪原の上を細い二条の線がまっすぐと伸びている。線の先には、六頭の雄壮な馴鹿(となかい)が牽く大橇(おおぞり)が猛然と進んでいる。


「あんた、国家治癒術師なんだってぇ?」


「はい、……一応ですけど」


 御者を務める前進を馴鹿の毛皮で覆った大柄な男が、低いバリトンで荷台に商品と一緒に乗る小柄な青年に話しかける。柔らかな茶髪を惜しみなく曝けだし、耳を真っ赤にさせた青年が、大白熊の毛皮で出来たコートを正しながら答える。その後も、分厚いコートを着込んでも寒いのか、ケチらず帽子も買っておけば良かったと後悔しながら青年は身を縮める。一方の御者の男は慣れたものなのか、抜けるような笑い声で寒さをものともしていない。依然大橇は猛進を続けており、御者の男はあと三時間ほどで村に着くと肩越しに鞠のようになってしまった青年へ告げた。



 トトリ・ハルバルンは国家治癒術師である。正確に言うとするならば、その頭に新米の二文字が付け加えられることになるが、とにかくトトリは三年の雪辱を経て念願の上級治癒術師の資格を取得することができた。最高難度の国家資格と称され、数多の挫折者を生み出した高き壁を乗り越えたトトリは、うれしさのあまり恩師でありこれからの上司になるアルマサの豊かな体に抱きつき、怒りの鉄槌を食らった後も満面の笑みを絶やさなかった。国家治癒術師と救命騎士団の団長を兼任し、鬼の冷徹と恐れられるシャルエ王国最強にして最高の治癒術師に抱きついてしまったことは、彼の伝説となり、後々まで語り継がれた。


 そもそも、治癒術師とは。まず、この職業を自称する為には、下級、中級、上級の何れかの国家試験に合格する必要がある。その合格条件には、己の内包する魔力を使用して他者の傷を癒す治癒術の練度、薬草学を代表に様々な医療的知識の深さ、そしてその医療知識に基づいた技術の三つの観点が設定されており、その全てに於いて非常に高度なものを修得していると判断された場合に、晴れて上級治癒術師となることが出来るのだった。

 次に、その業務内容について。下級及び中級の治癒術師については、多くのものが町医者や冒険者ギルドでの救急員として活動する。しかし、上級治癒術師の資格を掴み取ることの出来た僅かな才人達は、王宮付きの国家治癒術師として、安寧の日々を過ごすことが出来た。


 トトリもまた、毎年数万人が押し寄せる狭き門をくぐり抜けた国家治癒術師として、豪奢な王宮内にある医術院にて高級シルクがふんだんに使用された包帯に囲まれて優美な日々を過ごしていた。

 ――そんな日々が音を立てて瓦解したのは、トトリが一ヶ月ほど王宮での暮らしを堪能していた時だった。上司にして恩師、鬼の冷徹と呼ばれるアルマサに呼び出されたのだ。

 自宅に投げ込まれた召集書を見て何事ですかと駆けつけた彼を見下ろす、白い軍服に身を包んだ青髪の麗人が放ったのはただ一言。


「おまえちょっと私の故郷に行ってこい」


 事実上の左遷だった。

 たっぷり数分は硬直していたトトリは、上司の鋼鉄よりも強固な鉄拳に頭部を打ち砕かれた後に壊れた拡声器のように説明を求めた。それによる長身痩躯の男より凛々しい上司の返答は、極々単純にして明快なものだった。曰く、彼女の故郷アルサティーニアは、とある理由から過疎化が進み、対に村唯一の治癒術師が夜逃げしたという。

 しかし、例え逆らうことの出来ない上司相手とはいえ、おいそれと安寧の日々を逃してなるものかと牙を剥くトトリだったが、その数秒後には彼女の氷よりも冷たくナイフよりも鋭い視線に射抜かれ牙をへし折られた。そもそも子犬が狼に勝とうなど一億年早いのだとトトリは悟った。


 渋々ながら、血の滲む思いで、精一杯感づかれないほどに睨みをきかしながら同意書にサインしたトトリを見るや否や、アルマサは彼の自宅に必要物資一式のリストと共に、子飼いの優秀な部下を数人送り自宅の掃除に当たらせた。そして、あれよあれよという間にトトリの輜重(しちょう)一式が馬車に積み込まれ、勅命から一ヶ月という神業的な早さで彼はシャルエ王国の王都を旅立つことになったのだった。


 王都を抜け、更に奥へ奥へと北上する馬車に揺られ、トトリは次第に枯れ細っていく木々を死霊のような目で見つめていた。遂に細い木枝さえ無くなり、果て無き荒野に分厚い鈍色の曇天が横たわった風景に変わったとき、トトリの乾いた心の中に小さな疑心が芽を出した。


「あ、あの。アルサティーニアってどんな所ですか?」


 恐る恐る御者の男性に聞いたトトリの耳に返ってきたのは素っ頓狂な声だった。


「あんた、そんなことも知らずにこの馬車に乗ってんのかい!? アルサティーニアっていやぁ、シャルエ王国最北端の村じゃねえか!」


 戯ける様に告げられた一言に、トトリは凍り付いた。曰く人族の住める最北にある厳寒の地、曰くそれより北には魔物しか生息していない。次々と飛び出す不穏な言葉の羅列に、慌ててアルマサから受け取った差し入れの包みの中をまさぐると、少々値の張る分厚い薬草大事典の隙間から小さな略地図が転がり出る。無駄に高級な純白紙に一筆でかかれた細い線といくつかの点、その余りある広い白地の上に一言、アルサティーニアはちょっと寒い。「ちょっとどころの話じゃないよ……」と、トトリは極寒の地と評される酷地に遠い目を向ける。

 もう少しよく調べておけば良かったと思っても既に後も祭りであり、そんな暇を与えないという思惑もあってこんなにも早急に王都を離れたのかと遠くで見てくれだけは息を呑むような満面の笑みを浮かべているであろう上司へと思いを馳せた。同時に、前任の治癒術師が夜逃げしたのはこの環境のせいじゃないだろうかと一抹の不安が過ぎったが、トトリはそれを意識して無視することにした。


 その後、御者の男のアドバイスに従って、アルサティーニア最寄りの小さな街で大白熊のコートを購入したトトリは、知らず知らずのうちに寒さで消費した体力の回復も兼ねて腹に旨いものを詰め込んだ。そして、馬車から馴鹿の牽く橇に乗り換え更に北上していき、場面は冒頭へと至るのだった。



「ほら、ここがアルサティーニアだぜ」


「あ、はい。ありがとうございました」


 その後、(そり)に牽かれて数時間、トトリと御者と六頭の馴鹿(となかい)達はアルサティーニアの深雪を踏み固めた。空は変わらず突き抜けるような晴天で、トトリの顔は雪に反射した光で真っ赤に日焼けしていた。

 上司の故郷であるアルサティーニアは、広大な雪原のど真ん中にトトリの胸ほどの高さの木柵を円形に突き刺した小さな村で、その奥には深い針葉樹林が広がっている。村の雑貨店に商品を卸にいくという御者と別れたトトリは、紹介状片手に村長の住まう建物へ向かった。その建物は村の最奥に立っていることをアルマサから手渡されたもう一枚の地図から知らされたトトリは、村の様子を伺いながら、正門である高い櫓の下を潜り抜けてまっすぐと通りを進んでいく。


「驚くほど人がいないな」


 思わず、白い吐息と共にそう言葉をこぼすほど、村の中は閑散としていた。御者も先に奥へと入ってしまい、左右に迫る木造の小屋の間をざくざくと一人で進む。鹿の毛皮で出来たブーツは暖かいながらも、外側はびっしょりと濡れている。踝まで埋まる雪は、時折村人らしき足跡を残すのみで、その上に人影は映さない。森の方からは狼達の遠吠えや鳥のさえずりが、村の奥の方からは微かながらも物音も聞こえるため存外死の迫るような静けさは感じず、どちらかというと王都ほどではないが騒がしかった。


「ここが村長さんの家か」


 おのぼりさんよろしくキョロキョロと周囲を伺いながら通りを進むが、元が小さな村落なので、ものの数分で村の奥に建つ高床式の家屋の前に辿り着く。流石は村長宅と言うべきか、ほかのどの家よりも大きく、煙突からは白い煙が遠空へと細く伸びている。傍らには村共有らしい倉庫が二棟と、馴鹿の繋がれた厩舎が一棟寄り添うように建っていた。


「どなたですか?」


 突然、背後から鈴の音の様な声が響く。トトリが驚いて振り返ってみると、そこにはフードを目深に被った長身の女性が立っていた。手には大きめの円匙を携えており、ファーの付いたフードの奥からは燃えるような紅い髪と瞳を覗かせている。小柄で、実年齢より四、五歳誤解されるトトリよりも背が高い割には、あどけない幼さの残る顔立ちをしていた。


「今日からこの村でお世話になります、国家治癒術師のトトリ・ハルバルンです!」


「おお、例の……」「確かアルマサちゃんの……」「こいつが国家うんたらっていうやつか」「ちっこいのう」「女みたいじゃ……」


「え?」


「ああ、……話は聞いています。どうぞ中へ。――後ろは気にしないで」


「は、はい」


 村人との初遇だと張り切って声を上げると、突然少女の背後から無数の顔がひょっこりと飛び出す。年老いた灰と白の混じるその顔は村人達の物らしく、糸を切ったようにざわめく。トトリが驚きの潜伏数に開いた口が塞がらないでいると、最初に話掛けてきた少女がいつの間にか目の前まで迫っていた。よくよく見るとコートの上からでも分かる、アルマサに匹敵するほどの体つきにしばしの間圧倒される。村人達は既に顔以外も通りへ出し、三々五々固まって突然の来訪者へ奇異の視線を向けていた。居心地の悪い思いを押し込めて、トトリは村長の家へ入っていく少女の後を鴨の子よろしく小走りで付いていった。



「なはははっ! おんしがアルマサの寄越した手紙に書かれておった治癒術師かい!」


 杉や檜の香りの中を、ゆらゆらと暖炉の火が暖かく揺らめく室内。大きな熊の毛皮の絨毯の上に置かれた机を向かいに赤髪の少女と巨躯の男性を前にして、トトリは小さな背中を更に縮めていた。トトリも少女も既にコートを脱いでおり、厚手の布服へと様相を移していた。その隣に座る、トトリの二倍の背丈はあろうかという巨漢は、少女と同じ色の短く角刈りにした堅い髪をガリガリと掻いてはテーブルに置かれた小樽のジョッキを煽った。


「改めて、初めましてね。この人は村長のカリオン。わたしは孫のルシアよ」


「なはははっ! そう堅くならんでええよ」


 ルシアが静かに笑い、カリオンが豪快に笑う。トトリは乾いた苦笑いを小さく浮かべ、その内心では、この一見熊の様に見える大男の遺伝子が、どこでどれほど薄まればこのように可愛らしい少女が生まれ落ちるのか、一種の生命の神秘のようなものを感じていた。

 カリオンは、暖炉が焚いてあるとはいえ薄ら寒い室内であるというのに、袖すらないシャツ一枚に薄い半ズボンという季節気候を間違えた出立ちをしている。その割には、全身を厚く覆う強靱な筋肉によって、一切の寒さを感じさせないのだから不思議なものだった。


「この前、村の治癒術師が夜逃げしよってよう。怪我人は増える一方でそりゃもう、目の回るような忙しさだったんよ」


 だから、おんしが来てくれて感謝しておる、とカリオンは続けた。トトリはその言葉に少し頬を緩め、すぐにこの村にいるという怪我人の事に背筋をのばす。


「住処は外れにある空き屋を使(つこ)うてくれ。それと、ルシアを世話役にするからよ、なんぞあったら遠慮なくそっちも使(つこ)うてくれ。なはははっ!」


 そういって、アルサティーニアの村長はトトリを熱烈に歓迎した。トトリがルシアのほうを横目に見ると、彼女も特に意見は無いようでほほえみを携えてカリオンの隣に座っていた。

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