luck.09 煽っていくスタイル
苅宿と走り込みを続けてから、約一ヶ月が過ぎようとしていた。
ようやく機は熟した。
間の抜けたような音のチャイムが、放課後を知らせるために校舎をすっぽりと包み込んだ。
その時には、とうに弓張月は普通科の校舎を抜け出していた。うちの学級の教師は意欲に欠ける担任で良かった。放課後のHRも他のクラスよりも早めに切り上げていたから、すぐに苅宿と合流できた。
打ち合わせはバッチリ。
ラック科の靴箱で待ち合わせしていた。
特に苅宿と会話という会話を繰り広げることはなく、とにかく八ツ橋のいるクラスへと急ぐことに専念する。
未だにラック科の生徒達がひしめく間隙を、苅宿を伴って縫う。二人の異様な空気が伝わってくるのか、こっちの動きを察知して廊下の隅にくっつくように避ける生徒もいた。
苅宿が後ろについてくる早足の音をしっかりと聴きながら、八ツ橋のクラスの前へと到着する。
バーン! と、ドアを壊さんばかりの勢いで開けた。
うわっ! と近くにいた生徒が迷惑そうに顔を顰めて驚く。
……やり過ぎた。
勢い余ってしまっただけなのだが、もうこうなってしまっては引っ込みがつかない。ドアの開け閉めすら演出。クラスの連中を注視させるため。そういうことにしておこう。
そしてここからは狙い通り。
闖入者の弓張月にクラス中の視線が集まる。
そんな中、一際訝しげな表情をしている八ツ橋を探し出すと、
「ああ、いたいた。親の七光りの……名前なんだっけ? えっーと……八ツ橋さん?」
「な、なんですって……」
八ツ橋は溢れんばかりに怒気を顕にする。
なるほど。
事前に苅宿から情報を仕入れていた通り、ここが琴線。実家の話はタブーだったらしいな。
八ツ橋の取り巻き連中は虎の尾を踏んだことがあるのか、おどおどと何もせず顔色を窺う。自然と弓張月に道を開ける感じにスペースが空いたので、当然の如く八ツ橋に近づく。
だ、大丈夫なんか? と小声で苅宿が不安そうに訊いてくるが、もちろん全然大丈夫ではない。怒り狂った虎がその爪で、いつその猛威を振るうのかは八ツ橋自身にしか判断できないからだ。
クラスメイト達は飛び火を恐れて一歩引くが、そのまま帰宅する素振りは見せない。野次馬根性丸出しでその場に居残ってくれている。
好都合だ。
人数が多ければ多いほど、プライドの高い八ツ橋は引っ込みがつかないだろう。カリスマ性のある人気者である八ツ橋は、弓張月みたいな底辺の人間に舐められてはいけない。だから喧嘩腰になる。
一瞬目を瞑って開く。
緊張しているのだ。
バクンバクン、と心臓が早鐘を打って、その音が徐々に巨大になっていく。こんな人前で話すなんて、一体いつぶりか。だが、背後に苅宿がいるだけで力が湧いてくる。
「聞いた話によると、お前、相当な金持ちらしいな」
「それが、どうしたっていうんですか?」
「『橋渡し』の一人娘なんだから当然なんだけどなあ。だけど最近になって、ライバル店にのし上がった苅宿の洋菓子店に……あんた……嫉妬してるんだってなあ?」
「……はあ?」
「その嫉妬ついでに、苅宿のことを目の敵にしてるんらしいな。……もしかして、ラックのことなんて関係なくて、お家の事情とやらで苅宿を攻撃してるんじゃないのか?」
「そんなわけない! 私は――」
「私は? なんだ? その続きは?」
八ツ橋の激高を遮断しておいて、続きを促す。
もちろん、会話の主導権を握って、都合のいいように舵を取るためだ。
肩を広げて、手をひらひらとさせているのは怒りを煽るため。まるで闘牛士を赤い布で突っ込ませるかのようなやり方で、八ツ橋の冷静な判断力を低下させる。相手の神経を逆なでさせる会話術ならお手の物。弓張月の右に出る者はいない。
「お前と苅宿は、一度もラックの試合をやったことがないらしいじゃないか。ってことはあれか? 実力の底が知れるが怖いんじゃないのか?」
「………………」
極度の怒りに、言葉すら失ってしまった八ツ橋。
例え、思い当たることがなくとも、ここまで揶揄されたら誰だって感情は振り切れてしまうだろう。
ここまでは、いい塩梅だ。
弓張月は場違いなほどにニッコリと笑って、
「……って、苅宿が言ってました」
華麗に裏切る。
だって、矢面に立つのはそもそも弓張月の役割じゃない。このぐらいは張本人に背負ってもらわないと話にならない。今まで噛まずに喋れたのも、この当然の帰結を知っていたから。
力が湧いてきたのも、苅宿が全ての罪をしょってくれると信じたからだ。
「え、えええええ!!」
一番驚いたのは、苅宿。
泡を食って、
「なっ、なんてこと――」
「すまない。苅宿。俺はもう――こんなこと耐えらないんだ! どうしてお前ってやつは真正面から勝てないからって、八ツ橋の陰口を叩くんだ。もっと正々堂々と戦えよ!」
「我が身可愛さに人身御供をする、あんたに言われたくないんやけど!?」
弓張月は精一杯被害者ヅラをして、本当はこんなこと言いたくなかった、と主に八ツ橋に向かってアピールする。
ここで八ツ橋を味方につけておいた方が得策。
これからどう状況が転がったとしても、苅宿の肩を持ったという認識を八ツ橋にされてもいいことなど一つもない。
カリスマ性を持つ八ツ橋。
そしてボッチである苅宿。
どちらを優先するかと問われれば、最早答えるまでもない。
とにかくできるだけ謙って、今のうちに媚を売っておく。
「苅宿さん。あなた……言わせておけば……」
ギリギリ、とこちらにまで聴こえるほどの音で、八ツ橋は歯軋りをする。いい感じでヒートアップしてきたようだ。
「違う! ウチは――」
「言い訳を見苦しいぞ、苅宿! こうなったら腹をくくれ。もう……お前は戦うしかないんだ!」
「…………」
人間のクズでも目撃したかのように、苅宿は絶句する。
いったい、それは誰のことなのかさっぱりだ。
八ツ橋に戦いを促していたのを、一瞬で苅宿に変換した。
戦う理由があるのを苅宿にすり替えれば、自尊心のある八ツ橋も戦いを肯定しやすい。
もしもあのまま力押しで八ツ橋に勝負を強要すれば、弓張月の言い方に屈したと思われかねない。そこで苅宿との戦いが無くなってしまう可能性もあったのだ。だからこその悲しい決断。
本音を言えば、こんな手段は使いたくなかった。苅宿を人身御供に自己保身するなんて、心が清らかな弓張月にはとてもとても耐え切れるものではない。なんて辛いんだ。
弓張月は八ツ橋に向き直って、
「でもなあ、結局どれだけ言葉を飾りたてても、八ツ橋さんのやってることは弱いものいじめなんだよなあ。いやー、あの有名な『橋渡し』の跡取り娘であろうとも八ツ橋さんが、ラックでも相当な強さを誇るあの八ツ橋さんが、まさかそんなみすぼらしい勝利を手に入れて、納得するわけがないですよねぇ!」
一瞬、『橋渡し』跡取り娘という言葉が出た瞬間、彼女は不愉快に顔を歪めたが、
「も、もちろんです! 私はこんな初心者とハンデなしで戦ったとしても、絶対に納得しません!」
弓張月はもみもみと両手を揉みながら、ヘコヘコと、ついでに背中を丸めながら、
「あのー。差し出がましいようですが、不肖この弓張月から、八ツ橋さんに一つ提案があるんですが」
「提案……?」
「ええ。ハンデとして、戦う場所を苅宿を有利な場所で決めてもいいですか? いやいや、もちろん八ツ橋さんともあろう人なら、この程度のこと予測されていたんでしょうけど……」
「え? ……いや、ふ、ふん。……全くその通りですね! それでいきましょう!」
よし。
言質はとった。八ツ橋も引くに引けないはず。
舞台は整えてやったぞ。
これで後は、苅宿が八ツ橋相手にどこまで戦えるかにかかっている。後は弓張月が道案内するだけだ。
「雌雄を決する場所は――――第3訓練所『ガーデン』」