luck.05 待ち人は罵倒される
頭上に浮かぶのは、食べかけのクッキーみたいな三日月。
月は綿菓子のような雲に乗っかり、朧げな発光をしていて幻想的だ。
約束時間までは、まだ余裕がある。待ち人もまだ来ていないようだった。
ひらひらと桜の花びらが、どこからともなく舞い落ちてきた。
もう四月だが、まだ多くの桜の木が咲いている。すっぽりと世界を包み込む宵闇と相まって、ピンク色の花びらが切り絵のよう。夜桜というのもオツなもので、もしも弓張月が成人しいていたのなら、酒を片手に花見でもしていたのだろうか。
男子寮のすぐ横。
忍と別れて数時間経過しているので、邂逅した時に感じた衝撃も薄れてきた。それにしても人と関わるというのは、なんて肩が凝るものなんだろう。
久しくまともに対人関係を結んでいなかったので、今日は本当に疲れた。うさぎのみならず、苅宿とか八ツ橋とか初対面の人間。それからまさかもう会うこともないと思っていた忍とまで……。
ここまで立て続けに強制イベントに巻き込まれると、流石に辟易してしまう。
高校の時は喋らなすぎて、スーパーで『レシートはいりません』という言葉が出てこなかった。あ、れしっ、せん、とか訳の分からない言語しか口内を滑らず、物凄く恥ずかしい思いをした。
それにしても。
あいつがこの高校を入学していることには驚愕した。だが、どうせ学科が違うのだ。もう会うことはほとんどないだろう。
過去のことはどうだっていい。
大切なのは告白される今この瞬間。
そして、輝かしくも薔薇色の未来だ。
「ふくくっ」
我ながら気持ち悪い笑いが漏れる。
ラブレターを片手に持ちながら、ぶっとい桜の木にもたれかかる。ふぅ、と幸福過ぎる故の嘆息をつく。
贅沢を宣うならば、相手は上級生がいい。
同級生の方が話は合うだろうが、やっぱり包容力のある女性が理想的だ。こっち我が儘な振る舞いをしても、もうっ! 弓張月くんはしょうがないんだからっ、と鼻の頭に艶やかな指をつん、と当ててくるような感じだったら最高。
それでいて、眼鏡をかけていて理知的なら尚いい。
奥ゆかしくておっとりとした大和撫子みたいな、年上の女性。所属する部活は茶道部。着物が似合って、シャカシャカと茶筌で本格的な抹茶なんかを点ててくれたり。
とにかく気遣いができて、優しい人ならばどれだけいいだろうか。
「くぅうううう~~~」
妄想に拍車がかかり、雑巾を絞るみたいに身を捩る。
手にしたラブレターは、弓張月にとって、青春のプラチナチケット。特急列車で、レールから外れることなどない。甘酢っぽくもほろ苦い、そんな山あり谷ありの人生が確約されている。
世界中の人間に自慢するみたいにそんな大切過ぎるラブレターを高く、夜空に届くかのように高く掲げ――
手紙は、猛烈な速度の弾によって打ち抜かれる。
な? と疑問の声をかき消す、破壊音が轟く。
紙を球状に貫通した弾丸は、背後の桜の木に激突していた。破壊力は相当なもので、木屑が地面に散乱する。
もしもそれが弓張月の肉体に直撃していたのならば、痛いどころの話では済まなかっただろう。
緑色をしたそれは――種子。
植物は、種皮や風などで適した場所に種子を運搬して繁殖させる。そうしてできるだけ遠くまで、たくさんの植物を分布するのだ。
かくいう弓張月も、小学生の頃。
登下校中に見つけた名前も知らぬ植物に刺激を与えて、種子を飛ばして遊んだという記憶がある。それが豆鉄砲みたいで面白かったのだ。
だが、そんなものとは比べ物にならない威力だ。
「果たし状には、目を通してくれたみたいやね」
両の手を拳銃の形にしながら、闇の中から堂々と姿を現した手紙の主らしき奴は顔見知りだった。
『植物顕現能力』。
それが恐らく彼女の能力だろう。
一度女子寮に帰ったのか。
濡れていた制服から、私服に着替えている。ひらひらとしたレースの刺繍の入っているスカートを穿いていて、似合ってはいるが脚は寒そうだ。もっと地味系の服装をする人間だと勝手に思いこんでいたが、予想以上に大胆な格好。
だが、ドキドキするというよりは、尊敬してしまう。
観ている方が、恥ずかしい。
確かに可愛らしいのだが、まるで妖精のようなその服装。本人は気にもしていないだろうが、目のやり場に困る。
苅宿渡真理。
状況や口ぶりからして、彼女が弓張月をここに呼びつけたのは間違いない。能力、それから服装等気になる点は多々ある。
だが、それ以上にツッコミを入れざるを得ないことが一つある。
「『果たし状』……ラブレターじゃなくて?」
「ラ、ラブレターな訳ないやろ!! 一体全体どうしてあんな簡潔な文章で、そこまで妄想を膨らませることができるんや!?」
苅宿は狼狽し終えると、憎しみに満ちた双眸をこちらに投射する。
「これは――復讐や」
拳銃を模した人差し指の照準を弓張月に合わせて、闇の空に彷徨する。
「ウチの……ラックへの想いを全否定されたことに対するな!」
どうやらラック科の校舎で、弓張月に揶揄されたことがよほど堪えたらしい。
こんな夜中に呼び出して、決闘を申し込むほどまでに。
確かに、あの時の弓張月は言いすぎだったのかも知れない。
だが、穴の開いてしまった手紙の残骸を握り締めて誓う。
眼前のこいつを絶対に許すことなどできない。
絶対不可避の戦いが、ここにはある。
「ふざ……けるな。ラブレターじゃないだと……。俺の胸がどれだけ高鳴ったと思っていやがる。男子高校生の純情を弄びやがってっ!」
弓張月は、落ちていた石ころを数個拾う。
「復讐はこっちの台詞だ!」
虚空を切り裂く流星群のように、石は直線を描いて飛来する。本来であれば片手では飛ばせない量。そしてスピードだ。
弓張月のこれは、『弾を選ばない射撃能力』だ。
どんな物であろうとも、触れたものを吹き飛ばすことができる。……自分の体重よりも重い物は射出できないという弱点つきではあるが。それ故に、使いどころが難しく、他の能力者よりもかなり実力が劣る。
苅宿は驚きで目を見開きながらも、種子で弾幕を張って相殺する。
あちらの方が弾の数は多い。
というより、顕現した能力だからあちらには『弾切れ』という概念がない。
能力の根底は違えど、使い方は相似している。だからこそ少しの優位が戦局を左右しかねない。
「くそっ……」
夜のせいで軌道が読みづらいが、カンで横っ飛びに回避する。咄嗟に樹幹を楯にする。だが、散弾銃のような種子の弾丸の猛攻によって、ミシミシと悲鳴を上げる。桜の樹木が倒壊するのも時間の問題だ。
牽制するために石を飛ばすが、銃弾の壁によって弾かれる。
能力の使い方が似ていても、破壊力が違う。あちらの球数は無限。
このまま遠距離からの撃ち合いを続けていたら、どう考えたってこちらの不利。接近戦に持ち込むしかない。
「ぅおらっ!」
種子の猛攻によって落ちていた葉のついた枝を、能力によって吹き飛ばす。
「……くっ」
視界一面を覆うような枝の面による攻撃は、一点集中である種子の攻撃では防ぎきれない。苅宿は咄嗟に顔をガードする。
だが、それこそがこちらの狙い。
最初から有効打を与えられるとは思っていない。腕の交差によって生まれた死角から走り込んで距離を詰め、弓張月は石を射出する。
だが――。
「がっ!」
苅宿はこちらの気配に勘づいたのか、当てずっぽうで無数の種子を飛ばしてきた。一つはこちらが射出した石を割り、そして一つは弓張月の鳩尾に喰いこんだ。
ゴロゴロとそのまま反動で転がり、一端体制を整える。
かなり効いた。
近づいたせいで威力が強まっていて、インパクトの際呼吸が一瞬止まってしまった。あちらは無尽蔵に弾を撃ちだすことができる。だから、また近づいてしまっても二の舞だろう。
近距離も、それから遠距離にしても分が悪い。
それにしても、苅宿渡真理という人間はなんだ。
夜中に呼び出して復讐するなんて、まともな精神構造でないことだけは確実。だが、こちらが攻め込んだ瞬間、あいつは――目を瞑ってやがった。どんなスポーツでもタブーとされる行為。
そんなことをしてしまえば、相手に隙を与える行為。
ラックの定石ならば距離を取るはず。だが、そんなこともせず、その場に棒立ちのまま種子を放つなど愚の骨頂。
ガチガチのスナイパー型である能力であるのに、姿を隠さず、そして移動する素振りも見せない。
完全に素人。
ラックだけではなく、スポーツそのものの経験も浅いと見える。
「おい! 苅宿! お前こんなことして後々どうなるのか分かってるのか?」
モテない腹いせに一泡吹かせてやろうと画策してみたが、見事に返り討ちに合ってしまった。
うさぎが苅宿のことを落ちこぼれ扱いしていたが、本当にそうなのか。
かなり強いんだが。
いや、それとも弓張月がただ弱いだけか。
そもそも普通科である弓張月が、ラック科の人間に太刀打ちできる訳が無い。こうなったら、溜飲を下げてもらうしかない。
「ラック科の人間が、普通科の人間に対して学校側の申請なしに戦いを挑んだら退学処分になるんだぞ!!」
ラックという競技に限らず、多くのスポーツは命を賭ける。
特に能力を使用するラックは、怪我が多い。だからこそ、普通科の人間の安全性を確保するための規律が存在する。施設も充実している。
それを苅宿が知らないはずがない。
苅宿は頭に血が上っているだけだ。冷静になりさえすれば、こんな戦いは無意味だと悟るだろう。
今なら弓張月が黙っているだけで事は収まる。ラブレターの件についてはまだ腹に一物あるが、そんな怒りは咀嚼する。
それが高校生となった弓張月のすべきことだ。
どう考えても、闇討ちしてきた苅宿が悪い。だが、勘違いしてこんなところまでのこのこ出向いてきた弓張月にも非がないわけではない。
そうやって何かしらこじつけて、どんなことにだって折り合いをつけて生きなければならない。
ただでさえ、悪目立ちしている弓張月。
これ以上教師の心証が悪化してしまえば、大学の進学にも影響がでる。だから、ここは苅宿の意見を聴いて、下手に出て謝るのが無難だろう。ごめんなさい、すいませんでしたと、土下座でもして華麗にこの件を内々に処理しよう。
「そんなんもう……どうでもいい。ウチは別に退学になってもいいんや! ……どうせウチに才能なんて……。全国にだって最初から行けるわけなかったんやから……」
苅宿はいつの間にやら、手を止めていた。
こんなことに何の意味もないとでも言いたげに。
ただ茫然と立ち尽くす。
あれだけ啖呵を切っていたにも関わらず、誰に言うでもなく弱音を吐いた。とても寂しそうに、夜空に散りばめられている綺麗な星を眺めていた。うっすら瞳に透明な膜すら張っていた。
少女が夜の空を眺める。
それはとても絵になる構図だった。
自分を変えるために高校を入学してラックを始めてみて。
だけど、やっぱり現実は厳しくて。
あーあ、頑張ってみたけど、やっぱり無理でした。挫折しました。こうなったらさっさと違う高校に行って、これまで通り平々凡々な学校生活を送っていこう。
そういう思いが滲むこうような、まるで額縁にはめられた絵画のような絵面だった。
「なんだ――ただの八つ当たりか」
ギシッ、と壊れた人形みたいに苅宿は首をこちらに向ける。
「全国大会どころか、同じ学校の一年生にすら劣る自分の才能に気づいちゃって、全部投げ出したい。だけど――自分から退学するのは格好がつかない。だから、俺を利用して退学処分を下されたいわけだ」
気が変わった。
もしも苅宿が馬鹿になりきれていたのなら。
カッとなってその場の勢いでこの勝負を仕掛けてきたのだったのなら、弓張月は簡単に退いていた。
だが、そうでないのなら。
自己保身を勘定に入れて喧嘩を売ってくるのならば、大枚を叩いてでも買ってやる。
「有終の美を飾るには打って付けの相手だよな。ラックに対する想い? 復讐? はっ、笑わせるなよ。そんなものは全部建前だろ? 本当は自分でも勝てそうな俺に勝負を挑んで、それで勝って。最後は気持ちよーく、傷ついたお前を温々と迎えてくれる家に帰りたいだけなんだろ?」
「違う――ウチは――」
「だったら、なんで八ツ橋に勝負を挑まないんだよ」
「…………っ!」
「お前、あいつと一度でも本気でぶつかったことがあるのか。本気で戦おうとしたことがあるのか」
うさぎのビデオを見る限りでは、今の一年同士で練習試合はなかった。
つまり個人的に戦いの場を作って戦う以外に、苅宿が八ツ橋と対戦するカードは実現し得ない。
だが、苅宿の反応を見る限り、八ツ橋とは戦っていないらしい。
「お前は……本当に戦うべき相手との戦いから逃げて、自分より弱い奴を倒そうとしているだけの――ただの卑怯者だよ」
「そんなん……あんたに言われたないわ!」
苅宿の口内から激情の言葉が迸る。
髪の毛を逆立せながら、種子をどんどん飛ばしてくる。次第に激しくなる攻撃に、弓張月は急いで身近にある木に隠れるしかなかった。
「あんたかて無理やって言うたやん! だから……ウチは!」
「誰かに言われてすぐに捨てる想いだったなら、最初から口にするなよ」
ミシミシッと木が悲鳴を上げる。
背中越しに種子の破壊の衝撃が伝わってくる。
だが、弓張月はもう動かない。
ここからどうするかは苅宿の問題だ。実家に尻尾を巻いて逃げ出すのか。それともその激高を原動力にして、弱い心を持った自分自身に立ち向かうのか。
「初心者だから諦めるのか? 実力がないから逃げだすのか?」
諦めるのも、そして逃げるのだって簡単だ。
だが、挑むことを強要するなんて、弓張月にはできない。それがどれほど辛い選択になるか弓張月は知っている。
弓張月にできることは、問いかけることだけ。
苅宿が一体何をやりたいのか。
「他の誰に馬鹿にされたって関係ない。大事なのは自分の意志。自分が自分のことを見限ったらおしまいなんだよ」
「ウチかて……ウチかて自分のことを信じたい。けど――」
「それでも信じろよ」
どれだけ劣勢に立たされようとも、折れない心を持つ奴だけが視えるビジョンもある。
膝をついて、もうダメだと頭を振って下向く。
それじゃあ、勝てる勝負も勝てない。
「自分の可能性を信じ、そして立ち向かべき壁にぶつかれ。ぶつかりたくなかったならそれでいい。だけど……それでもぶつかりたくて、ぶつかり方がわからなくて怖いっていうなら、この俺がキッチリ教えてやるよ」
バキィィィ、と一際高い破壊音が反響すると、グラリと木が傾く。あれだけの猛攻を浴びた桜の木は削れ、苅宿に向けてバランスを崩す。
「だから、とりあえず今は――潰れとけ」
苅宿は絶叫すると、頭から木の倒壊の衝撃を受ける。咄嗟に避けようはしたが、壊れた木の下敷きになった。
轟音とともに土埃が舞う。
弓張月の射撃能力は、苅宿の種子の射撃能力より劣っていた。
どんな距離から撃とうとも、運要素も絡んでその全てが防がれた。
こちらから有効打を与える手段は皆無だった。
樹木そのものを『弾丸』にすることも一考した。だが、地面に根を張っている桜の樹を飛ばすことはできなかった。根で繋がっている地面そのものの重量も加算されてしまったからだ。
だが、相手の攻撃の破壊力で樹木は根元付近から破壊された。それによって、折れた樹木の倒れる場所を、苅宿の立っている場所に導くことができた。動きが鈍いのは実証済みだったしな。
自分だけの能力で勝ち目がないのなら、相手の能力そのものを利用してやればいい。
「少なくとも……これで弱い奴が自分よりも強い奴に勝つなんて、ざらにあるってことが分かっただろ? ……あ?」
せっかくそれっぽい事を言っているのに、木の下敷きになっている苅宿はううう、と失神しながら呻いていた。
なんだか独り言を言っていたみたいで、物凄く恥ずかしくなってきた。
とにかく早く苅宿を引き上げてやろうと――
パッ。パパ、と男子寮から沢山の光が漏れる。
ざわざわと、いきなり騒がしくなってきた。どうやら度重なる戦闘音で異常事態が起こったことを察知されたらしい。
まずい。
おい! と、パチンパチンと恨みつらみを込めたビンタで苅宿を起こそうとするが、効果は薄い。涎っぽいのが手に付着してしまって、慌てて苅宿の服でゴシゴシと擦り付ける。
もしも苅宿が弓張月に決闘を挑んだことがバレてしまえば、退学処分になってしまう。なんとか上手い言い訳を探さなくては、と考えている途中で、わらわらと男子寮から野次馬根性丸出しの男たちがやってくる。
「弓張月……これは……」
その中にはうさぎもいて、ぽかんと口を半開きにしていた。
弓張月という名前に、男子寮の男達はあれがあの痴漢魔……とか、不躾な反応をする。
我ながらどれだけ有名になっているのか。
そして男たちは何やら勝手にささやき出す。
「……まさか、そこに倒れている女の子を男子寮に連れ込もうとして拒否されたのか」
「だけど、そのまま腹いせに木が倒れるほどのプレイを!? こいつ一体どれほどの高みに!?」
ブッと、口角から唾の飛沫が飛ぶ。
「ええっっっっ!?」
どんな噂が飛び交っていたら、そんな突飛な発想に至るのか。詳細が気になってきた。
「違う!」
とにかく男達との誤解を解かなければならない。
倒れ伏している苅宿を指差して、少し錯乱したまま声高らかに事実だけを木霊させる。
「こいつに夜這いされただけだ!!」