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ラックライアー  作者: 魔桜
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luck.36 最後のガラスをぶち破れ

 苅宿は電車に乗り込む。

 行き先は島の外。

 時期的に休みでもなんでもないその日は乗客は多くなく、すんなり席を確保することができた。相席なんてできる気分じゃない。話しかけられても、まともに返答できるかも怪しいものだ。

 苅宿には退学処分が下された。

 それから一週間の間に荷物を整理したり、書類にサインしたりしたりした。荷物は後で寮長が郵送してくれるそうなので、引っ越しするとは思えないぐらいに軽装。

 家にもちゃんと事前に連絡した。

 実家と、それから母親と、二人分の連絡をするのが億劫だったが、どちらも怒ることはなかった。達観したように、そうか、あなたの好きなようにやりなさい的なことを言われて励まされた。それから、あなたのためにはもうラックを辞めなさいとか言われた。

 ああ、なんて優しい両親なんだろうって。

 なんて子どもに無関心なんだろうって、そう思った。

「ダメや……こんなこと考えちゃ」

 今は精神が摩耗している。だから両親にこんな失礼なことを胸中で罵ってしまっているのだ。

 ラックを辞めろと言われたのも、親からすれば当然のこと。ラック科にいたせいで、退部したようなものだから。

 それに、住めば都というではないか。

 次の学校に慣れてしまえば、きっと今みたいに苦悩せずに済む。

 黒春高校にいる間はとても楽しかった。

 車窓から校舎は眺望できないが、島の景観の一部をしっかりと網膜に灼きつけるみたいに目を眇める。これで見収めだから。もう、戻ってくることはないだろうから。

 でも、満足な日々だった。

 クラスメイトともお別れも済ましたし。

 弓張月とはあまり顔合わせせずに転校してしまうことになったが、まあ、いつか会うときだってあるんじゃないのだろうか。弓張月が島の外に出た時に、たまたま、そんな運命めいたことがあるかもしれない。

 彼と一緒に、ラックに費やした時間はきっと無駄じゃなかった。だから――

「あっ……雨…………」

 ポタッ、と大きめの水滴が手に落ちる。開け放たれている窓から、斜めにポツポツと降ってきたのだろう。目には見えない針のような雨は、どんどん強くなっていく。円形状だった一つの水滴が、次第にその輪を大きくしていく。

 服まで濡れてしまったらかなわない。窓ガラスを締めるためにはまず、取っ手部分を掴んで――。

「……え?」

 窓は閉まっていた。

 おもむろに突き出した手はガラスに阻まれた。どういうことなのかと、ペタペタくまなく触ってみると、窓には隙間なんてなかった。

 それなのに雨足はどんどん強くなっている。

 その雨は頬にまで当たる。

 それはとても熱くて、雨なんかじゃなかった。それは――


「…………涙?」


 目が痛い。

 唇を伝っていく無数の涙は、まるで流星群のよう。

「なんで……ウチが泣いて……?」

 苅宿は涙を流す行為が嫌いだった。

 だって、女が泣くのはなんだか卑怯な気がした。それさえすれば許される。誰もが気勢を削がれて、自らには非がないのに謝罪する。

 そんな卑劣な女だと思われるのは堪えられない。

 いや、今まではそう思い込んでいたけれど、やっぱり……違う。

 涙を流さない理由。

 それは――苅宿が空っぽだからだ。

 涙を流さないのではない。

 流せないのだ。

 両親が離婚した時ですら涙を見せなかった。強かったからではない。苅宿はその時、まるで空虚で陳腐なドラマでも見せられている気分になった。まるでフィクションの世界に自分が紛れ込んでいて、朝日が昇れば全てが夢オチ。そうなって欲しかったけれど、やっぱり現実は絶望と地続きだった。

 それでも大人の都合だから仕方ない、という血の通わない結論付けが自分の中で発生した。ジタバタ騒いだところで結果は変わらない。だったら、すぐに受け入れるだけの心の準備をすべきだと思った。

 できるだけ傷つかないために。

 予防線は張っておく必要がある。

 そうやって、姑息に生きてきた。だからなのか、青春を謳歌できる人間の気持ちが理解できなかった。汗水たらしてまで得られるものは、無駄な疲労とすぐに霧消する達成感だけなのだと。

 そうやってやる前から断定づけていた。

 だから生まれてのこの方、一度お涙を流すことなどなかった。もちろん、玉ねぎを切った時や、埃やゴミが目に付着した時には泣いたことはある。だが、自然に泣いたことなど一生なかった。

 それが、まるで人間らしくないのだが辛かった。

 喜怒哀楽が他人より欠如しているようで、まるで人間失格と烙印をおされたようだった。

 なんで泣けないのか。

 それはきっと悔し涙を流せるほど、努力なんてしたことがないから。

 そして一つのものに、執着したことがないからだ。

「なん……で……?」

 涙を流す資格なんてない。

 だって泣いていいのは、それに見合うだけの蓄積がある者だけだから。後悔していいのは、それだけ思い入れがある人間だけだ。

 それほどまでに、『ラック』は胸の内で肥大しているのか。

 高校から始めて、約三ヶ月ほどしか経過していない。たったそれだけの経験で、ラックを語っていいはずがない。それに、黒春高校を退学しても、それでもラックをやり続けることはできる。

 親にはナイショで。

 ゆるーく、楽しく。

 全国大会まではいかないまでも、ちょっとした運動不足解消のために。それでいいはずだ。なのに、何故か身体は違う反応を見せる。涙を流すなんていう、転校に対する拒絶反応を見せる。

「そうか……ウチは……」

 嗚咽を防ぐために、半ば開けている口を手で覆う。


「まだ、ここにいたいんや」


 涙の塊が床に落下する。

 苅宿は分かっているのだ。

 黒春高校を退学してしまったなら、なあなあになってしまう。次の高校はまだ決まっていないが、古豪と称せされる黒春高校と同じ環境は望めない。ラックを真剣にやれる場ではないだろう。

 鉄の心もいずれは風化する。

 だから、それでいいんだって。

 昔の自分ならばすんなりと次の学校を探していただろう。

「だけどウチは……もう……見つけたんや……」

 それはまるで呪い。

 ひとつの到達点に至るまでは決して解かれることはなく。がんじがらめに身体を縛ってしまうものだ。

 

「――自分の夢を」


 電車のアナウンスが木霊する。

 もうすぐ発車してしまう。

 だから――苅宿は走る。

 横に流れる涙を肌に感じながら、通路を駆け抜けていく。誰もがポカン、とした表情で女子高生の珍妙な行動を見やる。

 うわぁ、とドン引きした顔をする人がいた。なにあれ、泣いてんの? 可愛そーとか事情を知らない人が同情するような眼で直視していた。

 そう。

 苅宿だって唐突に電車に走り出す人間がいたら、口にするまではいかないが、心中では馬鹿にするだろう。

 何頑張ってんの? と。

 どうでもいいやん、って笑ってしまうだろう。

 そうだ。

 きっと長い人生の中では、高校生活なんてとても短く。思い返してみれば瑣末なことばかりなのだ。今絶望していたとしても、未来の自分はあの時は若かった、と鼻で笑っているのだ。

 なのに苅宿は、みっともなく走っている。

 楽するための言い訳に身を委ねるほうが、よっぽど無難な人生を送れるのに。

 眼前でドアは閉まってしまう。

 そして、こら、待ちなさい、危ないだろ!! と後ろから腕を掴まれる。サラリーマン風の、背広を着た男によって停止させられる。振りほどこうとしても、男の筋力に勝てるわけもない。

 ヒステリックな女の暴挙とでも男に想像されたのか、物凄い力で床に抑え込まれる。へたり込んだ苅宿の眼前で、キッチリとドアが閉まってしまう。漏れ出ていた光の道は閉ざされて、闇の帳が下りる。

 苅宿は忍に――巨壁に立ち向かった。

 だけど、結局は打ち負かされてしまった。黒春高校に入学してから、自分の力でも何もなし得ていない。そんな無力な自分が今更ノコノコアホヅラぶら下げて黒春高校に帰って一体何ができる。

 退学処分を覆せるだけの材料を持っているのか。

 そんなものはない。

 駄々をこねても、何一つできな――


 ドアの窓ガラスが、壮絶な音と共に粉々に砕かれた。


 急停車した電車に揺られて、抑えつけていた男がうわっ、と横に転がる。全ての枷が外れて、視認できたのは空き缶。

 誰かが、自動販売機の横に設置されていたゴミ箱を投擲したのだ。

 キラキラと陽光を反射するガラスは、まるで夜空に瞬く星。

 深淵の闇に包まれていた苅宿の世界は一気に賑やかなものになって、涙の塊を零さずにはいられない。

「あれ? もしかしてそこで無様に涙を流しているのは苅宿か? なんて偶然なんだよ。あー、せっかくだから別れの挨拶に一言いいか?」

 太陽とまではいかず、苅宿でも直視ができる光をその人は放つ。

 真円を描くとまでいかないそれが輝くのは、闇の中。だとするならば、それは月なのだろう。

「迎えに来たよ――苅宿」

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