luck.28 応用力
弓張月は消し炭みたいに横たわっている。
立ち上がることはおろか、今日一日ほどは目を覚ますことすらないだろう。
途中で挫折した人間がこうなることなんて、分かりきっていた。それでも、あの弓張月が再びラックの試合をやるなんて言い出したのはきっと――。
倒れ込んでいる苅宿に一瞬視線を投射するが、すぐにかぶりを振る。今更何を詮索しても詮無きことで、煽ったのは忍自身。
弓張月が非公式試合とはいえ、何のためにラックをやったのかなんてどうでもいい。終わった後で後悔することなんてない。
目的の一部は果たした。
弓張月がラックをやる姿をもう一度観たかった。ただそれだけのために挑発してみたが、やはり彼にはラックは向いていない。
上を目指す者に問われる重要な要素の一つ。
それは――能力の『応用力』。
苅宿は『種子』から『蔓』へ二段階に能力をシフトできる。
八ツ橋は『変身能力』から『物理的攻撃の無効化能力』。
忍は『空気の壁』と『空気の砲弾』の二段構え。
多種多様な能力を持つラックプレイヤー達。その中で最も強い人間たちが、全国大会にはひしめき合っている。そんな中、勝ち進んでいくにはどんなラックプレイヤーにであろうと対応できるだけの、柔軟性。
つまりは、能力の『応用力』が必須となる。
だが、その能力が弓張月には著しく欠如している。
どれだけ巧妙な策略を練れたたとしても、それはただの机上の空論。実行力がない弓張月ができることといえば、頭の中で描いた勝利の方程式を他人に委ねることぐらいのもの。
「……哀れだね」
人には持って生まれた能力がある。
スタートラインから既に差はついていて、それを覆すことはほぼ不可能。だが、多大なアドバンテージを帳消しにできるだけの、能力の『応用力』があれば話は別。なのに、弓張月にはそれがない。
どんなに努力しようとも、自分の能力は変わらない。
どんなに戦略を練っても、それを実行できない。
弓張月道影という男はどう足掻いたところで、ラックでは上に登りつめることはできないのだ。
「一人じゃなにもできない。だから、自分より初心者で、見下せる苅宿さんとずっと一緒にいるのはとっても心地よかったんだね。そうやって利用してたんだ、彼女のことを……」
自分は満足に戦えないから、苅宿を代替品にしていた。
八ツ橋との戦いを観戦している時に、きっと苅宿に自分を投影させていたことだろう。そんなことでしか過去の傷を癒すことができない弓張月は、愚かというよりも哀しい存在でしかな――
「苅宿のことを、利用なんかするわけないだろ」
幻聴……ではない。
明瞭な声を発したのは、紛れもなくさっきまで死に体だった男。
口先だけだと思いきや、起き上がってくる。それどころか、こちらに向かって足を引き摺ってくる。
半ばパニック状態になりながら、条件反射的に忍は空気の砲弾で彼を吹き飛ばす。だが、予想以上に飛んでしまって。これでは肋骨の一本や二本罅がはいってしまってもおかしくないほどの威力だろう。
なのに――弓張月道影はゾンビのように立ち上がる。
「どう……して?」
さっきの――空気の壁で四方を囲んで上で、放った攻撃は生易しいものじゃない。少なくとも苅宿に喰らわせた攻撃とは数段威力の桁が違う。
空気の砲弾を弓張月にぶつける直前に、完全に空気の箱は閉じきった。つまり、爆発力をどこにも逃すことなく、空気の砲弾はその猛威を振るったということ。ただ逃げ道を塞いだだけじゃない、能力の応用の仕方。
奇策に長けている弓張月がどんなトリックを使ったのかは知らない。だが、どんな一発芸を駆使しようが、真芯で捉えたはず。当たったはず。
ましてや、根性でどうにかできるレベルの話じゃない。
今、こうして喋れているのも、奇跡に近い。
「約束したんだよ、あいつと」
ズサッ、と靴が後ろにズレる。
まさか――恐れているのか。
無傷の忍が、満身創痍の男を。
密林のようにそびえ立っていた岩石は影も形もなく、弓張月が武器にできるようなものはもうない。忍が武器にできる空気は無限大にある。
圧倒的実力差があるにも関わらず、それでも未だに凄みのある眼光を真正面に受け、気圧されている。
そんなことがあっていいのか。
「あの約束を果たす時は、きっと……『今』……なんだよな」
「……約束?」
一年以上ダブルスを組んでいた忍は知っている。
弓張月道影という男は、人間の尊厳を踏みにじることに天才的で。
心を踏みにじることに至高の喜びを感じる奴で。
リアリストで夢見がちな人間を鼻で笑うような奴。
だが――
「壁のぶつかり方を教えてやるって、そう……約束したんだ。ついでに、もうひとつだけあいつに教えてやるんだ」
決して勝算もなく戦いを挑むような、ただの無謀な馬鹿ではないということを、忍は知っている。
「この程度の壁をぶち壊すことなんて、造作もないってことをなあ!!」