luck.25 理想を抱いて溺死しろ
種子から伸び上がった蔓によって、ちょっとした土煙が巻き起こる。
苅宿は傷ついた片足を引き摺ると、背後のすぐそこにあった壁を支えに何とか立ち上がる。手をついたなんとも不格好な立ち姿だが、これで終わったと安堵して弓張月へと視線を引き上げる。
だが、弓張月はガラス越しに何かを必死に叫んでいる。
それは勝利の喜びを共有し合う歓声ではなくて、むしろ絶望を予感させるような絶叫だった。えっ――と口内で疑問符を転がして、弓張月の視線を辿って――
パチン、と小さく渇いた音が響く。
腹部の一切を根こそぎ損失するかのような激痛が走る。あ、かっ、と悲鳴にもならないような声が自然に漏れ出てきた。
一転。
足で地面を掴み取ろうとしたが、力が全く入らない。そのまま糸の切れたマリオネットのように、ドサッと地面に倒れこむ。ガクガク、と顎が勝手に動いて、歯の根が合わない。
「なん……で……」
焦点が合わず、忍が二重三重にぶれて見える。
だが、その柔肌には何一つ傷がついていなくて、あんなタイミングバッチリで攻撃したにも関わらず避けらたことを意味している。どうやって。動きを読んでいたのか。
八ツ橋との戦いを経て。
弓張月に指摘された『視線の動き』の弱点は克服したはず。そんな容易に回避できるものじゃなかったはず。種子と蔓の二段攻撃はできるはずがない、と心理的死角を突いた攻撃だったのだ。
それなのにどうやって防いだのか。
「それで、どうするの?」
底抜けに無邪気で高い声で、質問を投げかけてくる。
どうするって、なんのことだろう。
「降参する? それともまだ戦う? 当――然、まだ戦うよね?」
戦う?
そんなこと、できるわけがない。一撃喰らっただけで、どの筋肉繊維もズタズタで動くことすら適わない。実力差ははっきりとついてしまった。そもそも苅宿が戦えるレベルじゃなかったのだ。
八ツ橋といい勝負をしたから、それで今度も勝てるんじゃないのか、って勘違いしてしまっただけ。
あの時はたまたま運が良くて。
それから弓張月が一緒になって戦ってくれた。
だから、なんとか白星を勝ち得ただけだったのだ。
だが、これが苅宿一個人の真の実力。
一撃まともに直撃しただけで、勝敗がついてしまうほどに脆弱。もう――戦えない。戦わないのではなく、戦えないのだ。
仮に立ち上がっても、また痛い思いをするだけ。
「戦うんだったら、それ相応の態度でこっちも臨まないとね! だって、正々堂々と全力でぶつかり合うのが、勝負ってものだから!」
いつでも指が鳴らせるよう、照準を苅宿に合わせられる。
あと一撃喰らってしまったら、ラックの勝敗とかそれどころの話ではなくなる。意識が覚醒したら、ベッドの上で全治2ヶ月とか診断されてもおかしくない。そしたら、黒春高校のレギュラーになる道も絶たれる。
だから、ここは素直に白旗を上げるしか――
――なんだ――ただの八つ当たりか。
偉そうな口調で言われた言葉が反芻される。
瞬間、微睡んでいた意識が一気に戻る。
あの時もそうだ。
苅宿はあの時、勝負することから逃げ出そうとしていた。また、繰り返すのか。あの時味わった苦渋をまた味わなくてはならないのか。
「ウチ……アンタに勝てへんな」
「そうでしょう? 今更気がついたの? だからすぐに降伏して――」
「勝てへん勝負に意味なんてない。そんなん分かっとる。だけど、なんでかな……。せやけど戦いたいんや、最後まで……」
ポタポタと眼蓋の上を滑って、地面に落ちる墨汁みたいな汗。
それを眺めながら、肘に力を入れる。
忍は漫然と見下している。
いつでも倒せることが分かっているから棒立ちになっている。
「勝負するのは怖い。負けるのは分かってる。これ以上立ち上がっても、傷つくだけや。だけど、そんな理屈よりも大事なものが……夢がウチにはあるんや。だから――!!」
何一つ戦える武器が残っていない。
だけど、まだ心は折れていない。
「そう。じゃあ、その大事なものを抱え込みながら――おやすみなさい」
さっきよりも近距離から放たれる空気の砲弾は、壁を粉々に破壊する。破片が飛び散る中、苅宿は前かがみに倒れていった。