luck.22 脅迫者は交換条件を提示する
第4訓練所『グレイヴ』。
ストーンサークルのように、巨大な柱のような岩が幽鬼のように立ち並んでいる。それも視界に埋めつすほどの数の岩で、一瞬にして数を数えることは困難だ。
岩が鎮座しているだけの簡素な訓練所は、どことなく不気味。
植物を育成するために照明の光量が最大だった『ガーデン』とは真逆で、ぼんやりと薄暗い空間。まるで幽霊か何か出てきそうな空気すらあって、居心地の悪さが凄まじい。
弓張月自身、ここに足を踏み入れたのは初めてのことで、だからこそのこの不安感。そしてそれは、苅宿も同じはず。だが、迷いない歩行からして忍はそうでないらしい。もしかしたら、壮行会で上級生と戦った場所なのかもしれない。
忍のビデオは見ることが適わなかった。
やはり、一年女子で最高の成績を残したということで、かなり厳重に保管されていたらしい。うさぎから借りることはできずじまいだった。
だから、今どんな戦い方をするのか。
それは全くの未知数。
きっと、中学の頃とは比較にならないぐらい強くなっているのだろう。環境が悪かったせいで日の目を見ることのなかった忍が、ようやく正当な評価を得られるようになった。
そのきっかけとなった場所が感慨深い。だが、まさかそんな自慢話をするために、弓張月と苅宿をここまで連れ出してきたわけではないはず。
「こんなところに俺たちを呼んで、どういうつもりだ?」
弓張月は声を荒げる。
この『グレイヴ』とかいう施設も気に食わないが、何より忍と共にいることが嫌だ。こいつと一緒にいると思い出しくもない記憶が、フラッシュバックするみたいにフッ、フッと現れては消えるものだから自然と語調は荒くなってしまう。
それとは対照的にゆったりとした口調で忍は、
「もう苅宿さんには少しだけ説明してあげたんだけどね。どうする? 弓張月には直接的な関係はないんだけど」
「……だったら、俺は帰らせてもらうぞ。苅宿がどうなろうが知ったことじゃないしな」
「えぇ、ほんとうにぃ? どうなっても知らないよぉ?」
「しっ――つこいな。それでいいって言ってるだろ」
「そう……」
フッ、と忍は笑うように小さく息を吐くと、
「苅宿さんが退学処分になってもいいんだ」
「なに……?」
冗談か何かとも思ったが、当の本人である苅宿は気まずげに唇を噛んで下を向いている。それはその事実を肯定しているってことなのか。即座に否定の言葉は出てこないのか。
訳がわからない。
一体、いつからそんな事態に陥ってるんだ。少なくとも苅宿と練習を続けていた時には、そんな予兆は全くなかった。口喧嘩をしてから、数日。一体その間に何があったっていうんだ。
「アハッ! やっぱり気になる? 気になっちゃう?」
「……………」
「もぉう。そんな怒った顔しないでよ。ちゃんと説明してあげるから」
忍はゴソゴソとポケットの中をまさぐると、
「はい。これなーんだ?」
スマホを取り出して、画面を見せてくる。
何やら動画ファイルらしい。保存していたものが再生される。動画時間は5分弱で短い。画質はそこそこ良くて、そこがどこなのかは数秒も経たないうち察しがついた。
「……『ガーデン』で、苅宿と一緒に八ツ橋との試合を打合せしていた時の映像か……?」
プツン、と耳障りな音が一回だけ鳴ると、明瞭な声と映像がスマホから流れる。
『いいか。試合展開は俺の指示通りに動いてもらう。……って聴いてるのか?』
『聴いとるけど、やっぱり眠くて……』
『何言ってんだ。お前が男子寮の前で俺を襲った時もこのぐらいの時間帯だったろ。さっさと立て、立つんだ! 苅宿!』
『蒸し返さんでええやろ! あれは襲ったというより野試合や。野試合!』
そこで動画が一時停止される。
「………………」
砕けた物言いだったが、これは……。
「これさあ。ラック科の人間が普通科の人間と非公式に試合したってことだよね。いいのかなー、そんなことして。経緯はどうであれ、ラック科の苅宿さんは普通に退学だよね」
この映像は、各訓練所に設置されている複数のカメラ映像から、抽出されたものだろう。『ガーデン』にも、もちろん『グレイヴ』にもカメラは置かれている。
だが、問題はどうしてこんな映像を、忍が保持しているかってこと。
いくら成績のいい人間が学校側から贔屓されやすいとは言っても、編集したカメラ映像をこうして持ち歩くことを許可するはずがない。
本来ならば、学校側にこのことを告発してもいいぐらいだ。
だが、そんなことをすれば、この映像が白日の下に晒されることになってしまう。そうなったら、苅宿は退学になってしまう。それすら計算の範疇に入れながら、こいつは何か企てている。
「……お前は何がしたいんだ」
「何がしたい?……そうだね。シンプルに言うと、私がして欲しいことはたった一つだけ」
ピン、と人差し指を上げると、
「『弓張月が私とラックで対戦する』。それだけでこの件は不問にしてあげる」
「……なんだ、そりゃ?」
そんなことをして一体どんなメリットがあるっていうんだ。
そもそもデメリットの方が多いはず。
ラック科の忍と戦えば必然的に、今の苅宿と同じ境遇に落ち着くはず。
出された条件の意味が分からなかったのは、弓張月じゃなかったらしい。苅宿が身を乗り出して、
「そんなことしたら忍さんも――」
「大丈夫。私はちゃんと許可をもらっておいたから。そうじゃなかったら、『グレイヴ』を貸し切りになんてできないでしょ。心配しないでいい。勝敗なんて関係ない。ただ……私と戦ってくれるだけでいい」
冗談を言っているような顔じゃない。
どちらかというと、中学時代にこういう表情をしていた気がする。絶対に折れない覚悟を決めた顔だ。
「さあ、どうするの? 弓張月」
どうするって。
何をどうするっていうんだろうか。いきなり戦えと言われてみても、しっくりこない。おかしい。なんで弓張月が戦わなければならないのか。
「ウチが――アンタと戦う」
返答に迷っていると、苅宿が一歩前にでてそう宣言する。
「苅宿さんが? ハッ。なんの冗談?」
だが、忍は歯牙にもかけない。
「――もしかして、八ツ橋さん如きを倒して調子に乗ってるつもり? あんな二流の人間相手に善戦したからって、自分の力を過大評価しない方がいいよ」
「や、八ツ橋さんは強い人やったよ! 少なくともあんたみたいに口だけの人やなかった」
「……どうやら弓張月の毒舌が伝染ったみたいね。だけど、模倣したところで自分が強くなったって勘違いしない方がいいわよ」
弓張月が預かり知らぬところで、なんだか事態が推移していく。どうやら弓張月は戦わなくて済むことになったらしい。
まるで蚊帳の外だ。
2人が段々とヒートアップしていく様が、なんだかあまりにも遠くに視える。まるでテレビの映像を眺めているような気分。
「いいわ。指示待ち人間な苅宿さんに、本来の自分の実力を把握してもらうのもいいかも知れない。きっと今後の人生の役に立つと思うしね」
それより、と枕詞を添えると、
「弓張月はそれでいいの? 苅宿さんが代わりに戦ってくれるって言ってるけど」
忍はまるで否定して欲しいみたいな言い方で。
弓張月がやめろ! 俺が戦ってみせる! 苅宿は関係ない! とでも言って欲しいのだろうか。なるほどな。そういう風にかっこつける場面なんだな。
「――っていうか、俺関係なくね?」
だけど、それは大きな間違いだ。
冷静沈着に熟考してみたが、今の弓張月は巻き込まれているだけだ。
「これってさ、苅宿が蒔いた種でしょ。なんで俺がその尻拭いしないといけないのって話じゃん。うん、まあ、カメラがあるところで、俺が考えなしに口を滑らしたっていうのは分かるよ。だけどさ、なんで俺まで呼び出されてないといけないわけ?」
「……あんたはそういうことしか言えないの?」
怒りを押し殺し切れていない忍。
でも、ほんとに疑問。
何故逆ギレされているのやら。
「そういうことっていうか……客観的事実を言ってるだけ。まあ、どうせ暇だから2階で見学くらいはしておくけど、さも『私が代わりに戦ってあげる!』みたいな、恩着せがましい言い方はどうかと思うけどな」
これは苅宿に対して贈る言葉。
確かに代わりに戦ってくれるのはありがたいと言えばありがたい。だが、『苅宿が退学にならないために、弓張月が戦う』っていうのは、どう考えても筋違い。というか何かがズレている。
どうしても、首を傾げざるを得ない。
「さいってぇーね」
「最低で結構だよ。忍がそう思いたいならそう思えよ。てか、え? なんでそんなこと言われないといけないんだよ。一番最低なのは、脅迫を盾に勝負をふっかけているお前の方だろ?」
どうでもいいよ。
茶番すぎる。
とにもかくにも、苅宿にバトンタッチだ。ここで誰かが戦いさえすれば、それで解放されるんだろ。戦えば、苅宿も見逃されるんだろ。
だったら、さっさと終わらせて欲しい。
長時間、変なことに付き合わされるのはまっぴらごめんだ。
「まあ、やりたい奴らが勝手に何かごちゃごちゃやっておけばいいんじゃないの? 気が済むまでさあ」