luck.20 女の勘
忍とうさぎは早めに食事を終えて、何処かへそそくさと去っていった。
台風みたいに場を荒らすだけ荒らして、残されたご両人――弓張月と苅宿は何故かお通やみたいに皿へ視線を落としていた。
カチャカチャと、箸が皿に当たる音だけが響く。
食堂にいる人数も少なくなってきたせいか、より無言でいるのが強調される。
何故か2人きりでいるのが気まずい。
つい先刻の――忍やうさぎ等が絡んで来る前だったならば流れていなかった、重々しい空気が充満している。酸素が少なく息苦しい。一体どうして。
チラリと、気づかれないよう苅宿を一瞥する。
心ここにあらずといった様子で、カキフライを凝視している。
シュールな光景だが、笑うことはできなかった。
落ち込んでいるように見えるが、何か気分が沈むようなことがあっただろうか。心当たりなど特に思い浮かばない。
原因は分からないが、忍が考えもなしに状況をかき回したせいだ。
自分は好き勝手言いたことだけを言い残して、そして残された人間はこうやってグズグズな雰囲気になってしまう。
どういう意図でやったのか。
……復讐の真似事のつもりだろう。
自業自得であること分かりきってはいるが、忍の思い通り事が動くと思ったら大間違いだ。
「箸止まってるけど、どうしたんだ? 食欲ないんだったら俺がカキフライ喰ってやるぞ」
「…………」
せっかくこっちが、息苦しいこの場を和ませようとしているにも関わらず、苅宿は無視を決め込む。
熟考したいのか。
それとも今は話したくないのか。
それだったら、さっさと皿を下げればいいのに。
何もせずに、このまま居座り続けられるのは非常に困る。こっちとしては、どうやって会話を切り上げていいのかタイミングが掴めない。
うさぎとかだったら、いい感じにじゃあね、なんて颯爽と去れるんだろうが、ナチュラルな感じを出しつつ、誰かと別れるのが苦手なのだ。いつもはどうやって切り出しているんだっけか。
あー、とか露骨に声をあげて、食堂に設置されている時計を見上げる。針が示す時刻を言えば、そろそろ昼休みが終わることを口実にできる。我ながらナイスアイディアだ。
「どうしてラックを辞めたん?」
地震が発生したかのように、身体がビクッと揺れる。
いきなり、なんだこいつ。
平然を装えず、唇の端をヒクつかせながら、
「なんで辞めたかって? それはな……どうでも良くなったんだよ。高校進学の内申書目的で部長やってみたはいいものの、どいつもこいつも指示に従わなかったしな。俺のやり方に従えないっていうなら、俺が辞めるしかないだろ」
「本当にそうなん? 実はもっと別な理由があるんやないの?」
「ないよ、ないない。そんなもの。特に思い返す必要もない、どうでもない些細なことだ」
「ラックの話をしようとすると、いつもそうやって適当な言葉ではぐらそうとするけど、何があったん? 話してみれば、楽になれることもきっとあるで」
こいつは……何様のつもりなんだろうか。
全部こっちの葛藤なんかをわかった気でいるような、そんな不遜な物言いを何故できるのか理解に苦しむ。
「……なんだよ。さっきから。ずかずか土足で人の心に踏む込むようなことばっかして。そうやって根掘り葉掘り他人の過去をほじくり返すのは、なんだ? 趣味か?」
「そうやないけど……」
「だったらもういいだろ。さっさと教室に戻らないとな」
これ以上ここにいたらキレてしまいそうだ。苅宿に当たらないために席を立とうとすると、手を握られて制止される。
「なんだよ……」
こっちがどれだけ歯噛みしながら怒りを抑制しているのか。
今の弓張月の表情を観れば一目瞭然のはず。それでも構わず話しかけてくるってのはどういう了見だ。こっちは苅宿に逆ギレの被害を及ばさないように、必死になってこの場から立ち去ろうとしているのに。
それなのに、どうしてわざわざ火中の栗を拾うような真似をするのだろうか。
「いいから座って!」
「あのなあ、何を勘違いしているのか知らないけど、ちょっと一緒にいたからって何でもかんでも訊いていいってことにはならないだろ。俺は何も話したくないんだよ」
「話したくないってことは……やっぱり何かあったんやな」
「……このッ……」
もう我慢の限界だ。
知り合ってそんなに時間を共有したことがない奴に、ここまで言われて黙っている理由はない。
「なんでそこまで俺がラックを辞めたことに拘るんだよ。そうか……あれか。自分だってラック辞めそうになったから、先輩である俺の話でも参考にしたいってことか。ああそういうことか。……そうやって間接的に俺をいたぶりたいわけだ」
「な、なんでそんなことになるん?」
「どんな無様な辞め方をしたかを訊いて、安心したいんだろ。自分よりかダメな奴が身近にいれば、今後のモチベーションを高めることができるもんな」
「そんなわけないやろ! ただウチはアンタのことを知りたいだけや!」
「だからもう散々言っただろ! 俺のことは!」
苅宿のせいで、色々と漏れてしまった。それで充分なはずだ。
「言ってへん! 本当の、核心の、一番ナイーブな部分は打ち明けてくれてへんやん!! 言わないと、絶対後悔する!!」
ハァ、と長いため息が出る。
「………言葉が通じないらしいな……。後悔する……? なにを根拠に言ってんだ」
「勘や。女の勘」
「はっ、出たよ。困った時に出る『女の勘』。そう言えばこっちが納得するとでも思ってんのか! 例えその『女の勘』とやらが合っていたとしてもな、お前なんかに言う義理はないんだよ!」
段々危うい感じにヒートアップしていく。
このままでは、苅宿との関係が破綻してしまう言い争いに発展してしまう。だが、悪いのは全てあちらの方だ。
弓張月は弓張月のやり方で最大限譲歩してやったつもり。それなのにここで引き下がらない苅宿が悪い。さっさと言い過ぎたと謝罪すればいいのだ。
「――中途半端な覚悟でラックなんかやってる奴にはな!」
「よくも……ウチは……」
一番気にしているであろうことを言ってやたつもりだ。
おとなしくなった苅宿をいい負かせてやった優越感で、ついに今まで喉にでかかっていた疑問を投げかけてしまう。
「『ウチは』なんだ? そういえばお前、憧れている人のためにラックやってるって言ったな。……もしかして、その憧れている人に会うために全国目指しているとか、そんなオチじゃないだろうな」
せせら笑って、そしてすぐに反駁の言葉を待ち受けていた。
だけど、
「…………」
そんな期待はもろくも崩壊した。
瞳を彷徨わせながら、苅宿は何も言い返すこともできなかった。それどころかこれ以上踏み込まれたくないように、不安そうに顔を翳らせていた。
どれだけ勝手なんだろうか。
他人にはあれだけ好き勝手振舞っていたくせに、自分のこととなるといきなりシャッターを閉ざす。
「図星か……」
食堂の人間たちは好奇心旺盛に、ちょっとした修羅場を演じている弓張月に視線を注がせている。
そんな注視されている中。
苅宿が何をしているかというと、悲しそうな顔で俯いていた。言いたいことは山ほどあるのに、何一つ言葉にできないことを苦悩しているかのようだった。
それは、まるで完全無欠な被害者。
ああ、そうだ。
苅宿は弓張月みたいなボッチとは違って、今はお友達がいっぱいいるらしいし。そんなんだからこうやって、周りが同情を引くような態度を取っている。そうしていれば、弓張月を悪役に仕立て上げるのは簡単だ。
あとは苅宿が何もしなくてもいい。
苅宿にとって都合のいい、歪曲した誤情報がお友達の噂話によって出回るといった寸法。
そうなることは、生きていている間に嫌というほど味わった。
「そんな適当な考えを持っているお前なんかに、俺の何が分かってやれるっていうんだよ……」
憧れの人。
そんな少女漫画に出てくるような夢見がちな少女。とっても乙女チックで、純真すぎるその想いはとても綺麗だ。
綺麗すぎて、鼻がもげそうになる。
あれだけ八ツ橋との激戦を繰り広げたのも、過度な練習で手切れしたのも。
全てはその憧れの人とやらに近づくためのもの。
心が冷え切る。
苅宿に熱があればあるほど、価値観のズレた行動原理についていけない。
「俺はもう絶対にラックなんて糞みたいな競技やらないし、どうでもいい。俺が言えるのはそれだけだ」