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ラックライアー  作者: 魔桜
02
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luck.16 極寒の地で独り呟く

 苅宿はどうして八ツ橋が敗北宣言をしたのか、ピンとこなかった。

 弓張月から事前に八ツ橋を拘束さえすれば、それで勝利の条件を満たすということを教わって、それを実行しただけのことだ。

 戦い始めは、弓張月の指示に従うだけでは、あの八ツ橋に対して到底勝ち目がないと思った。

 仮に勝ったとしても、訳も分からず勝ったら勝負する意味がない。

 だが、八ツ橋の口から降参の意志を聴いて、

「やったっ!」

 人目を憚らず、自然とガッツポーズが出てしまっていた。

 拳が白くなるまで握り締めて、ブルブルと震えている。

 胸には溶岩のような高揚感が湧き上がって、口元が緩まずにはいられない。眩暈さえしそうな強烈な光量がチカチカと瞳に襲いかかって、貧血を起こしそうだ。それほどまでに興奮しきっている。

 これが、ラック。

 勝利の余韻が、これほどまでに刺激的なものだとは思わなかった。

 呼吸することすら忘れていて、プハァ、と慌てて二酸化炭素を排出する。

 未だに白い腕は粟立っている。

 壮行会では、当たり前のように一方的な試合展開だった。ほとんど抵抗らしい抵抗もできず、ラックがどんなものか体感する余裕もなかった。

 そして弓張月との野試合では、自滅してしまうという最悪の試合結果だった。

 その2つとも、ほとんど瞬殺。

 八ツ橋との試合が、苅宿にとって初勝利で、実質ラックというスポーツを思う存分味わったことになる。

 しかも相手は、一年女子の中でも指折りの八ツ橋。

 これで歓喜に浸らない訳が無い。

「あっ……」

 高みから観戦していたラック科の人間たちが、ぞろぞろと階段を降りて、そしてここまでやってきたようだった。

 苅宿は目線を彷徨わせ、ゆっくりと所在無さげに地面へとスッと落とす。

 《ガーデン》に向かっている時には、弓張月の背中についていくだけで良かった。だが、今となってはどういう表情をすればいいのやら。幽霊みたいに、透明になって消え入りたいぐらいだ。

 ここにいるのは、八ツ橋の応援をする人間がほとんどだったはずだ。

 八ツ橋には、人気をもらえるだけの華がある。

 そして八ツ橋と一緒に苅宿のことを目の敵にしていた女子たちも、そこにいる。弾劾されてしまいそうだ。

 言われそうなことといえば、どうしてそんな罠ばかりを仕掛けた卑怯な手段を使って、八ツ橋のことを傷つけたのかとか、そういう非難の類のもの。

 亀のように首を縮める。

 ツカツカ、と早足でやってきた一人の手が、曲線を描く苅宿の肩を強めに叩かれ、揺さぶられる。

 ビクッ、とバネじかけのおもちゃみたいに頭を引き起こす。これからどんなに激しく怒鳴られても、耐えられるように身を竦ませ――


「凄いじゃん! 苅宿さん!」


 あけすけな好意の声。

 鈴のように透明感のある言葉は、苅宿の胸の内に、どこまでも、どこまでも響く。反響しすぎて、鼓膜が機能しなくなったかのように聞こえなくなる。

 ただ、驚きのあまり「――――え?」という、自分の声が漏れた音だけは、微かに聴こえた気がする。

 フランクなその物言い方は、不快に感じない。

 それどころか、親しみすら感じさせるような声のトーン。また傷つけられてしまうのではないかと、怯えるようにしていたから、余計に心に温かさがじんわりと滲む。

 その人は、八ツ橋のグループの女子の一人だった。

 直接、苅宿に手を出したことはない。

 だが、いつも生意気な口を聞いてしまっていた苅宿のことを、まるで虫けらを睥睨するような目つきをしていた人だ。

 どんよりとした昏い瞳で、見下しきっていたようなその人は、ニコニコとまるで太陽みたいな笑顔を見せる。 

 そして、その女子の行動が皮切りになって、

「うんうん、私感動しちゃった! 凄いよー」

「あんなに弱かったのに、どうやってそんなに上達したの?」

 ダムが決壊するように、誰もが口々に苅宿を賞賛する言葉が飛び出てきた。最初はやはり女性陣が、ちょっとたじろいでしまうぐらいに距離を物理的に詰めてきた。

 あぅわ、と変な声が出る。

 とても優しい手つきで女子の一人に、手を掴まれたと思ったら、そのままわっ、と女子たちに、一気に囲まれた。八ツ橋達に囲まれたことはあるが、それとは全然違っていて。なんだか泣きそうになるぐらいに、みんなの視線からは親愛の情が溢れている。

 嬉し過ぎて、まるで現実のことではないような感じ。

 ぶわっ、と眼前から風に吹かれたみたいに、たじろいでしまって。でも、全身の細胞を活発化したように、全身が物凄く熱い。

 女子のその後ろの、ちょっと離れたところでは男子達が、苅宿の健闘をたたえるような事を言っている。小声なのだが、しっかりと鼓膜を震わせている。

 自分なんかにはもったいないぐらいの充実感。

 こんなことってあるのだろうか。

 たくさんの人間がただ苅宿一人のためだけに集まって、好意的に接してくれる。ずっと詰られるのが当たり前だと思っていた。自分の人生なんてそんなものだと。だが、そんな自分にも、こんな奇跡みたいなことが起こりうるとは想像だにしなかった。

「あっ、八ツ橋さん……」

 だけど、そんな夢幻みたいな光景を霧散させるように、その人は現れた。

 硬質な表情をしていて、ピリピリと静電気でも発してそうなぐらいに機嫌が悪いのが伝わってくる。

 誰もが近寄りがたく、いつも側近みたいな女子達ですらも声をかけずにいた。

 ただ黙したまま歩く八ツ橋に、人垣が真っ二つに割れる。苅宿までの道を作るみたいに、誰も彼もが気遣った。沢山の笑いが生まれていて、ほんわかとした空気だったのに、グン、と氷点下まで空気が氷結する。

「苅宿さん」

 ゴクン、と誰かが唾を呑み込む音がした。

 八ツ橋は顔を思いっきり顰めさせながら、捲し立てるように、

「確かに私はあなたに負けました。ですが、あなた一人に負けたわけじゃありません。そもそもあなたは、『あの彼』に指導されたから、こんな最高の結果を得られたわけであって、厳密に言えば私はあなたに負けてなど……なんですか?」

「――いいえ、別に」

 プ、と、抑えきれずに吹き出してしまう。

 もしかしたら、八ツ橋はかなり不器用なんじゃないだろうか。

 あまりにも言葉が拙くて、微笑ましいぐらいだ。

「相変わらず、腹の立つ言い草ですね。……なんだったら、今から再戦してもいいんですよ」

「八ツ橋」

 弓張月が一歩前に出ると、八ツ橋が何故か目に見えるほどに狼狽する。

「…………ッ」

「お前がラックを長年やってきて、ぽっと出の苅宿のことをムカつく気持ちは心の底から理解できる」

「……ちょっと、弓張月さん」

 我慢できずに横槍を入れる。

「だけど、何十年もラックをやってきた八ツ橋だからこそ、苅宿みたいに弱い奴の気持ちを……どうしてもうまくいかない奴の葛藤を分かってやって欲しいんだ」

「…………」

 八ツ橋は口を閉ざしたまま、真摯な態度で弓張月の声に耳を傾ける。

 観ている苅宿の心が揺さぶられてしまうぐらいに、弓張月はただただ懇願していた。

「どんなラックのプロプレイヤーだって、最初は初心者だったはずだろ。どいつもこいつも大なり小なり、苦悩しているはずなんだ。八ツ橋達に厳しくあたられても、こいつはどん底から立ち上がったんだよ。苦悩は同じでも、立ち上がることは……そんなことは……誰にだってできることじゃないだろ」

 弓張月は唇を一瞬噛み締めて、

「……そうやって、腐らずここまで成長した苅宿のことを、まだ許せないって言うんだったら、もう俺は、こいつのためできることは……なにもないよ」

 悲哀を帯びた視線を中空で固定させる弓張月。

 切羽詰った物言いで。

 真摯にただ単純な、苅宿のために宣った。

 初心者の気持ちを分かって欲しいと。

 八ツ橋は何を思ったのか、真一文字に結んでいた唇を解くと、

「安心してください。もう苅宿さんと敵対するつもりはありません。彼女なりに努力したようですし、彼女が腐った林檎ではないことは、手合わせしてよく分かりましたから」

 こちらに少しだけ視線を寄越すと、すぐに弓張月へと戻す。

「それに、ずっと探していたものを、今日ようやく見つけることができたんです。大事な、とても大事なものを。……それに比べたら、今日の試合は私にとって瑣末なことです。見つけたのは……そう……」

 彼女の真っ直ぐな瞳は、


「――私が戦うべき宿敵です」


 まるで宝石のように光を帯びていた。

 好戦的で。

 やっぱり苅宿なんか眼中にないという感じだった。さっきまで戦っていたのは苅宿だったはずなのに。それなのに、もうあんな戦いどうでもいいとばかりに、妙にすっきりとした表情だった。

 あれほどまでの勝負にこだわっていた八ツ橋にしては、どこか様子がおかしかった。それに無視されたみたいであまり面白くなかった。

「弓張月さん」

 どういうことなのか問い詰めるために弓張月の名前を呼ぶ。だが、さっきまでいたはずの場所に、彼はいなかった。それどころか、視界のどこにも弓張月の姿はなかった。

「あ……れ……?」

 たかだか苅宿に黙ってどこかに行ったというだけ。

 それなのに、猛烈に嫌な予感が胸の中で湧き上がる。まるで独りきりで雪山に遭難したような孤独感に、身体の体温を一気に奪われる。

 水に濡れた体操服が冷えて、より冷たくて。

 どうしてだが、今すぐ弓張月のもとへ駆け出したくなった。

 だが、周囲にはまるで雪崩のようにラック科の人間たちが塊としている。ちょっと通して、と断りを入れるが、なんだかさっきの試合の話がヒートアップし過ぎてこちらの話が聞こえないようだ。

 苅宿のことを認めてくれていた人たちのはずなのに。彼女らは何故だか肝心な時には、まるでこっちの存在に気がついてくれなくて。試合の結果凄かったよね、とその感情を共有することだけが大事。それ以外はどうでもいいといった騒ぎ具合。

 ブリザードが吹き荒れるみたいに、どれだけ叫んでも彼らには声が届かない。

 かき消えそうな。

 自分にしか聞こえない声で呟く。

「弓張月……さん……?」

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