luck.13 解説役は挑戦者を睥睨する
弓張月はガラスで仕切られた二階から、苅宿の奮闘を見守っていた。
勝負を急ぎすぎていて粗が目立つが、試合経験の少ない苅宿があそこまで実力を発揮できている時点で凄い。
動きだけなら練習以上。絶好調といったところ。
だが、それを上回るのが八ツ橋の『変身能力』。
『変身能力』と聴いて連想したのは、肉体を武器に変化させて攻撃したり、昆虫などといった極小の生物になって翻弄するとか、そういった能力の使い道だ。
しかし、八ツ橋のビデオを見る限り、外見が変わった様子は見られなかった。恐らく変身しないのではなく、変身できないのだ。
人相を変えることぐらいだったらできそうだが、内臓や骨などを魔法のように拡縮するのは、至難の業。
質量そのものを変化させるなんて、少なくともプロレベルでないとできない。
高校生になったばかりの八ツ橋が、そんな芸当できる訳が無い。
ということは、八ツ橋は『変身能力』を容姿を変える為に使っているのではない。
眼で見えないところ。
肉体の中身を変化させているとしか結論づけられない。でなければ、あんなにも強大な力を発揮できるわけがない。
あの超人的な腕力の理由は、筋組織を強靭なものに変化させているためだ。
だが、それは一瞬のこと。
そんなことをずっと続けていれば、肉体そのものがもたない。インパクトの瞬間だけ増強している。
しかし、それだけではあれだけの破壊できるだけの筋力を得られる訳が無い。
大岩を砕き。
地面を割り。
木を真っ二つに裂いている。
仮に肉体を増強していても、精々、一撃で小石を砕けるぐらいなもの。
プラスアルファ、あの圧倒的攻撃力に繋がるものがある。そのヒントは、丸太を防いだ時の驚異的な防御力にこそある。
いくら肉体を強靭なものに変化させたところで、傷一つつかないというのはあまりにもおかしい。説明がつかない。
あれだけの重量をその身に受けても平然と立っていた。その事実に苅宿は驚愕して、八ツ橋の身体能力のことばかりに目がいっていただろうが、遠巻きに冷静に睥睨していた弓張月なら、そのカラクリに気づけた。
「八ツ橋さんが立っているところの地面、かなり罅割れてるよね」
弓張月の真横に立っているのは、忍。
隣にいるのは当たり前だよ、と言いたげな様子だが、周囲はそう思っていないようだ。特に男子は阿鼻叫喚といった様相。恨みめいた言葉まで呟かれしまっていて、正直迷惑この上ない。
「ああ、そうだな」
八ツ橋が攻撃を受ければ受けるほど、蜘蛛の巣みたいな地面の罅割れが大きくなっている。
それはビデオで何度も視認したことだ。
八ツ橋が受けるはずのダメージを、地面がそのまま肩代わりしているように見える。
これから推察できることは、八ツ橋がやっていることは肉体そのものを『避雷針』のように変化させているということだ。
ただし、地面に受け流しているのは雷ではなく、衝撃。
種子が身体に激突した刹那。
八ツ橋はその時に受けたダメージを、地面に流動させている。身体の中を細胞レベルで変容させることによって、衝撃の通り路を作っているのだ。
つまり、八ツ橋は――
『物理的攻撃の完全無効化能力』を保持していることになる。
能力の『応用力』という点だけでいえば、明らかに県大会レベルを超えている。自分と同じ、少し前までは中学生だったということが、まるで信じられない。
『努力』。
そんな程度の言葉のスケールで収まりきれるものではない。
血の滲むような『修練』を一日も絶やさずに重ねることによって、八ツ橋はあの境地へと辿りついた。
そもそも『変身能力』なんて、ラックにおいて全く役に立たない代物。
実戦において使い道などない。
あるとすれば、ダブルスのような混戦が見られる戦い。そんな時にどさくさに紛れて変身して相手を惑わす程度。しかもその効果は一瞬。直ぐに見破られてしまうだろう。
そして個人戦となったなら、きっと何の役にも立たない。
どんなものに変化しようとも、外見を劇的に変化できない以上、すぐに看破されてしまう。
そんな欠陥だらけの『変身能力』を、ここまで驚異的な能力へと昇華させた。
それが弓張月にとって恐ろしい。
元々ある天賦の才を振るう実力者ならば、底が見える。遥か空の上だろうが、このぐらいの能力なんだろうなと、目星はつく。
だが、八ツ橋は底なし。
変化というより進化した能力を持つ人間。
最底辺の能力しか持ち合わせていないというのに、こんな実戦的な能力の使い方を思いつき、そしてそれを実行できるだけの経験値。
そこらの才能にかまけて、実力の底上げをしない人間よりよっぽど怖い。弱い自分をしって、それでも這い上がれる奴というのは、とんでもない執念を持っているものだ。
「噂によると、あなたがあの初心者の女の子を指導してるって聞いたけど、ほんと?」
三つ巴の戦いになるのかと思いきや、こうしておっとりと忍は訊いてくるだけ。肩透かしもいいところで、何の目的があるのやら分からない。ただ観戦したかっただけだろうか。
「……何か問題でもあるのか?」
「ううん、別に。……ただ、あんなか弱い女の子に、勝算なんてあるのかなって思って訊いただけ」
「――あるよ」
八ツ橋は筋組織を変容させるだけに留まらない。
敵から喰らった衝撃を受け流すだけでなく、自分で放つ衝撃をもコントロールする術を身につけている。
例えば、拳で岩を殴打する時。
その時に通常の人間では、衝撃を完全には伝達できていない。岩そのもの強度や引力などの様々な抵抗力が働いてしまう。そして、確実に拳を痛めてしまう。
だが、衝撃の通り路を肉体で作れる八ツ橋は、その抵抗力をも拳に上乗せすることができる。
つまり、普通の人間が決して使えない100%の力を惜しみなく使えるというわけだ。
きっと弓張月ならば、そんな八ツ橋を相手にすることなどできない。勝負にもならならないだろう。
だが、苅宿は違う。
あいつには誰にも持っていない武器が持っている。
「傍から見ても、実力差は歴然。どれだけあの女の子が攻撃しても効かないんだもん。焼け石に水程度のダメージも与えられない」
「確かに能力の実力差はハッキリしている。……だけど、苅宿には他の誰もが持っていない武器がある」
「なにそれ?」
「――精神力の強さだ」
「精神力? 彼女が?」
だったら、八ツ橋さんの方が上でしょ、と忍が小馬鹿にしたように笑う。
「いいや、八ツ橋は寧ろ精神的に脆いよ。じゃなかったら、わざわざ苅宿につっかかるはずがない。……本当に自分の力に自信があるならな」
人の何十倍努力――修練している八ツ橋。
何故そんなことをするかというと、努力しないとふんぞり返ることができないからだ。自分はこれだけ汗をかいた。他人と比較にならないほどに。だからこそ、大言を宣ってもいい、と思っている節がある。
自信がないから、取り巻きがいる。
自分のことを褒めてくれる人間がいないと、心が砕けそうになるから。
「八ツ橋は大口を叩いて、いつも自分を追い詰めている。それが必要だから。そうして自分を奮い立たせてるんじゃないのかな」
八ツ橋は虚勢で飾り立ている。
だが、それはあまりにも薄っぺらく。
風が吹いてしまえば吹き飛びそうな虚勢。
だからどんな些細な障害物も見逃さないようにと、苅宿を排除しようとしている。万が一にも小石につまづいてしまわないように。
しがらみなんて一つもない弓張月なんかには分からない、とんでもないプレッシャーが彼女の上にはのしかかっているのだろう。
だが、ほんの少しだけ彼女の気持ちが分かってしまう。
自分に嘘をついてしまうところだ。
そんなことを日常で繰り返してしまったら、思ってもいないことを口走ってしまうというのに。
それでも騙し騙し生きていかなければならない。
だって――そうしなければ、前へと進めないから。
「……ふーん。なるほどね。弓張月が相変わらず、女のことを品定めするような人間で安心したよ」
「その誤解されるような言い方はやめろ」
その言い方だと、まるで八ツ橋のことを狙っている男みたいだ。
確かに彼女は魅力的だ。
だが、同級生相手に付き合おうという気にはならない。せめて2つほど年上だったら、こっちから告白していたが。
「それじゃあね。弓張月があの子を指導したんでしょ。だったら、結果なんて分かりきっているもん。そんな勝負を最後まで見るのは時間の無駄みたいだしね」
忍は迷いない足取りで去っていった。
そうだよな。
忍には弓張月が指導したなんて聴いて、きっと苅宿がボロボロに敗北する姿しか想像できないんだろう。だが、弓張月はそうは思わない。ずっと惨めに逃げ続ける苅宿を観ながらそう弓張月は信じ込んだ。




