luck.12 恥ずかしいセリフ禁止!
苅宿は人差し指の先から、弾丸のように高速で回転させた種子を撃つ。
八ツ橋はひょいと最低限の動きで躱してみせる。しかし、そんなものには怯まず、少しずつ前進しながら種子を解き放つ。
樹の表面や地面が、抉れるほどの威力。
普通ならば足が竦んで当たるのだろうが、八ツ橋はまだまだ余裕がある素振りをしている。
だが、そんなものは予想の範疇。
弓張月には長期戦で挑めと指示されたが、それは間違いだ。
八ツ橋と圧倒的経験の差があるのは、自分が一番良くわかっている。だからこそ、馬脚が露われる前に決着をつけなければならない。
そもそも弓張月は今回どう戦えばいいのか、大事なところはぼかしていたような気がする。そんなにも苅宿のことを信用していないということなのか。
確かに実力も経験もない。
だが、曲がりなりにもこの一ヶ月間訓練してきたのだ。
それなりの自信もついた。
だからこそ、ここは弓張月に逆らってでも果敢に攻めたい。自分の力で八ツ橋にここまで対抗できるんだって、見せたいのだ。
「やあ!」
頭上に向かって種子を打ち上げる。
天井を這うように設置されているスプリンクラーが破砕され、雨のように水が降り注ぐ。苅宿の制服も濡れそぼって、白いものが浮き出てしまう。
一瞬、八ツ橋の虚をつくことができた。
いきなり意味不明な行動をされ、八ツ橋の目線が上のスプリンクラーに泳ぐ。
間髪入れずに撃った種子は斜線を描いて、八ツ橋の足元に吸い付くように迫る。だが、それすらも読んでいたのか、華麗にバックステップを踏んだ八ツ橋には届かない。
それでも、
「なっ――」
種子から芽生えた蔓が、鞭のような軌道で八ツ橋へと肉薄する。
八ツ橋は苦悶の表情を浮かべながら、身体を翻して避ける。直撃しなかったとはいえ、制服の裾に始めて掠った。
本来、蔓は実戦に使えない。
何故ならば、種子から蔓を発生させるのに物凄い時間が必要となるからだ。しかしだからこそ、格好の不意打ちになる。
蔓の発現を可能にしたのが、第3訓練所『ガーデン』。
ジャングルのように樹や岩があって。
ここならば青々とした草叢もある。つまりは、蔓を増殖しやすい環境下にある。そして、もう一つスプリンクラーの存在が蔓を使うことを可能にした。
多量の水分を吸収することによって、蔓の構築速度を格段に上昇させることができるようになるのだ。
そのことに気がついたのは、師匠の助言のお陰だ。
弓張月との戦闘後。
落ち着いた頃に、どうして種子だけの短調な攻撃を繰り返すのかと問われた。考えなしだと遠まわしに馬鹿にされたのだが、失敬な話だ。
種子だけの攻撃は苅宿なりに考えた、ベストな攻撃だった。時間のかかる蔦ばかりに固執していれば、その間敵の攻撃を許してしまうことになる。
だが、あらゆることを試して、こうして種子と蔓を使えるようになった。
でもそれは、時間制限つきのもの。
スプリンクラーの、恵みの雨が尽きてしまえば終わってしまう。
水道管に貯まっていた分の水が、全部放出されてしまったのだろう。湿り気のある草木から水分を得たとしても、いずれは完全に蔓を生み出すことができなくなってしまうだろう。
それを瞬時に察したであろう八ツ橋は、ここから一気に距離を取ろうとする。
仮宿はさっきと逆に距離をとりながら、足止めするために種子と蔓の攻撃パターンを読まれないよう、八ツ橋の総身へランダムで攻撃する。
そうやって、少しの間でも八ツ橋をここに釘付けにしたい。
そういう演技をする。
八ツ橋の動きの俊敏さと、避ける技術は尋常ではない。
本来ならば、とっくに勝負がついている予定だったが、そう甘くはないらしい。これはやはり弓張月の言う通り、あの場所まで――
「腐ったリンゴの話を知ってますか?」
八ツ橋の底冷えするような声が、思考を切り裂く。
「たった一つの腐ったリンゴのせいで、樽の中にあるリンゴ全てが使い物にならなくなるっていう話」
ドン!! とまるで地震のような地面を踏みしめる音がすると、一気に距離を詰められる。う――と、苅宿は蔓を何重にも張って簡易の楯を作る。
「あなたはまるで……その腐ったリンゴのようですね」
だが、蔓の楯は八ツ橋の拳一発で粉々に砕かれる。
楯はむしろ逆効果だ。
蔓の欠片が襲いかかってきて、肌に薄い裂傷が刻まれる。
……この威力。
八ツ橋はどうやら完全に接近戦タイプらしい。蔓を駆使し、安全圏へと逃げ延びる。八ツ橋の攻撃範囲外まで離れ、こちらが有利な距離で戦うのが定石だ。
「ウチがアンタや、それ以外のラック科の人達に迷惑かけてるっていう話? 例えどれだけ周りにしわ寄せがあるとしてもウチは――」
「へぇ。じゃあ、弓張月くんのこともしわ寄せの一言で片付けられるんですか?」
ガクン、と視界がぶれる。
暗転しそうだった世界からなんとか帰ってくる。
「彼だって将来があるのよ。あなたにかかりっきりで、自分のために何かできる時間はちゃんとつくれてるいるんですか?」
苅宿は知っている。
ここ最近弓張月がいつも眠そうにしていたのは、苅宿との特訓のせいだ。
特訓が終わると、弓張月の部屋でビデオを鑑賞しながら、戦略を練って。仮宿が夜も深まって男子寮を出ると、まだ弓張月の部屋からは光が漏れているのを見た。
勉強時間。
それから睡眠時間を削って、苅宿につきっきりになって指導してくれていたのだ。弓張月はそのことについて、ただの一言も今まで文句を呈したことはない。
眠そうな素振りを見せまいとしていたが、苅宿に見えないようにあくびをしていたり、目の下にはくまができていた。でもそれを必死にひた隠しにしていた。
それが……逆に辛かった。
「あなた達仲良そうだけど……。凄いですね、苅宿さん。どうしてそこまで他人の好意に鈍感になれるんですか? そこまで尽くしてくれる人間の好意すら、あなたにとってはきっと取るに足らないことなんでしょうね。当たり前のことなんでしょうね」
そういえば、自然と何の口を挟むこともなく弓張月の指導者志願の件については受け入れていた。
指導してくれてありがたないな、って軽い気持ちでいた。
それがどう言う意味を持つのかも、何の考えもなしに。
苅宿の両親は離婚した。それを気遣ってか父親は本当に良くしてくれている。たまに会う母親にだって、必要以上に甘やかされている。
なんとも幸福過ぎるほどの境遇だった。
だからなのか。
他人の親切に対して、どう報いればいいかなんて考えなかった。それに報いるだけの責任感の質量なんて、全く重荷と思っていなかった。
「あなたは、もしかしたら強くなるのかも知れない。ラックの結果を出すかもしれない。だけど、それは一体いつ頃のこと? 明日? 来年? それとも高校を卒業してから?」
実家を離れ、始めての一人暮らし。
言葉にならないほどの不安が、胸に押し寄せた。帰りたいと、父親に電話して困らせたこともあった。電車の切符を買ったこともあった。女子寮の自室で荷物をまとめてから、弓張月に決闘を挑んでしまったこともあった。
学校には、一緒にいて心落ち着くような友人が一人もいなかった。
女子寮に戻っても、余計に孤独感が増幅するだけだった。帰ってきてもただいまを告げる相手がいなくて、電気が消えている。
体育座りして、膝と膝の間に顔をうずめて暗がりの中ずっと眠れず一夜を明かした時もあった。組んだ腕に爪を立てて、悲しい独りぼっちの時間を過ごしていた。
「ねえ、聴かせてくれませんか?」
だから寄りかかってしまっていた。
迷惑がかかっていると分かっていても。
知らない振りをした。
今まで安易に消耗させてしまっていた。
だって。
ちょっとうざったいぐらいにおっせかいな、弓張月の心遣いが嬉しかったから。隣にいる時は、独りぼっちじゃなかったから。楽だったから。胸に詰まっていたものが、ばっさりと取り払われたから。
ずっと地面しか見ていなかったのに、空を仰ぎ見るようになって。この世界にはとても広くて、こんなにも光溢れていることを弓張月のお陰で知れたから。
「あなたはあとどれだけの時間、どれだけの人間の犠牲で、くだらない夢を成就させることができるんですか?」
八ツ橋が拳を振り下ろす。
地面がまるで脆いクッキーのように割れる。
恐怖に戦慄しながら跳躍しようとするが、それでは間に合わず土石流のような衝撃の余波をまともに受けてしまう。地から生やした蔓を自らの身体にぶつけ、その反動で加速して避ける。
ダメージを受けてしまう避け方なので、あまり使えない最終手段。
このままではやられてしまう。
そして、今の後方移動によって、完全に水分を吸った草叢から距離が離れてしまった。どうにかして戻ろうとするが、そこには八ツ橋が立ちはだかる。もう、蔓の攻撃は使えない。
「――らんよ」
「ハア? 聞こえないんですけど。苅宿さん」
「そんなん、分からんよ!!」
「……開き直る気? あなたの性根はどこまで腐ってるんですか?」
もう、二種類の攻撃パターンは不可能。
とにかく種子をやたらめった撃ち込む。
だが、そんな破れかぶれな攻撃。ただの悪あがきな種子に、被弾するような八ツ橋ではない。
「明日のことなんて馬鹿なウチには想像もできへん。明確な将来のビジョンなんてどこにもあらへんし、強くなるっていう絶対的な自信もあらへん……」
八ツ橋のように自信たっぷりに振舞うことは、もしかしたら一生できないかもしれない。
それだけ自分は適当な生き方をしていた。
誰かよりも秀でた才能も、それを補うだけの努力も。
苅宿は何一つ持ち合わせていない伽藍堂の人間だ。人生の経験値がまるでないから、一歩を踏み出す勇気すら持てなかった。そんな苅宿が、自信を持つなんてできるわけがない。
「だけど――今戦うことをやめてしまったら! ウチはきっともっと誰かを苦しめてしまう! 妥協して選んだ道を歩いてしまったら、きっとそれを誰かのせいにする。どうしてウチがこんなに苦しまないといけないのかって、自分勝手に責任を押し付けてしまう」
八ツ橋や他の誰かに言われた通りの進路を選べば、絶対に後悔する。
いや、きっとこのまま苅宿がラックを続けたとしても、やはり後悔するだろう。だって初心者だから。勝手がわからないから。そうやって、他の経験者より苦しい想いをするだろう。
なんでこんな厳しい道を選んだのかと、やはり後悔する。どっちにしたって苦しい想いをするのだったら、誰かに導かれ舗装された道を歩んでいくことの方が楽に決まっている。
そして八ツ橋のことを呪詛のように批難すればいい。
「……ウチは……そんな最低な人間なんや」
せやけど、と苅宿は言葉を紡ぐ。
「そんな腐った人間やからこそ、ウチは強くなりたいんや」
だが、ラックをやり続けるという道を選べばどうだ。
責めるとしら自分しかいない。だからその後悔の量は、確実に少なくなる。
「自分が弱い言い訳を誰かになすりつけ、逃げ道を探し続ける。いつだってウチはそんな生き方をしてきた。だけど……。だけど……! そんなん、ウチはもうしたくないッッ!!」
そしていつか、この道を選んだ過去の自分が誇らしいと、そう思える日がきっとくればいいなって思う。
そんな未来はこないかもしれない。
それでも、自分を信じることが大切だと教えてくれた人間が苅宿にはいるのだ。その人間が観ている限り、苅宿が折れることはない。
「ウチは――もう逃げへん! 弱くたっていい。困難にぶつかったら、すぐに折れそうになるのがウチや。それはもういい。それでも、そんな弱い自分に負けたくない! 逃げたくない! それがウチにとって『強くなる』ってことなんや!」
「……ふん。恥ずかしいご高説は、それで終わり?」
種子の弾幕の間隙を、八ツ橋は悠々と歩いていくる。
もう完全に見切られてしまった。
だから彼女は、飛んでしまった種子がどこに当たるのかも無頓着だ。視線は完全に苅宿に固定されている。
つまり――
ぶっとい丸太が五本一気に倒れてきても、反応しきれない。
放たれた種子の一つは、丸太を他の木に縛っていた蔓をちぎっていたのだ。五本の巨大な影は八ツ橋を完全に覆う。
「まっ――さか――最初からここに誘導して――」
盛大な音を立てて、丸太が地面を叩く。
土埃が舞って視界が悪いが、下敷きになった八ツ橋は骨折程度じゃ済まされないほどのダメージを受けたはずだ。
正直、この手は使いたくなかった。
あまりにも威力がありすぎて、八ツ橋を病院送りしてしまう危険性があるのだから。
今の苅宿の実力では、八ツ橋には遥か及ばない。
公式戦で戦ったならば、恐らく5分ともとないだろう。
だが、これは非公式戦だ。
この戦いが始まる前から、既に苅宿にとっての戦いは始まっていたのだ。それに草木の多い《ガーデン》ならば、苅宿の能力で制作した罠を気づかれないように設置するのはそこまで難しいものではなかった。
公式戦ならば絶対に使えない手段だからこそ、経験豊富な八ツ橋を沈めることができたのだ。
これが、これこそが、反則とも言える手段を駆使した、苅宿ができる最高最大の攻――
空気を裂く速さで、大岩が地面と垂直に飛んできた。
轟音を立て、後方で爆発するように大岩が砕け散る。
土埃が目くらましになって定めがきかなかったのか、大岩が耳元を掠めた。もう少し大岩の軌道が横にずれていたら、車に轢かれたヒキガエルになっていた。
あまりの速さに全く動けなかった。
避けなければ、と脳が命令を出した時には、もう大岩は後ろの壁に激突していた。だが、今や問題はそこじゃない。
今の大岩の不意打ちが、八ツ橋の悪あがきならば問題ない。後は種子の弾丸だけで片がつく。
そんな……そんな淡い希望は無情に打ち砕かれる。
「まさか……私があなたごときに、ここまで能力を使うことになるなんて」
八ツ橋が悠然と歩いてくる。
もしも、手足に怪我を負っていたならば、まだ勝つ見込みが残っていた。負傷した箇所から、こっちに有利な戦術を練って勝利を拾えばいい。
石に齧り付いてでも、立ち向かえた。
だが、八ツ橋は全くの無傷。
多少土埃で制服が汚れているだけで、目立った負傷は見当たらなかった。服のせいで傷が隠れているのかとも思ったが、そんなことはない。直撃したはずだ。
それなのに――苅宿の渾身の一撃は、完璧に無意味だったのだ。
「あなたのその腐りきった夢、この私が摘み取ってあげます」