luck.10 三つ巴の争い
第3訓練所『ガーデン』。
それはラック科生徒のために、学校が無料開放している設備の一つだ。黒春高校の校門から外に出た目と鼻の先にある、もう一つの広大な学校敷地内。その中には、ラックの訓練所が複数ある。
だが、数少ない訓練所を誰もが自由に使えるわけではない。
実績順や、上級生優先の完全予約制だ。
だからこそ、一年生で練習できるのは、八ツ橋のように結果を出した限られた人物だけ。苅宿のような初心者など、本来ならばお話にもならない。普通科である弓張月などももっての他だ。
だが、うさぎの協力もあって、この一ヶ月できるだけ訓練所を予約できた。
しかも、『ガーデン』だけを選択して、みっちりと苅宿のラックの練習に明け暮れていた。
第3訓練所を選択したのには理由がある。
苅宿の能力を存分に発揮できる場所だからだ。
『ガーデン』には、所狭しと背の高い雑草が鬱蒼と茂っている。青々とした葉をつけた大木たちは列を作り、しっかりと地面に根をはっている。
まるでビニールハウスの設備かのように天井に取り付けられているのは、散水機。草木の保持のために適量の水を与えていて、訓練所室内の温度や湿度管理も機械によって徹底されている。
まさに、植物を操ることができる苅宿にとって打ってつけの戦場だ。
「弓張月さん。……ウチ、あんなこと言うなんて聴いてないんやけど。事前の打ち合わせの時と台詞違うんやない?」
後ろからついてくる物見遊山のギャラリー達。
そいつらの耳に届かぬように、苅宿はボソボソとか細い声で囁く。
「……あんなことって?」
「ウチを出汁に使って、八ツ橋さんを焚きつけたことや。なんで、弓張月さんはあんな言い方しかできへんの?」
ふぅ、とこれみよがしに嘆息をつく。
「馬鹿だな。あれも作戦の内だよ。八ツ橋を挑発したのも、ちゃんと意味があることだってぇーの」
「ホンマに? ウチに襲われたこと根に持って、わざわざ矛先を向けさせるように仕向けたんやないやろうな?」
「ナイナイ。ソンナコトゼッタイナイヨ」
あの夜這い騒動以来。
弓張月の周囲から評価が右肩下がりだからといって、仕返しするチャンスを伺っていた訳が無い。仮にそんなことを企てていたとしても、口に出すほど愚かじゃない。
「とにかく、作戦通り苅宿は時間稼ぎをしろよ」
「なあ……正直、弓張月さんのやり方で勝てると思えへんのやけど。……ぶっちゃけ、作戦の意味も良く分からへんし」
「それでいいんだよ。逆にお前みたいな馬鹿が、俺の作戦の意図に分かったら驚く」
甚だ無礼な評価を下すと、
「じゃあな。俺は二階でじっくり見物させてもらうよ」
弓張月は階段に足をかける。
一階はラック競技者同士がしのぎを削る場。
そして二階は、その戦闘を見学する場所として区切られている。
つまり観客席は、ラック競技者を上から見下ろせるような構造になっている。上の階は耐衝撃性の特殊ガラスがあって、安全に観覧できる。まさに現代版のコロッセオといった感じ。
だからこそ危険で。
学校側が生徒の安全性を考慮してなのか、防火シャッターやAEDなどが散見される。火炎能力者等を警戒してか、消化器も階段の脇に設置されていて、正直やりすぎなんじゃないかっていうぐらいに思う。
だが、そうまでしないと訓練所の設立は、国側から認められなかったんだろう。今でこそラックは浸透しているが、それ以前はかなり保護書からラック科への反発の声は大きかったらしい。
それでも世間から認められ、こうして多くのラック科のある学校が設立されたのも、今でも世界で活躍するプロのラックプレイヤーのお陰だろう。
「…………」
不安そうに顔を曇らせている苅宿を知覚して、弓張月は思わず階段を上がろうとしていた足を止める。やはり、勝てるかどうか不安になっているのだろう。
劣等感の塊みたいなやつだ。
しかも、あれだけ普段から高圧的な態度を取られていた八ツ橋に対して、反抗的な態度を取るのにも抵抗があるだろう。実際、バケツの水をかけられても口を出すだけで、それなりの反抗を実行に移すことはできなかった。
八ツ橋に対しては、トラウマじみたものがあるはずだ。
だがここから先、弓張月にできることは一つもない。
作戦は授けた。
だが、確実に勝てるわけじゃない。
実戦となると不確定要素が必ずといっていいほど発生する。
足が竦んで実力の半分も発揮できないのもざらだ。
苅宿がどれだけ勝利を渇望していたとしても、負けるときは負けてしまう。特に今みたいにガチガチになっている状態のままだったら、一瞬にして勝敗は決してしまうだろう。
だからといって、それを苅宿に指摘しまったらより緊張してしまう。
「…………苅宿、テキトーに頑張れよ」
一言だけの激励にするつもりだったが、どうも不満そうだ。
言葉を選ぶ間もなく、
「どうせ負けたって今となんも変わらないんだからな」
憎まれ口を叩いてしまう。
もっと優しいく声を掛けてやった方がいいんだろうが、咄嗟に出てきてしまったのは粗野な言葉でしかなかった。
「ウチは……勝っ……勝ってみせる!」
だが、効果があったようだ。
いい意味で力の入った拳を作る苅宿に、ひっそりと弓張月は微苦笑する。微妙に声が上擦っていて、不安要素は残るが。
じゃあな、と軽く言って苅宿がまるでロボットみたいに右手と右足同時に動かしているところを観ながら、目尻を緩める。
影が視界から消えるまで、その小さな背中を見守り続けていると、
――わっ! と歓声にも似た声が階段上から響く。
……なんだ? とまだ勝負が始まる前から俄かに沸いたギャラリー達の動向が気になって、一気に駆け上げる。
「あぁ?」
人垣の輪の中心に立っていた予想外の人物に、弓張月は頓狂な声を上げてしまう。
おい、まさか。今から三つ巴の戦いにでも発展するのかよ、あの八ツ橋さんと頂上決戦だ、とか口々に囁かれる。
特に男達の熱狂が激しく、まるでアイドルのコンサートが今から始まるのかという風情。
どうやら弓張月の預かり知らぬところで、かなりの人気を博しているらしい。
「なんで……このタイミングで出てくるかな」
苅宿が言うには、一年女子の中では最強。
何故なら、壮行会で上級生を相手取った際、唯一彼女だけが無傷で勝利をもぎ取ったからだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
苅宿と八ツ橋との戦いに割り込んでくるとなんて、完全に予想外だ。もしも戦いに参入するなんて言い出したら、苅宿の努力が全て水泡に帰してしまう。
苅宿から聴くまでもなく、こいつの強さは身にしみて知っている。他の誰よりも近くで見続けた弓張月だからこそ、苅宿ではこいつに勝てないことを確信してしまう。
絶望に満ちた声で、弓張月はそいつの名を囁く。
「――――天光忍」