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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
恩讐不要
97/124

恩讐不要(Aパート)






 おかしいとは思っていた。連絡が途絶えたまま、ふた月近く経過している。何も無い方がおかしいのだ。

 早朝。既にイヴァンは寒い時期にさしかかり、吹きすさぶ風は冷たかった。女は、この建物を訪れたことは無かったが、懐かしいボロ看板だけが記憶に焼き付いていた。パラダイス孤児院。門にかかった外れかかった看板を、女はまっすぐにかけ直した。その途端、自分が過ごした時期のことが鮮明に蘇った。まるで、本からページを切り取って、スクラップにしているがごとく。

「お嬢ちゃん、ここに何か用かね?」

 女は振り向き、杖をついた人の良さそうな老人に振り返った。パンツスーツに、グラマラスな肉体を押し込めた美女だ。ストライプのYシャツに、パンツと同じ黒いベスト。黒皮の手袋を両手に嵌めている。長い黒髪は、水を孕んだかのように美しい。老人は彼女の青い瞳が、まるで自分を見透かしているかのような印象すら覚えた。

「ここは、もう閉鎖されちまったよ。子どもたちは里親に出されてね。恐ろしい事件があったのだから、無理もない」

「恐ろしい事件?」

 老人は悲しげに、そしてどこか得意気に──ワシは情報通なんだぜ、とでもいいたげに──その事件のことを言って聞かせた。

 ここには、十数人の子どもたちと、院長の老婆、そして手伝いの男が住んでいたという。しかし、シスターと手伝いの男は殺され、懇意にしていた憲兵官吏までもこの門の側で刺殺されていた。しかも、同日に。

「憲兵団でもいろいろ調べとったようだが、まあ所詮は憲兵団だからね。真実は闇の中、犯人は見つからず……いやだねえ」

「おじいさん。ここの院長の……シスター・ラビとは知り合いなの。ぜひお墓参りがしたい。何か、知らない?」

 老人は、困ったような表情を浮かべ、腕を組んで唸っていたが、やがて申し訳無さそうに口を開いた。

「シスターの埋葬にも立ち会ったんだが……いやすまんね。こう歳を食うと、友達は大体墓の下での。先週先々週と埋葬に立ち会って、誰がどこに埋葬されたか……はてさて……」

 シシリアは背が高く、しばらく老人を見下ろしていたが、やがて老人の目線までしゃがむと、手を差し出した。老人は意図する意味がよくわからなかったのか、怪訝そうな表情を浮かべた。。

「シシリア・ブラックモアよ。わたしはこの孤児院の出身なの」

「おお、おおお。これはこれは、ご丁寧に。ワシは……」

 老人が自己紹介している間に、シシリアは彼を『盗み見ていた』。老人の長い人生を高速で移動しながら、彼女はようやく自分が、シスターの埋葬のシーンを見ている事に気づく。

 悲しむ人々。泣き叫ぶ子どもたち。シスターの入った棺桶は閉まり、土をかけられていく。老人は去り際に、自分が出てきた霊園を振り返った。門に書いてあるのは、イヴァン南カテドラル霊園という名前。場所は、分かった。

「で、趣味はこうして早起きして散歩をすることで……」

「よくわかったわ、ありがとう」

 シシリアは小さく──ほんの少し小さく笑うと、老人から手を離し、その場から去っていった。あっけに取られた老人は、しばらくその場で立ち尽くしていたが、やがてがりがり頭をかくと、恥ずかしそうに身体を小さく丸めながら反対方向へと歩いて行った。

「女の子と話しすぎるのは……ワシの悪い癖だな」







 南地区、ごみ処理場。

 ここはイヴァン最南端の近くで、まだ使えるゴミとそうでないものを仕分ける、いわばリサイクル処理場である。ここで働く者は多い。何しろ、力自慢なら食いっぱぐれないからだ。ゴミを仕分けたり、運んだりする仕事はたしかに辛いし、言うほど高給取りでもないのだが、そうでもしないと働けない者にとっては、まさしくここはうってつけの職場である。

「よーし。では、リサイクル班の発表だ」

 髭面筋肉隆々の親方──ここらを仕切る大元締めだ──が、集まった人々を前に、宣言した。集まった男達は自分が呼ばれるのが、今か今かと待ちわびている様子だ。リサイクル班は、文字通り使えるものをゴミから見つけ出す班である。砂漠の中の一粒、などという程ではないにしろ、容易な仕事ではない。しかし、歩合制であるここでの仕事の中では、単価は他の班の二倍以上というのだから、男達が目を輝かせるのも無理はなかった。

「……最後に、ゲイツ! よーし、以上だ。じゃあ早速、現場に……」

「ちょっと待て、親方!」

 男が一人手を上げた。鼻の大きな中年男だ。くすんで後退した金髪から覗く額と眉間には、深いしわが刻まれている。モスグリーンの薄汚れた作業ジャケットに、肩掛けのバッグを下げているという出で立ちだ。

「おいおい、なんだっていうんだよキング」

「親方、頼む。俺を、リサイクル班に回してくれ!」

 親方はため息を吐きながら、手元の羊皮紙をペラペラめくった。キング・ジェイド。名前が分かっているだけでも、このゴミ処理場では大したものだ。犯罪を犯して、潜伏したり、過去を探られたくない者も大勢いるからだ。

「馬鹿野郎。キング、おめえは先週、リサイクル班に回したばかりじゃねえか。俺は確かに賄賂をもらうし、人の好き嫌いはするが……ことリサイクル班への配属に限っちゃ、リスト通り順番を組んでやってるんだぜ」

「そこを頼むと言ってるんだ。頼む、親方! 一人娘に送金する金が足らないんだ! 頼む! お願いだ!」

 男達はキングの言葉を嘲笑った。親方も笑った。

「何がおかしい!」

「キング、その辺にしとけや。俺達はおめえさんと押し問答してる時間はねえ。何しろ結果主義だからな。よーし散れ!」

 キングはしばらくその場に立ち尽くしていた。拳を固く握り、腰に下げた汚いタオルでごしごしと顔を拭った。金が無い。それだけの事実が、キングには悔しかった。

「クソッ……クソーッ!」

 仕事などする気にならなくなった。今日は自主的に休むことにし、キングはゴミ処理場をしばらく歩いた。そして、出口へとかかる橋の欄干を、力いっぱい殴った。無力だった。キングは所詮、ゴミ処理場の一労働者でしかないのだ。

 彼は無言で懐からあるものを取り出した。四角い機械。昔はいじる度に光を発したが、今はほとんど真っ暗なままだ。そうなってから既に十五年近く経過している。

 その頃のキングは、王国特殊作戦ユニットという部隊の一員であった。今は亡き、皇帝陛下が勇者だった時代──魔国との戦争時代に、様々な仕事をやった。諜報や撹乱、暗殺。全ては、勇者が新しき世の中を作ると信じてやった。当時の若き勇者がキングにくれたのが、この機械だ。

 当時は、これに耳を押し当てると、勇者の頼もしき声がごく近くで聞けた。直接勇者に説明を求めたが、さっぱり分からなかったことをよく覚えている。孤独な一人での作戦が多かったキングにとって、人の声が聞けるだけでも、この機械は頼もしかった。

 キングは勇者だった皇帝の信頼が厚いとの事で、親衛隊を務めるようになっていた。そして、『あの』内乱が起きた。皇帝は何者かによって殺され、キングもまた殺されそうになったのを、逃げた。追手がいたが、殺して逃げた。キングには娘がおり、皇帝を見殺しにした責任をとるわけにはいかなかったのだ。彼は、偶然見つけた山奥の掘っ立て小屋に引きこもった。

 大いなる孤独が彼を襲った。自分の回りは全て敵であり、敬愛する皇帝は死んだ。誰も信じられない孤独感を癒やすために、キングは必死でこの機械を耳に押し当てた。食料調達など必要最低限の行動以外の時間を、全て声を聞こうとすることに使い果たした。キング自身も、この機械が既に力を失って久しい事に気づいていたが、とにかく耳に押し付け続けた。だれでもいい。誰かの声が聞きたかった。死んだ妻、離れ離れに暮らした娘、何年も会っていない、歳の離れた弟……そして、皇帝。耳の感覚が無くなるまで押し付け続けても、誰の声も聞こえなかった。

『キング。しっかりしてください、キング』

 何週間もそうしていたある日、声が聞こえた。女の声。

『あなたは大丈夫です、キング。とにかく、イヴァンへ帰りましょう』

「帰ってどうする。俺には……俺にはもう何もないんだ!」

『あなたにはマイラが……娘さんがいます。しばらく、身を潜めましょう。イヴァンのゴミ処理場なら、過去の経歴は問われませんから……』

 キングは悩んだ。『彼女』の言うことは尤もであったが、それは今までの過去を捨てることを意味していた。結局彼は、声に従った。彼女の名前は『マリカ』。マリカは、機械に耳を当てればいつでも話ができた。そして、もはや彼女だけがキングに話をしてくれる、唯一の友達になっていた。

「クソッ……」

 キングがマリカの話を聞こうと、機械を耳に当てようとしたその時。彼は自分に誰かが近づいていることに気づいた。疲れた顔を上げると、そこには女が一人立っていた。女は手を差し出していた。何も言わずに。

「……すまない。君は?」

「わたしは、シシリア。探偵よ。キングさんね」

 キングは汚れた無骨な手で、彼女の握手に応じた。シシリアはしばらく握手をしたまま手を離そうとしなかった。いつまでそうしている、そう言おうとした矢先、彼女はようやく手を離す。

「弟さんの事は、残念だったわね。バウアードさん」

 キングは──キング・J・バウアードは、思わず後ろにのけぞった。名前を知っている。おれの名前を。弟のことまで。何者かに刺されて殺された、エース・Q・バウアードのことまで。

「墓地で知り合いの墓を探していたら、偶然、弟さんと……あなたのことを知ったの。弟さんの墓に自分のナイフなんて、置くものじゃないわ」

「……俺には、弟にやれるものなど、それくらいしか無かったんだ。花なんて、高くて買えない。それに……弟はそんなもの喜ばないと思って」

 シシリアは、僅かに笑みを浮かべたまま、キングの話を聞いていた。自分の話をするのは──キング・J・バウアードに戻るのは、何年ぶりだろう?

「俺を、行政府に突き出すのか」

「キング・J・バウアード。元行政府皇帝親衛隊。亜人の国での皇帝暗殺時に、死亡したものと思われる。魔法適正は無いが、剣、格闘、とりわけ銃に高い戦闘適正を持ち、作戦遂行能力は全ての作戦系統に置いて帝国でも最優秀クラス……だったのね」

 彼女はまるで、資料を読み上げるように言った。キングは彼女の言葉に湧き上がる物を感じていた。それは昂ぶりだったのか、それとも恐怖だったのか。

「バウアードさん。あなた、弟さんを殺した犯人に復讐したいと思わない?」

 シシリアは無表情に、事務的に言い放った。

「わたしには、そうしなくてはならない理由がある。わたしの恩人も、おそらくそいつらに殺された。……確信があるわ」

 キングは、嘘の世界で生きてきた。諜報活動がそれだ。嘘を流し、嘘を見抜く。彼女が真実を言っているくらい、容易に見抜けた。

「そのためには、わたし一人じゃ心もとないの。バウアードさん、わたしと二人で、彼らを同じ目に遭わせてやるのよ。二人なら、それができる」

 キング・J・バウアードは、取り出した機械を握りしめ、ゆっくりと耳に押し当てた。マリカが声をかけてくれた。彼女は、いつだってキングの味方だった。

『キング。またとない機会よ。弟さんのかたきを打ちましょう』

 彼は機会をゆっくりと耳から離し、シシリアに言った。

「『彼ら』とは、一体誰なんだ」

「彼らの名は、断罪人。冷酷非情な殺し屋集団よ」

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