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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
妄執不要
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妄執不要(最終パート)




 二日後。

 治癒師の仕事の中には、帝国中を診療のため旅するというものも含まれている。治癒師は治癒魔法のエキスパート中のエキスパートであり、帝国内でも十数人しかいない。辺境貴族や豪商ならばともかく、ドラゴン便などの直行交通機関を使う方法を除けば、一般人が首都であるイヴァンまで来ることは難しいため、そうして治癒師のほうが辺境の地へ赴き、各地の患者を救ったり、医師へのアドバイスを行ったりするのだ。よって、同一の治癒師が首都にいる期間はかなり短いのである。

 ベアトリクスは焦っていた。後三日もすれば、こちらの方が帝国を出て行かなくてはならなくなる。そうすれば、ペコに会うのはまた数ヶ月先か、はたまた数年先か分からぬ。先日のような屈辱を背負ったまま、イヴァンを出て行くことだけは、ベアトリクスには許せなかった。

「ベアトリクスさん。それで、自分は何を……」

 カフカは既に部屋に来ていた。結局、理論について効果的な『意見』を出すことができなかったので、当日にもう一度来て欲しいと言っておいたのだ。

 当日。帝国貴族ローテス家の長男、ロナルドの治癒魔法の施術日が今日だ。今日、全てが決まる。正しいのがどちらか。勝利者が誰か。

「カフカ君。とりあえず、後ろ向いてもらえるかしら」

 カフカは良くわからぬまま、彼女の言うとおり後ろを向いた。良い子だ。素直だし、熱心だし、良い治癒師になるだろう。ペコの元でなく、自分の元であったなら。

「手加減できないから、ごめんね?」

 あらかじめ用意し、棚の上に飾ってあった花瓶から、花を抜く。ベアトリクスはそれを高く掲げ、カフカの頭に振り下ろした。砕け散る花瓶、振りかかる水滴。カフカは無言の内倒れ、動かなくなった。生きていても、死んでいても構わない。とにかく、かつてライセンス持ちの魔導師だったという過去があればいいのだ。

 いつの間にか、ベアトリクスは荒い息を吐いていた。殺してしまったかもしれない。これでもう、後戻りはできないだろう。落ち着こうと、デスクの上の冷めたコーヒーをがぶがぶ飲んだ。

「ここからよ……ここからが正念場」

 ベアトリクスは無理矢理にでも笑った。全てを手に入れるか、全てを失うか。どちらかは、やってみなければ分からない。





 施術室へ誰かに見つからないように運びこむのは、苦労した。扉の目の前で作業をする部下と目があったが、媒介が巨大なことなどざらにある。施術室に運び込んでから布を被せ、近くに寝かせる。そうしてから、患者を運び込む。看護師が担架で運び込み、施術台にロナルドを寝かせた。不安げな表情の帝国貴族・リカルドに、ベアトリクスは言った。

「大丈夫です。必ずうまく行きます」

 もはやどちらに言い聞かせた言葉なのか、分からなかった。施術台の上のロナルドは、やはり不安げな表情でこちらを見ている。

「おねえちゃんに、任せてね?」

 ロナルドは頷く。茶色の美しい瞳が、ベアトリクスを突き刺した。しかし、彼女はもう後戻りできない。進まねばならない。勝たなくてはならない。ベアトリクスは、カフカの体に手を当て、生命エネルギーを吸い取る。

 これでカフカは死んだ。自分の中で彼のエネルギーだったものを練り、ロナルドの生命エネルギーと近づけ、転移させる。転移のチャンスは一度切り。ロナルドの中へと手を通して移す。これで成功すれば、二日もしない内に体内の腫瘍は消え、快方へと向かうはずだ。わずか十分ほどの出来事だった。





 ソニアは先日と同じ居酒屋に再び来ていた。一つだけ違ったのは、フィリュネも一緒に来ているということだった。

「ソニアさん、ここいいですね。この魚の塩焼き、地味ですけどいい仕事してますよ!」

 幸せそうにフォークとナイフで魚を口に運ぶフィリュネを尻目に、ソニアは久々に入荷した、という触れ込みのウィスキーを煽っていた。ふとカウンターに目をやると、見た顔がいた。金髪の小柄な女。確か治癒師のペコと言ったか。

「よう。今日はひとりかい、先生」

「貴方こそ、恋人連れ?」

 ペコは力なく笑った。どうやら、疲れているらしい。

「わ、私ですかあ? 違いますよ。同居人っていうか、妹みたいなもので……」

「とまあそういうわけだ。……茶髪の坊主はどうしたんだ、先生」

 ソニアの言葉に、ペコは更に表情を暗くし、手元のワイングラスに入ったワインを、一気に煽った。

「死んだ、って言ったら信じてくださる?」

 ソニアもフィリュネも、顔色を変えた。一瞬だけ彼らは『裏の色』を顔に差し込むと、ペコと共に奥のテーブルへと移った。カウンターでやるような話ではない。ペコの部下──カフカは死んだ。何者かに殴られ、医薬薬学研究所の茂みの暗がりに捨てられていたところを、先ほど夕方発見されたのだ。

「こんな時こそ、私がしっかりしなくちゃいけないのにね。葬式は後日、やることなんていくらでもあるわ。でも、私が選んだのはこうして酒を飲むことだけ。嫌なことから逃げて、なんにもならないことくらい解ってるのに。弱い女だわ、私」

「でもお弟子さんが亡くなられたんでしょう? 仕方ないですよ、ショックを受けるのも……」

 フィリュネが精一杯の慰めの言葉をかけるも、ペコにはまるで効果が無いようだった。ソニアはこうした時、どのように声をかければ良いかよくわきまえていると見え、できるだけ落ち着いた声で言葉を続けた。

「あんたには、弟子が殺された理由が分かっているんじゃないのか」

 少し赤みがかった顔で俯いたまま、ペコはその言葉を聞いていた。少なくとも、耳を塞ぐような真似をしなかった。彼女はその問いに答えるのに、大変な苦労を要したようだった。

「前……ベアトリクスと言う同僚の話をしたわよね」

「ああ。完全治癒魔法だったか。未完成のとんでも理論だとか言ってたな」

「彼女……今日の話なのだけど。帝国貴族の子息に治癒魔法の施術を行ったの。患者は悪性腫瘍……がんに冒された小さな子供。ベアトリクスはそれを治した。完璧過ぎるほど完璧に」

 フィリュネが怪訝そうな顔を浮かべる。彼女はもともとエルフ族出身で、自分では使えないが、魔法や医学にもよく通じている。

「あの、本職の人にこう言っちゃなんですけど……治癒魔法に完璧なんて無いんじゃないですか? その実、時間を戻すのが魔法の効果なわけですし、がんみたいな再発する病気なら、その都度かけ続ける必要があるんじゃ」

「よく知っているわね。しかし、彼女が作った理論なら別。巻き戻した時間の行く先を変える……それ自体はいいの。生きた魔導師を、媒介に使う事をしなければね」

 事情のよく知らぬソニアに、フィリュネは事実を噛み砕いて教えた。媒介に使われたものは、あらゆるエネルギーを失う。人間がエネルギーを失えば、確実に死に至るだろうということを。

「……じゃあ何かい。あんたは、そのベアトリクスって女が、弟子を殴り殺して……媒介に使ったっていうのかい」

 ペコは頷き、立ち上がり、テーブルに手をついた。手の下には、金貨が一枚。

「ごめんなさい、本当に……こんな話、貴方達にしてもしょうがないわよね。今日は、私に奢らせて」

 ペコはフィリュネの静止も聞かず、ふらふらと入り口へと向かった。ソニアはそんな彼女を見もせず、目の前の酒を一杯あおった。大事な人間を理不尽に失ったペコ。だが、ベアトリクスはおそらくすぐに捕まるだろう。彼女の心がそれで完全に晴れるとは思わないが、ケリはつく。

 その時だった。店の外から、怒号が響いた。振り向くソニア。立ち尽くすフィリュネ。殺到する駐屯兵達。捕縛紐をかける憲兵官吏。ソニアは、思わず駆け出していた。

「おとなしくしろ!」

「違う! 違うわ! そんなわけがない!」

「どういうことです! なぜ彼女を捕まえるんだ!」

 捕縛紐をかけていたのは、若い赤毛の憲兵官吏だった。彼は駐屯兵にペコを任せると、掴みかかるソニアと対峙した。

「イヴァン憲兵団憲兵官吏、サイだ。この女には、部下の治癒師見習いのカフカという青年の殺人容疑がかかってる」

「違うの! 私が……私があの子を殺すわけがない!」

「彼女はそう言ってるだろう!」

 サイは冷静に言うと、なおも掴みかかろうとするソニアを殴る! 彼は思わずもんどり打って倒れた!

「なんだか知らないが、こっちも仕事だ。証拠もきちんとしたのが上がってる。誰だか知らんが、文句があるなら憲兵団で聞くぞ」

 口元の血を拭い、ソニアは血混じりの痰を吐き捨て立ち上がった。だが体が前へと進まない。フィリュネが手を引いている。これ以上進んではいけない。目でそう諭すように。ペコは抵抗すらできずに、引きずられていった。ソニアとフィリュネの目の前で。






「全く、最悪ですよ! よりにもよって、僕の担当の治癒師が当日に逮捕されるなんて!」

 三角巾で腕を釣り上げたドモンが、呆れた表情で空を見上げていた。その隣の憲兵官吏、サイがやはり呆れた表情で同僚を見る。ここは、イヴァン南門外処刑場。帝国刑事裁判所にて死刑を宣告された者は、北の大監獄に送られる間も与えられず、ここで処刑される。イヴァンの人々にとって、処刑は一種のエンターテイメントなのだ。太い木で作られた柵の外では、今か今かと処刑される様子を見に来た野次馬達であふれていた。

 木製の巨大十字架の上では、既に抵抗する気力すら削がれ、縛り付けられたペコの姿があった。ドモンは眠い目をこすりながら、おそらくは拷問まがいの方法で吐かされたのだろう、と当たりをつける。サイから聞いたところによれば、凶器となったであろう花瓶は、ペコの執務室にあったものだった。おまけに、推定死亡時刻、ペコにはアリバイが無かったのも決定的だった。サイは拷問はあまり好まない。報告を受けて業を煮やしたガイモンが、ムチ打ちを始めとする苛烈な『取り調べ』を行い吐かせたらしい。

「正直、ガイモン様に報告するのが早かったと思ってる」

 サイはペコを見ながら、小さくつぶやいた。

「君は別に間違っちゃいないでしょう。ガイモン様は過程はもとより結果を欲しがる人ですからねえ。数字のためなら、多少は……や、これ以上はやめときましょうか」

 十字架の下で、駐屯兵達によって火が点けられる。油と草が焼ける臭いは、やがて人の脂が焼ける音に変わる。ペコは一言も発しなかった。まるで、全てを受け入れ覚悟を決めた事を示すように。やがて、十字架は焦げ、朽ちて崩れ落ちた。その時には、群がるようにいた野次馬たちは消え、ソニアしか残っていなかった。





 イオのいない教会は埃っぽく、いつにも増して薄暗かった。三本だけ灯ったろうそくの下で、ドモン、ソニア、そしてフィリュネは、無言の内に集まっていた。

「俺は、やるぜ。旦那」

 ソニアが闇を切り裂くように短く言った。

「あんたも見たように、ベアトリクスはカフカを利用するつもりだった。最終的に、命まで利用されたんだ」

 フィリュネはそれに異を唱えるようなことはしなかった。ペコは言葉にはしなかったが、確かに頷いた。ドモンがサイを慰めるために、後から事件を調べたものの、結果としてサイをさらに傷つけるであろう最悪の事実しか出てこなかった。貴族の子息への治癒魔法の施術直前に、ベアトリクスの執務室へ入っていくカフカを見た治癒師見習いがいたのだ。ベアトリクスの部屋は目撃者の治癒師見習いの働くオフィスの目の前であり、カフカは入ったまま出てこなかった。その直後、ベアトリクスが何か大きな布を被せた物を台車を使って持ちだしていたのも目撃している。十中八九カフカだろう。

「金は少ねえが、ここにある」

 金貨一枚を聖書台に置く。弱々しい黄金の光が、ドモンの顔を差した。ドモンは金から顔を上げ、ソニアに尋ねた。

「断罪については、まあいいでしょう。ベアトリクスは、今夜中にイヴァンを立つらしいですから、神父を待ってちゃ間に合いません。……僕は施術が延期されて、まだ剣を持てないですしね。ですが、フィリュネさんから聞きましたよ。あんた、銃弾が無いらしいじゃないですか」

 ソニアはタバコに火を点け、吸った。そしてコートのポケットから手のひらサイズの棒のような物を取り出す。銃ではない。彼が慎重に棒の真ん中をつまみ、動かすと、折りたたまれていたカミソリの刃が現れた。

「俺はもともと殺しが商売だ。銃に頼ってんのは、そのほうが効率がいいからだ。……だがこういう小技も、得意なのさ」

 ドモンはかつて同じ『技』を持つ仲間がいた事を思い出した。ソニアは、やってのけるだろう。彼は職人であり、殺し屋であり、何より経験に裏打ちされた、有無を言わさぬ説得力があった。

「標的は一人、僕は裏取り代の銀貨三枚だけもらっときます。フィリュネさんも同額。ソニアさん、あんたは断罪を銀貨四枚でやるっていうんですね」

「それより安い命は今まででもいたろう。……今回は、いくらだろうが、俺一人だろうがやるつもりだったぜ」

 ソニアはシニカルに笑みを浮かべながら、カミソリを仕舞い、金を受け取って闇へと消えた。フィリュネはそれに付き添い、同じく教会の外へ。

「ま、面倒やらずに駄賃がもらえたと思いますかねえ」

 ドモンは一人そうごちると、ろうそくを吹き消す。主のいない埃っぽい教会は、再び闇へと帰った。







 ベアトリクスは、闇を駆けるような速度で歩いていた。施術は成功した。おまけに、鼻をあかしてやりたいと思っていたいけすかないペコを始末することまでできた。まさに完璧な仕事だ。今回のデータを資料に纏めて、ベアトリクスはイヴァンを旅立つつもりだった。そう何度も同じような形で施術はできない以上、貴重なデータだ。今回の一件を元に、各地で最も良い条件の媒介を探し出せば、治癒魔法の世界は変わる。そして、ベアトリクスは帝国に永遠に名を残す大治癒師となるだろう。

 しかし、今はイヴァンを離れなければ。

 そう焦りながらも、ベアトリクスの口元の緩みは一向に治らなかった。既に深夜となり、大通りに人気はない。通りの公衆ランプも消え、手元のランプだけが頼りだ。門を抜ければ、傭兵を一ダースでも雇って西へ向かえば良い。そうすれば、後はどうとでもなるのだから……。

 履いているヒールが、石畳にあたりコツコツと音を立てる。その後ろから、革靴が鳴る音がする。ベアトリクスはふと立ち止まる。革靴の音も止まる。

 振り向くべきか。

 一瞬だけ彼女は迷ったが、このヒールでは走ってもたかが知れている。迷いながら口が何度か動き、仕方なく声を発する。

「誰か、いるの?」

 返事はない。しかし、ベアトリクスは分かってしまった。自分のすぐ後ろに、その『誰か』が来ている事を。ベアトリクスの左手からランプが離れ、石畳に転がった。ちょうど真横に転がったランプは、ベアトリクスと、すぐ後ろの『誰か』の影を白壁に写しだした。

 影は、何か長い棒のような物を掲げると口元に持っていった。右手には布のようなもの。ベアトリクスが恐怖に負け、声を挙げようとしたその矢先、彼女の口は布に塞がれる!

「浮かれてるところ、悪いね……」

 手に持った、鋭利なカミソリ。布が口から喉へ移動し、カミソリがその下へと近づく。ベアトリクスに抵抗するすべは無い!

「や、やめて……お願い! お金ならある……払います……か、身体、好きにして……構わないわ! だか……」

 喉を掴まれ、声はそれ以上は続かなかった。有無をいわさず、カミソリは布の下を通りぬけ、ベアトリクスの喉笛は真っ二つに切り裂かれた。血で染まる布。その場に倒れ、血だまりに沈むベアトリクス。

 その後ろからソニアの姿がおぼろげにランプに照らされ、現れた。血まみれの布を彼が握ると、ぼたぼたとベアトリクスの血が落ちる。カミソリを慎重に折りたたむと、血まみれのカミソリをコートのポケットにしまい、来た道を戻りながら、闇へと消えた。

 ベアトリクスがいつの間にか取り落としていたかばんの口は開き、そこから何枚か書類が飛んでいった。帝国史上類を見ないであろう程貴重なデータの行方を知るものは、もはや誰も居なかった。



妄執不要 終

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