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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
良薬不要
9/124

良薬不要(Aパート)



「二つください」

「二つ? 一つでいいだろ」

 ヘイブンのパン屋屋台前で、ドモンは買い物をしていた。もちろん、公務中である。こうしたひと目につかないところで、ドモンはおやつ代わりの食い物を買うのがいつもの日課なのだ。

「いいじゃないですか、二つください」 

「一つで十分だろ! 旦那、いい加減にしなよ! このパンは数量限定だ!」

「分かりましたよ。や、名物だというから来てみたらこの仕打ちとは」

 ドモンは、はっきりいって意地汚い。金もせびるが、食い物への執着も並々ならぬものがある。当然、腹が減ればイラついてしまう。パンを一つ買い、頬張りながら今日も見回りに精を出すのだった。

「……なんですかね、あれは」

 ヘイブンの側の広場に、大きな人だかりができている。その人だかりの中心で、男が一方的にみすぼらしい男を殴っているのである。どこからどう見ても喧嘩だ。私刑と言い換えてもいい。さすがのドモンもそれを見逃すほど、怠け者ではなかった。

「や、や。通して下さい。喧嘩はいけません、喧嘩は」

 人混みをかき分けると、ドモンはゆらりと喧嘩中の男二人の前に割り込んだ。みすぼらしい格好をした男は、口の中を切ったのか血を流している。

「憲兵官吏……」

「や、そういうことです。なんです、いい年して……騒ぎはよくありません」

「憲兵の旦那! こいつ、インチキな薬を売ってやがんだ!」

 なおも掴みかかろうとする男をいなしながら、ドモンはみすぼらしい男を引き起こした。男の下敷きになっていたノボリには、『何でも効く秘薬』と大仰な言葉が染め抜かれている。

「これはまたなんというか、怪しいというか……」

「だろう! 俺は、こいつの薬を飲んだがまるで効きやしない。金を返してもらいてえんだ!」

 ドモンはため息をつくと、頭を掻いた。ドモンは現代の日本でいう警察官であり、刑事である。法律家でもなければ、弁護士でもない。そういう金のやりとりのいざこざはよくあることだが、ドモンがどうこうすべきことではないのだ。

「そういうのは、行政府の民判事所にでも訴え出て下さい。……まあ、怪しいものを売ってるのは間違いないみたいですから、話は聞きますがね」

「おい、そりゃねえだろ旦那! 詐欺だぜ、こいつは!」

「それを調べるために話を聞くんじゃないですか。……あんまり、ガタガタ抜かすとあんたも一緒に来てもらうことになりますよ」

 所詮男も我が身が可愛いようで、すごすごと引き下がった。憲兵官吏とは、帝国の治安そのものである。それだけ頼りにされるし、疎まれる。日々平穏と安寧を求めているドモンにとっては、無駄に恨みと嫉みを産む、ろくでもない職業でしかないのだ。

「さあさ、もう行って下さい皆さん。用は済みましたからね」

 ひらひらと手で解散を促し、みすぼらしい男を広場の噴水の縁に座らせる。男はいかにも疲れた表情の中に憔悴の色を浮かべていた。これ以上ないほど生気が抜けてしまっている。

「……行ったようですね」

「憲兵の旦那、恩に着ます」

「や、気にしないで下さい。……それに、このヘイブンじゃ効かない薬なんてザラです。それに騙される方も騙される方、ってなもんでしょう」

 ヘイブンは、カネさえ出せば誰でもどんなものでも売れる自由市場である。市場では、眉唾ものの偽物が天下御免でまかり通っているのも現状である。それも、ヘイブンの魅力の一つであると人々は言う。事実、ドモンだってそう思う。酷い代物だって売ってはいるが、中にはとんでもない掘り出し物だって混ざっている。

「誤解しねえでくださいよ。あいつは最近、この辺の商売人に脅しをかけている野郎なんです。迷惑してましたから、丁度良かった」

「インチキをインチキって言っても正直なだけだと思いますが」

「インチキ? 旦那までそんなことをおっしゃるんですかい? こいつを見て下さい。北の山脈でしか採れない野草、南の海の側で取れる海藻、その他もろもろから作った薬です。こいつは本当に何でも効くんです」

 怪しい。だが、今のドモンにことの真偽を確かめる方法は無かった。本気でインチキかどうかを調べようとすれば、それこそ長い時間がかかるはずだ。ドモンには、薬学の知識などこれっぽっちも持ち合わせていないのだ。

「や、まあインチキでないということを信じましょう。ヘイブンでは、結構出る杭は打たれますからね。気をつけるにこしたことはありませんよ」

 そういうと、ドモンは男の肩をたたき、その場を去った。これ以上、男の講釈を聞く気にはなれなかった。





 その日の夜、非番となったドモンは、まっすぐに家に帰ることにした。セリカは魔導師学校の講義の準備があるとかで、いないはずだ。久々に一人で羽を伸ばすことができる。元来怠け者で適当な性格であるドモンにとっては、セリカの小言は毎日雨あられのように浴びせられているものであり、それがないということは、家は快適で魅力的であるということになる。

 胸の高鳴りを感じながら、ドアノブに手をかけた。軽い。鍵が空いている。

「……ただいま帰りました」

「おかえりなさい、お兄様」

 セリカが立っていた。

「セリカ、今日は学校に泊まりこみなのでは」

「既に準備は終わりました。お兄様が普段どのような心持ちでお仕事をなさっているのか、セリカには全く分かりかねることです。ですが、講義の準備など、その日の内に終ります。お兄様も、今日のうちの仕事も、明日の準備も今日の内で済ませるでしょう」

「や、僕は結構持ち越すことが多いのですが」

「そうですか。講義の準備如き、明日までかけなければいけないほど、セリカが無能だと仰りたいのですか。大層な自信ですね。さぞかし、お兄様も出世が見込めるのでしょうね」

「何も僕はそこまで言ってはいませんよ……」

 帰ってきた途端、この罵詈雑言である。ただ、彼女が魔導師学校の中で神経をすり減らしているのは重々承知の上だ。貴族の子弟への対応や、行政府からの無理難題も受けていると聞く。多少の愚痴も、まあ仕方がない。それにしても、もう少し兄への敬意を払ってほしいものだ……というのは、ドモンのワガママであろうか。

「ところでお兄様、巷では『何にでも効く秘薬』が出回っているとか」

 パンとスープ、サラダの質素な食卓を囲みながら、セリカが尋ねる。

「ああ、それだったら今日、売ってた商人がインチキ扱いされて殴られてましたよ。たまたま通りがかって、助けてやったんです」

「まあ、それは本当ですか」

「や、説明を聞いても全く分かりませんでしたがね。なんでも、どこぞの野草だの海藻だのを合わせたものだとか。どうせヘイブンで売ってるものです。大したものじゃないでしょう」

 スープを飲み終わり、ちぎったパンに残りを浸していると、セリカの表情がみるみるうちに『よくない』表情に変わる。他人が見れば、無表情だというだろうが、長年付き合いのある兄妹であるドモンには分かる。

「お兄様。それは恐らく、本物ですよ」

「本物? まさか」

「まさかもだってもしかしもありません! その薬は、女性の美しさを永遠に保つ、とも言われているのです! 材料と調剤法は一子相伝、帝国医学薬学研究所でも解明されていないと聞きます」

 熱弁を振るうセリカに、いつになく嫌な予兆を感じ取ったドモンは、残ったパンを無理やり口に詰め込む。この場を離れなければ、ろくでもない『お願いごと』をされると相場が決まっているのだ。

「お兄様? 明日で結構ですから、その秘薬を必ず買ってきて下さい。必ず、ですよ」

「や、でも僕もお勤めが……」

「妹がこのまま行き遅れて、よぼよぼのおばあさんになってしまってもよろしいとでも? とにかく、頼みましたからね」




「それで、旦那。俺にどうしろっていうんだ」

 イオが新調したカソックコートに身を包み、呆れた表情で聖書台から見下ろしていた。ドモンはといえば、ベンチに腰かけうなだれている。ヘイブンはそれこそ無法地帯だ。昨日商売をしていた人間が、また同じような商売を続けている保証などどこにもないのだ。

「どうしようもありませんよ……ただ、誰か調べをつけられそうな人はいないかと」

「それこそ、ソニアのとこのガキに頼めばいいじゃないか。前の時もそうだったが、ありゃ素人じゃないぜェ。いや大したもんさ」

 ドモンの表情はそのままだった。まだ疑いをかけているというのもあるが、個人的な探索にジャッジの仲間を巻き込むことはできない。

「旦那も頑固だねェ……おっ、すまんね旦那。仕事みたいだ」

 懺悔室のカーテンが揺れ、誰かが中へ滑り込んだのを確認する。礼拝堂と懺悔室の入り口は外に設置されており、別になっているのだ。プライバシーの保護のためである。イオはいかにも神父然とした顔をつくると、懺悔室の小窓から顔を出した。

「迷える子羊よ、何でも懺悔なさい。神はすべてをお許しになるでしょう」

「ありがとうございます。手前は、薬問屋を営んでおります。神父様、手前の悩みをお聞き届けくださいまし」

 懺悔とは、己の感情を吐露することにほかならない。結果、懺悔という大げさな題目の割に、ただの悩み相談になってしまうことも多々あるのである。

「実は、最近脅されているのです。何者なのかもよくわかっていないのですが、怪文書が毎夜届く有り様でして」

「それは恐ろしいことです……憲兵団には届け出たのですか」

「梨の礫です。実際に被害も無いのに、動くことはならんと。怪文書も『秘薬を買え』という一文がずっと投げ込まれているだけですので……。しかし、不気味で女房も娘も不安がっているのです」

「そうですか……ご安心なさい。神はよく見ておられます。正しい選択をすれば、必ず良い方向へ向かうことでしょう」

「神父様、ありがとうございます。なんだかこう……胸がすっといたしました」

「そうでしょう。宜しければ教会のために寄付を……あっ」

 イオが目にしたのは、そそくさと懺悔室を出て行く男の後ろ姿だった。

「しけてやがるぜ」

 ふてくされながらカーテンをめくると、まだドモンがうなだれている。先ほどの仕事の結果にも、ドモンにもうんざりしつつ、彼の隣に腰掛ける。

「くそっ、何が秘薬だい。そんなもんケチケチせずに買ってやればいいじゃねェえか」

 秘薬の二文字に反応して、ドモンが跳ね起きる。今の彼にとって、秘薬を手に入れることは、平穏な生活を送るための必要条件なのだ!

「ど、どこで買うっていうんです? どこで!」

 ドモンの勢いは、イオの首を絞めかねないものだった。潰れたカエルの鳴き声みたいな声で、イオはやめるように必死で懇願する。

「ぐるじいい! やめろお、旦那! しんじまう!」

「どこです! 早く言うんですよ! エッ!」

 ようやく手を離したドモンに恨みの目線を突き立て、咳き込みながら、イオはなんとか言葉を絞り出した。

「うぇっ……ゲホ! くすり問屋だ! 薬問屋! 懺悔に来た薬問屋がそれで脅されてるだとさ!」

「どこの薬問屋です、それは」

「俺が知るかよ、旦那。脅されてるって言うし、助けてやればその秘薬とやらもなんとかなるんじゃねェのかい」

 イオの咳き込みが止まり、襟を正しながら起き上がった時には、ドモンの姿は既に無かった。イオは頭をかきため息をつくと、受けたストレスを解消せんと、酒瓶を手にとるのだった。

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