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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
妄執不要
89/124

妄執不要(Aパート)




「悪いがよ……少し早めに地獄に行ってもらうぜェ」

 闇の中に黄金のロザリオが掲げられ、振り下ろされた。

 眉間に押し付けられたロザリオは内部でゼンマイが稼働し、鋭く長い針が一瞬で突き出し、その男の脳を貫き、命を奪った。崩れ落ちる男を見下ろすのは、冷徹な表情の神父、イオだ。カソックコートを翻し、ロザリオの機構を逆回転させながら、ただの死体にかえった男から離れた。

 これで今回の断罪は全ておしまいだ。イオは教会に帰りながら、明日からの事を考えた。イオは教団に所属する神父である。教団では一年に一度、各地の支部ごとに教会の活動の報告会があるのだ。これが大変退屈極まるイベントであり、神への忠誠心には自信のあるイオとて、億劫になってしまいそうなものなのである。

 しかし行かぬわけにもいかない。イオの所属している支部は、帝都イヴァンより北にあるエトランゼ領にある支部であり、往復で二週間ほどかかってしまう位置にある。

「まったく、面倒だよなァ」

 トランクに服と路銀をいくつか詰め込み、イオは人肌淋しくベッドに入った。帝国では、旅の聖職者を見かければ必ず施しを授け、暴力を振るってはならないという暗黙の了解があるとは言え、長旅はつらいものだ。何より、断罪という仕事の機会が減ってしまうのもまた悩みの種であった。

「おお、主よ……どうか我にメシの種を奪うような真似をなさらぬよう……おやすみ」

 イオは十字を切り、眠りにつく。明日からの長い旅路の中で、どんな事が待ち受けているかを考えながら。






「ええ、じゃあ神父さんしばらくいないんですか?」

 イオはトランクを傍らに置き、フィリュネに旅に出ることを短く伝えた。そして端正に整った顔を彼女の耳に近づけると、誰もいないことを確認してから言った。

「どうしてもってんなら、仕方ねェけどよ……断罪の依頼はできるだけ受けねェようにしてくれよ。特に旦那はなんか、抜け駆けしそうだからよ」

「まさかあ。……というか、今それどころじゃないんですよ。旦那さん」

 フィリュネは口を押さえ、笑いを押し殺しながら話を続けた。

「実は今朝の話なんですけど……旦那さんったら酷い災難に遭ったみたいなんです」





 朝。ドモンの家は妹のセリカと二人暮らしである。よって朝は慌ただしい。特にドモンとセリカの兄妹を悩ますのが、二人共通の寝癖である。朝起き抜けの二人の髪型は、見た人の百年の恋も冷めるレベルのものだ。例えるならば、触手を伸ばした食虫植物、活発に動くイソギンチャクといったところだろうか。

 そして朝の時間の大部分は、そんなモンスターと兄妹の格闘に費やされてしまうのだ。剣の代わりに櫛を携え、魔法のアイテム代わりにヘアクリームを持ち、洗面器の前の鏡に殺到する二人の騎士の格闘。それがドモンの家の朝の日常だ。

「お兄様、おはようございます」

 勇敢なる妹は、今日は早めに起きたためかモンスターを完全に討ち果たし終えていた。ドモンはといえば、そんな言葉に生返事をし、頭の上のモンスターを見てげんなりするばかりだ。入念に櫛を通し、いざ退治し終えんとヘアクリームの缶を開ける。無い。何も入っていない。すっからかんだ。

「セリカ! クリームが入ってませんよ! 空っぽです!」

「洗面台の上の棚に買い置きがございますから、どうかそれをお使いくださいまし」

 それくらい分かっているなら準備してもらってもバチは当たらないのに。ぶつぶつと文句を垂れながら、棚へと手をのばす。絶妙に手がとどかない。ドモンは舌打ちすると、洗面台の側に木箱が置いてあるのを見つけた。確か、洗濯物を運ぶ時に使っているやつだ。

「これなら届きますかねえ」

 ドモンは寝ぼけ眼で箱を引きずり、その上に乗って、再びクリームの缶へと手を伸ばした。その瞬間! ばきり、と箱が壊れ、ドモンの体は後ろ側に倒れる! 絶叫! セリカが驚き洗面所へ駆け込むと、右手を抱えて唸る兄の姿が!

「お兄様! しっかりなさってください! お、お医者様を呼ばないと!」

 結局、朝から呼ばれて不機嫌そうな町医者が言うことには、右腕の骨にひびが入っていることが分かった。当然、これでは剣は握れない。全治三週間はかかり、その間手は使えないというのである。

 ドモンは憂鬱だった。なぜならこんな調子でも、今日は仕事なのである。当然この事も上役のガイモンに伝えねばならないのだ。

 とぼとぼと憲兵団本部へと歩みを進め、自身の机の隣に座るサイに挨拶する。当然彼は驚いた。昨日何も無かったはずの同僚が、腕を釣り上げて包帯をぐるぐる巻きにしているのだから。

「おいおい……お前、何があったんだよ」

「や、実はですね。朝から暴漢に襲われまして、なんとか追っ払ったんですが、すっ転んで腕を……」

 サイは呆れた様子でため息をつき、哀れで愚かな同僚へ冷たい視線を送る。

「お前、それガイモン様にも言うのか?」

「やっぱ、ダメですかねえ」

 ドモンは諦めたように顔をべったり机に貼り付けると、絶望にさめざめと涙をながすふりをした。仕事はサボれるかもしれないが、利き腕がこうでは何もすることがない。食事をするにも苦労することだろう。そんな事をひたすらぐるぐる考えていた時、雷が落ちたような声がドモンの耳に響く!

「ドモン! 貴様……憲兵官吏がそんな体たらくでどうする!」

 ドモンはその場に急に立ち上がったせいで右腕を机にぶつけ、思わず声を上げて痛がった。事実痛い。

「や、も、申し訳ございません。小官の不徳と致すところ、面目次第も……」

「貴様の徳も面目もいらん。とにかく、ヘイヴンの警備に穴が出るのは問題だ。貴様がやっとる時点で穴には違いないが、大穴になってはイヴァン全体の問題にもなってくる」

 ガイモンは髭をさすりながら、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「しかしガイモン様。実際問題こうして怪我をしてるんですよ。もしヘイヴンで何かあった時、ヘタすればドモンに……」

 同僚の暖かな言葉にも、冷血漢のガイモンには響かなかったようだった。

「そんなことは分かっとる。……別に交代要員には困っとらん。騎士団にお伺いを立てれば済む話だからな」

 ガイモンは不機嫌そうに厚生担当の憲兵官吏に指示すると、一枚の紙を持ってこさせた。それをドモンの目の前に置く。『緊急時における高度高速医療術依頼書』と書かれている。

「だが働けるのに働かん者がいるのは好かん。ドモン、貴様に一週間休暇をやる。これを書いて今日は帰れ。三日か四日すれば治癒師ヒーラーの一人が派遣されるだろう。そうすれば、貴様の首をすげ替える手間が省けると言うものよ」





 帝国医薬薬学研究所では、いわゆる科学と魔法の融合で新たな道を模索するというテーマを掲げ、日々研究に励んでいる。

 中でも、治癒師の活躍は、帝国の国民の誰もが知るところである。治癒師は魔法や薬学、最新の外科手術など様々なジャンルにそれぞれ精通しており、一人ひとり得意分野は違う。しかし、帝国内でも最高峰の医療技術を持っている事に変わりはない。

「次の患者は?」

 数人の白衣の男女を引き連れた先頭に、目付きの悪い小柄な女性の姿があった。くせっけのある長い金髪を伸ばし、一房結んだ金髪を腰まで垂らしている。他の人々は研究者らしく白衣であるが、彼女自身は、白衣の中に黒いゴシックなドレスを着こむという奇妙な格好だ。

「貴族の子弟と、エスキス社の役員、後、治療のために東の国からエルフの子供が来てるっす」

 彼女とは対照的に茶髪で背の高い若者が、手にした羊皮紙を確認しながら言った。女性治癒師・ペコは、帝国医薬薬学研究所でも指折りの治癒師である。特に外傷の高速医療術の正確さと副作用のなさには定評がある。

「カフカ、順番は」

「順番すか?」

「患者の症状の程度の順番! どうせリストに載ってるのは申請順でしょ。ウチが受理した順序じゃ間に合わないかもしれないし、貴族ならねじ込んでくるかもしれない。貴方、何回同じこと言わせりゃ分かるの」

「す、すいませんっす……」

 カフカはこの医薬薬学研究所で、ペコの下に配属されてから日が浅い。ペコのように、患者の事を第一に考えるような治癒師は貴重であり、カフカもおそらくそうしたやり方になれていないのだろう。

「あら、ペコじゃない。元気してる?」

 通路の進行方向に、ペコとはこれまた対照的に背の高い女の姿があった。ショートカットの茶髪、胸元が大きく開いた、研究所には似合わぬ大胆なドレスに窮屈そうにグラマラスな体を詰め込み、その上に白衣を羽織っている。彼女はベアトリクス。ペコと同じく、腕の良い治癒師である。

「貴女と話してる暇は今ないの。またいい話があれば教えてくれるかしら」

 ペコは切りつけるように短くそう言うと、構わず集団を引き連れて通り過ぎていった。……いや、全員ではない。ベアトリクスは一人の男の襟首をひっつかみ、その場に引きとどめていた。

「な、なんすか。俺、早く行かないと……」

「坊やまでそんな事言うの? お姉さん寂しいじゃない……」

 赤いルージュを引いた、ぷっくりとした唇が、官能的な響きを紡ぎながら、カフカの初心な耳に飛び込んでいった。

「カフカ! 早くなさい!」

 ペコの怒鳴る声が廊下に響き、カフカはなんとかベアトリクスの手を振りほどき、早足で廊下を折れていく。

「全く、連れないわねえ。ホント……気に入らないわ」

 そう呟くと、ベアトリクスは彼女たちとは反対方向に歩き始め、廊下の奥へと消えていった。


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