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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
色事不要
88/124

色事不要(最終パート)




 デートの三日前。

 教会に集まったいつものメンバーは、イオの言葉に首を捻っていた。ドモンに対する断罪の依頼。ドモンの自身の証言によれば、ハリーという青年に違いないらしい。しかも、全くの逆恨みだ。

「ま、そんなこったろうと思ったぜェ。旦那に他人の女を寝取ろうなんて甲斐性はねェだろうからな」

 イオがベンチに寝転がったまま茶化す。ドモンはベンチに座り、頬杖をついたまま仲間たちの同意を苛ただしげに聞く。耳が痛い。

「しかし、どうするんですか? お金もらっちゃってるんですよね? 旦那さんに罪はないわけですし……」

 フィリュネが全員に紅茶とコーヒーを配りながら言う。断罪となるか否かは、懺悔を聞いたイオのさじかげんとなることがほとんどだ。

「ま、今回は涙を呑んでもらう他ねェだろ。失恋ごときでいちいち俺達が動いてられるかよォ」

「それより旦那。金は払ったのか、あの駐屯兵に」

 ソニアの言葉に、ドモンは照れくさそうに頷く。彼は自慢気に聖書台に紙を広げる。丸文字で書かれた手紙。

「おおっ! すごいじゃないですか! 『デート楽しみにしています』ですって! しかもちゃんとマリアベルってサインしてありますよ!」

「だから言ったじゃありませんか。銀貨五枚、払ったかいがありましたよ」

 ドモンはなおもにやにやと笑みをこぼす。準備は万端だ。同僚のサイにアドバイスを貰い、イオに洒落た服を売っている場所を教えてもらった。なおかつ妹のセリカにわざわざ服をチョイスしてもらったのだ。後は、ばっちり当日決めていくだけだ。





 マリアベルにとって、家族と呼べるような人はオーナーのロストマンくらいしかいなかった。五年前、内戦で親を亡くし、学校に通えなくなってしまったマリアベルに働ける場所は、まさしくクラブ・ロストマンのような場所しか無かったのだ。

「マリアベル、あんた解ってるわね」

 カウンターの暗がりの中で、ロストマンの低い声が響く。不安を煽る、得体のしれぬトーン。まるで、深い穴を無理やり覗かされているような。

「あんた、相手が悪かったのよ。騎士様のご子息を引っ掛けたのは良かったけど、父親があんな堅物オヤジだとはね……」

 マリアベルはこの店で五年働き、様々なものを見た。己の我欲を果さんと、様々な男がこの店を訪れるからだ。それはいい。ここは『そういう』店で、店でキャストであるマリアベルたちと飲む以外にも、外でデートしたり、色街でそれ以上のことをしたりということは日常茶飯事だからだ。当然こういったいかがわしい店なのだから、マフィアなどにみかじめ料を払わなくてはならないのだが、ロストマンはそうさせなかった。

 ある日、事情を知らずみかじめ料を取りに来たチンピラがいた。ひとしきり話をきいた後、ロストマンは迷わずチンピラの首筋に噛み付き、血を吸い、殺した。男は水分が抜け、砂になって消えた。マリアベルはその瞬間を仲間とともに目撃し、心底彼を恐れた。ロストマンはそうして、内外ともに自分の店を絶対のものとしたのだ。

 それはキャストたちも例外ではなかった。マリアベルは、ロストマンの期待や命令を裏切らなかったからこそ、こうして五年も長く務めてこれたのである。そして今回のことは間違いなく試練であった。自分が、このまま生き残れるかどうかの。

「大丈夫よお、マリアベルちゃん。あたしも見守ってるから、ね?」

 けむくじゃらの大男、駐屯兵のドーソンは親しげに言う。しかし彼の正体は、ロストマンの忠実なる部下にして、この店の汚れ仕事を一手に請け負っているのだ。なよなよと笑う彼も、憲兵団に見つからない形で死体を処理するくらいは容易にやってのける。要するに、見張り役だ。

「オーナー……私」

「ハリーとその父親の汚名をそそぐためには、あんたは死ななくちゃならなかった。本来ならね。それを、憲兵官吏に責任転嫁させた。全部、あんたを守るためよ?」

 ロストマンは事も無げにいい、手元のキセルを吸い、紫煙を吐き出した。あの日、善意から自分を助けてくれた憲兵官吏は──ドモンは、デートを共にした後、暗がりに連れて行かれ……待ち伏せるハリーに殺される。

「いい? マリアベル。あんたはこのクラブの売れっ子よ。それを守るのも私の務め。……そして、サイドビジネスを続けていくために対策を取るのも私の役目。失敗することだってある、それは私も解ってるわ。でもその責任はとらなくちゃならない。あんたも割りきりなさい」

 割り切れるわけがなかった。マリアベルは沈痛な表情と目に溜めた涙を隠すようにうつむき、頷いた。自分に、ロストマンに対抗しうるような力はない。少なくとも、今は。






 デート二日前。

 イオは今日ものんびりと教会で過ごしていた。しかしずっとこうしているのも気分が悪い。色街で女でも引っ掛けようと立ち上がったその時、聖堂の入り口に立っているものがあった。

「これはこれは。祈りを捧げにいらしたので?」

 銀髪の少女は入り口の扉から外を注意深く観察してから閉めると、ふう、と息をつく。イオは逆に息を飲んだ。中々の美少女だ。後数年もすれば、イオもひっかけたくなってしまいそうだった。

「ち、ち、違うんです。あの、お願いがあるのですが」

 必死に詰め寄る少女を、イオはベンチへ案内し、座らせた。神父らしく穏やかでゆっくりと彼女へ訊ねる。

「お願いとはなんでしょうか」

「神父様、私を……いえ、ドモン様を助けて下さい!」

 いきなり知り合いの名前が出てきたことに、イオは面食らった。しかも、彼女の姿はよく見れば、ドモン自身が言っていたデート相手と特徴が全く同じだ!

「一体どういう……」

 イオは回りをきょろきょろ見回し、人がいない事を確認してから、懺悔室にマリアベルを押し込む。薄暗い部屋の中で、たった二人。マリアベルは不安げに部屋の中を見回し、落ち着かない様子だ。

「ここは懺悔室。全ての秘密は守られます。一体、何があったのですか」

 マリアベルはその言葉にようやく安心したのか、涙を交えながらこれから起こるであろう事を話した。マリアベルは、違法デートクラブのキャストであること。オーナーであり、恐ろしい人外の存在であるロストマンは、デートクラブの違法性を逆手にとり、恐喝をサイドビジネスにしていること。そして、今回それがバレそうになったのを、マリアベル一人に責任を押し付け、ドモンを誘い出し殺そうとしていること。

「待ち伏せるのは、ハリー・レオサイドと言う人です。ハリーとのことが、ハリーのお父さんにも知れてしまったせいで……。実を言うと先日……その。そのハリーに襲われそうになったところ……助けてもらったんです」

「なぜそれをこの教会で?」

 イオにとってそれは、当然の疑問だった。本来、全てドモンに言えば済む話なのだから。

「ドモン様は、こちらの教会によく来ると聞いたので……。今、その……追われているんです。余計なことをしないように、と。駐屯兵のドーソンと言う男に……。とにかく、お願いです! ドモン様にこの事をお伝え下さい!」

 イオはしばらく考えこんでいたが、自身の中で得心させると頷く。銀色の潤んだマリアベルの瞳が、暗闇の中で涙とともに光るのを見て、イオはようやく口を開いた。

「分かりました。伝えましょう。しかしあなたもまたここに来たことで危険を冒したはず。ひとつ私に考えがあります。従ってもらえますか」






 ドーソンは、昼間はあまり動けないロストマンの目と耳となる存在である。もちろん、表立ってのことではなく、ロストマンが動くには煩雑に過ぎる事象に対応する裏方といったところだ。例えば、重要な作戦を控えているマリアベルを尾行するというのも、立派な仕事の一つだ。

「出てきやがった」

 マリアベルは教会からようやく出てきた。神父らしき男も一緒だ。そしてあろうことか、マリアベルと神父はその場でキスをしたのである! マリアベルは口を服の袖で拭いながら、その場を離れようとする。ドーソンは追いすがり、マリアベルの肩をつかむ! 驚愕する彼女に、あろうことかドーソンは……腹に拳を叩き込んだのだ!

「てめえ……ママが目をかけてるからって、調子乗るんじゃねえぞ」

 咳き込み、胃液を垂らすマリアベル。言い訳はひとつもしなかった。それどころか彼女はにやりと笑ってみせたのである。

「何よ……私が、男とキスしちゃいけないっていうの。神父様がいい男だった、それだけの話じゃない」

「そういう事いってんじゃねえんだよ……お前は、商品なんだぜ、マリアベルちゃん。今回の事はおいらがママには黙っておいてやるから、二度と尻軽なところを外でみせるんじゃねえぞ」

 マリアベルは憑き物でも落ちたかのように、今度は胃液を袖で拭い立ち上がると、ふらふらとヘイヴンへと向かう街道の人混みに紛れていく。ドーソンは地面につばを吐きかけると、少し離れてマリアベルの尾行を再開するのだった。





 デートの時刻まで数時間前。

 昼時にイオから突然の呼び出しを受けた他の三人は、他ならぬ彼からの報告に驚いていた。マリアベルからのSOS。そして、ドモンが殺害されるかも知れぬという警告は、四人の夜の顔──断罪人としての顔を表に引きずり出すに値するものだった。

「どうするね、旦那。好いた女があんたを救おうと危険を冒したわけだ。俺なら、なんとか動いてやるべきだと思うけどな」

 ソニアの言葉に呼応するように、ドモンはマリアベルの事を考えていた。所詮たった一度だけ出会い、たった一度だけ文を交わしただけかもしれない。それは、ドモンが彼女のために動こうとするには十分過ぎる材料だったのだ。しかしそれを考慮した上でも慎重なのも、ドモンという男であった。

「ですがねえ……聞けば、僕が蹴り倒したのは正騎士の息子だって言うじゃありませんか。下手に表立って動けば、最悪憲兵団にチクられかねませんよ」

「旦那さん! 好きな子が必死にピンチを伝えてくれたんですよ! そこで動かなくて、いつ動くんですか! それに、このままじゃ旦那さん、殺されちゃいますよ!」

 イオもそれには同意のようだった。彼女の必死さを一番よく感じ取ったのはイオだからだ。ドモンは三人からの無言の圧力に屈し、大きくため息をつき、ベンチに座った。そしておもむろに右側のブーツを持ち上げ、底をずらす。スライドした底から現れたのは、金貨だ! 左側のブーツの底からも同様に金貨が一枚!

「ここに、金貨が二枚あります。これで、マリアベルと僕を脅かす連中を、断罪しましょう。……財布からは勘弁して下さい。まさに今日デートなんですからね」

 ドモンは金貨を見せびらかすようにかざしながら、最終的に金貨を聖書台に着地させた。その二枚の金貨の上に、三枚の金貨がさらに投げるように追加される。投げたのはイオだ。手には、空になった皮の袋。

「俺からの祝儀だ。……安心しろよ、こりゃあんたが蹴ったハリー・レオサイドとやらが、あんたを殺すために出した金だ。四人で分けりゃ、やる気も出るってもんだろォ」

 ソニアは手元の携帯火種にタバコを突っ込み火をつけると、おもむろにとった金貨一枚を財布にしまい、そこから銀貨六枚と銅貨四十枚に両替する。

「相手は、クラブのオーナー・ロストマン。駐屯兵のドーソン。ハリー・レオサイド。その父親、ミーシャ・レオサイドの四人ですね」

「デート先でハリー・レオサイドが待ち伏せてるところに旦那が辿り着くまでに、俺たちゃ他の連中を殺らなくちゃならんってことか」

 イオは首から下げたロザリオに触れ、なぞり、握った。準備に使う時間は少ない。息子の不祥事のために、相手を消そうと考える父親だ。その仲間たちも──放置しておけば手を噛まれるのはこちらだろう。イオは考えをまとめ終えるとニヤリと笑い、ドモンを茶化した。

「じゃ、旦那。デート楽しんでこいよなァ」

「楽しめるわけ無いでしょう、全く……」

 ドモンは少しだけ帰ってきた金を手に、とぼとぼとデートへと向かうのだった。





 そして、夜。当日デート中。

 今まさに、ドモンはレストランで食事をしている最中だろう。とりとめのない事を考えながら、ソニアは人気の無い林の影に隠れていた。ここは、イヴァン中心部から南側騎士団住宅街へと続く道の、雑木林だ。ソニアは息を潜め、目的の人物を待ち構えていた。もう既にタバコは三本目だ。四本目のタバコをつけようと、ソニアは携帯火種の蓋を開け、息を吹き込む。煌々と赤い光が息を吹き込む度に、火の粉と共に顔に触れた。タバコを突っ込み、火を点け咥えた時、雑木林の向こうから、手持ちランプを持った人の姿が見えた。紐で繋がった蓋を、するすると紐を引っ張ることで持ち上げると──蓋が閉まり、ソニアの黒尽くめのコート姿も相まって、辺りは真っ暗な闇に落ちる。

 姿は目の前に表せない。相手は正騎士、剣の達人だ。大きなリスクを負う必要はない。

「悪く思うなよ……」

 ソニアは銃をベルトから抜く。咥えていたタバコを口から取り──投げた! 道に転がる、赤く火の灯ったタバコ。ミーシャ・レオサイドは訝しげに辺りを見回し、ランプを置く。剣を抜きながら、転がったタバコに近づいていく。

「まだ遠い……もう少し……」

 銃を構え、ブツブツ呟きながら、ソニアの視線はミーシャの姿を追う。タバコまで後数歩。一歩。

 立ち止まった。

 トリガーを引く。炸裂するマズルフラッシュ! 銃弾は狂いなくミーシャの頭に当たり、ミーシャは剣を握ったまま無言で昏倒した! ソニアは近づき、死体となったミーシャを蹴る。ランプから遠く離れたおぼろげな光が、瞳孔の開ききったミーシャの顔を浮かび上がらせた。





 クラブ・ロストマンは、色街から遠く離れた、住宅街の極普通の家に存在する。知る人ぞ知るクラブだが、そんなマニア達からの人気は高い。

 ロストマン自身も普段であればバー・カウンターの中で、客の相手をするのであるが、今日は落ち着かないのでやめた。そもそも、店すら開けていない。今日の結果によっては、ロストマンには再び試練が訪れるからだ。

 もし、あのぼんくら息子が殺されるような事があれば、いよいよマリアベルも殺さねばなるまい。長く務めてきたキャストを殺すのは惜しかったが、それでも自分自身の保身とは替えられぬ。何より、ミーシャの口利きで、今回憲兵官吏が殺されることは、闇に葬られることになっているのだ。もちろん、自分の息子が手を下すのを知ってのことであるが、このチャンスを逃すことはない。今回のことで、ロストマンには火の粉が全くかからないのだから。

「その憲兵官吏が少しは弱けりゃ助かるんだけど」

 落ち着かない様子で白い毛皮のマフラーをただし、キセルをくわえる。落ち着かない中で呑むタバコほどまずいものは無い。

「ママ、ちょっと大丈夫?」

 ノックの音、野太い声。ロストマンはどうぞ、と気だるげな言葉を返す。入ってきたのは、ドーソンだった。

「何よ。あんたまだマリアベルのとこ行ってなかったの?」

「大丈夫よお。ドモンの旦那が殺られるところを見届けりゃいいんだから、これから行けば大丈夫よ。あんまり尾行して怪しまれるのも嫌だし」

 ロストマンは構わずキセルを咥え直そうとしたその時、店の扉を叩く者があった。ロストマンは顎をしゃくり、様子をみてくるようにドーソンに言う。彼は渋々店の入口に立ち、一度咳払いをしてから、できるだけ低い声で言った。

「なんでえ」

「ごめんなさーい。ここ、デートクラブだって聞いたんですけど……」

 ドーソンは扉を少し開けると、そこには栗色の背の高い女が立っていた。刺激的な赤くタイトなワンピース。手元にはなぜかロザリオがあり、捻るようにいじっていた。その度に、なぜか空気が破裂するような音がする。

「あのー、わたし、イオリって言うんですう。最近、お金無くてー。ここで働きたいんですけどおー」

「帰んな。ちょっと今、立て込んでてよ……」

 イオリは笑顔を浮かべながら胸元までロザリオを掲げると、横棒を軽くひねり、横へずらしはじめた。鋭く長い針が抜き出され──ドーソンの眉間に素早く打ち込まれる! 何かと思う間もなく、ドーソンは顔、手、足、全身を痙攣させ始め昏倒! あっという間に絶命!

 イオリは静かに針を眉間から抜き、ロザリオに注意深く仕舞った。店内には人はいない。奥から光が漏れている扉を見つけ、そろそろと近づいていく。

「ドーソン? なんか凄い音がしたけど、あんた大丈夫なの?」

 ロストマンの声が聞こえる。イオリは迷わずその扉の中へと滑り込み、ロストマンと対峙する! ロストマンは、事務所の椅子に腰掛けたまま驚愕の表情を浮かべ、動けない!

「だ、誰よアンタ!? ドーソンは!?」

「面接を受けさせてくれないんでえ、オーナーにお願いしようと思ったんですう」

 言うが早いが、イオリはロザリオを突き出す! ロストマンは咄嗟に目の前に転がっていたゴミ箱を蹴り、手刀を下から切り上げる! イオの顔に僅かに傷が縦に走り、血が少しだけ流れ──刹那、ロストマンの心臓をイオのロザリオが正確に捉えた! ゼンマイが回転し、長い針が突き出たかと思うと、ロストマンは咆哮をあげる! 断末魔の叫びは、彼の体をぐずぐずの砂へと変えていき、ただそこにはロストマンだった砂が残されるのみとなった。

「見る目がねェな、オーナーさん。不採用ならそう言ってくれよォ」

 イオはロザリオを逆回転させると、針をロザリオ内部にしまい込み、クラブを後にするのだった。






 レストランから出てきた憲兵官吏とマリアベルの姿を、ハリー・レオサイドは嫉妬の炎で焼き殺されそうになるのをなんとか抑えながら、じっと息を潜めて見ていた。手には、家から持ちだした剣。これであの憲兵官吏を突き殺してやれたらどんなにかスカッとするだろう。

 父親は言った。レオサイド家の名誉を守るためには、マリアベルを殺すか、憲兵官吏の方を殺して、ロストマンに恩を売る他無いと。もともとマリアベルを自分のモノにする以外考えがなかったハリーは、一も二もなく憲兵官吏を殺すと宣言した。

 しかし、許せない。マリアベルは自分のものだ。あまつさえこうしてデートをしているのは、裏切りにほかならないのだ。こうなれば、マリアベルごと殺す。父親の意向など関係ない。ハリー・レオサイドという男は、そういう意味ではどこまでも独善的であった。

「ここは?」

「実は、星が綺麗なところなんです。……ドモン様にも、見て欲しいと思ったので」

 ハリーの怒りは、頂点に達しようとしていた。何が星を見るだ、あばずれめ。どうせこのあとしっぽりヤることしか考えていないくせに。自分にはさせずにこの憲兵官吏には尻を突き出すつもりなのだ。

 ハリーは怒りとともに鞘から剣を抜いた。小高い丘の上、他には誰も居ない。二人の立つ柵を乗り越えれば、断崖絶壁の崖だ。逃げ場など、どこにもない。口を歪めハリーは笑う。まずはぼんくらの憲兵官吏から葬ってやる! 振り上げ斬りかかったその瞬間! ハリーはその場に縫い付けられたかのように動けなくなった! 喉に、剣が突きつけられている。ドモンは剣を抜いていた。しかもこちらが抜くより早く。

「困りますねえ……今デート中なもんでしてねえ、剣を抜かれちゃ物騒じゃありませんか」

 じりじりと剣を避けるように、ハリーは誘導されていく。背中に柵が当たり、いつの間にか自分が追い詰められていることに気づくのにそう時間はかからなかった。

「うるさい! ……マリアベルは僕のものだ。そうだよな、マリアベル!」

 マリアベルは俯いていたが、突然銀色の前髪を掴むと引剥がした! 姿を現したのは、背格好こそ似ているが、似ても似つかぬ金髪の女、フィリュネだ!

「な……ま、マリアベルは!?」

「実は、途中で帰ってもらいました。あんたが来なけりゃ、こうして星を見れたんですがねえ」

 ドモンはいうが早いが、ハリーの喉元につきだした剣を、躊躇なく押しこむ! ハリーの口からあふれる赤い血。金属音を散らしながら、持っていた剣がこぼれ落ちる。

「地獄でもっといい恋するといいぜ、おぼっちゃん」

 喉から剣を抜くと、血を振ってから、剣を納めた。直後、力を失ったハリーは柵を乗り越え、落ちていった。柵の前に紙を一枚置き、石で止めると、ドモンはフィリュネと共に小高い丘を降りてゆく。星の瞬く音だけが、崖下のハリーの回りを満たしていた。






 近所の喫茶店にて、ドモンとマリアベルは二度目のデートに臨んでいた。マリアベルの表情は、心なしか柔らかい。ドモンは彼女に、他ならぬ彼女のお陰でハリーの襲撃を避けられたことに礼を言い、そのハリーが待ち伏せ先で転落死した事を伝えた。もちろん、殺したなどとは言わない。彼は嫉妬に狂い、自殺したことを伝えた。事実、『ドモンの書いた』遺書も見つかっている。誰かのせいになることなど、もはやありえない。

「ドモン様、ところで……おとなりの女性はどなたなのでしょう?」

 ドモンはただただ力なく笑う他無かった。隣にいるのは、自らの妹、セリカだったからだ。セリカは先日のデートの結果をひどく気にしており、二度目のデートで相手を見極めないといけないと、こうして無理やりついてきたのである。

「わたくし、ドモン兄様の妹のセリカと申します。マリアベルさん、あなたのことは良く存じてますわ」

「は、はあ」

 ドモンは生ぬるくなった紅茶を煽る以外、何もできなかった。セリカの『分析』に口を差し挟む余地など無い。

「あの、本当はドモン様にだけ直接申し上げたかった事があるんですけど……」

 マリアベルはセリカの威圧に耐えるように、おずおずと言った。ドモンはもう一度紅茶を煽ってから、彼女の言葉を促した。

「あの、私、クラブ・ロストマンで働いてましたよね。あのお店、実はただのデートクラブじゃないんです」

「はあ、違法デートクラブだとは言ってましたが」

 ドモンは半分以上無くなりかけのカップをせわしなく運んでいた。どうにも落ち着かないからだ。

「確かにその通りなんですけど……違法なのは違法なんですが、その実『女装』デートクラブなんです」

 ドモンは口に運びかけた紅茶のカップを取り落とし、割った。紅茶の飛沫が飛び、喫茶店が驚きから静寂に包まれる。セリカもぽかんと口を開けたままだ。女装デートクラブ。そこのキャスト。一番人気。

「マリアベルさん? じゃあ、あなたもしかして……」

「はい、これでも男なんです。髪も顔も全部自前なんですけど、男同士ですし、お付き合いするにも黙っておけなくて……」

 ドモンの脳内には、様々な考えが飛び交っていた。しかし飛び交う考えは虫のようにまとまりがなく、ドモンは呆然とするばかりであった。

「お兄様、しっかり! お気を確かに持ってください!」

 揺り動かすセリカの声も全く届くこと無く、ただドモンは魂がすっかり抜けきったように、ゆらゆら揺れているばかりなのであった。




色事不要 終

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