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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
色事不要
87/124

色事不要(Cパート)





 数日経過した後、ドモンはヘイヴン外れの噴水広場の前に立っていた。今夜は非番である。デートのために、仕事をささっと終わらせて待ち合わせ場所へと向かったのだ。上役のガイモンからは白い目で見られたが、その程度の事に屈している暇など無い。なぜなら今回に限っては、現実主義者のドモンが運命などというロマンチックなものを感じてしまっているからだ。

「いいか、やっぱりムードが大事だぜ」

 友人にして彼女ができたばかりの同僚、サイは得意気に饒舌に語ってみせた。

「それで美味しいものを食べに行って、静かなところを散歩する。星なんか見てもいいな。間違っても色街なんか行くなよ。最初が肝心なんだからな」

 今日はいつもの憲兵官吏の制服ではなく、グレーの生地に薄いストライプの入った着流しで、腰の辺りで巻いた帯に剣を差している。剣士はいついかなる時も戦闘態勢を取らねばならない。よって、剣士を名乗る人々の普段着は、こうした動きやすい軽装であることがほとんどである。はるか昔、異世界からやってきたとある大剣豪の心意気であるとも伝えられており、それが根付いているのだ。

「あの、待ちましたか?」

 黄昏時、傾き始めたオレンジ色の光の中に、マリアベルは立っていた。あの時と同じ、少しうつむきがちの銀色の髪の少女がそこにいた。

「や、その。全く待ってません。むしろその、今来たくらいで……じゃ、行きましょうか」

 マリアベルはこくりと頷くと、ドモンと連れ立って歩き始める。ドモンはそわそわと落ち着かない様子で手を動かしていたが、包むようにそれをマリアベルの手が結んだ。手を繋いだのだ。ドモンは皮膚が粟立つのを感じた。手から、手の体温が伝わるのだ。最後に妹のセリカ以外の女性と手を繋いだのはいつだっただろうか。

「今日は、少し寒いですねえ」

「はい。でも……ドモン様の手は温かいです」

 小さな声。やわらかな口調。とりとめのないやりとり。ひとつひとつが新鮮で、暖かかった。二人はレストランに入り、ささやかなディナーを食べ、語り、笑った。何のことはない話ばかりだ。今日ここで話しても、世界は何も変わりはしない、そんな話だ。しかし、少なくともドモンの世界は変わっていた。マリアベルが笑い、相槌を打ち……そしてマリアベルの話にもドモンは同じように答えた。話に意味など無い。だが、こうしている事自体に、ドモンにとって大きな意味があるのだった。レストランを出れば、サイに教えてもらった星空を見る絶好スポットの出番だ。予定の一つ一つを噛みしめるだけで、ドモンは心躍った。

「ドモン様、あの。わたし、とても楽しいです」

「無理はしないでくださいね。こう見えて……その。久々なんですよ、デート。モテないとかそういうわけじゃなくて、ええ。忙しかったので」

 マリアベルはくすくす口元を白いブラウスの袖で押さえ、笑った。

「憲兵官吏の旦那さんって、怖い人ばかりだと思ってました。ドモン様みたいな人なら、好きになれそうです」

 ドモンは目の前のワインを、照れ隠しに喉を鳴らして飲んだ。マリアベルはそれを真似するように、少ないながらもワインを飲む。それがなんともおかしくて、二人はまた笑った。





 今日という日に漕ぎ着けるまで、多くの苦労があった。何しろ、ドモンは彼女の事を殆ど知らないのだ。名前や外見は分かっても、それ以外のことは知らないのだ。

 しかし、そういう時こそ活躍するのがフィリュネとソニアである。女性の事を聞く時、このアクセサリーというのは非常に役に立つ。行商ついでにさり気なく聞けるからだ。

「でも旦那さん、おかしいんですよね」

 フィリュネは報酬のケーキをフォークに突き刺し、左手で銀貨を弄びながら、得心の行かない表情で言った。

「女の子って、友達とか知り合いとか、ネットワークがちゃんと繋がってるんですよ。必ずどこかでつながっているんです。しかも、旦那さんが一目惚れしちゃうような娘でしょう? 目立つ外見みたいですし……こんなに見つからないなんて、初めてですよ」

 そんな時、フィリュネではなく、ソニアが引き当てたツテがマリアベルを表舞台に引きずりだした。彼はフィリュネと同じようにアクセサリーを売りながら、客からうまく話を聞いていると、そこに顔を出したものがあったのだ。

「おい。そのマリアベルって子になんのようだい」

 アクセサリーに群がる女性を押しのけ現れたのは、駐屯兵の証である焦げ茶色のジャケットを羽織っている大男であった。体もデカければ、顔もデカい。太い手首から先のごつごつした手にも、びっしりと体毛が生えきっていた。男らしさがそのまま体を成したようだ。その風体に眉を潜め、女性客はどこかへ去って行ってしまった。商売上がったりだ。

「……知り合いの旦那がな、惚れたって言っててよ。どうしても会いたいらしいんだ。あんた、どこにいるのか知ってんのかい」

 その駐屯兵は、にやにやと大きな顎を擦ってから手を打った。何か良いアイデアでも思いついたようだった。

「へへへ……おいら知ってるぜ、そのマリアベルの居場所をよ」

「本当か」

「もし会いてえってんなら……おいらが口を利いてやってもいいぜ。高えけどよ」

 ソニアはしばらく考えていたが、最終的にそれを了承することにした。どうせ別に自分が金を出すわけではないのだ。ドモンがいくら使おうと、関係はない。

 駐屯兵は、ドーソンと名乗った。彼はソニアから『友人』がドモンであることを聞き出すと、苦笑した。どうやら憲兵団は愚か、ドモンは駐屯兵達にもあまり良い評判は持たれていないようであった。

「で? どうすりゃいいんだ、ドーソンの旦那よ」

 ソニアは茶化しながらタバコを手にはさみ持ち、携帯火種入れに息を吹き込んだ。ぱちぱちと火花が飛び、差し入れたタバコにあっという間に火がつく。中には、特殊な魔法で微量な火を燃やし続ける機構が備わっている。おがくずと息を吹き込めば、たちまちタバコに火をつけるくらいはわけのない火種となるのだ。ここ近年、開発競争が激化し、庶民に広く定着するようになったシロモノである。仕入先のオヤジから、新しいものを買ったのでやると、お下がりをもらったのだ。

「ドモンの旦那ならおいらもよく知ってらあ。マリアベルの都合をつけるとすりゃ……ま、銀貨五枚だな」

「そりゃドモンの旦那に直接交渉するんだな。俺は頼まれただけだ。取次はしねえ」

「それもそうだ。だが、おいらは気が短えぜ。あんまり待たせて、旦那に損をさせるのもよくねえんじゃねえのかい……」

 デカい図体のわりに、妙にねちっこい物言いをする男だ。ソニアは嫌悪感をタバコの煙を吸い込みごまかすと、ドーソンと分かれ、一路教会へと向かった。まずは作戦会議が必要になるに違いないからだ。






 クラブ・ロストマンは薄暗かった。昼間だと言うのに窓を閉め切り、ランプを灯している。まるで夜の街に迷い込んだようだ。南側騎士団正騎士という重責を担うミーシャでさえ、なんど来てもこの店の雰囲気にはなれなかった。

「それで、ミーシャ様」

 長いキセルからピアスの入った唇を話し、主のロストマンは口を開き、煙を漏らした。

「先日の話は、考えてくださいました?」

 ミーシャはバー・カウンターの小さなスツールに腰掛け、カウンターの中のロストマンを見上げていた。恐ろしい。ミーシャは震えていた。寒さすら感じていた。その原因は全て、この眼の前のロストマンにある。

 先日、ロストマンによってこの店に連れて来られたミーシャは、そこで働く一人の少女を見た。みすぼらしい格好だ。ふるぼけたメイド服、くすんだ金髪。怯えきって、ストレスからかこけた頬。

「私はビジネスマンなの。この店では、たくさんの仲間達が働いているわ。私も、こうして人々の中に交じるために、とっても苦労したの。そして、わかったことが二つある」

 ロストマンはミーシャをスツールに座らせ、メイド服の少女に飲み物を持ってくるよう指示した。少女はか細い声でそれに応じると、慌てた様子で奥へと引っ込んでいく。

「ひとつは、人はトクベツなことに弱いということ。自分だけのもの、ここだけの話、限定商品、マイノリティ。なんでもそう。このお店はね、『トクベツ』を売るところなの。宣伝は一切していないけど、今や夜は満員御礼。私もいっぱしの成功者ってわけ」

 奥から出てきた少女が、グラスに氷を浮かべた水を二つ用意し、バー・カウンターへと置く。まずミーシャの方へ。しかし彼は動揺していた。息子のこと、ロストマンの不気味さに。そして、彼の手は空を掴み──グラスは床に散華した。水が飛び散り、ミーシャの下半身を濡らす。

「ご、ごめんなさい! お客様……申し訳ございません!」

 ミーシャは懐からハンカチを取り出し拭くと、少女を許した。彼女は心の底から安堵したような表情を浮かべた。次の瞬間、少女の顔が九十度折れた。木でもへし折ったような音が鳴る。ごぼ、と言うマヌケな音とともに、少女の目から、鼻から、口からねっとりと血が流れた。彼女の首を持っていたのは、先程までバー・カウンターの中にいたはずのロストマンだ! その瞬間彼は、なんと少女の首元に噛み付いた! びくん、と少女が反射的に震え、植物が枯れるがごとく、肌からどんどん水分が抜けてゆく! 金色の髪がばさりと落ち、本来の黒い短髪が現れ、そして抜けていった。殺した。目の前で。正騎士たる自分に知覚すらさせず、素手で。

「クソマズイったらないわ。お手つきって本当に最ッ低の味ね……ああ、そうそう。もう一つあったわね、私の話。もう一つは、トクベツであるためには、トクベツを常に保たなくちゃならないってこと。みんなこのお店にトクベツを求めてる。だから私は特別にトクベツだし──トクベツな秩序を乱すような事は許さないの」

「だから」

 ミーシャは水分が抜けきり、砂のように消えて無くなった死体を見て、がぶがぶと水を飲み干した。今度は自分がそうなりそうな気すらしたからだ。

「だからと言って殺す意味はあったのか!」

「仮にあなたが剣を抜いていたら順番が変わっただけよ。あの子は使えない子だったし、いい機会だったから……そして、もうわかったわよね。ウチのマリアベルに手を出した息子の事を、私がどう思っているか。ましてや強姦未遂……」

「息子に! 息子に手は出さんでくれ!」

 ミーシャができることといえば、ロストマンの前で床に額を擦り付け、慈悲を請うことくらいであった。どれだけバカ息子であったとしても、ミーシャには親としての気持ちは残っていた。いや、むしろ親という立場を完全に捨てきれる人間などいないのだ。

「安心して? 私はビジネスマンよ。より良い条件になびく。今回は金貨二十枚で手を打ちましょう」

 ミーシャはひげ面の顔を上げ、ロストマンの顔を見る。彼の顔はランプの光で見えない。笑っているのか、怒っているのか。ミーシャは自分の顔にかつて人間だった粉がついていることに恐怖し、それを必死に払った。

「高いなんて言わないわよね。息子さんの安全と、あなたの名誉はそれで守られる。……それに、今すぐなんて言わないわ。また後日、踏ん切りがついたら……この店に来て。待ってるから」

 それから、ミーシャはどのように家に帰り、どのように過ごしたか覚えていない。体調がすぐれないからと理由をつけ、騎士としての仕事も休んだ。息子の命。自身の名誉。優先すべきことなど、わかりきっている。

 そうして今日、ミーシャは回答を心に携えて、この恐ろしい店にやってきたのだ。ロストマンはアルカイックな笑みをうかべながら、水の入ったグラスの縁を指でなぞり、不安を煽る音を立てている。ミーシャがまさに口を開こうとしたその時、店に飛び込んでくるものがあった。体の大きな駐屯兵、毛むくじゃらの大男だ!

「ママ! 大変よ! マリアベルの事なんだけど……アラ。何よ、お客さんがいるなんて聞いてないわよ!」

 大男の大声に、ロストマンは面食らったのか、余裕めいた表情を崩し大喝!

「ドーソン! あんたノックくらいしなさいよ!」

「いいじゃないの、ママ! それよりいい話があんのよ。またマリアベルちゃん、いいカモになりそうなのを捕まえたみたいなの! 前のバカ息子より、多分稼げるわよ!」

 ミーシャはその言葉を聞き逃さなかった。そしてドーソンに詰めより、胸ぐらを掴みやはり大喝! 大男のはずの彼は信じられない力で巨体を締めあげられ呻くばかりだ!

「貴様! どういうことだ! そのマリアベルとか言う女……俺の息子をハメたのか!」

 ロストマンはバー・カウンターの中で頭を抱えるほかなかった。ドーソンのお陰で、全てがぶち壊しになりかけている。マリアベルの事をダシにして恐喝し、金を得るビッグチャンスが台無しだ!

 しかし、ロストマンはただでは転ばなかった。一瞬で舵取りを切り替え、にやり、と誰にも見えない位置で笑みを浮かべたかと思うと、今度は涙を流し始めたのだ!

「ミーシャ様……本当にごめんなさい! ドーソンのいうことは本当なの!」

 思わずミーシャはドーソンから手を離す。ドーソンはすっかり締め上げられ、口角に泡を溜めつつ昏倒! ミーシャはロストマンに詰めより、カウンターに両手を叩きつけた! 二転三転する話に、彼は猛り狂っているのだ!

「どういうことだ! 説明しろ!」

「マリアベルは、確かにあなたの息子に強姦されかけたわ。でも、そう仕向けたのはあの子……おまけに、あの子ったら、そのことをダシにして脅せっていうの! そうしないと、この店をやめるって……あの子がいなくなったら、このお店はおしまいよ。だから……だから……」

 ロストマンはわざとらしくハンカチを取り出し、涙を拭った。それを見たミーシャの表情は既に、恐怖に震える子羊ではなくなっていた。名誉を貶められた、怒り狂う一人の親だった。

「どうやら、息子を交えて……よく話し合う必要があるようだな、ロストマン。お前と、息子と……そしてこの俺の名誉のために」

 ロストマンは涙ながらに頷きつつ、内心舌を出していた。彼にとって、この手の名誉を重んじる人間を操るのは容易いことだ。彼は人に似た人ならざる者として、長い間人を操ってきたのだから。

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