巡会(めぐりあい)不要(最終パート)
教会には、ソニアとフィリュネが既にいた。二人共黙して語らず、静かに時を過ごしていた。イオはそんな二人の気持ちを知ってか知らずか、ベンチに寝そべり聖書を被せて寝息を立てている。ドモンは彼の胸ぐらを持ち上げ、強引に立たせた! 面食らった表情のイオ!
「おいおいおい、何の真似だよォ!」
ドモンは無言でイオを殴る! その場に転がる彼に近づくドモンの表情は、冷徹な夜の顔だ。その表情からイオは自分に起こるであろう何かを察し、じりじりと後退した!
「旦那、どうしたってんだ。俺が何したんだよォ」
「『孤児院』。知ってるだろう、神父」
イオは目を剥き、ドモンが剣の柄に手を伸ばすところを見ていた。フィリュネは沈痛な表情のまま教会の扉を閉め、ソニアはただただタバコを吸うばかりだ。
おそらく言葉を間違えば、殺される。
「僕は裏切りが嫌いだ、神父。特にあんたの裏切りが何よりな」
「ちょっと、ちょっと待て。な、旦那。裏切りってのは何の話だよォ。誤解も甚だしい……」
ドモンは再びイオの胸ぐらを持ち上げ、殴る! 右ストレート! イオの鼻から血が流れる! 彼は構わずもう一度胸ぐらを持ち上げ、振りかぶった。イオが観念したのか目をつぶる……が衝撃はない。ソニアが振りかぶった手を掴み、止めていたのだった。
「旦那、俺にもやらせてくれ。こういうのは、全員でやったほうが効率がいい。……それにこういうのは慣れてるんでな」
おもむろに拳を作り、ぼきぼきと骨を鳴らすのを見て、イオは鼻血を拭いながら情けない声を上げた。
「ソニア、あんたからも何か言ってくれねェか。せめて顔はかんべんしてくれよ……頼むよ……」
「一発殴ってからでも遅かねえだろう、色男」
ソニアは悪党顔負けの下卑た笑みを浮かべる! 彼が拳に息を吹きかけ振りかぶったその時、フィリュネがようやく止めに入ったのだった。
「旦那さん、ソニアさん。もうその辺にしておいてください! 神父さんだって、理由があったのかも……」
イオはこれ幸いと立ち上がり、聖堂の巨大十字架の後ろへと隠れた。抜きかけた剣をドモンは納め、彼を引きずりだし、投げた。
「で、理由ってのは何なんです?」
「……まず、孤児院の事は話す。なんであんたが知ってんのかは知らねェが……そもそも、裏切りってのは何の話だ」
フィリュネが仕方なくイオに手を差し伸べ、立ち上がらせる。よろよろとベンチに近づいていき、再び座り込む。
「旦那さんもソニアさんも……正直言って私も、神父さんが勝手に断罪したって思ってるんですよ」
「しかもです。あんた孤児院の連中とグルになってんじゃないですか? 金にでもつられましたか」
「はぁ? なんでそんな……そりゃ、やってやれねェことはねェだろうがよ。リスクがあり過ぎる。それに、金なんざもらっちゃいねえし、そもそも断罪はここ一週間は請けてねえ。殴られ損ってもんだぜ」
イオはひどく気分を害したような表情を浮かべると、立ち上がり、カソックコートについた埃と、なおも流れる鼻血を拭った。
「どこに行くんです、神父」
「決まってんだろ。……心あたりがある。俺にもケジメってのをつけなくちゃならねェんだ」
イオはふらふらおぼつかない足取りで歩き始め、教会を出て行った。ドモンはフィリュネに、目でイオを追うように合図する。彼女はすぐに頷くと、そろそろと気付かれないように追跡し始めるのだった。
今日の天気は晴れ。穏やかな風が吹き、外で遊ぶには絶好の日和である。孤児院住まいの数人の子どもたちが、庭で遊んでいた。小さな子供でも簡単にできる、大きな玉で行うキャッチボール。楽しげな声が、孤児院の門の前からも響く。イオは、そんな光景を、入り口の柵の外からただ見ていた。
「兄貴、どうしたんだい。もしかして……」
イオが後ろを振り向くと、そこには買い物帰りと思われる袋を抱えた、ミヤコの姿があった。イオはバツが悪そうに笑う。
「ああ。この間の話だが……返事が必要だと思ってよォ」
ミヤコは笑みを見せ、嬉しそうに門を開け、子どもたちにほがらかに帰った事を知らせた。憲兵官吏の制服の男が、子どもたちに混じってボール遊びをしている。小さな猫も、子どもたちにじゃれるように一緒になって遊んでいた。一瞬だけ『玄人』めいた鋭い視線をイオに投げかけるも、次の瞬間には元に戻っていた。只者ではあるまい。
「おおお……イオ! お前、戻ったのかい!」
しわくちゃの顔を更に皺だらけにすると、イオにすがりつき、さめざめと泣いた。何しろ、十数年ぶりの再会だ。
「シスター・ラビ。貴女がイヴァンに来ているとは知りませんでした。挨拶が遅れ、申し訳ありません」
イオは神父のような態度で、一人前の男としてシスター・ラビに接した。もうあの時の、行き場も力もない少年ではないと、誇示するように。
「よい、よい! 本当に立派になってのう……ミヤコ、飲み物を……」
「結構です。……ミヤコ、この間の話だが……あの後、『仕事』をやったのか」
ミヤコとシスター・ラビの笑みが消えた。やはりそうだったか、という得心と落胆がイオに押し寄せる。
「やっぱり、そうだったのかい。やったのは、あの憲兵官吏か? それとも、お前かミヤコ」
「兄貴、確かにやったのは俺だよ」
シスター・ラビは非難めいた視線をミヤコに送った。闇の稼業に慣れ合いは必要ない。ましてや、自分から自供するなどもってのほかだ。
「当たり前だが、殺しをやるだけが目的じゃない。金が入るんだ。工夫すれば、もっと金が入る。ひいひい言いながら、小説を書くより何倍も簡単なんだよ」
イオは彼らに背を向け、壁にかかる動物の絵を見た。かつてパラダイス孤児院の子どもたちは、それぞれ動物の苗字を与えられ、コード・ネームとした。イオは仕事を与えられる前に孤児院から去ったが、結局のところ運命からは逃れられなかったのだ。教えられた技術で金を稼いでいるからだ。
「シスター・ラビ。彼は誰です?」
いつのまにやら、憲兵官吏の男──ビリー・ジョーンズが猫を抱きかかえたまま部屋の入口に立っていた。
「お前は知らぬだろうね、ビリーや。お前が孤児院を出た後の子だからね。……イオ、お前も所詮、我らと同じ闇の住人。お互い、詮索不要が掟と言うのを知らぬお前ではあるまいよ」
シスター・ラビの言葉は至極尤もであった。殺しを生業とするような闇の住人たちにとって、同業者同士の接触はご法度である。
「俺達は王国から捨てられた。子どもたちを食わせるために稼がなきゃならん。……どんな工夫をしてでもな。つまり、引っ込んでいろと言うことだ」
ビリー・ジョーンズは猫を撫でながら、訪問者に対して決意を語った。それらしい決意表明だ。だが、シスター・ラビはかつて国へ忠を尽くすため、自分たちに殺しの技術を教えた。今はそんな大義名分を失い、ただ金のために技術を使っている。イオが過ごしたかつての孤児院は、おそらく本当の意味で失われてしまったのだ。
「……ミヤコ、俺ァここが嫌いだった。シスター・ラビ。あんたには感謝してるがなァ。嫌いだから、出て行ったんだ」
「兄貴」
「だが今日、ここに戻ってきて……もっと嫌いになったぜ」
イオは捨て台詞を吐き、部屋を出て行く。外で遊んでいた子どもたちがすれ違い、ミヤコやビリー、シスター・ラビへとよっていく。楽しげな声が背中に突き刺さるようだ。
「神父さん」
門を出た直後、フィリュネがにやにや笑いながら目の前に現れた。イオもにやりと笑い、フィリュネとハイタッチしてから、彼女を伴い人混みに紛れていった。目指すは、自身の教会だ。
「……なるほどねェ。ビリーとかいう憲兵官吏の言ってた『工夫』ってのはそういう意味だったか」
フィリュネの証言により疑いの晴れたイオが一番にしたことは、断罪の依頼を全員に話すことだった。孤児院の一味に殺されたスケコマシの男、テッドの仇討ち。テッドの恋人を名乗った女からの依頼。依頼金は金貨二枚。
「ええ。殺しの依頼をしたシルヴァは、そのビリーの脅しに精神的に参ってしまったようでしてね。今朝方首を括って死んじまったようです。真実はどうだか分かりませんがね。なにせ、第一発見者がビリーだったって理由で、その場でさっさと捜査の指揮を取って終わらせたんですから」
イオは吐くようなジェスチャーで、不快感を示す。ドモンはまだ、それを冷ややかな目で見ていた。その視線に気づいたイオは、おどけた調子で言った。
「まだ信じられねェかい、旦那」
「正直言えばそうです。あんたに関して言えば、警戒し過ぎることはありませんからね」
「耳がいてェ話だ」
ソニアは金貨二枚をいつの間にか銀貨二十枚に両替していた。一人につき銀貨五枚。安い命だ。
「でも僕は、あんたの過去をほじくろうとしたことには謝ろうと思います。裏切りとか、そういうのはともかくとして」
イオは気にせず笑い、銀貨五枚を取った。ドモンも、フィリュネも、ソニアも同じように銀貨を取る。ソニアは無言で立ち上がり、イオの肩を叩いてから、フィリュネを伴い教会を出て行った。
「旦那。この話はこれで終わりだ。女の嫉妬でもあるまいし、うだうだ同じ話をするのは好かねェ」
イオはそう宣言してから立ち上がり、教会の出口へと一足早く向かおうとしていた。ドモンはそんな彼を引き止め、尋ねた。彼の奥底にある、決意を汲み取るために。
「……聞きましたよ。ビリーはともかくとして、殺るのは養母と兄弟分っていうじゃないですか。……あんた、そんな人を殺れるんですか」
イオは笑う。口元だけは笑っていることがわかるが、暗がりのため目は見えない。だが付き合いの長いドモンには、彼の感情は手に取るように分かった。
「逆だろ、旦那。だからこそ俺が殺らなきゃな。こんな安い命だ。派手に送ってやるのも孝行ってもんだろ」
イオはそれ以上何も語らず、教会の外へと出て行った。ドモンにも、それ以上彼から何か引き出そうと言う気はなかった。外は、雨が降り始めていた。
パラダイス孤児院では、既に子どもたちは寝静まっていた。ただ雨だけが屋根を叩く音だけが響いている。
「こう上手く行くならば、もう何人か標的を見つけても良いのう、ビリーや」
一枚一枚、今回稼いだ金をシスター・ラビは数えていた。これだけあれば、子どもたちを一年、いや二年は食わせていけるだろう。
「は。しかし、憲兵団も馬鹿ではありません。このような手口は毎度行えば露見しましょう。上手く立ち回らねば」
ビリーはテーブルの上で寝息を立てる猫を撫でながら、淡々とそう答えた。彼にとって、孤児院や子どもたちは守るべき家族である。そして、彼は家族を守るためならどのような手段も辞さないのだ。
「分かっておる」
その時であった。玄関から、扉を叩く音が響いたのである。既に日が落ちて久しく、子どもたちは寝静まった深夜。誰が訪ねてくると言うのだろう。
「シスター・ラビ。様子を見て参ります」
「気をつけて行きなさい」
ビリーは剣の柄に手を当てながら、玄関へと向かう。雨の音がしとしと流れている中で、どんどんと無作法に扉を叩く音が響いていた。
「何者だ、こんな夜更けに」
「すいません、火急の用件にて失礼を……」
聞き覚えのある声だった。思わずビリーは錠前を外し、扉を開ける。雨の中立っていたのは、傘を差し頭を下げた憲兵官吏のジャケットを着た男。ビリーは声から彼がドモンであることを察した。
「ドモン、一体どうしたんだ。もう夜中だぞ」
「や、あなたはビリーさん? またこの孤児院に寄ってらしたんですか。そんなことより、ちょうど良かった。この雨の中、女の子が倒れているんです! どうか手を貸していただけませんか」
ビリーはその言葉に頷くと、ドモンと連れ立って孤児院の門の前へと向かう。傘に雨粒が当たる音だけが響いている。
「それにしても奇遇ですねえ。初めて僕がここに来た時も、こうして相合傘でしたねえ」
「あ、ああ」
妙な事を言うものだ、と思う間もなく、ドモンが必死に指を差し始めた。確かに雨の中、フードを被った少女がその場に倒れ伏している。
「おい君! 大丈夫か!」
よく見ると、少女の腹はぬめりけのある液体で濡れていた。雨ではない。血か何かか。こう暗くては何も見えない。
「まさか……死んでいるのか」
「ビリーさん、ちょっといいですか」
ドモンの言葉にビリーは振り向く。彼の表情は暗く、何も分からない。何かと思うと、傘を差し出しているのだった。
「少し持っていてもらえませんか」
差し出された傘をビリーが受け取ると、ドモンは少女の側にしゃがみ込み、彼女をじろじろと観察しているようだった。
「ビリーさん、これは……殺し屋の仕業ですよ」
「何?」
「もっとよく見てください」
ビリーは傘を持ったまま近づく。さらによく見ようと目を凝らし……大きく目を見開いた!
剣が腹に刺さっている。剣を持っているのは、死体の側にしゃがんだまま剣を抜いていた、ドモンだ!
「馬鹿な……なぜ、貴様が……!」
「生きてりゃどこかで恨みを買うもんだ。後はあの世で何を買ったか聞くんだな」
傘がビリーの手を離れ、地面に転がる。ドモンは突き刺した剣で強引にビリーを立たせると、塀に押し付けさらに剣を押し込む! ぐったりと動かなくなったビリーを確認してから、ようやくドモンは剣を引き抜いた。
「ほら、終わりましたよ」
刃についた血を、剣を振るって飛ばしながら、ドモンは死体役の少女に声をかける。フィリュネはむくりと立ち上がり、泥と鶏の血だらけの服を見てげんなりとした。
「旦那さん、やっぱり鶏の血はちょっと臭いんですけど」
「リアリティのためです。いいからさっさと行きますよ」
ビリーは十分経っても帰ってこなかった。
シスター・ラビは猫を撫でながら彼の帰りを待っていたが、とうとうしびれを切らし玄関へと向かった。雨は未だしとしとと静かに振り続け、玄関を濡らしている。錠前は開いていた。外へ出たのだろうか。
「シスター」
暗がりから声がした。火打ち石を鳴らす音が、雨音に交じり響く。火花が火種につくと、男の──ソニアの顔を浮かび上がらせた。
「だ、誰です、お前は!」
「驚かせてしまってすまない。……実は、子どもたちのために、寄付にきたんだ」
ソニアはその火種で咥えたタバコに火をつけ、吸った。おぼろげなタバコの光と、シスターの手元のランプが、頼りない光でソニアの持っている犬のぬいぐるみを浮かび上がらせた。
「女の子もいればいいんだが。良かったら遊んで欲しくてな」
「それはそれは。しかし、お前様はどうやってここに……」
シスター・ラビが近づくと、ソニアも彼女に近づいた。差し出されたぬいぐるみをシスター・ラビが受け取ると同時に、ソニアは地面を蹴り、彼女ごとぬいぐるみを壁にたたきつけた! 老婆である彼女には、息が吸えない程の衝撃だ!
「さあな。忘れちまったよ」
懐から抜いた拳銃を、ソニアはぬいぐるみに押し付け……トリガーを引いた! 銃弾が音も無くシスター・ラビを貫き、彼女はぬいぐるみを抱くようにその場に崩れ落ちる!
ソニアは去り際、ランプの光が漏れる部屋から、子猫がこちらを伺っているのを見た。猫が何を思っているのかは、ソニアには分からなかった。
「そう恨めしそうに見なさんな」
雨の中でも、猫はずっとこちらを見ているような気がしていた。結局ソニアは一度も振り返らなかった。
「先生、今度のは大ヒットになりますよ!」
ミヤコは担当編集に新作の原稿を見せ終わり、出版社から帰るところであった。ミヤコがデビューしたのは、十六歳の時の話だ。初めて『仕事』をした後、湯水のごとくあふれるアイデアを創作に当て、あれよあれよと言う間に出版にこぎつけたのだ。今回の事で、彼は確信していた。自分は、殺しをやらねば小説が書けないのだ。
「またこっちから使いをやりますから。献本できたら、お知らせしますよ」
「頼むよ」
ミヤコは傘を差し、夜道を歩き始めた。やがて、しとしとと振り続けていた雨が止んだ。厚い雲が晴れ、月明かりが差す。傘をたたみ、目の前を見るとそこには、イオが立っていた。イオは、濡れそぼったカソックコートから雫を垂らしながら、ロザリオを回転させ──横棒から長い針を抜き出した!
「兄貴……なんのつもりだい」
「見りゃ分かるだろう。お前と同じだよォ……自分の都合と金のために、お前を殺しに来たのさァ」
ミヤコは懐に手をやり、素早く万年筆を抜き出す。顔の前で持ち手を回転させると、万年筆の筆先から、鋭い針が飛び出した!
「なら仕方ないな……俺にも都合がある。死んでもらうぜ」
ミヤコはイオに跳びかかり、万年筆を振り下ろす! イオは体を避け、手持ちの長い針を突き刺す……が腕ごと掴まれ、針を取り落としてしまった! イオは、腕っ節が弱い! ミヤコのパンチをもろに顔面に受け、泥まみれの地面に転がる! ミヤコはイオのマウントポジションを取ると、息を荒げながら言った。
「あんたのことを、兄貴なんて呼んでたのが恥ずかしいぜ、イオ。同じ技術を学んでも、所詮は場数が違うんだよ! 死にやがれ!」
両手で握った万年筆から突き出た針が、イオの心臓めがけて振り下ろされる! ミヤコは、振り下ろした状態で動かなくなった。やがて彼は、そのままの状態で横へとずれ、泥の中に転がった。万年筆を握ったまま、彼は目を見開き事切れていた。チェーンが外れたロザリオが、深々と心臓に突き刺さっていたのだ。
「殺し屋が獲物そのまま持って堂々と現れるわけねェだろう。場数は知らねェが……殺しの数なら、俺のほうが上だぜ」
ロザリオを引き抜き、逆回転させて針を仕舞い、イオはふらふらと夜道を歩いて行った。再び雨がしとしとと降り始め、イオの傷を濡らした。おそらく、当分傷は癒えないだろう。教会は遠く、雨は冷たかった。
巡会不要 終