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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
邪剣不要
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邪剣不要(最終パート)





 帝国刑法によれば、人を殺したものは北の大監獄で死ぬまで過ごさねばならない。しかし、裁判でそれに故意がないと認められれば、その限りではない。今回剣で人を斬った人々は、凶器が見つからない事や、明らかに人を斬る事ができる人物ではない事などが認められた者が多数であり、イヴァンより一時追放という罪で落ち着いた。何しろ、全員辻斬に及ぶような言われもなく、剣を握ったことがない者もいれば、年寄りなど剣を握れないものまで混じっていたのである。

「全く、なんと迷惑な話だろうな」

 憲兵団筆頭官吏・ガイモンは、腕組みしながら誰にでもなくつぶやく。本来であれば、全員突然トチ狂った殺人者とすれば良い所だったのだが、一人帝国行政府の高官の息子が混じっていたのが頭痛の種であった。憲兵団団長と、帝国刑事裁判所、帝国司法局と話し合った結果、全員をいわゆる心神喪失者として扱い、イヴァンより一時追放することで一応の体裁を保つ事にしたのである。被害者感情も尋常なものではない。とにかく、早く落ち着かせてしまいたいというのが、現場の指揮官であるガイモンの考えであった。

「ガイモン様、確かに被害者の中には死んだものもいますが、怪我で済んだものもいます。程度を考慮せずに全員追放と言うのは、いくらなんでもやり過ぎでは?」

 ガイモンの執務室に呼ばれ、直立不動で彼の話を聞いているのは、サイであった。彼にとって不幸なことに、この事態の収拾を図るよう指示されていたのだ。

「上の考えることなど見え透いておるわ。行政府高官の息子に泥がかぶれば、その親もただではすまん。『土を捨てるなら山の中』……そういうことわざもある。つまりは、哀れな追放者の中に息子を紛れ込ませて印象を薄くするつもりなのだろう。どうせ追放だ。すぐ戻って来ても何のお咎めもない。他の連中には気の毒やもしれんが、しかたのないことよ」

 サイは納得したようなそうでないような、複雑な表情を浮かべると、はあ、と生返事をした。

「いっそのこと、大事件でも起こってくれれば良いのだ。そうだな……本物の辻斬りが現れるというのはどうだ?」

 ガイモンは含み笑いをサイに見せたが、真面目な彼はつられて笑うような事はしなかった。ガイモンは咳払いをしてごまかすと、指令書をサイへと渡す。

「今夜、追放対象者十二人をイヴァン北門より送り出す。貴様はそれを見届けてこい。面倒だろうが、これも仕事だからな。憲兵官吏の立会は二名必要だから……そうだな、あの穀潰しでも一緒に連れて行け」

 穀潰しという言葉で真っ先に浮かぶ友人の顔に思わず苦笑いをしてしまうサイであったが、彼は上司の前でそんな顔を長々としたりはしなかった。だから優秀なのだ。





 イオは懺悔室から出ることができなかった。三人連続で懺悔室に訪れたものがいたからだった。その懺悔の内容まで同じだ。

「神父様……私は悔しいのです。神の前でありながら、暴力的で粗野な態度、お許し願いたい。私は犯人を許せません。妻は、何の落ち度もなく殺されました。しかし、犯人は今日イヴァン追放となるだけとか……可能なら、可能なら! 私は、妻を奪った犯人に死を与えてやりたいのです」

 薄暗い懺悔室のイオの傍らには、既に袋に入った金貨が五枚あった。三人目の懺悔者は、一枚を置いて行った。イオは懺悔を聞くものであり、教え諭したり、ましてや否定をする立場にはない。よって、懺悔室で受け取る金は、彼の胸先三寸で、真の喜捨金であるか、断罪のための依頼金であるかを判断しているのだ。

「参ったなァ……複数いる辻斬りの中の一人を殺せだと? 今度という今度はちょっと無理がねェかい」

 イオは頬を両手で押さえ、端正な顔をぐにぐにと歪ませてみた。もちろん何も解決などしない。彼は悩んでいる。断罪にすべきか、ただの懺悔として流してしまうか。ソニアとフィリュネが夕方にやってくるまで、イオは腕組みし、ベンチに腰掛けながら、ひたすら悩み続けていたのだった。

「どうした、イオ。何かあったのか」

 ソニアがイオの右隣に座ると、タバコをふかした。フィリュネはイオの左隣だ。

「何があったのか、じゃねェよ。ほら、あんたが見た辻斬り。あの一件で何人か懺悔室に駆け込んできてな」

 イオは袋に詰まった金貨を、不用心にも聖書台に置きっぱなしにしていた。フィリュネはおもむろに立ち上がり、袋を覗く。目もくらむ黄金の光!

「大金じゃないですか! さっそくやりましょうよ! 標的、分かってるんですか?」

「それがよォ。わからねェんだよ。例の辻斬り騒動、殺ったのは全員別の辻斬りらしいんだがよォ。剣も握れねえ、握ったこともねえ人間のくせに、達人みたいにすっぱり殺してるんだ。失敗した奴も何人かいたらしいがな。とにかく、いくらなんでもおかしいってことに気づいたみてェでよ。全員一律罪状はイヴァンから追放で済ますらしくてな。しかも追放ってのが急な話で今夜だ。いくら金はあっても、今からじゃどうにも間に合わねェ」

 ソニアは話の向きがよく理解できていないようだった。フィリュネも同じだ。何しろ、ここ数日連続殺人・殺傷事件は何件も起きている。まさかその全てが全員別人で、それでいて全員同じ手口の辻斬りとは思いもしなかったのだ。

「……じゃ、じゃあそのお金は……」

「ごく普通の喜捨って事にする。こんなにあるんなら、どうするかなァ……そろそろ壁もステンドグラスも傷んでるからなァ」

 イオは珍しく真面目な表情で顎に手を当て、がっかり顔のフィリュネを背に、思案を始めた。彼にとって、喜捨と断罪の金の使途は全く違うのだ。そういう意味では、イオは誰よりも神に忠実な神父であった。






 霧深い夜、視界の悪い中を、サイと追放対象者達、そしてドモンは歩いていた。こんな夜なので、人気はまるでない。おぼろげな手元のランプだけが頼りだ。

 追放者達は無言である。どの人々も、望まぬ殺人や傷害を行ったものばかりだ。追放は建前であることはよく理解しているが、それでも人を殺し傷つけた事実に変わりはない。中には、青い幽鬼めいた表情のキエフ青年もいた。

「……ま、良かったんじゃないですか」

 ドモンは彼に小声で話しかけた。その手には、憲兵団の紋章入りのランプが揺れ、キエフの顔をぼんやり闇の中に浮かび上がらせる。

「嫌なことは忘れてしまいなさい。やり直すチャンスを与えてもらったんですから」

「でも、旦那……俺は確かに人を斬ったんです。今だってその感触が残ってるんだ……。相手が絶望する表情も、温かい血をひっかぶったことも……風呂で流しても、川で手を洗っても、血の匂いやぬめりが落ちないような気がして……」

 それ以上、ドモンは彼に何も言えなかった。今のドモンは、彼にとってただの憲兵官吏にすぎないかもしれない。だがドモンも一度裏に回ってしまえば、彼より多く手を血で染めた殺人者だ。しかも彼のように、汚した手をどう無かったことにしようか、など考えたりしない。キエフとドモンの間には、もはや埋めようのない大きな溝が存在するのだ。彼の言葉が、キエフを救うことなどありえない。

「ここで止まれ」

 サイがよく通る声で、追放者達の列を止めた。イヴァン北側大門の回りは、旅人達もおらず静かだ。この門を通り過ぎ、宿場街を抜けていけば、次の街まで魔物たちが跳梁跋扈する無法地帯となる。

 やり直すチャンス。

 ドモンは小さく口の中でつぶやく。そんなものが存在するものか。所詮口当たりの良い都合だけの言葉を吐いて、自分が良い人間であると確認しているだけだ。ドモンは悪党であり、人殺しに躊躇など無い。一度人を殺せば、戻るべき道も進むべき道も失われるのだ。彼もそうなるだろう。そういう意味では、キエフはあの邪剣に殺されたのだ。

「団長から聞いているだろうが、お前たちはイヴァンから追放される。追放後はどのように過ごしても構わないし、今回起こった事に関して罪にも問わない。事件についても、くれぐれも他言無用……」

 サイはふと何者かの気配を感じ、手持ちのランプを顔まで持ち上げた。不安げな表情を浮かべる十二人の顔。ドモンの手持ちのランプ。ふと暗闇に、黄金の粒子が舞ったような気がした。訝しげに思う暇もなく、突如キエフ青年の体が袈裟懸けに裂け、血をまき散らしその場に倒れる! ドモンの視界にキエフの困惑と絶望の表情を目に焼付けさせながら、金色と紫色の粒子が舞い、他の十一人それぞれに死を与えていく! 飛び交う悲鳴と、断末魔! それを見ているサイやドモンには、いったい何が起こっているのか分からない。ようやく剣を抜かねば、とサイがようやく気付き、ドモンが抜ききった直後、サイの右腕が突如裂けて血が吹き出した。斬られたのだ!

「サイ!」

「くそっ! ドモン、警戒しろ! ヤバいぞ!」

 霧の中で踊るように追放者達を斬りつけていたのは、豪奢な金髪を振り乱した青年だった。その手には紫色の光を湛えた刃を持つ剣。サイはとっさに力が抜けそうな右手から左手に剣を何とか持ち替える。直後、青年の下からの斬り上げがサイを襲う! それを防ごうと試みるも、あまりの力に体ごと弾き飛ばされ、大門に体をしたたかに打ち付けた。気絶したのか、ぴくりとも動かない。ドモンは霧の中転がったランプから炎が漏れだし炎上する中で、青年──ラインハルト・オークラットの、刃と同じく紫色に光る邪悪な瞳を見、直感する! この男が──いやこの剣が、全ての元凶なのだ! ラインハルトはドモンの視線を感じ取り、にやりと不気味な笑みを浮かべる。人を斬り、血が滴っているはずの刃に、赤い粒子が吸い込まれて消える。見ると、死体から飛び散り、ラインハルトはそれをひっかぶったはずなのに、一滴も血を浴びていない。刃が、血を吸収しているのだ!

「あんたが、本物の辻斬りですか……」

「僕が? 辻斬りだって?」

 爛々と輝く紫色の瞳のラインハルトは、意外にも理性的に笑った。

「僕はラインハルト・オークラット。辻斬りだなんてとんでもない。僕はただの美しい剣だよ。この剣を振るう僕自身も、剣の一部。この剣が、刃が血を吸えば、僕は、この剣はもっと美しくなる。剣が、僕にそう告げている」

 狂人。いや、狂剣か。ドモンは油断なく剣を構えながら、少しずつ後ろへ下がっていく。今正面からまともにやりあえば、おそらく何もできず斬られるだろう。

「逃げないでくれ。僕に、剣に、君の血をくれよ。君もそうすれば、この美しい剣の一部になれるんだ」

 紫色の刃から同じ色の粒子が漂い、霧に消える。ドモンは意を決し、重心を後ろにとると、剣を構え直した。その時である。高らかに響く銃声! ドモンの集中状態が一時的に切れる。ラインハルトもそれは同じであったようで、驚いたのか走り去って消える。ドモンはなおも警戒を続けていたが、現れた男を確認すると、ようやく剣を下ろし、納めた。

「あんたですか……助かりましたよ、今日ばかりは」

 銃口から霧に混じっていく硝煙を吹き消し、咥えていたタバコに、ソニアが新たに火を灯す。

「……前見たやつとは違うが、あいつは確か昼間に剣の彫刻を頼みに来た男だ」

「あんたが見たのは、彼でしょう」

 冷静に、淡々と、ドモンは遺体と化したキエフ青年の絶望をソニアに見せた。光を失った瞳からは、一筋の涙が流れていた。あの時、嬉々として金貸しを切り裂いてみせた男と顔こそ同じだが、ソニアにはとても同一人物とは思えなかった。

「彼もさっきのラインハルトってのも、明らかにおかしくなっていました」

 ドモンは、明確な事は何も口に出さなかった。対峙した時に感じた勘も。だが、その確信めいた何かを、ソニアは意外にも敏感に感じ取ったようだった。

「……旦那。実は、依頼が来てるんだ。正確にゃ、来てた。死体になった連中の誰かを……」

 ソニアの言葉をドモンは無言で遮った。気絶しているとは言え、サイがいる。放り出していくわけにもいくまい。

「教会にはすぐ行きます。先に行っててください」





「僕らは標的を何度も横取りされてます。いつもと目的は違いますが、これ以上はメンツが立ちません」

 ドモンはサイをひっぱたき、意識があることを確認すると、素早くその場を後にした。ラインハルトとその剣の狂乱は、いずれサイを経由して憲兵団の知ることとなるだろう。その前に、なんとかケリを付けねばならない。

 ようやく揃った断罪人たちは、集まった金貨を見下げながら、重苦しい表情を浮かべていた。今まで数々の悪党を断罪してきたが、今回はとにかく異例中の異例だ。標的が人ですら無いのだから。

「旦那、言いたいことは分かった。金だってあるし、何より俺達はその剣に、二回も標的を横取りされちまったことになるしなァ」

 イオは栗色の肩までかかるウェーブがかった髪に手櫛を通しながら、呆れ顔で言った。イオは剣のことは話半分でしか聞いていない。おまけに、今回の頼み料を喜捨にしてしまおうとしていた矢先の出来事である。不信感が絡まるのも致し方無いことだ。

「ソニア、あんたはやる気なんだろ? 断罪になるんなら、俺も一口噛まなきゃやってられねェ」

 金貨六枚の内、イオは二枚を取る。ドモンも金貨二枚を取った。キエフ青年や被害者、その家族の無念は、美しい剣などとほざくあの『剣自身』に与えてやらねばなるまい。

「……ちょっと待って下さい。なんで当然みたいに金貨二枚も取ってるんですか? これじゃ、一人分足りませんよ」

 フィリュネが残った金貨を指で弄びながら、そう文句をつけた。既に彼女は自分のものを確保しているとでも言いたげだった。ソニアは黙して語らない。その手には、皮の袋がぶら下がっている。ひっくり返すと、金貨一枚と銀貨五枚が、聖書台にまろび出た。

「俺はこれだけでいい。そもそも俺は初っ端から標的を横取りされたんだ。きっちりカタをつけてやる」

 そう宣言し、ソニアは三人に背を向け、静かに教会を去っていった。他の三人も、これ以上議論を必要とはしていなかった。イオが最後のろうそくを吹き消し、教会は一気に闇へと沈んだ。





 ラインハルトの脳内には、絶え間ない言葉が響いていた。

『殺せ……斬れ……引き裂け……お前は美しき剣なのだから……』

 老人のくぐもったかすれた声が嗤い、ラインハルトの全てを肯定する。無限にも感じられる高揚と全能感が、彼の脳内を満たしているのだ。

 ラインハルトは夜のイヴァンを歩く。誰か人が歩いていれば、すぐにでもその人物を細切れにすることだろう。彼の全ては彼の脳内で剣が認め、肯定している。何も躊躇など無いのだ!

「僕は剣……美しい剣……」

 ラインハルトは紫色に輝く瞳を闇の中に漂わせながら、夜の街を歩く。目の前を歩く男の背中を発見した彼は、剣の柄を静かに握りほくそ笑んだ。かすれた歓喜の声が脳内をこだまし、ラインハルトの体もまた喜びに打ち震える!

「故は無いが……死んでもらおう、憲兵官吏!」

 憲兵官吏のジャケットを羽織った男は、後ろから投げかけられた言葉に動揺すること無く、口の端で笑ってみせた。

「また会いましたね。尤も、覚えているかどうか分かりませんが」

 ラインハルトは、男の言葉に耳を貸さずに一気に剣を引き抜く! 紫色の粒子がラインハルトの周囲を舞い、刃が粒子を纏いながら男の背中を襲う……が、男は剣を引き抜いており、後ろからの襲いかかる刃を振り向きざまに弾き飛ばし、横一閃にラインハルトの腹を引き裂く! 急速に失われていく血が、皮肉にも彼の剣の刃の回りを粒子となって舞い、ラインハルトは剣を取り落とし──そのまま息絶えた。一瞬の出来事であった。

「……大した事はなかったですねえ」

 ドモンはそう呟くと、剣を振り少ない血を飛ばしてから納めた。路地裏から、ぞろぞろと準備を済ませたイオ、ソニア、フィリュネが現れる。本来ならば、ドモンがもう少し苦戦する可能性を考慮し、フォローのため隠れていたのだ。

「私達の出番、なかったですね」

 フィリュネは残念そうな態度だけ見せると、なぜか剣へと近づいていった。剣の方向から誰かが呼んだような、そんな気がしたのだ。イオは大あくびをして、そんなフィリュネをしばらく見ているだけだった。ドモンはすでに断罪が終わったものと油断し、フィリュネを見てはいない!

「フィリュネ、ダメだ! 触るんじゃない!」

 ソニアはとっさにフィリュネを突き飛ばし、死体の側に転がった剣を拾い上げてしまった! 鞘は無い。既に抜身の状態の邪剣から、ソニアの脳内にかすれた声が響鳴する!

『おお……おお……! 美しき剣よ……! 斬れ、斬れ! 与えてやる……お前に……喜びを……! 愉悦を……快楽を……! 斬るのだ……斬れ!』

 ソニアの脳内に響く声は、ソニアの意識を急速に蝕む。視界が紫色に歪み、次第に剣を握る力が強まり、ソニアは側にいたフィリュネにサングラスの下からでも分かる紫色の光を向けた!

「ソニア、さん……? 嘘、ですよね?」

 ソニアは剣を上段に構え、ぎこちなく振り上げる!

「旦那ァ! 後ろだ!」

 イオが叫び、ロザリオの横から長いしびれ針を抜き取り投げる! ソニアは剣を恐るべき早さで振るい、投げつけられた針を正確に切り飛ばした! フィリュネは腰が抜けてしまったのか、動けない。ドモンはようやく事態を察し、再度剣を抜きソニアと対峙する!

「あんたが剣を使うなんて、聞いてませんよ」

 ドモンの表情に余裕はない。一流の剣士は、剣を構えた時点で相手の技量が分かるからだ。ソニアのそれは、これまで戦った一流の剣士に勝るとも劣らぬ! 彼の紫色はラインハルトとは違い、おぼろげで頼りないものだったが、ドモンはとうとう推測を確信へと変えた。一連の辻斬りは、剣が持ち手を洗脳することで創りだしていたのだ!

「……なんとか言ったらどうです」

 ソニアは言葉の代わりに突きを繰り出す! ドモンはそれをいなし、鍔で絡めとり弾く! ソニアは追撃を避けんと間合いを取り、改めて一本一本指を柄に絡め、強く握る! 直後、咆哮! 切り結ぶ度に火花と鈍い鉄の音が響く!

「嬢ちゃん、離れろ! 俺達の出る幕じゃねェ!」

 イオが尻もちをついていたフィリュネに近づき、引っ張り上げるも中々いうことを聞かない。なおも二人の戦いにすがりつこうとする。

「でも、でもこんな……こんなのってないですよ! ソニアさんが……殺されちゃう! 離してください!」

 イオには、暴れる彼女を押さえつける以外に手段を持たなかった。彼女には、ソニアしかいないのだ。それは彼自身からもよく聞いている。だが、ソニアは今標的たる剣に操られている。そして、ここで背を向ければ、彼は全員を斬り殺すだろう。

「旦那ァ、ヤバいぜ、こんなの!」

「わかってる! 口を閉じてろ!」

 ドモンの言葉が、焦りから乱れる。

 殺さねばならない。ソニアを。殺らなければ、自分が殺られる。

 ドモンは覚悟を決め、相対するソニアと同じく、剣の柄を強く握った! ソニアはそれに呼応するように咆哮し、剣の刃を大地に向けると、なんと大地に振り下ろした! 地面に突き立てられる刃! あまりの力に刃は半分まで地面に埋まった!

『なんと……愚かな! 抜け! 今すぐ抜くのだ! お前は快楽を! 愉悦を! 全てを捨てると申すのか! 今すぐ抜けい!』 

 ソニアの脳内で、響く度に心地よいかすれた老人の声が、まるで鉄を爪で引っ掻いたような不快で恐ろしげな声へと変わる! 彼は苦労して剣の柄に張り付いた指をひっぺがし、そのまま後ろへ尻もちをつく。

「俺はジジイから与えられる快楽などいらん」

 ソニアはそう言いつつ、肩を上下させ、荒い息を吐いた。いつの間にか、彼のサングラスはいつもの通り真っ黒に戻っていたのだった。フィリュネは声にならない声でそんなソニアにすがりつくと、泣いた。

「すまん。心配かけた」

 ソニアはコートの内ポケットをまさぐり、タバコを一本出すと咥えた。火をつける気にはならず、代わりにフィリュネの頭を優しくなでた。

「……で、これどうします」

 ドモンは地面に突き刺さった位置から一歩後ろの位置で、剣を指した。なおも、紫色の粒子が電気でもまとったかのようにばちばちと爆ぜている。ソニアには、脳内でなおも老人の怨嗟の声が聞こえていた。

「頭のなかで爺さんの声がうるさくてかなわん。旦那、あんた剣を剣で斬れるかい」

 ドモンはにやりと笑みを浮かべると、息を整え、自身の剣を薙ぎ払った! 突き刺さった剣は刃の真ん中から折れ、老人の断末魔と吸い取ったのであろう血が吹き出し、辺りを血の池に変える!

「これで辻斬りはいなくなったってェわけかい」

 イオは折れたしびれ針を丁寧に拾いながら、ドモンに聞く。ドモンは剣を収めながら、言った。

「少なくとも、剣に『使われる』ような辻斬りはいなくなったでしょうね」





 ドモンが家に戻ると、待ちかねていたのか、セリカが慌てて飛び出してきた。もう夜中だと言うのに、待っていたのだろう。

「お兄様、おかえりなさいませ! セリカはお待ちしておりましたわ」

「や、すいません。色々事後処理で手間取りましてねえ」

 ドモンがジャケットを脱ぎ、剣を剣置きにかけると、ダイニングはとんでもない事になっていた。くるみパンにサラダ、ステーキに冷製コーンスープ、フルーツの盛り合わせ! いつもの食卓には似合わぬ豪勢なメニューばかりであったのだ!

「こ、これは一体! 僕の好きなくるみパンまであるじゃないですか!」

「お兄様には今後共頑張ってもらわねばなりませんからね。セリカは奮発いたしました」

 誇らしげにセリカは言うが、対照的にドモンは苦笑いを浮かべるしか無かった。ドモンが捕まえた辻斬りはたったの一人だ。しかも今回、追放される容疑者達を殺されてしまったことで、サイやドモンは二ヶ月の減棒を言いつかってきたばかりであった。

「や、ははは……ま、確かに頑張らなくちゃいけないんですよね」

「どうしましたか、お兄様。顔色があまりよろしくないようですが」

「実は、辻斬りを捕まえたのは良かったのですが、護送中に殺されてしまいまして……たった今、減棒を仰せつかってきたばかりなんです」

 セリカは色々な感情がまぜこぜになったような複雑な表情を浮かべたが、最終的に無表情のまま、テーブルに並んだメニューを片付け始めた。

「ちょ、ちょっと! まだ食べてませんよ!」

「手柄を上げるどころか、減棒になるとは情けありませんわ、お兄様! セリカは失望致しました。そんなお兄様にはこの料理はもったいありません!」

 ドモンは諦め悪く運ばれていくステーキに手を伸ばしていくふりをして、テーブルに残された一番の好物、くるみパンを口に押しこむのだった。




邪剣不要 終

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