邪剣不要(Cパート)
憲兵団の詰め所ヘイヴン支所を出てすぐ、ドモンは妹のセリカが息を切らしながら走ってくるところに出くわした。今は昼休みのはずだ。確かに空き時間かもしれないが、異様な雰囲気である。
「お兄様!」
「なんです、一体……レディがはしたないですよ、セリカ」
「そんなことより、お兄様です! 聞きましたよ、辻斬りを捕まえたとか! 憲兵団に奉職して五年、ようやく立てた大手柄じゃありませんか! セリカは……セリカは嬉しいです!」
ハンカチで目頭を抑えながら、セリカは赤い潤んだ瞳でこちらを見た。要は真っ昼間から大騒ぎしながらも、辻斬りを捕縛したドモンに一言言いたくてきたのだ。普段はきつい言葉をかけてくるだけのセリカであるが、兄へのねぎらいをかけるくらいの事はしてくれるのである。
「や、ははは……なんというか、恥ずかしいですねえ」
「これから本部に行かれるのですか?」
「ええ。今日は早く帰りますから」
それだけ伝えると、ドモンは背を向け、本部へと歩いて行った。気恥ずかしかったのは本当だ。こんな時、仕事に生きがいを持たないドモンはどんな顔をしてよいかわからないのだ。
ドモンが普段より悠々とした態度で本部に到着すると、俄に騒がしかった。右往左往する憲兵官吏に、捕縛紐をかけられ連れて行かれる老若男女。何が起こったのかは分からないが、とにかく大勢が逮捕される事態になったらしい。
捕縛され、刑が確定しそうな犯罪者達は、帝国刑事裁判所に移送になる前に憲兵団の拘置所に入ることになっているからだ。
その中で友人の憲兵官吏・サイと、定年退職寸前のモルダが話しているのを発見したドモンは、そろそろと二人に近づく。
「……こりゃ、一体どういう騒ぎなんですか?」
「おお、ドモン君。お前さんも来たか」
モルダが長いあごひげをしごきながら破顔する。一方のサイは困り顔だ。手元にはなにやら羊皮紙の書類。
「見てみるか、これ」
渡されたリストには、十数名の老若男女の名前が記載されていた。二枚目にも同様だ。タイトルは『被害者』。一枚目は、『容疑者』。
「なんです、これ」
「今朝方、イヴァン中で死体が見つかった。被害者はなんと八人。重傷者五人。軽傷や擦り傷も三名。軽症者に話を聞いてまず五人捕まって、自分から名乗り出てきた奴らも数人いる。目撃証言を洗っちゃいるが、何分夜中なもんだからどうにも……」
「ちょ、ちょっと、ちょっとまってもらえますか?」
ドモンは寝ぐせの跳ねた黒髪をがりがり書きながら、リストを見て、二人の憲兵官吏の顔を見た。
「すまんすまん。これはな、昨日起こった殺人事件の容疑者リストと被害者のリストなんだ。手口は剣でバッサリ。加害者には、剣なんて握ったことのない一般人も混じってる。拾った途端、なんかおかしくなっちまった、なんて言うんだけどな」
やはりドモンはがりがりと頭を掻いた。心当たりがあり過ぎる。手口も、容疑者の状況も。
「まさかとは思いますけど、紫色に光る刃を持った剣で斬られたなんて言わないでしょうね」
「よく知っとるのう。その通りじゃよ。あ、久々にワシ二人も逮捕したわい」
「俺も二人。今特別チームを編成して、容疑者を片っ端から逮捕してるところだ」
サイとモルダが事も無げにそう言うのを聞き、ドモンはがっくりと肩を落とした。これでは、辻斬りの一人を捕まえたからと言って、大した手柄にはなるまい。
「……で、これも妙なんだがな、ドモン。なんとか生き延びた被害者は、誰もが紫色の刃の剣で自分が斬られたのを見てる。しかも、犯人がそれを持って犯行に及ぶところも見られているし、なにより逮捕した犯人達がそれを使ったって証言してる。だが凶器だけ見つからないんだ。どう思う?」
ドモンはキエフ青年の奇妙な話を思い出す。剣を拾ったのは覚えているが、どこかに置いてきてしまって場所は覚えていないと。紫色に光る刃を持つ剣が、そう何本もあるとは思えない。
「……こりゃカンなんですけどね。凶器の剣を見つけないと、この事件は終わらないんじゃないかと思いますよ」
ドモンはそう話を締めくくり、再び頭をがりがり掻いた。自分のカンは間違っていない事を、ドモンは確信していた。そしておそらくは、今回人を斬った人々も被害者なのだろう、ということも。
フィリュネはいつになくそわそわと落ち着きが無かった。ソニアが断罪中──正確には、断罪の前だが──に見つかった事をまだ気にしているのだ。フィリュネは他の三人に比べればくぐった修羅場は少ないが、あの時、剣を抜きかけたドモンの雰囲気が意図する事は正確に理解できていた。
あの時自分が何か言わなければ、ドモンは確実にソニアを斬っていただろう。
しかし今は違う。ソニアを目撃した男は逮捕された。人を斬り殺したのだから、死刑になる。それで終わりになるはずなのだ。だからフィリュネが心配することなど、本来何もないはずなのだ。
「……どうした」
ソニアがいつものように、アクセサリーに磨きをかけながらぶっきらぼうに尋ねた。いつの間にか、ぼーっと考え込んでいたのだ。行き交う人々を見て、ようやく自分がヘイヴンの店にいることを思い出す。
「すいません。今朝の事が気になって」
「気にするな。もし旦那がしくじっても、なんとかする」
「何とかって……でも」
「死ぬ気はない。……心配するな。俺だって命は惜しい」
ソニアはそう言って、少しだけ笑った。今はそんな彼が心の底から頼もしかった。ソニアは自分を救ってくれた。フィリュネは、そんな彼にどんな形であれ、ずっとついていくことを決めている。
「ここはアクセサリー屋だと聞いたのだが……」
伏し目がちだったフィリュネが客の声に顔を上げる。そこには、豪奢な金髪の身なりの良い青年が立っていた。背中には布を巻いた長剣を背負っており、腰には黒い鞘の長剣を帯びており、フィリュネが頷くのと同時に腰から剣を外し、つきだした。
「この剣の柄先の部分だが、当家の紋章を彫ってもらうことは出来るか? 鍛冶屋に聞いたら、繊細な細工ならアクセサリー屋でしてもらえ、と無下に返されてしまってな」
「ソニアさん、彫刻の依頼ですけど」
フィリュネは慎重に突き出された剣を受け取ると、それをソニアに渡す。ソニアは柄先をまじまじと見て、指でおおよその大きさを図り、おもむろに剣を抜こうとした。
「おい! やめてくれ! 手に入れたばかりの剣だ。空気にも触れさせたくない」
「これは失礼しました。で、どういう紋章を彫ればよろしいんで?」
青年は、紫色に輝く瞳で不気味に微笑むと、布を巻いた背中の剣を乱雑に下ろし、フィリュネの足元に放り投げた。布から覗いているのは、豪勢な宝剣であった!
「この剣の柄先にも同じ紋章が入っている。当家……オークラット家の紋章だ」
ソニアが見ると、丸の中に三本線の入った簡素な紋章が入っている。これくらいならば、十分もかからないだろう。
「オークラットさん、ありがとうございます。えーと」
「ラインハルト・オークラットだ。ただの、ラインハルト・オークラット……」
ラインハルトは虚ろに笑った。宝剣を拾い上げると、それを背中に負う。そうしてしばらく彼は剣が仕上がるのを待っていた。一心不乱にソニアが紋章を彫り込む横で、フィリュネはそれを不気味に感じていたのだった。
オークラットの小さな家は、窓から焼けるような赤い夕日が差し込んでいた。コンラッドは主人たるラインハルトの帰りを待ちながら、夕飯が冷めるのをただ見続けていた。
その時、玄関のドアが開く音がした。コンラッドは立ち上がり、主人の帰りを出迎えんとした。
「おかえりなさいませ、ラインハルト様。今日は鍛冶屋に行かれるとおっしゃっておられましたが……」
「ああ。これを」
ラインハルトは背中に負っていた剣を玄関に放り投げる。赤く差し込む夕日の光が、宝剣の刃を虚しく照らした。
「な、なんと! 皇帝陛下より賜った宝剣を……」
「もういらない。士官もできなくてもいい。僕は、本当の生き方を教えてもらったのさ……」
ラインハルトは紫色の瞳を爛々と輝かせると、腰に帯びた剣を抜いた。赤い夕日の光が、刃に吸い込まれるように紫色の光へと変わる!
「剣の美しさは強さ。人の美しさもまた同様。コンラッド、お前もそう思わないか」
「何を……何をおっしゃいます」
「キール殿も死んだ。彼は美しいものの一部になりたいと言った。僕を『美しい剣』の一部になれると言ってくれた。だから斬った」
ラインハルトが剣を上段に構えていても、なおコンラッドは何が起こっているのか分からなかった。やがて彼は目を見開いたまま、自分が袈裟懸けに切り裂かれた事も分からず死んだ。血が赤い光の中を飛び、刃に吸い込まれて消える。ラインハルトは何の感慨も感じない紫色の目で、死体となったコンラッドを見下ろしていたが、やがて踵を返し、玄関のドアを十字に引き裂くと、既に落ちかけた闇の中へと踏み出していった。