邪剣不要(Bパート)
「あの人ですか」
フィリュネとソニアはアクセサリーの材料となるくず鉄の仕入れの帰りに、容疑者を発見した。小さな本屋『ビブリオ堂』の男性店員。年は二十五・六くらい。細身で小柄。ソニアはフィリュネの問いに頷く。殺し屋として長くキャリアを積んだ彼の、人の顔に対する記憶力は本物だ。ターゲットを取り違えたことは、一度もないのだ。
「間違いねえ」
「でも、どう見ても剣をぶんぶん振ったりできそうな人じゃなさそうですけど」
青年が本の詰まった木箱を持ち上げようとして失敗し、ごろごろと本を取りこぼすのを見ても、ソニアは冷静に鋭い視線を放っていた。あの夜、一撃で相手を切り伏せた男は、間違いなくこの男だ。彼の自信は絶対的だった。
「……俺はここで見張ってる。ひとっ走りして、旦那を呼んでくるんだ」
どうも納得の行かない顔つきのフィリュネであったが、彼女もまたそれ以上ソニアを否定する気にはなれなかった。おとなしく、周囲をパトロールしていたドモンを捕まえて引きずってくる。パンを買い食いしている最中だったようで、口をなにやらもぐもぐさせながらソニアの後ろへ回る。
「あの男が……んぐ……そうですか……」
「ああ。絶対に間違いねえ」
「でかしましたよ、ソニアさん。これで僕も大出世、あんたのヘマもちゃらってもんです」
ソニアはそんな沸き立つドモンの言葉にも、冷静に冷ややかに視線を配るだけだった。ドモンは腰の剣の位置を直し、大物にみえるように悠々とした足取りで、店員の男へと近づいていく。目の前に立った憲兵官吏に、男は面食らったようだった。
「あんた、ここの店員ですか?」
「あ、こ、これは旦那……お勤めご苦労さまです」
店員の男は、憲兵団の紋章の入ったジャケットと剣に恐縮したようだった。ドモンはしばらく彼と、彼の持っている本をじろじろ見て、本棚の本を手にとって裏返したりしていたが、唐突に話を切り出した。
「……あんた、名前は」
「き、キエフと申しますが」
「キエフさん。……あんた、昨日何してました?」
キエフは何を言われかよくわかっていないのか、もじもじと自分が手にしている本をいじるばかりだった。
「聞こえませんでしたかねえ。昨日、あんた、どこで、何してました? 僕もそんなに暇じゃないんですよねえ。いいですか、キエフさん。これは質問ですよ。聞かれたことには、きっちり答える。学校で習いませんでしたか?」
キエフは答えなかった。ただ、彼の顔には焦りの色と脂汗が浮いていた。わかりやすい。事実は聞かねば分からないが、間違いなく何かある。ドモンは直感的にそう確信すると、懐から捕縛紐を取り出し、キエフに一気に巻きつけた!
「そ、そんな、旦那!」
「いいですから、話を聞かせて下さいよ。おとなしく話を聞いて、違うんならそれまでですから」
にわかに通りがざわつき出す。当然だ。見た目だけはどう見ても普通の青年が、今まさに憲兵官吏に引っ立てられようとしているのだから。通りの騒ぎを聞きつけたのか、奥からビブリオ堂の老店主がまろび出て、頭を地面に擦り付け、必死の嘆願を始めた。
「も、申し上げます、旦那! キエフが何をしたか存じ上げませんが、何か大それたことができるようなやつではございません!」
「それを決めるのは、あんたじゃありませんよ。ねえご主人。……ほら、歩くんですよ!」
ドモンは嫌な笑みを浮かべながら、キエフを蹴って歩くよう促した。老店主は崩れ落ちてそのまま連れて行かれる彼を見送る他無かった。連れて行かれるキエフを避けるように、人々はなにか話し合いながら見送っていく。キエフはただただ青い顔をして、ドモンに従っていくのだった。
キエフは従順だった。憲兵団の詰め所──その実情は、簡易的な派出所のような場所だったが──での取り調べに入ると、いよいよ参ったのか昨日の話をつらつらと話しだした。
既に何者かが金貸しを、剣で一撃の元に斬り伏せ殺した事は事件になっていた。だが、風の噂に飛んでいる程度で、事件の全貌は誰も知らない。何よりキエフの話は、ソニアの目撃談と完全に一致していたのだった。
「俺は、どうかしてたんです。あんな……あんな恐ろしいことをしてしまうなんて」
「人殺しはいつだってそう言うんです。ま、気持ちがわからないわけじゃありませんがねえ」
「ち、違うんですよ、旦那! 俺は確かに剣であの男を斬った。それは間違いない。で、でも俺はあの時どうかしてたんです。あの紫色の剣を拾って……」
キエフの必死の説明の中で、紫色の剣という言葉だけが浮いていた。妙に気になる。ドモンは机に頬杖をつき、額をなぞってから、その事について尋ねた。
「紫色の剣ってのは、つまり凶器ですか?」
「そ、そうなんです」
「どこで拾ったんですか」
「イヴァンの東地区に本の倉庫があって、そこに夜中の内に在庫を取りに行ったんですが……その時にどこかで。拾った途端、くらくらして……そこからよく覚えていないんです」
ドモンはしばらく同じように額をさわり続けていたが、懸念はどうも消えなかった。だが、彼の自白は確かなものだ。帝国刑事裁判所にでも突き出せば、すぐにでも有罪になるだろう。
「……気味が悪いですねえ。剣はどうしたってんです」
「分かりません……旦那、あの妙な剣を拾った時、変だったんです。俺は剣なんて、一度も握ったこと無いんです。それがあんな風にひ、人を、斬れるなんて……」
ドモンは悩んだ挙句、憲兵団詰め所の簡易牢にキエフを押し込むことにした。ソニアも、紫色の刃が煌めくのを見ている。何より、明らかにキエフは剣の素人だ。人を完全に真っ二つにするなど、尋常な剣士の技ではない。ドモンですら難しいだろう。
「こういう時は、報告、連絡、相談……ってやつですかねえ」
ドモンは真面目で有能な友人の言葉を呟くと、手がかりを探しに一路憲兵団本部へ向かうのだった。
暗い工房では、赤々と竈に火が灯っていた。反射する火によって、工房の主──キール老の疲れた顔が浮かび上がる。彼がふいごで空気を吹き込むと、炎が吹き上がり、火の粉があがった。鉄の延べ板を火ばさみで炎の中に差し入れ、赤々と熱せられたそれを一心不乱に叩き、水に漬ける。
彼は刀剣専門の鍛冶屋である。老いた鍛冶屋である彼には、ひとつの夢があった。それは、世界で一番の剣を作ること。かつて皇帝が持っていた聖剣に匹敵するような、美しい剣を。
剣の美しさそれ即ち、強さである。剣の強さとは、人を斬る力にほかならない。彼には、そんな美しいものを作る邪悪で強い意思が備わっていた。
「……誰かね」
「すまない、ご老人。剣を鍛えなおしてもらいたいのだが」
キールがのろのろと顔を上げると、豪奢な金髪が揺らいだ。手には、控えめな装飾の宝剣。貴族が配下をねぎらうためのものだろう。キールは短く白いあごひげを擦りながら、剣を簡単に値踏みした。貧乏貴族出の騎士の中には、本来飾っておくための宝剣を、戦闘でも使えるような剣に鍛え直して帯剣し、見栄を張ることがままあるのだ。
「すまない、自己紹介が遅れたな。僕はラインハルト・オークラット。帝国貴族だ」
ラインハルトは特に『貴族』に強いアクセントをつけると、胸を張った。尤も、それを聞くキールは何も思わなかったのか、黙々と剣の見立てを続けている。やがて、くすんだ紫色のキールの瞳が、剣からようやくラインハルトに移る。
「実は、士官のためにはそれなりに泊をつけなくてはならないと思ってな。今まで使っていた剣は大量生産の地味なものだから、家柄も示せなかった。これなら騎士として剣から名誉を示せるというものだ」
得意気にそう話すラインハルトを尻目に、キールはただただ冷静だった。ふう、と溜息をつくと、そっと剣をラインハルトへ返す。剣への礼儀だ。
「貴族のぼっちゃん。あたしはね、そういう見栄っ張りは好かんのです」
「何を無礼な! オークラット家はナギト家に長年奉職し、皇帝陛下より貴族階級を賜った名門だぞ! その記念として、この剣を賜ったのだ! 剣に大しても無礼ではないか!」
「剣にはね、役割ってものが有ります。あんたの言うように、名誉を示す剣。身分を示す剣。戦うための剣。人を斬るための剣。それを簡単に変えるなんてのは、私にゃとてもとても」
キールはラインハルトに背を向けると、再び力強く鉄を叩き始めた。赤く熱せられた鉄が、徐々に剣へと形成されてゆく。
「ではどうしろというんだ」
「要は大量生産の剣で無けりゃ良いんでしょう。士官しに言っても馬鹿にされないくらいの」
「そうだ。だから宝剣を」
「馬鹿を言っちゃいけない。……もし良ければ、私が鍛えた剣がある」
ラインハルトは宝剣を手にしたまま戸惑った表情を浮かべた。オークラット家は確かに名門だが、剣を買い換える余裕など無い。
「おっと。……お代などいただきませんよ」
「しかしそうは言っても、タダというわけには……」
キールは返事代わりに、ところどころ歯の抜けた口を歪めて笑った。ラインハルトは彼の笑みを不気味に感じたが、それだけだった。新しい剣。名家出身の自分にふさわしい剣。その魅惑的な響きに、すっかり心奪われていたのだった。