邪剣不要(Aパート)
その日の断罪は実にちゃちなものだった。
金貨一枚と銀貨五枚による、一人の男への断罪。何人もの人間を、詐欺同然の契約と強引な取り立てで死に追いやった悪徳高利貸しを殺す。
白羽の矢が立ったのは、ソニアであった。彼は断罪に使う銃弾を自作している。コストは金貨一枚。よって、断罪をやれば金がかかり、自転車操業になってしまっているのだ。こうした断罪でも、儲けが出るならすぐ彼は飛びつく。
ソニアは黒いコートの襟を立て、夜も更けた人気のない通りの角の影に潜んでいた。手には自作の紙巻たばこに火が点いており、紫煙が漂っている。
たまには一人もいいものだ。
ソニアはとりとめのない事を考えながら、ターゲットを待つ。かつて彼は元の世界でも殺し屋だった。組織と金のために人を殺し続け、最期は裏切られ──命を落とした。そして、今の仲間たちと出会った。金で繋がった危うい関係かも知れないが、それでも結構気に入っている。彼らはお互いを評価し合える。少なくとも組織のように、不当な評価はしない。
ソニアが三本目の吸い殻を地面に落とし、踏みにじった時、通りの奥からランプが揺れるのが見えた。大柄な足取りに、大きく膨れた腹。禿げ上がった頭。ターゲットの金貸しだ。ソニアはサングラスを押し上げ、息を整える。拳銃をベルトから抜き、マガジンに弾丸を一発押し込み、チャンバーへ送った。足音だけが、暗闇に響く。だんだんと近づく足音と共に、ソニアの心も平常心へと近づいていった。有効射程距離はまちまちだが、こうした暗闇で一直線の路地ならば、大体七メートルといったところだろうか。足音で距離を測り、絶妙のタイミングで飛び出し撃つのだ。
ソニアが絶好のタイミングだと考えただろう数秒前に、奇妙なことが起こった。足音が止まり、怒声が聞こえたのである。ソニアは角から様子を伺うため銃を持ち覗く。ターゲットの大男と違い、小柄で布らしきものを被ったシルエットがかろうじて見えた。
「誰だ、こんな夜更けに」
「……恨みはないが、死んでもらうぞ」
凛と響く声。その人物は一本の剣を携えており、剣を抜く。月明かりが刃を照らし──おどろくべきことに、幻惑的な紫色が反射したような風ですらあった──一刀のもとに大男を真っ二つに切り伏せた! 白布に間欠泉のような血が吹き上げ、散らし……白布が染めたように真っ赤になった。
その人物はこちらを振り向き……あろうことかソニアに笑ってみせたのである!
ソニアは大抵のことでは驚かない。長い人生を非常識な世界で過ごし、死んだ後もこうしてこの非常識な世界で転生しているのである。
だが、その人物の見せた目は、まさしく狂気をはらんでいた。何をもって笑ったのかは分からない。しかし、ソニアをそこから逃げようという気にさせるほどの凄みは見て取れたのであった。
「……で、金を返しに来たってェのかい」
次の日、イオの教会、懺悔室。薄暗い中で、懺悔と称した事後報告が行われていた。ソニアは裏の稼業はもちろん、表の稼業も含め職人めいたところがある。自分が納得出来ない仕事は認められないのだ。
「ターゲットを殺ったのは俺じゃない。俺が殺ったんじゃないんだから、俺が金を貰う必要もない」
「でもよォ。どうすんだよ、この金。ターゲットを先に殺られたなんて話、聞いたことねェしなァ」
二人が懺悔室から出ると、心配そうな顔をしてベンチに腰掛けているフィリュネと、無表情な顔で腕組みをして立っているドモンがいた。普段であれば昼行灯のダメ役人の彼であるが、その目は既に夜のものだ。
「しくじらなかったから良かったですが……問題はひとつ。みられやしなかったでしょうね」
「……見られた、と言ったら」
「そりゃ、仕方ないことです。……この場でたたっ殺すしかないでしょう。断罪稼業は秘密厳守、顔を見られたらおしまいですからね」
腰の長剣を少し抜き、刃の煌きを見せる。ソニアは頭を掻き、コートのポケットをまさぐる。タバコのストックは無くなってしまったようだった。
「おいおい、待てよ旦那ァ。今回はいわゆる通り魔、辻斬りに先を越されたってだけの話だろォ。相手はどうせ、お天道の下を歩けねえ日陰者に違いないぜ」
「だからなんだってんです。大体、あんたが皇帝殺しに一人でやらせようなんて言うからこんな事になったんでしょう。それとも何ですか。あんたが代わりに責任取りますか!」
「ンだとおい、旦那! いくらあんたでもそれは聞き捨てならねェ。もともとくだらねえ仕事だから気乗りしねェなんて言い出したのは、旦那だろうがよォ!」
だんだん険悪なムードに変わってきたのを察し、フィリュネが無理やり間に立つ。これ以上は、この教会の中で殺し合いが起きかねない!
「いい加減にしてください! じゃ、断罪の代わりに、その辻斬りを消せば問題ないでしょう!」
今にも剣を抜きかねないドモンは、その言葉に意外にもおとなしく剣を納めると、顎に手をやり思案し始めた。
「辻斬りをねえ……ふーん……」
「旦那、そういうことなら、俺一人でもその辻斬りを探し出して殺す。メンツにかけてもだ」
ソニアは立ち上がり、既に一回ロザリオのぜんまいを巻いていたイオの肩を抱き、そう宣言した。ソニアの言葉に、イオもようやくロザリオから手を話す。
「嬢ちゃんの言うことももっともだぜェ、旦那。その辻斬りをぶっ殺せば、ソニアを現場で見たなんて寝言も言えなく出来るってことだろう」
ドモンはあごに手を当てたまま、人差し指でとんとん顎を叩いていたが、ようやく考えがまとまったのか手をたたく。
「いや、違います。どうせ辻斬りなんて、ろくでもない輩です。僕らが手を下さなくても、お上が裁いてくれますよ。……ということで、そいつを僕が捕まえて、きっちり死刑にしてやるんですよ」
そう言うと、ドモンはにやりと邪悪な笑みを浮かべた。この男、人の失敗を自分の手柄にしようと言うのだ! 普段ならば、他の三人が口々に不公平を説き、ドモンをこてんぱんにのしてしまうのだが、それで丸くなるのなら、と納得してしまったのである!
「安心して下さいよ。もし僕がこれで大手柄ってなった日には、断罪がやりやすくなりますからねえ。ソニアさんの不安も払拭できて、まさに『鳥を食べたら卵も食えた』ですよ!」
ドモンはそう宣言すると、他の三人がため息をつくのを尻目に、高笑いを始めるのだった。
帝国貴族といえば、権力者の代名詞のような印象を与えるが、実はピンからキリまである。一国を動かすような権力者から、騎士として帝国成立以前から国に奉職したことで、名ばかりの貴族階級を与えられたものも大勢いる。
ラインハルト・オークラットも、そうした貧乏貴族の騎士である。昔は帝国貴族六家の一つ、ナギト家に奉職していたものの、ある時職を辞する事になってしまい、貴族であるにも関わらず、身一つでイヴァンに出てくることになってしまったのである。
唯一ついてきた従者・コンラッドと、貴族階級に召し上げられるきっかけとなった名剣のみが、今の彼の全てである。
「どうでしたか、騎士団への士官は」
ナギト家へ奉職していた時代とは広さも綺麗さもまるで違う、小さな中古住宅。その玄関に腰掛けた小柄で豪奢な金髪を伸ばした男こそ、ラインハルトであった。コンラッドは彼の背中から、今日も就職がうまく行かなかったことを察し、それ以上何も言わなかった。ラインハルトはわずか二十一歳。人生は長く、いくらでもやりなおしが効く年齢のはずである。だが、彼の父親ゆずりのプライドの高さは、それを難しくしていたのである。
「くそう……なんでだ。僕は誰にも負けないんだぞ。納得行かない。帝国騎士団のやつらは家柄しか見ないなら、たやすいはず。オークラット家はナギト家中の名門なのに……」
ラインハルトはしばらくそうして玄関に座り込み、剣を帯びたままうなだれていた。親子ほど年の離れたコンラッドは、こうした時彼にしてやれることはほとんどない事をよく知っていた。
「ラインハルト様、イヴァンは広うございます。行政府への士官以外にも、活路はいろいろあるかと」
「わかってるよ、それくらい! 放っておいてくれ!」
ラインハルトは立ち上がり、コンラッドを押しのけ自室へと向かっていく。コンラッドは何も言えない。従者に、それ以上の口答えは許されないのだ。
自室へ入り、腰に帯びていた剣を乱暴にベッドに投げる。向かうは、壁にかかった先祖伝来の名剣。薄暗い中で白刃を晒し、かざす。ラインハルトを慰めるのは、この剣の持つ過去の栄光だけになりつつあった。
「……僕は、帝国貴族だ。この剣があるかぎり……」
ラインハルトの豪奢な金髪が、含み笑いから少し揺れた。やがて彼は白刃を納めると、剣を抱いてベッドに寝転がり、すぐに寝息を立て始めるのだった。




