裏技不要(Bパート)
マークフーディーベ博士のラボはヒューリーの自宅の地下にある。博士はこの地下をヒューリーの支援で押し広げ、自身の研究を進めていた。ヒューリーは博士の研究への投資を惜しまない。自分にとって、博士の研究は非常に有用であることをよく知っているからだ。
お陰で、博士のラボは現在の帝国の技術力を遥かに超える研究設備がこれでもかというほど設置されている。その機械の森の中を、博士は車椅子を漕いで進んだ。その先には……なんと、ガラス製の巨大なシリンダーが備え付けられてあるではないか!
博士はそのシリンダーを右手でいとおしげに撫で、左手に嵌めた黒皮の手袋を外す。その手の甲にはなんと、鉤十字の下手くそな刺青が彫ってあったのである。博士はその刺青をシリンダーにしたようにいとおしげに撫で、勢い良く右手を宙空に差し向けた!
「ジーク・ハイル(勝利万歳)! 勝利! これこそ科学の勝利……魔法の勝利! つなげて、魔法科学の勝利だ!」
博士は歯の間から声を漏らすように笑った。左手の甲が青く発光し始め、鉤十字の刺青の上から英霊であることを意味する紋章が浮かび上がる! 博士は異世界より戦士として呼び出されたが、特に活躍の場もなく、帝国に溶け込んでいったかつての『英霊』なのだ!
「博士、これかね」
ヒューリーが薄暗い機械の森を抜け、博士の前に姿を現す。恍惚の表情で敬礼していた博士は、かちかちに固まった右手を必死に左手で元に戻すのに苦労し、何事も無かったように笑顔で主人を迎えた。
「マイン・フューラー! ……失礼。間違えました、ヒューリー様。その通り! 彼がまさしく切り札となるでしょう!」
博士は自身の悪魔的研究に、何より自信を持っていた。元の世界では天才の名を欲しいままにしていた博士は、帝国に呼び出されてからというものの、魔法の世界にとりこになった。新たな法則は新たな研究を産み、新たなテーマを産んだのだ。
「見たところ……ガラスの筒にしか見えんが」
博士は歯を見せて笑みを浮かべると、シリンダーの側の機械のスイッチを入れる。白く濁っていた液体が中で入れ替わり始め、その中からチューブで繋がれたマスクを付けられた、銀髪の少年の姿が浮かび上がってきたではないか!
「……博士。確かに私は君に任せる他無いとは思っているが、これは一体何だね? 私は君に、大金庫に入る方法を……」
「せ、急いてはなりません。彼の背中を見てください」
シリンダーの回りを移動し、色白の少年の背中を見る。そこにはなんと、青白く文字が発光していた。ヒューリーもこの文字は知っている。魔法は、呪文を詠唱するか書く事によって、エネルギーの操作を可能にするものだ。才能がある人間は、エネルギーの変換効率が上がり、詠唱の必要も少なくなる。
「魔法を使う、ということかね」
「マイン・フュ……いえヒューリー様。正確には違います。この呪文は、光魔法の呪文でして……光魔法の特性をご存知ですか?」
「あいにく剣ばかり振るっていたからな。魔法は詳しくない」
博士はなぜか嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、両手をそわそわ動かしながら、主人への説明を続けた。
「光魔法の特性を語る前提として、難易度が高い事が挙げられます。なんといっても、使い手が現在はほとんどいないのです。それに、光魔法は物体を光に変え、元に戻すまでが本来の一連の技術。戦時中は、攻撃対象を光に変えるだけの野蛮な魔法というのが評価でしたが、私に言わせればお笑い草ですな」
機械のスイッチを捻ると、シリンダーから排水が始まり、ゆっくりとシリンダーが動き始めた。少年は未だ覚醒はしていない。
「この少年は、光魔法の才能があります。まあ、今回の方法であれば特に才能は必要ないのですが……ヒューリー様に連れてきてもらったかいがあるというものですな」
「博士」
ヒューリーはいよいよ不安になってきたのか、丸メガネを外し、胸元のハンカチで表面を拭った。どうにも終りが見えない。
「私にはよくわからなくなってきた」
「結論を急いてはなりません。マイン・フューラー。違いましたヒューリー様」
「時間がないんだ。結論を言ってくれ博士」
「よろしい。この背中の呪文により、彼は任意で『自分に対して』高度な光魔法をかけることが出来るのです。つまり、自在に自分の体を光に変え、実体化することができる」
ヒューリーはその言葉に、ようやく納得することが出来た。光に変われば、姿を見られるようなこともない。
「しかし、問題がひとつ……」
博士は小さくそう呟き、おずおずと人差し指を立てた。ヒューリーはそれを促すように、右手を差し出す。
「この魔法はかなり特殊なものです。光に変わった後、自分の体に戻る……光魔法の特性通りにそれを行うには、どうしても何かしら媒介が必要になる。精神的な問題ですが、重要です。何せ、一度は自分の体を投げ出して、完全に光の粒子になるのですから。つまり、自分の体を省みる事ができるもの……鏡が必要です」
ヒューリーは呆れたように口を開くと、禿げ上がった頭を抱えた。目的地は大金庫。化粧室ではないのだ、置いてあるわけがない。
「博士、博士……ここまで説明しておいて、全く役に立たないでは意味が無いぞ」
「何、それ自体は問題ではありません。鏡は大金庫の鉄の扉を代わりにすればよろしい。しかし、暗闇では鏡は見られない。誰かが、予め大金庫の明かりを付けなくてはならないのです。それも、ヒューリー様の差金でない事を証明して」
確かに難しい問題だった。しかし、そういうことならばヒューリーにも考えはあった。会心の笑みを浮かべ、ヒューリーは手をたたく!
「金と人員は任せろ、と言ったな博士。ここからは私がなんとかしよう」
お使いのために噴水広場を通り抜けていたフィリュネは、一休みしようと噴水の側にあるベンチに座った。南側の騎士団宿舎に住む女騎士にアクセサリーをセールスしに行ったが、あまり反応が良くなかった。また、別のデザインを持って行かなくてはならないだろう。
「参ったなー。絶対うまくいくと思ったのに……」
アクセサリー屋が本業である彼女は、営業努力を怠らない。元来真面目なのだ。しかし、こうも儲からなくてはどうしようもない。
ため息をついていると、目の前で少年がまろび出て、こけて転んでいた。あまり身なりは良くない。ボロ布を巻きつけただけのような格好だ。銀髪の濡れそぼった髪が印象的だった。噴水にでも落ちたのだろうか。
「てめえ! 食い逃げ! なんか! しやがって!」
太ったコック帽を被った男が、少年を伸ばし棒で殴る! 為す術もなく殴られる少年を、人々は取り巻いて見ていた。
人々は手を差し伸べない。全くの他人だからだ。しかしどんな場所にも『見るに見かねて』行動を起こすものは往々にしているもので、殴っているコックと少年の間に、男が一人割り込んでいった。
「おい、ガキのやることだろう。それくらい殴りゃバカでも分かる。いい加減やめてやれよ」
「黙れ! チビの癖に文句たれんじゃねえ!」
ハンチング帽を被り、色白の肌の不健康そうなその男は、その言葉がひどく気に触ったようだった。ハンチング帽を取り、頭の上で振った。
「じゃあチビじゃなけりゃ話をするのかよ、ええ?」
「ああしてやるとも。今から身長伸ばすか?」
男達の間に、今度は巨大な二つの影が伸びる。モヒカン頭の双子の大男! 愚兄弟だ!
「じゃあこいつらと話してもらうぜ。最も、あんたのそのちっぽけな棒で相手出来るなら、だがな」
コック帽の男はハンチング帽の男──ボゥイと愚兄弟を見比べていたが、舌打ちして口惜しそうに去っていった。
「立てるか?」
ボゥイは少年に手を差し伸べた。少年は少し迷っているような風ではあったが、結局その差し伸べた手を取った。
「大丈夫か、少年」
ボゥイは少年と愚兄弟を連れ、人混みの中へと紛れていった。その後ろ姿をじっと見つめている男がいることに、フィリュネは気づいた。知り合いだったからだ。
「……旦那さん、なにしてるんですか。こんなとこで」
「こんなとこで、とは失礼ですねえ。こう見えても仕事してるんですよ」
めんどくさそうにそう言うと、眠そうな視線を多少なりとも鋭くし、ドモンはボゥイが去っていった方向を見やった。
「悪い人なんですか?」
「……ええ。悪いやつですよ」
ドモンはボゥイを長く追っていたため、ここ数年悪さをしていないことにも気づいていた。何せあの巨大な双子を連れているのだ。ヘイヴンならずともイヴァンを歩けば目立つし、あの双子の愚兄弟ときたら、バカだがいいやつだという評判ばかり立っている。
このまますっかり改心してくれればいいのだが、とドモンは心配しつつ見守っていたのだ。奇妙な話であるが、長く追い回してきただけあって、ドモンとボゥイの間には、友情とも親愛ともつかない関係が芽生えていたのである。
ボゥイは少年に、とりあえず自分のお下がりの赤いスーツを着せて、メシを食わせていた。悪党時代に稼いだ金で立てた家へ迎え入れたわけだが、今では少々ボロくなってきている。それもこれも、愚兄弟の体の大きさと力の強さが原因なのだ。
「美味いか」
「美味い……」
少年は、テーブルに並べられたパンとスープ、ヘイヴンで買ったマッシュポテトにサラダを、かたっぱしから口に放り込んでいた。よほど腹が減っていたらしい。愚兄弟といえば、それを羨ましそうにじっと見ているだけだった。
「俺は、ボゥイってんだ。こっちのでっかいのだが、俺はジョーガンとバリンボーって呼んでる。二人合わせて愚兄弟。どう呼んでも気にしやしねえよ。少年じゃ呼びにくくて困るぜ。おまえ、名前は?」
少年は銀髪の下の傷跡を撫でた。ボゥイはその傷に気づいていた。おそらくは、普通の生活など送ってきていないだろう。わけありだ。かつての自分やこの愚兄弟達と同じく、まともな人間として育てられて来なかった。そういう匂いを嗅ぎとるのにボゥイは長けていたし、何より彼はそういう少年をほっておけなくなっていた。
「俺、スバル……」
「スバルか。そんな調子じゃ行くとこがないのか」
「……そうなんだ。母さんも父さんもいないから」
「じゃ、俺のところで暮らすといい」
ボゥイは事も無げにそう言った。スバルが落ち込んでいた顔を持ち上げると、ボゥイに愚兄弟の三人が満面の笑みを見せていた。
「どうせこんなでくのぼうを住まわしてんだ。今更一人や二人増えたって変わらねえ」
「変わらねえよな」
「変わらねえ」
三人はそう言って笑った。スバルも、そんな三人を見ている内につられて笑い出し、とうとう四人は馬鹿笑いを始めるのだった。