完璧不要(Cパート)
「予約を済ませてまいりました」
竜騎士団のコートを模した、薄赤色のコートを画一的に着こなしたボディガード達。その中でも一際屈強な男が、ファフニールに耳打ちした。彼の名前はダニー。浅黒い肌に屈強な筋肉が、服の下で浮いているのがよく分かる。深く刻まれた皺とも傷ともつかない溝が顔中に刻まれている、なかなかの強面だ。
「ダニー、面倒をかけたね。どう、いい子はいそうかい?」
「ご要望通りです。評判は色街でも指折りとか」
ダニーは淡々とそう伝えた。彼はファフニールの腹心であり、忠実なる歴戦の戦士である。よって彼はファフニールのいうことであればどんな要望でも答えてみせる。妥協は存在しないのだ。
修練場での訓練を済ませ、憲兵官吏達を一ダースはのしたファフニールは、再びコート姿に戻っていた。七人のボディガードとダニーを引き連れ、観光がてらヘイヴンを歩く。老若男女問わず、人々は振り向いた。有名な竜騎士団の騎士とその一団であったからというのもあるが、ファフニールの影響が大きい。何しろ、イヴァンでもそうはいない美形である。特に女性達はヒソヒソと黄色い声を漏らさないようにするのに苦労したようだった。
アクセサリー屋のフィリュネと、客として来ていた女教師のセリカも、人混みの中を人々が道を作るように避けていくさまと、その中心にいる眉目秀麗の騎士を目の当たりにして動揺する他無かった。
「フィリュネちゃん……見た!?」
「見ました! 何なんですか、あの人! カッコよすぎますよ!」
女ども二人がきゃあきゃあ騒ぐのを、その後ろでアクセサリーを磨いていたソニアは冷ややかな目で見ていた。得てして、男性とは女の興味に興味を持たない生き物である。ソニアもその例外ではなかった。
「騎士よ、アレ。確か竜騎士団の! あんなカッコイイ人……お付き合いしたいわ」
率直な感想を述べながら、フィリュネと共に盛り上がるセリカ。
「ソニアさん! 見ましたか、さっきの人!」
「見たよ」
「カッコイイですよね! あんな美形、久々に見ましたよ!」
「ああ。……もう夕方か。そろそろ閉めるとするぞ」
ソニアはかったるそうに道具を道具箱に放り込むと、吸い殻を踏み潰し立ち上がった。フィリュネはしばらくセリカと興奮を共有し続けていたが、ソニアには目もくれず、興味も無いようだった。同じ男でこうも扱いが違うものか。
「や、どうしたんですセリカ、こんなところで」
そこに通りかかったのは、誰であろうドモンだ。いつものように間の抜けた調子でへらへらと笑みを浮かべている。痛々しく目元に痣を作っている姿に、妹のセリカは驚いたようだった。
「お兄様、一体どうなさったんです、その顔は!」
「や、実は。さっき剣の達人と戦いましてね。まさに鎬を削る一進一退の攻防の中で、えいやっとこう……一撃を貰ってしまったんです。やあ、強かったですねえ……あの竜騎士団の人は!」
ドモンはそう得意気に言った。ソニアには、その得意げにしている自信の根拠が見え透いていた。要は、先ほどの二人の盛り上がりを影で見ていたのだ。それで少しでも気を引こうと、暗にあの騎士と戦ったのだと──真実はいかなるものだとしても──アピールをしたかったのだろう。
しかし、彼の妹はドモンの愚かな考えはお見通しのようだった。
「全く、情けない! 結局負けてしまっているではありませんか」
「しかし、いいところまでいったんですよ。や、騎士様も大したことありませんよねえ」
「その精神が情けないと言っているんです! 負けてヘラヘラしているなんて、それでも剣士ですか、お兄様! セリカは先に帰ります! ……あ、フィリュネちゃん、お店閉めるんでしょう? また商品は明日見せてもらうわね」
フィリュネにそう伝えると、なおも自慢を続けようとするドモンを手で払いのけながら、セリカは家路に着いてしまうのであった。
「苦労したわね」
マリアンの応接室で、支配人は感慨深げにそう言った。彼にとって、娼婦達を身請けさせる事は、親が娘を送り出すことに等しいことだ。特に、今回のアシュリーは彼にとっても特別だった。彼女が苦労するさまをよく知っているからだ。
「俺、アシュリーを幸せにします」
金貨三百枚。四人家族であれば、イヴァンで一年は楽に暮らせるであろう大金である。それを支配人は数え終わり、ため息をついた。好いた男女がこうして添い遂げられるのは、色街に限れば奇跡に等しいことだ。大抵は悲恋に終わってしまう。金の持つ壁は大きく高い。時には身請けを焦るあまり、身を滅ぼす人間を、支配人は多く見てきた。
「アレク。でもあなた……前倒ししてくるなんて聞いてなかったわよ」
「すいません。いても立ってもいられなくて。俺、どうしてもすぐにアシュリーと夫婦になりたいんです」
本来であれば、アレクが身請けにやってくるのはまだ先の事だった。しかし、なんとアレクは身の回りの物をすべて売り払い、金を用意したのである。彼の情熱は本物だ。支配人は確信していた。アシュリーを託すに値する人物であることを。
「アシュリーちゃんもそれを望んでいるわ。私は所詮女衒にすぎないけれど、この店にいる限り、みんな娘みたいなもの……どうか、あの子を幸せにしてやってね」
アレクは力強く頷いた。こうした場面を見るのは初めてではないが、やはりいつ経験しても寂しいものだ。支配人は目頭を抑え、熱くこみ上げてくるものを押しとどめた。
「今、お座敷に出てるの。貴族が派手に遊びに来ててねえ。……それが終われば、お役御免ね。あなたには、あまり気分のいい話じゃないと思うけど。明日、また店に来なさいね」
アレクは何も答えなかった。妻のことを、否定も肯定もしなかった。支配人はそれを見て自嘲気味に笑う。この街は隔絶されている。自分は、もはや一生アレクのような純粋な心を持つことはできないだろう。それがまた寂しく、羨ましかった。
お座敷遊びに宴会が一段落すると、ファフニール率いる一同は個室へと移った。娼婦とのお遊びには、料金さえ払えば制限はない。だが、制限が無い状況だからこそ、そこで人間の器が図られる。娼婦は、相手を図る生きたものさしだ。いくら金と引き換えとはいえ、そこで好き勝手やるようでは遊び人としては二流三流なのである。
アシュリーは、おそらく人生最後となるであろう個室のお遊びに臨んでいた。相手は美しい男だった。男は紳士的であった。事後、ベッドの中で、男とアシュリーは話をした。とりとめのない話だった。
「それでね。そのアクセサリー屋っていうのが全部ハンドメイドらしくて……」
「すまない」
男は──ファフニールはそんなアシュリーの話を無慈悲に断ち切った。
「頼みがあるんだ」
「何?」
「僕の話を聞いてもらえないか」
「いいわよ。興味ある」
アシュリーは子供をあやすように、男の長い茶髪を手ですいてやった。彼女は、男がどうすれば喜ぶかをよく心得ていた。
「君は、僕をどう思う?」
「うーん、カッコいい、かな。騎士様なのよね。なんか、高嶺の花っぽい」
ファフニールはその言葉を鼻で笑った。どうやら、求めていた答えは異なるようだった。
「僕はそう思わない」
「どうして?」
「みんなは、僕のことを完璧な人間だと思っている。心優しき人格者で、剣の達人。若くして竜騎士団の中隊長を務める、帝国貴族のファフニール・C・ベイル様。違う。僕は、くずさ。完璧な人間を演じているだけの、全てを手に入れていい気になっているくずだ」
彼はそう自嘲の言葉を吐くと、アシュリーのやわらかな胸に顔をうずめた。彼の後悔とも悲しみともつかぬ言葉はまだ続いていた。
「僕は、何も信じていない。部下だって信じていない。でも……君のことは、信じている。……一方的にすまない、今の言葉は忘れてくれ。すべて」
「信じてくれるのは嬉しいわ」
「……君は、良い人だ」
ファフニールは柔和な好青年の顔に戻ると、アシュリーの率直な言葉に答えた。結局彼は、朝まで彼女とベッドを共にした。夜は静かに更けていき、ただわずかな布擦れと寝息だけが、二人の間にあった。
ファフニールが身支度を終え、アシュリーの見送りを背に部屋を出て、一番に向かったのは、支配人の部屋であった。彼の行動には、常に迷いも後悔も無かった。
「君が支配人か」
「これは、昨日の貴族の……お楽しみ頂けましたか?」
朝日が差し込む応接室に、ファフニールは返事を待たずに入り込むと、ソファに腰掛けた。支配人もその異様な雰囲気を察し、彼の目の前に座った。
「あのう。何かウチの娼婦が粗相を致しましたか」
「とんでもないよ。とても良かった。話していて飽きないし、とてもあたたかな気持ちになる。素晴らしい女性だ。……そこで、話がある」
ファフニールは神妙な表情で手を組むと、少し間を置いてから本題を切り出した。
「彼女を身請けしたい。金ならいくらでも出す」
支配人はその言葉に心底驚き、戸惑った。状況が状況だ。アシュリーは、今日にでもアレクに身請けされ、ここを出て行く。いくら帝国貴族であっても、そんな状況をひん曲げ、期待に沿うようなことができようはずがない。
「帝国貴族のあなたがそこまで仰るのであれば、相応の理由がおありなのでしょう。しかし、私はここの支配人でございます。娼婦達の幸せを第一に願うことが私の勤め。アシュリーは今日にでも別の男に身請けされます。そんな彼女をはいそうですかと渡すことはできかねます」
「では、その男の出す金の二倍を出す」
「金の多寡ではございません」
支配人は毅然としてファフニールの言葉をはねのけた。納得出来ないのはファフニールだ。自分があの時感じた想いは、本物だと信じきっている。支配人は今までに、一時の感情で女に危害を加えようとする──いや、加えた男を何人も知っていた。
「あの」
その時、支配人の部屋に、三人目の男が入ってきた。アレクだった。まさか帰れとも言えず、支配人が何を言おうか考えあぐねている内に、アレクは待ちかねたように、考えてきたのであろう言葉をぶつけた。
「アシュリーを迎えに来ました、支配人」
ファフニールは最悪の気分で、人気の少なくなった昼の色街を抜けていた。色街入り口の大門では、ダニーが一人主人の帰りを待っていた。付き合いの長い彼には、中で何かが起こり、主人が良くない事を感じたのだろうということがすぐにわかった。
「ファフニール様」
「ダニー。君は分かっているね? 僕が今まで、言うとおりにならなかったことはひとつも無いということを」
「分かります」
「僕は昨日抱いた娼婦が欲しくなった。僕のものにしたくなったんだ。だが既に先約済みだった。おまけに目の前で奪われたんだ。こんな屈辱はないよ」
ファフニールはダニーと連れ立って歩きながら、静かに自分の持論と怒りを述べた。ダニーには、自分が何をすべきか、何を与えるべきか、既にわかっていた。
「なんて野郎なんです、そいつは」
「娼婦の名前はアシュリー。相手はアレクという男だ。……部下も自由に使っていい。すぐに探して、僕の目の前に連れて来い」
ファフニールはまるで仮面を貼り付けたような笑みを浮かべていた。もはやそれは、若く美しい帝国貴族とは違ってしまっていた。
三日の間、アレクとアシュリーは素晴らしい日々を過ごした。
聖人通りの外れにある、古いアパートの一室を借りた二人は、ヘイヴンで買ったベッドと小さなテーブルを買い、新生活をスタートさせた。二人で食材を選び、二人で料理をした。夜通し二人で語り合い、二人で求め合った。
三日目に、アレクは自らの宝物を見せてくれた。父親から譲り受けた、母親の形見の指輪だ。アシュリーには、それが意味する事が何であるかをすぐに察した。
「渡すには、それなりの場所が必要だろ、アシュリー」
アシュリーは差し出された手を掴み、アレクと共に走った。その行き先は、教会だ。ささやかながら、式を挙げようと言うのだ。
「少し古いな」
「十分よ」
アシュリーは嬉しそうに聖堂の中を見回す。そこら中に亀裂が走っているし、ステンドグラスも一部割れてしまっている。しかし彼女とアレクにとっては、そこは自分たちだけの素晴らしい結婚式場だったのだ。
栗色の肩まで伸びた髪の神父が、奥から姿を現し、二人を見るとカソックコートの襟をただし、咳払いをした。
「何か御用で?」
「神父様! 実は、俺達結婚したいんです。俺はアレク。こっちは、アシュリー。突然のことで申し訳ないんですが……すぐに!」
神父は──イオはその言葉を聞くと、ぼりぼりと頭を掻き、聖書台の下から古ぼけた聖書を引っ張りだした。懺悔であれば相当カネになるのだが、結婚の宣誓は一律で金貨一枚と決まっているのだ。それでも、立派な稼ぎには違いないが。
「結構ですよ、アレク。わたしは神に仕える身。人々の幸せにつながるのであればそれに尽力するまでです」
自分で言いながら歯が浮きそうなのをこらえながら、イオは改めて咳払いし、宣誓の言葉を脳から引きずりだした。こうした結婚の宣誓は何年もしていないのだ。
「えー、では神への誓いの言葉を。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか」
二人ははにかみながら、口を揃えた。
「誓います」
「誓います」
イオは聖書を閉じ、二人を交互に見てから、次の言葉をようやく絞り出した。
「えー……では、指輪の交換と、誓いのキスを」
「すみません、神父様。実は指輪がひとつしか……」
「別に構いませんから、彼女にわたして差し上げなさい」
めんどくさそうにイオが言うのも、幸せの絶頂にある二人にはあまり効果は無いようだった。アレクは懐から小さな小箱を取り出すと、中から指輪をつまみとり、アシュリーの薬指にはめようと伸ばした。
そこまでだった。
教会の扉が勢い良く開くと、薄赤色のコートを着た屈強な男達……ファフニールの手勢の男達が教会に雪崩れ込んできたのだ! その筆頭は、鋭い視線を教会に振りまく男……ダニーだ!
「何ですか、あなたたちは」
「神父、無礼を許してもらおう。我々が用があるのはその二人だ。……連れて行け!」
アレクがアシュリーを自分の後ろへ下がるようかばうが、無駄だった。ダニーが力強い拳を顔へ叩き込むと、アレクは吹っ飛び動かなくなった。ダニーは今度は腰に帯びた鉈……マチェーテを抜くと、何の躊躇も無く心臓に押し込む! アレクの目は大きく見開かれるが、マチェーテを引き抜いた直後、血が吹き出し、アレクは一気に事切れた。
「嘘……いや、いやぁーッ! アレク! アレク!」
アシュリーの声は届かない。数人で抑えこまれ、担ぎあげられた彼女は教会の外へと消えていく! イオは絶句するほかなかった。何も出来なかったのだ。彼にはこの横暴を止めるだけの力はないのだ!
「あ、あなた達……! 自分たちが何をしたのか、分かって……」
「分かっているとも。……神父、これはクリーニング代だ。よもや、文句は無いだろうな」
金貨が五枚、薄汚れた教会の床を跳ねる。その場には、血だまりに沈むアレクとアシュリーの悲鳴と金貨、そして、主を無くした指輪が残された。




