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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
方便不要
68/124

方便不要(最終パート)





 居眠りを続けるイオの耳に、いつぞやのピアノの音が響いてきたのに気づいたのは、夕方にさしかかろうとしているときであった。むくりと起き上がり、カーキ色のジャケットを着た女が、何度も何度も同じ旋律を奏でていた。それは、イオには悲しい音に聞こえた。まるで何かを失った故に発する、慟哭のような。

「あんた、それ以外に曲知らないのかい。もっと楽しい曲と弾いてくれよォ」

「知らん。姉さんならもっと知っていたが……私が弾けるのはこれだけだ」

 イオからは女の顔は見えなかったが、声色で彼女の感情の機微がよくわかった。そうでなくともイオはそういった事を読み取ることに長けているのだ。

「……何か、あったのかい」

「そう見えるか、神父」

「ああ。得意なんでね。……一つ、懺悔してみたらどうだい。俺は仕事はまじめにやる。あんたの懺悔も聞くことはできる」

 女は鍵盤を叩く。低音高音が交じり合い、不協和音を奏でる。女は目元を腫らしたまま、イオに促されるまま懺悔室へと通される。薄暗い空間の中、話を聞くのはイオのみだ。人々は、ここで言うに言えない事を吐き出すのである。それは、誰かが抱えたままの恨みを、ここで聞くこともあるということを意味する。断罪人にはおあつらえ向きの空間だ。

「迷える子羊よ、何でも懺悔なさい。神は全てをお許しになるでしょう」

「……本当に、何でも言っていいのか」

 イオは暗がりの中で頷いた。女にそれが見えたかどうかは分からなかったが、女はゆっくりと話し始めた。

「私は、これまで遊撃隊隊員として、帝国のために尽くしてきた。もちろん、綺麗な仕事しかやらなかったのかと言われれば違う。汚い事もやったし、後ろ指を刺されるようなこともした。国に忠を尽くすことでしか、姉を失ったことを埋めることができなかったんだ。七年前、遊撃隊に配属される前、皇帝陛下に、帝国に忠誠を誓ったにも関わらず、姉を死においやった男は見つからなかった。それでも、国に尽くすことで、これまでとこれからの私に間違いが無いことを信じたかった。しかし、私はまた裏切られた。パートナーに、国に裏切られた」

 女は淡々と語り終え、しばらく押し黙った。イオは何も言わない。次の言葉を促すこともしない。女はすすり泣いていた。永久凍土の氷が溶け出すような涙だった。

「私は……私の……私の人生は何だったんだ? 姉を死に追いやった男を憎み続ける代わりに、国へ忠誠を誓うことで許しを得ようとした。憎むだけではいけないと……幸せになろうと……好きになろうとした男は、私の部下、エイムズは……殺人鬼だった。おまけに国のお墨付きだ。私の人生は何のためにあったんだ」

 イオは答えなかった。

 イオは教師でもなく、彼女の恋人でもなく、父親でもなかった。彼女を教え諭す立場ではなかった。あるいはそういう立場の誰かであれば、彼女を救えたのかもしれない。だが、イオは違う。

「答えて、もらえないのか」

「……進むべき道は、貴女が決めるのです。私には、導くことはできません。人生は長い。それを希望ととるか絶望ととるかは、貴女次第だ」

 長い沈黙が暗闇を満たした。再び、女のすすりあげる音がした。

「言ってみるものだ」

「そうでしょうとも」

「安心したら、少し腹が立ってきた。ふふふ……人間とは、なんとまあ単純なものだな」

 女は鼻をハンカチで拭い、涙声を治すように笑ってみせた。イオも笑った。笑いながら、懺悔室の格子窓の下から、女の側に引き出しを押した。

「喜捨してゆかれると良いでしょう。魂の救済には重要な事です」

「商売上手だな、神父。負けたよ。……本当に不思議だ。普段は、男とは話すのも億劫なんだが」

 女は財布を取り出すと、中から金貨を二枚投げ入れた。

「私は、これから行政府と遊撃隊本部に事の次第を申し出るつもりだ。私の事はいい。だが、罪なき人々を試作品のために焼き殺す、バーンズ親子は許せん」

 女は颯爽と重く黒いカーテンをめくると、光の中へと飛び出していった。イオはそれを見送ると、懺悔室の外で満足気に伸びをするのであった。





 帝国行政府中央合同庁舎・厚生局近く。

 遊撃隊本部は便宜的に厚生局の中にある。独立した捜査機関であるが故に、表立った基地を持たないゆえだ。また、行政府内外の公的機関を見張る部署のある厚生局とは、結びつきが強いために、連携をとれるようにする目的もある。

「ハジメさん」

 最も会いたくない人物だった。エイムズ。今となっては、彼の笑顔もただの作り物の仮面に見える。事実そうなのだ。父親とはいえ、政府高官から正式に殺人を厭わない任務を受け、愉悦と共にそれを遂行している。今のハジメには恨みも憎しみも無かった。ただ純粋に、正義とそれを執行する意思があった。

「ハジメさん。折り入って、話があるんです。場所を変えませんか?」

 ハジメは素直だった。エイムズのことを、どこかでまだ信じたかったのかもしれない。しかし、彼の右手が、指が、せわしなく動くのを、ハジメは見ていなかった。

 河川敷、橋の下。小川のせせらぎだけがその場に響いている。時間は既に夕方を超え、日は傾きつつあった。

「こんなところでいいですかね」

 ハジメはエイムズに背を向けたまま、小川に照り返る夕日の光を見ていた。全てが終わり、全てが変わるだろう。たった数秒の間に。恐ろしいことだが、今のハジメには避けて通れない運命であった。

「思い直さないか、エイムズ。自首して、罪を償うことを考えないか」

「なぜです? オヤジの許しがあるんですよ。自首なんてする理由が見つからない」

「……やはり、仕方がないか」

 ハジメは剣を抜き、鞘走らせながら振り向き、己の剣を下から切り上げた! しかし既にエイムズは剣を抜いており、刃を当て鎬を削る!

「俺を斬れるんですか、ハジメさん」

 エイムズの目は焦点があっておらず、瞳が外側にせわしなく動いていた。グローブが赤く発光を始め、剣を握る右腕から剣へ舐めるように炎が移る! ハジメはおぼろげながら、教本で学んだ魔法の基礎を思い出す。A級ライセンスレベルの魔導師ともなれば、炎や水、風や土を操る上で、その法則すら破ることができるということを。

「斬れない。断言するよ。あんたには斬れない」

「斬る! 貴様は……貴様は生きていてはいけない男なんだ!」

 エイムズは答えず、炎の剣を振るいハジメの剣と押し合う! その度に火の粉と共にハジメの刃に炎が移り、鉄が溶ける匂いがハジメの鼻を刺す! 耐え切れない熱さがハジメを襲う。刃が溶けているのだ!

「馬鹿な……」

 溶けた剣が手からこぼれ、ハジメは絶望から膝をつき始める……が空中で止まった。既に色が通常の黒に戻ったグローブが、彼女の喉を締めあげていた。彼女を強引に立たせ、橋の欄干に叩きつける。今度は左手でさらに強く締め上げる。

「ハジメさん……今のあんたはすごく……いいよ。本当に好きだったんだ。いつかこうしたかった。いつでも、一刻も、早く……」

 日は沈んだ。ハジメは河川敷に一人倒れたまま、二度と動くことはなかった。孤独な死を悼んでくれる人間は、もういない。虚しく転がった乗馬用のムチだけが、燃え残らずにいた。





 イオの教会、その日の深夜。珍しくドモンがつまみを手にやってきて、仕事の愚痴をぶつぶつと呟きながら、ナッツやら干し肉やらを並べ始めた。

「……で、さんざん引っ掻き回していった挙句、今日とうとう協力できないって帰っていったんですよ。全く、何が遊撃隊ですか。ただ遊んでいるだけですよ、あれじゃ」

 あまり飲まないワインをちみちみと口につけながら、ドモンは文句を垂れた。フィリュネ、イオ、ソニアの三人は、静かにそれを聞くふりをしながら、つまみに集中していた。ドモンは下戸のためか、こうした飲み会にあまり来ない。その代わりに、たまに持ち込むつまみがやたら美味いのだ。

「大体何の用事で来てたんだ? フィリュネから聞いたが、遊撃隊ってのはイヴァンの外を見て回るのが仕事なんだろう」

「数字目標ってのがありましてね。困難な事件の捜査を共同してやろうってんですが、結局お互い足の引っ張り合いですよ。連続放火殺人事件、結局解決しませんでしたし。さっきも犠牲者の死体が見つかって大わらわです。しかも、死んでたの、誰だと思います? よりによってあの遊撃隊員の女ですよ! まったく、最期まで迷惑かけてくれますよ」

 イオは干し肉をかじりながらワイングラスへ手を伸ばそうとしたが、ドモンの言葉に思いとどまった。遊撃隊の女。昼間来た彼女は、バーンズ親子を許せないと言っていた。部下のエイムズは殺人鬼だと。何より彼女の腰には、剣と一緒に乗馬用のムチが差さっていた。そう何人も同じような女がいるはずがない。

「なあ、旦那よォ。遊撃隊だが、なんてのが来てたんだ?」

「おっかないフェミニストの女と、冴えない男でしたよ。女のほうがハジメで、男のほうが……確かエイムズとか言ってましたか」

 繋がった。イオは立ち上がり、先ほど女から受け取った二枚の金貨を聖書台に置いた。その行動の意図する事を、断罪人達はすぐに感じ取った。

「……神父、この金は?」

「依頼人は俺だ。金は、遊撃隊員のハジメから貰ったもんだ。あの子は、部下のエイムズが父親と組んで、連続殺人をやってるって言ってたのさァ。こればっかりは裏をとってもらわなきゃならんが、おそらく口封じに消されたんだ」

 ドモンはサイから聞いた男の名前を思い出していた。テレンス・バーンズ。帝国技術開発局局長。ハジメの部下、エイムズと同じ姓を持っている。偶然とは思えない。

「フィリュネさん、聞きましたね」

 フィリュネはナッツを手のひらで弄びながら、暗い表情を湛えていた。あまり乗り気でなさそうな表情だった。その表情が正確に意図するものを、ソニアは感じ取っていた。母親を殺した遊撃隊の恨みを晴らす。彼女にとって面白くはないだろう。

「……フィリュネ、降りるなら俺は止めない。だが、恨みを呑んだまま死んでいった人には変わりねえ。金だって出る」

「……やらないなんて、言ってませんよ」

 フィリュネは聖書台に歩み寄り、素早く銀貨二十枚に両替すると、その中から銀貨を五枚取った。

「裏を取ってきます」

 彼女は短くそう言い、すぐに駆けて行ったかと思うと、姿が見えなくなった。ソニアは肩をすくめながら銀貨を五枚とり、フィリュネを追いかけるようにゆっくりと教会の外の闇へと消えていった。ドモンにも文句はなく、イオとともに銀貨を五枚取る。

「散々こき下ろした癖に、断罪となりゃ別かい、旦那ァ」

 ドモンはシニカルな笑みを浮かべながら、銀貨を袖の中の隠しポケットにしまう。

「そりゃそうですよ。金になるなら、僕は悪魔の恨みだって晴らしてやりますよ」

「俺もそれにゃァ同感だ」







 バーンズ親子は、仲睦まじく家路へと着いていた。エイムズは特に機嫌が良い。好きな女を最高の形で殺してやれた事に満足しているのだ。彼にとって、殺人とは愛を示す行為だ。ハジメもあの世で喜んでいるだろうということを、信じて疑わない。

「オヤジ、このグローブ、最高だぜ。もう完成してるんじゃないのか? 炎の操作だって完璧だ。ハジメさんの剣だって、ドロドロに溶かしちまった」

「ああ。しかし、試用は多ければ多い方がいい。それに、お前だってそのほうが都合が良いだろう?」

 テレンスは愛息にまるで休日の予定でも聞くような気軽さで、次の殺人を催促してみせた。息子は喜んでいる。その事実だけが、テレンスの心を満足させていた。そのためには、どんな手だって使う。幸い、それを可能にするだけの力が、テレンスにはあったのだ。

「オヤジはやっぱりすごいぜ」

「そうだろう。お前にそう言ってもらえて、本当に嬉しいよ。次は、もっと別のおもちゃを試してみないか」

「本当かい!」

 夜道を楽しげに歩く二人は、ふと立ち止まった。目の前に女が一人佇んでいたのだ。白く薄いヴェールのような布を頭からすっぽり被り、絹のシンプルなドレスを着ている、背の高い女。顔の大部分は隠れてしまっているが、口元から赤いルージュが覗いているのが、エイムズの琴線に触れる。エイムズの目の焦点がずれ始め、口角が上がる。彼がそうしたくなったサインだ。

「オヤジ、待っててくれ」

 テレンスはエイムズに笑顔で答え、ランプを持ったまま息子の勇姿を見送った。そろそろと近づいていく。わずかな月明かりの暗い夜なのにも関わらず、怖気が立つような美しさが伝わってくる。エイムズは身震いした。

「なあ、ひとりかい」

「はい」

「待ち合わせ? だとしてももう夜だぜ。良かったら、俺と一緒に……」

 返事の代わりに高らかに響いたのは、銃声であった。エイムズが振り向くと、テレンスは既に頭を砕かれ死亡していた。ランプは砕けて火は消えている。コートが翻り、何者かが走って行くのを見て、エイムズは混乱しながらグローブから炎を発射する! しかし、炎は虚空に消え、既に誰もいない。

「何だ……オヤジ! オヤジ、しっかりしろ!」

 女はそろりと懐から金色の十字架を取り出し、横棒から長い針を抜き出す。なおもテレンスを揺り起こそうとするエイムズの背中に、針を打ち込まんと振り上げる……が、エイムズが振り返り、その手首を掴んだ!

「てめえ……何者だ!」

 拳を握り、女に叩きつける! 白く薄いヴェールがするりと抜け落ちると、ルージュを塗って女に化けていたイオの顔が現れる。直後、エイムズの拳がめり込みイオは吹っ飛ぶ! すかさず抜剣し、刺客にトドメを刺さんとジリジリと近づきながら、グローブの力で刃を燃やす! 焼き殺すつもりなのだ!

「くそ……がっかりさせやがって! 死ね!」

 その時である! 今度は路地裏の影から刃が伸び、炎の剣を防ぐ者があらわれた! 憲兵官吏のジャケットの男が、振り下ろされた炎の刃をもろともせず、燃え移る前に弾き、エイムズの固い守りを簡単に崩す!

「お前……憲兵団で見たぞ! 俺にこんなことをしてタダで済むと……」

 空気が破裂する音が、一回、二回。憲兵官吏──ドモンが無表情に炎の刃をさらに自分の剣で押さえつける。武器を捨てて逃げられるか? 否。エイムズは即座に自分の愚かな考えを一蹴する。俺は遊撃隊員だ、無様な真似はしない!

「頼りのオヤジは先に地獄に行ったぜ。あとは家族水入らずで楽しくやんなよ」

 動けないエイムズの首筋に、イオの十字架が押し付けられ、ぜんまいが稼働し針が飛び出す! エイムズは即死。倒れこんだ彼に、剣の炎が襲いかかり──そのまま勢い良く燃え上がった。

「地獄の炎の前に、現世で軽く焼かれるってのも乙だろォ」







 イオはカバーが開けっ放しになっていたピアノの前に立っていた。相変わらず、誰も弾くものがいない、寂しいピアノだ。イオは、記憶力を頼りに、遊撃隊の女──ハジメが弾いていた、あの素朴な曲を再現しようと試みた。

 何度か挑戦した後、彼は目を閉じ、ため息をついた。カバーは閉じなかった。閉じれば、彼女の弾いた頭の中の曲の記憶すら、どこかへ消えてしまうかもしれないと思ったからだった。




方便不要 終

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