方便不要(Aパート)
イヴァン憲兵団筆頭官吏、ガイモンは苛立っていた。大きな体にもじゃもじゃの口周りの髭は、さながら鬼か悪魔を連想させる。まだ見ぬ悪党に憎悪を向けているのか、はたまた出来の悪い部下の事を考えているのか。ともかく、回りの憲兵官吏は近づく素振りも見せなかった。
いつも怒鳴られている憲兵官吏、ドモンもガイモンに頭の上がらない者の一人だ。隣の机のサイへと顔を向け、小声で何事かを訊ねる。あまりにも空気がピリピリしすぎている。何かがあるに違いない。
「お前忘れたのかよ、ドモン。ほら、『遊撃隊』のあれだよ」
「ああ、そういうことですか……」
帝国遊撃隊。その実、帝国行政府の情報機関である。帝国内戦時までは、貴族の私兵をも凌ぐ横暴さをもって、悪名高い存在であった。だが現在、いままでの情報収集任務に加えて、帝国のどの領であっても、必要があれば許可なしに捜査できるという強権を持った広域捜査機関に生まれ変わったのである。
そして今回、帝国首都イヴァンにおいて起こっている連続放火殺人事件に対し、帝国遊撃隊から捜査協力という名目で、隊員が二人招かれる事になったのである。
「合同捜査となりゃ、遊撃隊本部との関係を取り持つのは、他ならぬガイモン様だ。そりゃピリピリもするぜ」
「はあ、それは大変ですねえ。パトロールにでも出ますか。居づらくて敵いませんよ」
他人行儀にへらへらと笑ってみせ、ドモンはそろそろと立ち上がった。もちろん、脱出のためだ。執務室は息苦しくて敵わない。ただでさえ、普段から役立たずとして目を付けられているのだ。なにを言われるかたまったものではない。
「ドモン。どこへ行く気だ?」
目の前に、すぐ鼻息がかかりそうな距離に、ガイモンの顔があった。突然の出来事に、ドモンの頭脳は混乱を始め、視線が泳ぐ!
「や、その……えっと。パトロールに行こうかな、と思いまして」
「そんなに仕事がしたいのか? 貴様にしては関心だな。だが、まだパトロールには出るな。これから遊撃隊の腕利きが二人も来る。貴様がサボっているところでも見られてみろ。貴様の首ももちろん、ワシの首まで飛びかねん。おとなしく座っていろ」
ガイモンの視線はいつもの三割増しは鋭く見えた。猛獣の前に突出された小動物のように、ドモンはゆっくりと席に戻った。サイがちらりとこちらに視線を送ったが、ガイモンの視線を感じ取ったのかすぐに視線を外す。要するにガイモンは、遊撃隊の隊員にナメられたくないのだ。遊撃隊は行政府直属の機関であり、独立した組織である。彼らが憲兵団の寝首をかこうとすれば、いとも簡単にかけてしまうのだ。
「いいか、貴様ら! これから帝国遊撃隊の隊員が二人いらっしゃる。失礼のないようにしろ。そして、犯人を彼ら二人より早く! 捕まえるんだ! 分かったか!」
ガイモンの怒声が、彼の鋭い視線と共に執務室に広がる! その時である。執務室の扉が勢い良く開く。肩までの短髪の黒髪の女。腰には剣を下げており、帝国行政府のエンブレム入りのワッペンが、着ているジャケットの肩に刺繍されている。もう一人、金髪の男が同じような格好をして、後ろから姿を表した。若い二人であったが、その場の誰もが、とうとうやってきたのだ、と直感した。女のほうが有名人だったからだ。女の名はハジメ。彼女は遊撃隊でも指折りの隊員であり、どんな時でも相手を徹底して追い詰めることから『鬼』と名指しされている、腕利きである。
「あれが有名な『鬼剣士』のハジメですか。いやあ、女の子には見えないですね。視線が怖すぎますよ」
「ああ。噂じゃ徹底したフェミニストらしいぜ。相手取って斬り殺し漏らした男はいないらしい」
ヒソヒソと声を潜めて会話するドモンとサイを、ハジメは自身の三白眼で剣を差し込むように睨みつけた。ずいと二人の前に進み出ると、剣を抜き突きつける!
「どちらからがいい」
「は?」
「えっ。俺もですか」
「そうだ。文句が有るならたたっ斬ってやるから前に出ろ。どちらからだ。貴様か。それとも、貴様か」
切っ先がドモンに向く。剣と同じく鋭い視線が、ドモンを射る!
「まあまあ、ハジメさん。やめましょう。我々の任務は余計な争いを起こすことではありません。……失礼、ガイモン殿ですね。お噂はかねがね」
男の方は、ハジメと違って飄々としており、ガイモンを見つけるとすぐに頭を下げた。ハジメもそれに従い剣を納め、ガイモンにあいさつをする。
「帝国遊撃隊隊員、ハジメ・オーグジン。同じくエイムズ・バーンズ。行政府からの命により着任を報告する。憲兵団団長殿にお会いしたい」
「お待ちしておりました。ハジメ殿、それにエイムズ殿。さっそく……」
先ほどまでの強気な態度はどこへやら、ガイモンは腰を低く二人を案内し、団長室へと消えていった。その場の憲兵官吏達はようやく息をつき、ドモンとサイの二人は顔を見合わせた。
「今のうちですね」
「ああ。面倒事を押し付けられるのはゴメンだ。あんな恐ろしい女、組めなんて言われても絶対にゴメンだぜ。逃げよう」
深夜。
路地裏にひとりで佇んでいる人物がいた。暗がりから光が当たる箇所に、女の足が伸びている。その人物は懐から小瓶を取り出し、中の液体を女にふりかけ、何やらつぶやいた。詠唱。魔法は魔力によるエネルギー操作の結果であり、エネルギー操作を行うための精神統一めいた役割を果たすのが、呪文詠唱である。その人物は言いよどんだ様子もとちることもなく呪文を詠唱し終え、その場を立ち去った。
次の瞬間、女の足に火が付き、爆発するように燃え上がった! 数十分後、イヴァン中に響き渡るように炎を知らせる鐘が鳴り響き、人々へ避難を促す。出動する魔導消防隊。警鐘によって飛び起き、現場へ殺到する野次馬達。その中に、フィリュネとソニアの二人もいた。イヴァンの人々にとって、発生した事件をいち早く知ることは、一種のステータスなのだ。
「いったい何が起こったんでしょう」
「ダメだ。人が多すぎる」
野次馬達も、火事が起こっている以外はよくわかっていないようだった。炎は既に火柱へと変わり、暗い夜空を赤く燃やし尽くす。消火は確かに終わったが、建物は完全に消失してしまった。
「これで六回目か」
「うちは大丈夫かしら」
「憲兵団はなにをしてるんだ」
人々は口々に不安と不満を漏らす。気持ちはフィリュネにもよくわかった。今回の現場は彼女とソニアが住む聖人通りのすぐ近くの商店だ。たまたま店には誰もいなかったようだったが、多くの人々が住む場所でこのような火事が起これば、焼け出されるのは愚か、最悪焼き殺されかねない。
「ソニアさん、旦那さんにお願いしましょうよ。これじゃ安心して寝られません」
「あの旦那になにを頼むってんだ。夜も見まわってくださいっていうのか? ムリだろう。言うだけ無駄だ」
ソニアはまだ燃えている木かけらを見つけ、ポケットから紙巻たばこを取り出すと、火をつけて吸った。夜風が吹き、ソニアとフィリュネ、そしてタバコの火を襲う。紫煙が流れ、夜空に勢い良く昇っていった。フィリュネがその方向を目で追うと、誰かが路地を曲がるのが目に入った。肩にワッペンが刺繍してあったが、顔が見えなかった。彼女は気にも止めなかった。
「今何時でしょうね。眠いです」
「わからん。時計を持ってきて無いからな……太陽は上がってきてないからまだ寝られるだろう」
「そりゃそうですけど。っていうか、時計なんて大きな機械、持ち運べるわけないじゃないですか」
「俺のいた世界なら持ち運べたんだ」
「嘘だあ。無理ですよ、そんなの!」
野次馬達は、いつの間にか散り散りになっていた。二人も、その場から離れることにした。明日も仕事がある。火事は珍しいことだし、真っ先に知っておきたいことであるが、既に二人にとっては明日の事のほうが大事になっていたのである。