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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
暴食不要
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暴食不要(最終パート)








 ドモンは今日もヘイヴンの人混みの中を歩いていた。もちろん、差し出された賄賂をちょいちょい受け取るのも忘れない。暖かくなってきたからなのか、なかなか実入りがいいので、ドモンの懐もずいぶんと温まり始めた。

「ドモンの旦那、今日はごきげんでやすね」

 露天商のオヤジが手もみついでに銀貨を差し出しながら、ドモンに話しかける。何分ヘイヴンも景気の善し悪しにすぐ左右される。こうして賄賂がもらえるのも、ドモンからしてみればありがたいものだ。

「ま、ヘイヴンが平和なのはいいことですからねえ。ま、とにかく。おやじさん、何かあったら必ず知らせるんですよ」

「へいへい。旦那の手を煩わせるようなことはお願いしませんよ。どうせなにもしてくれねえんでしょうから」

 ドモンはオヤジの嫌味をどこ吹く風で聞き流しながら、ヘイヴンを歩く。噴水広場に出ると、噴水の側に、リヤカーが一台停まっている。中には飴が満載されており、その側には金髪のツインテールの少女が腰掛けていた。

「や、これはこれは。あなたが噂の飴売り少女ですか」

「あっ。お客さん? 飴いる? 一個銅貨一枚だよ」

 ドモンはじゃらじゃら鳴る袖口の隠しポケットを揺らすと、その中からおもむろに銅貨を四枚出した。少女がたどたどしく四つの飴をつかみとり、差し出した。ドモンはそれを受け取り、包み紙を解いて口に放り込む。イチゴ味だ。

「や、甘いですねえ」

「飴おいしいでしょ。私の手作りなの。また買って行ってね」

「善処しましょう。僕甘いもの結構好きなんで。……店はお一人でやっているんですか?」

「そう。お母さんは知らないの。お父さんは死んじゃった。私、頭良くないけど、飴作るのは得意だから」

 少女は笑った。この物騒なご時世、一人でたくましく生きるのは並大抵のことではない。ドモンは少女に自分の影を見る。実家に見捨てられ、武者修行と銘打って家出した頃の自分を。ただただ孤独な旅の事を。

「何か困ったことがあったら言うんですよ。僕は憲兵団憲兵官吏のドモンってもんですから。憲兵団に言いに来るといいでしょう」

「うん。ありがと!」

「で……」

 ドモンは右手を差し出した。少女はしばらくそれをじっと見ていたが、得心がいったのか飴をもう一つ手のひらに置いた。

「あの……」

「えっとね、サービス。あんまりこういうの良くないって、アクセサリー屋のおじさんが言ってたから、特別だよ」

「や、そうじゃなくてですね。そのう……なんて言ったらいいんですかね。こういう時、憲兵官吏の皆さんにお疲れをいうみたいな意味を込めて……」

「甘いものを食べると、元気が出るよ!」

 少女が朗らかにそう言うのを見て、ドモンは彼女から賄賂を巻き上げるのを諦めた。まあ、あまり欲をかかないのも長生きのコツなのだ。ドモンはそう諦めて、その場から立ち上がった。

 その時である。前から見覚えのある男が歩いてきた。ドモンと同じ憲兵官吏のジャケットを着た男だ。金色の短髪で、額の広い男。憲兵官吏のエース。担当地区は近いが、少々このヘイヴンとは離れているはずだ。なぜここにいるのか、ドモンには分からなかった。

「や、エースさんじゃないですか。こんなところにどうしたんです?」

「ドモンか。別になにをするわけでもない。ひっこんでろ。そっちのガキに用があるんでな」

 エースは横柄に少女の前に立った。見下ろす視線は冷たく鋭い。少女にはそんな目線の意味も分からないようで、首をかしげるばかりだった。

「飴買いにきたの?」

「結構だ。甘いものは好かん。……リヤカーの中。見せてもらおうか」

 エースはおもむろにリヤカーに満載された飴の山の中に手を突っ込む。ドモンはそれをただ眺めていたが、次の瞬間目を見開いた。腕が出てきたのだ。エースが、飴の山から切り落とされた誰かの腕を掴んで手を抜き出したのだ。

「えっ……」

「なにあれ!?」

「嘘だろ……」

 通行人たちが悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように噴水広場から逃げ去っていく! その場には、流れ落ちる水の音と、ドモンとエース、そして、少女が残された。少女もなにが起こっているのか分からない、といったような表情だ。ドモンもそれは同じだった。少女の引くリヤカーの中から、なぜ腕が出てくる?

「薬指に指輪をしているな。女の手だ……貴様! なぜこんなものが出てくる!」

 エースは大声を出すと、少女の頬を掴んだ。ドモンは慌てて間に入ろうとするが、エースは聞き耳を持たない! もとより彼は武闘派の血の気の多い憲兵官吏なのだ!

「エースさん、相手は子供ですから落ち着いて下さいよ!」

「うるさい、黙れ! さあ言え! なぜ腕が入っていた! 最近の連続女性変死事件と関係があるんじゃないのか!」

 妙に確信を突く物言いをするエースに、ドモンは首をかしげた。腕が見つかるのは確かに異常だ。だが、それだけで臓器を抜き取られた女の死体と関連付けるのは早計すぎる。

「や、いけませんよエースさん。何度も言うようですがねえ、彼女はまだ子供です。乱暴はよくありません」

「とにかく! いいか! 憲兵団本部に連行して、徹底的に取り調べる! ドモン、貴様は引っ込んでいるんだ! これはイヴァン全体の危機に関する問題だ!」

 ドモンの必死の引き止めも振り解き、言うが早いが、エースは彼女を拘束し、無理やり連れて行ってしまった。その場には、ドモンと飴が満載されたリヤカーだけが残されたのだった。






 ソニアとイオ、そしてフィリュネは、昼間の顛末をドモンから聞いていた。言葉を失うしかない三人は、しばらく押し黙っていた。少女が変死事件に関わっていたとは思えない。ドモンも含め、四人とも彼女と面識があるが、四人は四人とも、彼女がそのような凶行に走るような人間には思えなかったのだ。

「旦那さん、どう考えても何かの間違いですよ。いつもみたいに適当にお金を握らせて、釈放してあげられないんですか?」

「そうだぜ、旦那。あの子は確かにあまり頭は良くないかもしれないが、いい子だ。とち狂って殺人をやるような子じゃねえ」

 イオは聖書台に頬杖をついて、ソニアとフィリュネの話を聞いていた。尤もイオとて胸中は同じだ。聖職者として様々な人物と接する彼にとって、人柄を見抜くことなどお手のものだ。ましてや女性なら、朝飯前である。

「しかしですねえ、エースさんがリヤカーの中から死体の腕を見つけたのは本当のことです。ましてや、その場には僕もいたんです。状況証拠とはいえ、疑われてもしかたがないような証拠ですよ。金じゃどうしようもありません」

 ドモンはベンチに腰掛け、頭を抱えていた。今おそらく憲兵団本部では、あのエースによって少女に過酷な尋問が行われていることだろう。今も昔も『尋問』のやり方に変わりはない。肉体的精神的に暴力に訴え、あることないことを吐かせるのだ。それは老若男女誰に対しても変わりはない。少女のように身寄りがないのなら尚更である。

「それに、肝心の金を誰が出すっていうんです。僕もあんた達も、神父も、街の人だって、彼女に好意を持っているとしても、金まで出そうなんて人はいませんよ」

「旦那らしい言葉だ。神もご照覧あれ、無慈悲なる男の言動を……ってなァ」

 イオの皮肉も、ただ虚しかった。何の後ろ盾もフォローもない少女のたどる運命は、容易に推測できる。それはエースと同じ憲兵官吏であるドモンが一番よく理解していた。

「フィリュネさん。あの子の事を調べてみてください。おそらく、無実だとすれば『罪を引っ被らされるだけの根拠』ってのがあるはずですから」

「分かりました。あの子、絶対に悪い子じゃないはずですから……」

 フィリュネはそう言葉を残し、駆け出していく。ドモン達もそれぞれ教会を後にし、少女のためにできることをしに向かう。しかし事態は、そんな彼らを欺くように、すでに進行していたのだった。






「……それは本当なんですか?」

「俺が悪質な冗談は嫌いだって知ってるだろう」

 サイは意気消沈した表情で、デスクに座り額を押さえていた。ドモンが憲兵団本部に戻った時には、全てが手遅れになっていた。少女は犯行を自供したこと。すでに現在刑が確定し、三時間後には死刑になる。猟奇的連続殺人犯として。

「エースの野郎……すまん。吐き気がしたよ。嫁入り前の年頃の女の子を徹底的に痛めつけやがって。暴力に訴えることしか知らないんだ、あいつ……お、噂をすればだ」

 エースが腰紐で繋いだ少女を、誇らしげに連れて歩いていた。少女はというと酷いものだった。顔には青あざがついており、口からは血が流れ出ていた。相当傷めつけられたに違いない。

「エース、お手柄だな! これでヘイヴンがまた平和になったわけだ!」

 ひげ面の上官、ガイモンがえびす顔でエースの背中を叩く。エースはガイモンと握手をし、小さく笑った。

「ありがとうございます、ガイモン様。帝国のため、イヴァンの平和のため最善を尽くしたまでです」

 少女の右目の飴はすでに無く、そこには暗い空洞が覗いていた。それは、彼女の絶望の色そのものだった。伏せった左目は、彼女の諦観を濃く表していた。彼女は頭は良くないが、たどる運命について理解できないほど間抜けではない。

「さあ来い! 貴様の罪の重さは、貴様の命で払ってもらうからな!」

 少女の絶望に染まった左目が、ドモンをとらえた。ドモンは思わず目をそむけるしか無かった。彼女は認めた。エースの取った手段はともかくとして、女性を殺し、臓器を抜き取ったことを。

「ねえ、助けて……お願い。困ったことがあったら、助けてくれるって……」

 少女はか細くドモンに向かって言う。ドモンには何も言えない。憲兵官吏が、他の憲兵官吏の捜査に文句をつけるなどありえないことだ。ましてや、帝国刑事裁判所へ移送されるタイミングは憲兵団に任されている。証拠さえそろっていれば、その日の内に刑が下されることも珍しくないのだ。

「貴様! 勝手にしゃべるんじゃない!」

 エースが少女の腹を殴る! 少女はぐったりし、繋がれた腰紐に引きずられるように、死出へと旅立たされていった。

「サイ、あの子……」

「死刑は覆らない。それくらい知ってるだろ。ま、あんまり手際がいいんでびっくりしたがな……」

「手際がいいとは?」

「ああ。証拠だよ。リヤカーから出てきた腕。あれに合致する死体を見つけたやつなんだが、ミオとか言うコックでな。エースがあの女の子を連行してきた直後に死体があるって駆け込んできたんだ。妙にタイミングがいいだろ」

 ドモンはなんでもないフリをしていたが、踵を返してふらふらと本部を出た。フィリュネが調べるべきネタになるに違いない。






 夜。ミオのレストラン兼自宅にて。

 エースとラルウァは、小さなテーブルを囲み、ステーキにナイフを入れていた。全ては終わったのだ。少女への刑は容赦なく執行され、全ては闇に葬られた。グラスに血のように赤いワインが満たされ、二人の悪党は盃を交わす。

「これで、俺は出世できる。ラルウァさん、あんたも安泰だ。地区担当統括憲兵官吏のお墨付きがあるんだからな。このレストランからなにが出てきても、あんたに火の粉はかからない」

 ラルウァは無言で盃を掲げ、赤い『ワイン』を飲み干した。妙にねっとりしているな、とエースは考えたが、口には出さなかった。彼の『食道楽』の正体は薄々勘付いている。だが、あまり突っ込むのはよろしくない。自分が彼の口に入らないようにするには、自分はただ恩恵を享受するだけの存在であるべきだからだ。

「僕はここで食事を続ける。ミオは料理をする。適当な死体とターゲットを見つけて、君が誰かに罪を被せて捕まえる。そしてその手柄で出世……みんなハッピーさ」

 ミオはラルウァの口をナプキンで拭うと、さらに盃を赤で満たす。エースのものとは違うボトルからだ。彼もまた、踏み込むべき領域とそうでない領域をわきまえている。少年とは思えないような少年だ。大人の犯罪者でもこうはいくまい。

「エース様。ワインをもう一杯いかがですか?」

「結構だ。うまい肉だな」

 ミオは端正な顔を邪悪に歪めて笑う。

「……ご安心ください。エトランゼ領の牛肉です。グラム辺り銀貨六枚の高級肉でして、ラルウァ様からの出世祝いでございます」

 エースはナイフをさらに切り進め、フォークで肉を口に運んだ。焼き加減はレア気味だが血の匂いがしない。見事な肉だ。

「美味い肉だ。ラルウァさん、俺はあんたの食ってる肉はゴメンだが、こっちの肉ならいくらでもご随伴させてもらいたいね」

「確約しよう。これからも協力願うよ」

 ナイフとフォーク、そして皿に擦れる音、咀嚼音。それがこの場の音の全てだった。その短い会話と小さな音を、一人の女が聞いていた。フィリュネは床下で息を潜めていた。ミオというコックの住む家を探し出し、何かボロを出すのを待っていたのだ。

「旦那さんに知らせなきゃ……」






「証拠は全て揃いました。……でも、あの子はもう……」

 フィリュネはそう報告を締めくくった。濡れ衣を着せられ、命を落とした罪のない少女。全ては手遅れだった。エースは出世し、黒幕のラルウァは女を攫わせ、それをミオが調理し続けるだろう。誰かが彼らを何とかしない限り。

「旦那。こういう時の俺達だ。やつらたたっ殺してやるべきだぜ」

 ソニアがいつになく感情的にそう言う。だが、イオとドモンは対照的に冷静だった。確かに、罪なき人々の怨嗟の声を聞き、それを晴らしてやるのが断罪人の役目だ。しかしそのためには金が無いと動けない。断罪人は正義のために人殺しはしない。金という大義名分のもと一方的な裁きを下す、ただの人殺しなのだ。

「僕は金が無いのならやりません。確かに気の毒な子です。だけど掟は絶対。ただじゃ手はつけません」

「俺も同じく。見たところ、金があるような風には見えねェ子だったしなァ」

 ソニアはタバコを指ではさみ、額を掻いた。間を置いてから、聖堂の影に近づいていき、そこから布の被さった何かを引きずってきた。白い布を取ると、一台のリヤカーが現れた。少女の引いていた、飴の満載されたリヤカーだ。

「おいおいソニアよォ。まさかこれを売って金に変えるなんて言うんじゃねェだろうな。何年かかるってんだよォ。飴も無しだぞ。断罪人は現金会計だ」

 イオは手を広げて馬鹿にしたように言う。ドモンは態度にこそ出さなかったが、イオの言うことに全面的に同意であった。ソニアは無言で、飴の山に手を突っ込み、あさり始めた。腕を引きずり出す。手には、皮の袋。彼は聖書台に歩み寄ると、中身をばらまいた。金だ。しかも、金貨が十枚!

「売上金だ。前にガキが何十個も飴を盗っていっててな。俺が親に掛けあって、きちっと代金を払うよう交渉したんだ。それも含めると、ずいぶん儲けてたらしい」

 しばらくドモンとイオは金貨を眺めていたが、顔を見合わせてから、頷いた。

「悪党がのさばるのは許せませんね」

 ドモンは金貨を三枚とり、銀貨を五枚差し出した。イオとソニア、フィリュネもそれにならった。準備は出来た。大義名分もある。後は相手を殺るだけだ。

「殺るなら今夜だ。せいぜい、派手にぶっ殺してやろうぜェ」









 ラルウァはミオのレストランで、食事を楽しもうとしていた。前までは、一ヶ月ごと期間を開けていたが、もうそんなことを気にすることはない。好きな時に、ミオの目に叶う女を捕らえ、ステーキでもフォアグラでもなんでも楽しめるだろう。シチューにしてもいいかもしれない。

「ミオ、今後はメニューを増やしてくれ。エースのお陰で、ひと目を気にする必要は無くなったからね」

「仰せのままに。ラルウァ様、メニューが増えるのは俺にとっても喜ばしいことです。存分に腕を振るわせてもらいます」

「期待しているよ。今日は?」

「レバーを刺し身で出そうかと。すぐお出しします」

 ミオは包丁を握り、レバーを魔導式冷蔵庫から取り出した。その時である。キッチンの裏口から、空気の破裂するような、ギチギチという音が鳴ったのである。

「どうした?」

「いえ、なんでも。……少し、裏口を確認してきます」

 ミオは長い刺身包丁を構え、戸口の右側に立つ。ノブに手をかけ、一気に引く。フードを被り、赤いスカーフをブローチで止めた女──フィリュネが、ナイフを構えている! ミオは避けることが出来ず、エプロンを通過し刃が臓器に到達!

「お、お前! くそっ!」

 ミオは裏拳を放ち、フィリュネを戸外へ吹き飛ばす! 後ずさり、キッチンにもたれかかるミオ! 足元はふらつくが、それどころではない。誰かが命を狙いに来ている。おそらくそれは、自分だけではなく、ラルウァも標的なはずだ! 彼を、唯一の自分の理解者を守らなくては! ミオは力を込め、なんとかその場で持ちこたえた。

「何の音だ、ミオ!」

 ラルウァが立ち上がり、キッチンに向かおうとしているのが分かる。ミオはそれを声で制した。

「なんでもありません! 来ないで……いや、ラルウァ様、お逃げを! 早く!」

 勢い良く開けたせいか、扉が激しく前後に揺れている。揺れる扉から、吹き飛ばされたフードの女がぐったりと臥せっているのと、黒いコートを着た男が同じく黒い銃を構えてこちらに狙いを付けているのが見えた! すぐに扉が外へと開き、姿は消える。

「なぜだ……なぜ俺を! 俺はただ、ラルウァさまに、美味しいものを……!」

 扉が勢い良く閉まり、勢いで開く。再び姿を現すソニアの銃から、マズルフラッシュが轟く! 銃声と共に、ミオの頭蓋が砕け、キッチンに脳漿が飛び散り、ミオはその場に倒れ伏した。

 驚いたのはラルウァだ。彼は死んだ。扉の外の人影は、すでにラルウァには確認できなくなっていた。彼の遺言に従わねば。ここから逃げねば、ミオのように殺されるのは目に見えている! ラルウァは上着をはおり、玄関の扉を押し開け、夜の街へと飛び出す! ランプは既に消え、通りは真っ暗だ。

「くそっ……どうしたと言うんだ、一体! どこだ……どこへ逃げればいい」

「道に」

 男の声が響く。ラルウァが振り向くと、月を背にした男の影が浮かび上がる。男の背はラルウァに比べて高かった。彼には、その男が人間ではない誰かに思えてならなかったのだ。

「迷われましたか? 良ければ送って差し上げましょう」

 ラルウァはナイフを握っていた。今までステーキやフォアグラをさんざん切ってきたものだ。この際、逃げるためなら生きている人間を刺しても構うものか。自分は人とは違う特別な何かだ。あの狂人のように。人を喰らい、血をすする、人ではない何かなのだ。

「そうだ……僕は、鬼だ……」

「ほう? 鬼ですか」

 男が握っているロザリオが月の光を浴びて反射し、鈍く金色に輝いた。

「そうだとも。人に、鬼が殺せるものか……それとも、君は鬼か……?」

 男は笑った。月と同じく、三日月型に口が歪む。ロザリオが天高くかざされ、ラルウァの額に振り下ろされる! ぜんまいが作動し、針が飛び出しラルウァは痙攣をはじめる!

「俺は神父だ。鬼じゃねェ。化け物を殺すのは、いつだって人間さァ……」

 イオはロザリオを抜き、逆回転させると、針をロザリオに戻した。ラルウァはその場に倒れ伏し、なおも痙攣を続けていたが、やがて事切れた。






 エースは帰宅の途についていた。ラルウァという少年は、予想外に物分かりが良かった。これでエースの今後は間違いなく安泰だ。利用してやれば、憲兵団団長、騎士団団長にだってなれるだろう。

「しかもタダ酒タダ飯とは……最高だ」

「や、これはこれは。エースさんじゃあありませんか。お勤めご苦労さまです」

 不意に暗がりから声をかけられた。エースが振り向くと、猫背気味の見覚えのある憲兵官吏。ドモンだ。

「なんだ、ドモンか。脅かすな。……こんなところで何してる」

「や、実は。お聞きしないといけないことがありましてねえ。その前に……良かったら飴いりません?」

「用件を言え」

 ドモンはよく見ると、口の中でこれみよがしに飴を転がしているのだった。手には、飴を差し出している。エースは甘いモノを好まない。しかし、むげにもできないので受け取った。こんな夜中に意味がわからない。

「俺は貴様に用など無いが、一応聞いておいてやる」

「や、実はですね。エースさんが隠れ家的なレストランから出入りしているのを見てましてね。良かったら、どんな店なのか僕にも教えてもらえないかな、と思いましてねえ」

 エースはその場から動かないドモンを通り過ぎ、ゆっくりと暗がりで剣の柄に手を当てる。あのレストランに出入りしているのを見られた。同僚だが、秘密を守るために殺さなくては。ぼんくら憲兵一人くらい、斬ってもなんとでもなる。俺は出世する男なのだから。

「じゃあ教えてやろう。だが男の肉はあそこでは役に……」

 エースは剣を抜く! 振りかぶってドモンに剣を掲げ……そこで止まった。激痛。握力が抜け、剣が手からこぼれ落ちる。ドモンは既に剣を抜き、横に切り払っていた。切っ先から、僅かに血が垂れていく。エースには分かった。それが自分の血であり、既に致命傷となる深い傷が刻まれていることを!

 歯を食いしばっているエースの腹に、ドモンは容赦なく剣を突き刺す!

「じゃああんたの肉も無駄になるわけだ。カラスか犬なら食ってくれるかもな……」

 剣を抜き、ドモンは剣を振って、既に事切れその場に崩れ落ちたエースの袖で血を拭った。







「ただいま戻りました」

「お兄様、お帰りなさいまし」

 ドモンが家に戻ると、衝撃的な光景が広がっていた。リビングのテーブルの上に、なんとステーキが乗っかっているのだ。妹セリカと共働きである以上、多少は余裕はあるものの、大きなステーキを食えるほどのものではない。

「これはすごい。いったい何があったんですか?」

「お兄様、いつも頑張っておられますからね。奮発して、高級なのを買いました」

 ドモンは鼻歌交じりでステーキ肉にナイフを通し、口へと運ぶ。美味い肉は脂が溶けると聞くが、本当だったのだ。たまらない。

「いやあ、なんと素晴らしい肉なのでしょう。もうなんというか……最高ですね!」

 セリカも同じように肉を口へ運び、落ちそうになる頬を手で押さえていた。

「とてもおいしいですわ、お兄様!」

「それにしてもセリカ、これだけおいしい肉です。高かったのでしょう? ボーナスもまだなのに……奮発しましたね」

 セリカはナプキンで口を拭きながら、事も無げに言った。

「なにをおっしゃっているのです。……お兄様、この時期は『副収入』の実入りがいいのでしょう? それを見越してです」

「は?」

 セリカはフォークとナイフを置き、かけてあるジャケットの袖口に手を突っ込んだ。隠しポケットからじゃらじゃらと貨幣を取り出すと、何枚かとりわけ懐にしまった。

「ステーキ代、確かに頂きましたわ。……明日、ワインもご用意いたしましょうか?」

 ドモンはフォークで口に肉を運び、諦めたように言うのだった。

「結構ですよ、このレストランは高すぎますから……」

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