投了不要(Cパート)
ヘイヴン外れ、裏路地の暗がりにて、二人の男が話し合っていた。見慣れた憲兵官吏の姿の男はドモンだ。
「しかし、なにをするんです。相手も分からないし、おおっぴらに調べ物もできませんよ」
私服にハンチング帽を被り、すっかり怪しい探偵めいた格好となったサイと、ドモンは打ち合わせを行っていた。イヴァンでは、ジャケットを着ていない憲兵官吏はただの人として扱われるのが暗黙の了解である。とうぜん、サイは憲兵官吏の時のように、殿様商売のごとき強引な捜査はできないのだ。
「そこをお前に頼むんじゃないか」
「君もわからない人ですねえ……僕に頼む前に、なにを調べるっていうんですか。それが分かんなきゃどうしようもないでしょうに」
サイは裏路地にいるというのに、声を潜めながらドモンへ耳打ちした。ただならぬ雰囲気に、ドモンすら息を飲む。
「……実は、大体の目処ってのがついてるんだ」
「目処。目処ですって? 犯人の?」
「ああ。俺を狙ったんだとすれば、って前提条件がついているならだが。考えたくない話なんだけどな」
サイは、狙われた日にとある会社に入っていた。その会社は現在詐欺容疑がかかっており、サイが調査中だったのだ。その調査のために、サイは家から直接現場に向かい、調査を行ったというわけだ。
「当然だが、俺は調査の事となれば憲兵団でしか話さない。調査報告もまだ挙げてない。事件でうやむやになっちまったからな。だが、事前に調査を行うことを報告した人間が一人だけいるんだ」
グラント。現在憲兵官吏地区統括であり、サイやドモン達ヘイヴン周辺イヴァン西地区の総責任者である。誠実な男で、実直な仕事ぶりが評価されて今の地位にいる、まさに憲兵官吏の鑑とでも言うべき人格者でもある。
「しかし、グラントさんが? あの人が銃使うなんて話、聞いたことありませんねえ。確か、王国騎士団から出向して憲兵官吏になったって聞きましたよ。騎士団は剣か魔法に特化する組織です。よっぽど腕が良くなくちゃ、それ以外の武器を持つなんてことは……」
「それだ。グラントさんは銃なんか使えない。ましてや狙撃だ。あの人にとって確実なのは、それこそ俺を夜道でバッサリって方だろうよ」
どうにも解せない話だった。その日のサイの動向についてはグラントしか知らなかった。しかしグラントには銃は使えない。ましてや、グラントがサイを殺そうとしているのであれば、その動機が分からない。同じ憲兵官吏を葬ろうとするのだから、相当の理由が隠れていると考えて良さそうだ。
「大体話が見えました。僕の知り合いに、調査が得意なのがいます。僕らがとるべきなのは、その調査報告を待つことになりそうですねえ」
ドモンは路地裏から回りを伺いながら、サイにそう答えた。
「エリオット。お前からの報告を聞こう」
ニンベルグは尊大な態度で使用人のエリオットの報告を求めた。白髪交じりの細身の体躯の男で、彼はニンベルグの信頼の厚い男であり『雑務仕事』を全てこなす。表側も、裏側もだ。
「は。坊ちゃまを殺害した男を、今度こそ葬ることができるとのことです」
「経過は良い。おれが求めているのは結果だ。そもそもの話だが、お前とつなぎをつけたその男。どうなんだ」
ニンベルグの元に、ある話が舞い込んできたのはごく最近のことだ。息子を殺した男を知っている。簡潔なメッセージと共に、連絡方法が記載されていたその手紙に、ニンベルグの憎悪の炎は醜く燃え上がった。息子を殺した男が分かる。その一言だけで、ニンベルグは正体も分からぬ男との接触を持つことを決意し、そのための支度金・金貨十枚を相手に渡したのだ。
「はっきり言って、私めの口からはとても『信頼できる』とは言えません」
「なぜか」
「は。彼は憲兵官吏なのです。坊ちゃまを殺した男と同じく。私めには、どうも彼が嘘を言っているような、そんな気がするのです」
エリオットは雑務仕事に長け、人間観察にも優れた目を発揮する。だからこそニンベルグは彼に全幅の信頼を置いているのだ。
「では、俺は無実の憲兵官吏を殺すかもしれん。その憲兵官吏の差金で。そういうことか?」
「可能性は否定できませんな。つなぎをつけた男もここまでくれば本当のことをいっているかどうか怪しいものです。旦那様、ここは策を講じるべきかと」
エリオットは直立不動のまま、主人の次の言葉を待った。
「策」
「は。つなぎをとってきた男の作戦は、おそらく昨日旦那様がクシャナ卿とお話された銃による狙撃によるものでしょう。それを妨害するのです。嘘をついていないのなら、もう一度旦那様がチャンスを差し上げればよろしい。そうでなければ、おそらく成功をさせるために無理な方法を取ってくるのではないかと」
ニンベルグは人差し指でこつこつと大きな頬を叩く。妨害。言葉にすれば簡単だが、チャンスはそう多くないだろう。
「やれるか、エリオット」
「私は旦那様の指示に従うのみです。やれと言われるならばやります」
「ニンベルグ卿はなんと?」
憲兵官吏グラントは目の下に濃い隈を作っていた。実直で優秀な地区統括憲兵官吏。それがグラントの表の顔だ。だが、彼の顔は既に崩れかけていた。五年前のイヴァンで婚約者を失った彼は、出世以外に生きる目的を失っていた。
それ以上に彼の中にあったのは、恐怖という一念だった。五年前、婚約者を殺した男……ヘルベルト・テルミを斬り殺した彼は、その後も順調に出世を重ねた。彼は出世に恐怖した。婚約者を失った不幸と差引いて訪れたような幸福を恐れた。
「ニンベルグ卿はあなたに期待しています。あなたの走狗にも。報酬は既に渡している……見合った結果を出すことですよ」
エリオットはシルクハットを被り、外套を羽織った状態で相対していた。お互い名乗りはしない。グラントは彼にとってただの情報提供者であり、エリオットはニンベルグ卿の名代でしかない。この小さな隠れ家も、ニンベルグが用意したつなぎ用の建物なのだ。
「確認しますが、ヘルベルト様を殺した男……それがあなたのいうサイという憲兵官吏である。間違いないのでしょうな」
「間違いない」
グラントは自分の声が震えていないか注意しながら言葉を紡いだ。グラントはヘルベルトを斬り殺した事実に恐怖し続けていた。婚約者を犯し、無惨に殺した男を殺したことを恐れていた。それが正義であることは疑いようのない事実であるにもかかわらずだ。
「俺はその場にいて、ヘルベルトが殺されたところを見ていた。疑いようのない事実だ」
エリオットはなにも言わず、少しも動かなかった。感情を隠すことに慣れた者のそれだった。隠れ家は静寂に包まれ、遠くから響く虫の鳴き声のみがグラントとエリオットの間に流れていた。それ以上言葉を交わす必要は両者にはすでに無い。だが、その静寂の中に何者かが存在したことを、両者とも気づくことはなかったのである。
「や、フィリュネさん。わざわざすいませんねえ」
「別にいいですよ。憲兵官吏のグラントさんの事、ばっちり調べてきちゃいましたよ」
ドモンとフィリュネは安い喫茶店に入り、これまた安い紅茶にケーキのセットで情報のやりとりを始めた。憲兵官吏グラント。優秀で実直な男。その正体を。
「グラントさんを尾行したんですけど、さっそくビンゴでした。南の外れにある小さい
別宅で、なんだか怪しい密会をしていたんです」
フィリュネはショートケーキを口に放り込みながら、簡潔に話を続けた。グラントの背後にいる男、帝国貴族二十家の一人、ニンベルグ・テルミによる復讐。しかも的はずれな杜撰極まるものだ。サイの話しによれば、実際に息子のヘルベルトを殺したのはグラントなのだから。
「で、実際に銃を使う男なんですが……そいつが何者なのかはわかったんですか?」
「話の中には出てきませんでしたよ。走狗、なんてずいぶん大げさな言葉を使ってましたけどね」
紅茶を飲み終わり、フィリュネは二個目のケーキ──チーズケーキだ──を注文する。ドモンは額をこつこつ指で叩いた。大体の絵図は分かったが、肝心の実行犯は分からない。グラントが直接手を下そうとしないのも、サイへ罪を押し付けようとする理由もはっきりしない。だが、一つだけはっきりしているのは、この復讐はサイが死ぬまで続けられるということだろう。
「じゃ、仕方がないことですけど……サイには死んでもらう他無いみたいですねえ」
サザンの自宅は、ヘイヴン近くの聖人通り──壁一面に扉が貼り付けられたような、長屋街の一室である。サザンは藁で包んだライフルを担ぎ、自宅の扉を開いた。部屋は暗い。狭い部屋の半分を占めるベッドの上で寝ているのは、妻のユリア。昔は、ユリアもこうではなかった。お互いがお互いを愛し合っていた。ユリアは不安定な傭兵稼業に耐え、低所得に耐えた。だが、戦争が終わり、サザンの仕事が激減したことで、ユリアはサザンを軽んじるようになっていた。
「帰ったの」
「ああ」
「仕事。見つかったの」
「こいつを使うがな」
サザンは粗末な壁によりかかり、銃を隣に立てかけた。ユリアはため息をつき、布団をかけ直した。ユリアはこの平和の時代を謳歌したいと考えている。サザンの稼業も時代遅れだと断じているのだ。
「いいから、もう辞めてよ。戦争は終わったのよ」
「仕事が終わったら、辞める。金貨十枚のデカい仕事だ」
「憲兵官吏が撃たれたって聞いたわ。あなたじゃないでしょうね」
サザンは答えなかった。ユリアの気持ちは痛いほど分かる。それ故に、サザンを拒絶するような言動をとるようになってしまう彼女の気持ちが。
だが、それも明日で終わる。
ユリアはそのまま言葉を発さない。寝てしまったようだった。
「そうさ。明日で全て終わるんだ」